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無料相談からです. acrsoudan(a)yahoo.co.jp 私は絵を描いたり、物を作ったり、文章を書いたりすると、ふわあんと道が繋がります。羊毛フェルトを作ると、一緒にフリマに出店しようと誘われたり、絵本を描いたら賞を取ったり、絵を描いてフェイスブックにのせたらLINEのスタンプをつくろうと誘って頂いたり。自分も大好きな方面で、そういうお話をもらうと夢中になるのですが、その後で体調を崩します。やりはじめると肩や頭がすごくかちこちになって、ひどい頭痛がしたりします。いつもものづくりの意欲をそがれてしまいます。大好きなことを力を緩めて楽にできるようになるにはどうしたらいいでしょうか-----------------------------------------------------「好きなこと」をしていくことは、自分らしらを取り戻すために非常に重要なことです。しかし、ここに人はブロックがかかっていて、好きなことをしないとならないというストレス(こういうのがあるのも知らないでしょ?)があると、嫌いなことは一切したくないとやる気がなくなったり、かたくなに何かを拒絶してぶれすぎたりという事もあったりします。そういったことが原因でうまくいかないことが多くあります。さて、あなたの状況ですが、あなたは、手を使ったことをしていくことがとても大切なようです。おそらくパーソノロジーで、「手を使う」ということをしないと自分が満たされない個性がおありなのかもしれません。自分を満たすために手を使う、ということが重要でそうしていると、自分が安定をしたりする、ということですね。この構造(パーソノロジーで言う形)は、ミケランジェロ(だったかな、調べてみます)も持っていたそうで、しかし、自分の構造(つまり芸術を生み出しやすく変化している手の形)を、嫌っていたそうです。自分の才能を嫌うなんて面白いですよね。でも人は不思議と自分の才能を生み出している容姿を、嫌っていたりします。私事で恐縮ですが、私は、過去、非常に体が弱かったんです。原因を探しても見つからず、病院に行ってもダメで、学校から帰って、必要なことをしたら、あとは寝込んでいる、というということが、長く続きました。皆さんご存知のように、もう、私は、友達たちが孫がいるまごまご世代なんですが今は、過去よりかは元気です。自分の心の中のことを整理をして気が付かないうちに元気になっていたんですね。しかし先日、同じように寝込むということが数日、続いたことがありました。なんだか疲れる、原因わからんちーという時期が続いて、でも自分の本質のメッセージを受け取ったら直りました。この、本質のメッセージを読み解くまでにいろんなことがございました。ということで、自分の本質のメッセージに逆らってたりがうまくないんじゃないかなーと思うんですね。あなたの一つのメッセージは、確実に手を使いましょう。です。手を使うことを誇りにしましょう。です。自分のためにですね。会社でっもそうかもしれません。しかし、なにかカタチにしようと無理をするのではなく、それそのものを、自分の才能として信頼をし、楽しんで使ってください。するといろんなものがはまっていきます。です。わたしは思うのです。人は、「こうじゃないとこれをしないとこうしないと」というのは頭で考えていることで、本質はそういう考えかたをしないと。「これをやってみよう、やってみた、よかった、なにか学べたねあ、いいことおきたな、さて次は」という流れに乗る考え方なんです。頭は、「せっかくの流れだ!しないとちゃんとしないと」と考えて本質はそういう向きはいかないから、具合が悪くなるよということなんですね。この部分を引き寄せの法則は説明をしようとしているんですが簡単に言えば、本質にあえば勝手に引き寄せられていきます。だけど、その時の受け止め方が下手なので、流れていかないことが皆さんにおありです。要は、「これがきた、よしこうしないと、こうやってああやって目的をもって」というのが疲れるのであれば、「何かやってみて、続くことあるいは流れが出てきたことを、そっと静かに続けてみてしかもそれを、ちょっとづつ静かにやってみて、起きることからまた更に」という流れができていない、という事なんだと思います。そこに、頭で考えてしてしまう何かの癖があるのだと思います。さて、それとは別に気になったのは、「疲れる前にやめる」ことが、あなたにとって大事ですか?それとも「ガンガンとやってみて、疲れてもよい」と許せていないことがあなたに合っていないのでしょうか?どっち?というのも、本質が問うていることですね。これは、「こうすべき」という頭が邪魔をすると読み取れないです。ご両親の考え方とか癖があるとそっちにひっぱられますが、「疲れる前に少し休憩をして続けられて気分がよい」なのか、「ガンガンとやってみて、疲れてもああよかった、できたと思ってがんがんとやって疲れる自分をよしとし、そののちに疲れをとることを本当に自分に許す」のか、今迄拒絶をしてきたことは、どっち?パーソノロジーの説明について 下記記事の下にあります。http://ameblo.jp/amanocathy/entry-12203677453.htmlあなたの本質を読み解きます。http://www.acoreading.comパーソノロジーについては今後お伝えしていきます。ACR独自の本質の深いところを読み取ることをしていきます。
2016.09.30
自分のあり方を信じる、というのは、とても面白いです。例えば、わたしであると、最も信頼ができるのは直観です。この直観は、わいてから言葉に整理をする必要がありその時にだけ「直観そもの」は、生きています。その時にパワーがあり、もちろん、言葉にすれば、読んだ方々に何かを感じさせることがあるのかもしれませんが私自身には、「その時にわく」感覚です。わいてくる感情のない感覚のようなもので、後程整理をしてみることもあります。そうして言語化をすると素晴らしいものになることはあります。いずれにしろ、何らかの情報源です。同時に、自分を整理をすると、良きものをどんどん教えてくれている気はします。また直観に従ったときには失敗はないんですが、もちろんやっぱり慣れていないと怖かったです(笑)そんなものに従っていたら、そんなことをしていたらという思い込みも人それぞれ、あるわけですし、使い方だってわかりませんでした。そのために、すごく長い年月をかけて自分自身を学び、思い込みを外した気がします。今もお勉強中です。というか、生涯、自分自身のことはわかり続けていく奥深いものなのだと思います。感情がわかせている情報ではないので、さーっとわいて、後からよく考えるととても感動をしたりします。それと時々、色々うまくいっていると空気にきらめきや光が入ることがありこれはセッションでもありますが。あれは何なんでしょうね。これは確実にその人が変わっていく書き換えをしたときに起きることです。これは直観とは違う、別の構造(パーソノロジー、自分の資質)から来ているのかもしれませんね。さて、話を戻します。この直観を信頼するのか、それとも過去のデーターを信頼をしたほうがあっているのかというのを、パーソノロジーでは資質として見たうえで選びなおすということができます。場面場面によって直観を使うのか、過去からのデータをきちんと読み解くのかいう査定が人それぞれに必要となります。情報を統合する前頭野のなかでも、体感や感覚と情報が統合をされて、という部分と関連のある脳の発達状態を見ているようで脳のそのあたりの頭蓋骨の部位を触って調べます。さて、これと似たものに、テレパシー、サイキックというのがあります。テレパシーやサイキックなんて、科学的ではないように感じられると思いますがパーソノロジーという学問では、脳の、どの部位が発達をしてどういう脳に集まった情報をアウトプットしているかという事なんだと思います。頭蓋骨の形から見ていきます。後に、パーソノロジーについて書きますが、統計学です。さて、テレパシーは、直観のように情報、というよりも体の感覚を通しての何かの情報を受信をします。そのため、良い感じ、悪い感じ、といった感覚での受け取り方になるようです。脳の体性感覚野あたりの発達状態をみます。この資質を持っている方々は、わたしの独断と偏見ではあるのですが、逆に体の感覚がセンサーで強い面を持っているようで、体の痛みに強かったりもするところがあります。これは別の構造と関係があるのかもしれません。また、パーソノロジーの別の資質である、繊細さとは全く別の資質ですから、体の繊細さとは関係がありません。サイキックというのは、視覚と関連のある部分が発達をしている人であって、情報の多くを、視覚で感じ取っていたりします。つまり、なにか直観的なものを視覚で見る方がおられる、としたらその部分が発達をしているということですね。直観はまだしも、サイキックとかテレパシーとか、言葉が悪くて(笑)何か不可思議なものみたいなんでがようは、集まった情報をどういう脳の経路でアウトプットするかだと思います。そしておそらく、こういった一般的には直観と言われるものの、でどことを分けて?みたいに解明をしたところって、あまりないと思います。わたしは直観の人なので、ちょこっとした情報がわいたりします。それが一番早くに来ますが、それが体感として良い感じ悪い感じとしてわくかたも、あるいは視覚で何かを見ていく人もいるのです。わたしの場合は良い感じ、悪い感じ、とは感じないです。一瞬ひらめく光とともにやってきて、光とともに消える感じです。あかるくはありますが、よい感じという体感ではないです。そして私には長い間、この直観がどれほど私を助けてくれているかに気が付きませんで、知識で頑張っている年月がありました。その三つどれもが発達をしている方々であると、そこは信頼がおけるとご自身で知っているとよいのだと思います。しかし、そこを信頼ができなくなると感覚と自己がばらばらになっていきます。それぞれが無自覚にわいていて、それぞれがあり方を知らないと上手にはつかえません。またそれぞれは経験によってわかるので、言葉で教えられたり言葉でつかもうとすると、自分から離れていくという特徴があります。そのため言葉ではなくて自分自身の経験から感覚を取り戻すために、過去に、キネシオロジーと呼ばれる筋反射と催眠療法的なアプローチでACRでは戻ります。ただ単に記憶を操っているのではありません。誤った感覚ももちろんあると思います。特に紛らわしいのが急がないと、という焦りだったりチャンスがなくなるという心理的な圧迫だったりします。それと疑い深い人だと、疑っている内容を見てしまったりします。それをそういった直観や確かなものとしてとらえてしまうこともあるでしょう。過去のストレスが挟まると誤ったものを直観として使うことになっています。これらも整理をする対象にはなります。そういった感覚に操られていると、そうすると豊かではありませんよね。それらは、祝福のためにあるのだとは思います。引き寄せで感覚を信頼、たって、一人ひとり、違うと思うんですよね、何を信頼するか。〇 パーソノロジーは、1960年代ごろに始まった学問で統計学です。ロバートホワイトサイド氏ほかによって研究をされカリフォルニア大学でも検証をされました。その当時では、かなりの精度を誇るとはされ、さまざまな分野での人間の性格解析に使われた背景があります。この学問については、わたしは、1980年代に、東京の渋谷で日本にいち早く取り入れた遺伝行動科学という分野で学びます。その後、パーソノロジーをアメリカで学び、(現在は双方のインスティチュートともなくなっています)その10年後に、構造機能として、スリーインワンという組織で学びました。スリーインワンが最もパーソノロジーを正しく有意義な形で進化させていて、(ロバート ホワイトサイドさん発案のパーソノロジーを息子のダニエル ホワイトサイドさんが発展をさせています)このダニエルさんの功績は大きいと私は考えます。特に彼は、仕事でのパートナーであるゴードン ストークス氏とこのパーソノロジーを、人を決めつける学問ではなく、「自分を学ぶための指針」とし、構造が違う人々がどうすれ違うか、心境を深く解読をしました。そうした新しい視点から考察をした意義は深いと考えます。ただスリーインワンの「構造機能」と呼ばれるパーソノロジーは、あまりに一般的にはわかりにくく、明瞭な言葉では語られなかった部分があり、さらに、スリーインワンの中でのみ使われていったことで、大きな広がりを持つことはありませんでした。ACRでは、より、深い学びをしていく、という側面からパーソノロジーを研究をしていきます。特にこの理解は、どうして思い込みがどういった心境から派生をするか、という事を見るのに、とても有意義であると考えます。ーーーーーーーーーーーパーソノロジーについては、おしえてください、といえばおしえます。もうこのACRは、皆さんからの提案方式。セミナーもそんな感じになってきてはいます。http://www.acoreading.com
2016.09.27
草食系男子でも、アプローチはあります。どういうアプローチかというと、少なくとも誘われたら来ます。というごく穏やかなアプローチです。少なくとも会える場所には来ようとしてくれます。というアプローチです。まあ恋愛の最初のほうではこういったことはあります。その後、ちゃんと付き合う場合もあるわけで自分の価値観で、「これもあれもしてくれない、ぷんぷん」と怒るのも相手の個性を無視をしていたり勝手な解釈をしていて間違っています。というのは、解釈を変えただけでご主人のことがとてもよくわかったりうまくいったりするカップルは多いので、しかし、しかーし!!誘っても何してもあまり積極的で、何回もきてはくれない人を草食系で自分を好きなはず、恥ずかしいはず、と思うのも、自分を守るための考え方であるかもしれませんね、そんなことばかりかんがえていると、「恋愛未満友情以上」みたいな、恋愛にならない縁ばかり呼び込む感じ取り方ではあるのです。面白いんですが、本当にダメなものはダメ、と感じ取れる感受性と恋愛で呼び込む感受性と近いものがあります。これやーめたーと思ったとたんに、次の人を呼び込むということは、できることでもあるのです。話題がずれました。草食系男子には、「なにかもやもやしてるけど、積極的ではないけどなにか常に声をかけてはくれるようだなー誘ってはくれるようだなー」という穏やかな付き合い方や「なんかいうと来るよねー」という恋愛はじまりの段階もあるから、あんまりり厳しく自分の理想を当てはめないようにね、というお話しでした。http://www.acoreading.com
2016.09.26
立派な経歴、資格がおありなのに稼げない人々というのがおられて、その方々と接していると、一つのことが整理ができると、稼いでいけるようです。では「一つのこと」、邪魔をしているものは、なんでしょうか?プライドと自信のなさです。これは表裏一体になります。プライド、というのは、「この資格、私が学んだことはこんなに良いものだ」という、資格やブランドに頼ったプライドです。人と比べて、「こちらのほうが正当なはずなのに」というのだってそのプライドの一部です。そういった考えやプライドがあると、自分の使命からどんどん離れていく捕らわれですね。自信というのは、その裏側に、じゃあ、その資格がないとしても、わたしがこれがしたいの、というのを見届けられる勇気と、謙虚さだと思います。この二つはセットで、片方に問題があればもう片方も必ず問題があります。ですから、「自分の資格がどんなに有効か」ということを宣伝をするだけではなく、その一方で、「それがなかったら、いったい私は何者か」というものだったり、「その資格がないとしても、いったい何を勧めたいのか、できるのか」「そこを本当に逃げずにできるか」ということにしっかり向きあえていないとならないです。これは意識をして整理をするコーチングみたいなものもありますよね。しかし、何をやっているか自分ではわからなくてもちゃんと潜在意識は自信を持っていて、できることを伝えている人々もいて無意識にちゃんとできている方もいます。そうやって成功をしていく方もいます。ブランドより前に、自分が勧めたいよいものを勧められる勇気が必要だ、というのは、例えば、リンゴがある、として、青森産というのがすごく世界でブランドだとします。ブランドだけに頼れば、「このリンゴはこんなに立派なブランドです」「こんなに開発に時間が掛かっています。」「こういう組織で開発をしたものです」ということから歌います。そちらに長く時間をかけるんですが、人々にしたらどうでもいいですよね。それだと、扉がないです。入口がないんです。人々が関心があって、そこから入る入口がないです。でも一体、そのブランドがないとして、そうして、その服なり商品なりサービスなりが、「どんな力を持っているのか」「それを私は心から信じている、伝えられる」のであれば、「このリンゴがどんなにいいものか」から入りますよね、どんなにいいものか、好きか、においがいいか、わたしはどこに自信をもっているか、と伝えたうえでそのうえで、資格なりブランド力を伝えられます。言葉別に「わたしが」とつけなくていいんですが要はやっている経路が違っていきます。そのうえでブランドの説明であれば、これは伸びていきます。もちろん、そのブランドが有名になれば、ブランド力はあります。しかし、それまでの過程では、上記の道順はとても大切です。「自分を信じる力」を伸ばし、「それに頼らないといられないプライドに隠れている自分自身の良いものを伝えられない弱さ」の整理は必要だ、という事に思います。そうやってその資格なりブランドがなくても、好きな部分もしっかり伝えられる勇気を持ちつつ、ブランドの説明をしてください。ビジネスのコンサルティングを見ていても、うまくいかない方の指導は、「ここをこんなに強調をしてもね」というということで整理をしていかれることもあると思いますが、何度説明をしても相手に伝わらない、としたら、相手が自分に向きあえない何かを整理しないとならないのかもしれません。わたしのところだと、心境から変えて、自然と伝えていけるようになる経路を取るということです。ご自身の自信のなさは、こんなふうにいろんな部分に響いてくるのですね。上記の説明は、実は、「自分がよいと思っている」ものと、「相手がよいと思っているもの」のすれ違いを整理していく部分です。自分の心の中に、人が好いと思うものは、わたしを大きく見せているものという事があれば、見誤りがあるときもある、ということだと思います。ここら辺の整理を潜在意識でしていくと、大体自分の感覚が人が求めているものとあってきます。つまり、今までこれじゃだめだ、と思った中からさえ、、たくさんのヒントを探せるしまた自分とあってくればあってくるほど、なにか商売をしてだましているような社会に対する不合理な感覚とか、こうしないと売れないんだというさびしさみたいなものはなくなっていきます。http://www.acoreading.com
2016.09.25
どういう層のことを潜在意識というかによって色々かんがえはあると思います。潜在意識というのは、心理学では認められていない考え方ですが、要は、「気が付いていないところで」という意味ですね。それで、人々の気が付かない層と話をするセッションをしていて思うのはACRのセッションは、完全に、それ自体が生きています。いろんな問題の整理をお手伝いをしてきました。それでこのセッションは、うまくいくと物事の解決がすごく早いです。何かを決めないとならない、とかだと、1日で結論が出ることさえあります。例えば、母親から離れられなかった人が、すっきり離れたリ暴力を振るわれている人からちゃんとすぐに離れられたりなにかが絶対にできないということができたり、ということはあったりします。そのくらい、不思議なところを整理をするので、人によっては、最初のころは、いろんなことがすっきりしたり、無意識レベルで、自分が楽になろうという働きがあります。でもそのうちに、その人たちが力が付くと、「ここは、自分で決めたい」という部分が無意識が話し出すんです。今までは、その整理を手伝ってきたところが、自分の心の中で、「ここは、私が自分の意思を使って決めていきたい」と願いだすんですね。それを思うと、人の心は、深い意味があるんだろうなあ、と思います。最終的には、人が最も幸せになるのは、じつは決められないと思っていたところが、自分が決められると、気が付いたときです。人の崇高さは、「どんな状態でも私はこれを納得をして決めてそれについて誇りを持てる」という段階になった時に現れます。その時の豊かさ、幸せな感覚、深いレベルでの愛、問題が氷塊をすることを学べることは、とても、有意義ではあるのです。例えば、ある段階までは、「人が怖すぎる」という怖すぎる部分の整理をセッションで楽にしていく段階がある、とします。そしてセッションで今の関係者が怖くなくなったりします。また別の問題が現れたときに、すっきりとするとします。そうしてその人はだんだんと怖くなくなっていきます。しかしある程度自分が立ち向かえるようになったら、無意識はこう伝えてくるのです。「私が決めていくから、決める力を使いたいから」そこにくると、別の段階に入ります。わたしはその時に聞きます。「あなたにはもう力がついているの。この状況でこういうふうだけれど、あなたは何を選べるの?選びたい?」その人の中に目の中に光が現れます真の意味で生きる段階なのだと思います。自分を信頼をするのは、こういうことなんだ、と感覚が納得をします。ああ、ここだったんだ、と本人から気が付きます。選べたとき深いレベルでの癒しが現れるのです。問題の解決だけが大事なのではありません。その人が真の意味で育つこと、幸せであること、崇高であること誇りを持てること、その状態を心は知っていて目指しているようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2016.09.24
あったり前のことなんですが。幸せな夫婦、というのは欠点を受け入れあう夫婦です。先の生理的にダメな人が多いと、なんですが、生理的にダメなことが多い人もおられると思うんです。これもいや、あれもいや、というようにね。でももちろん、すごくそれでも幸せなご結婚をされている方々っておられて要は、許しあえているかどうかです。例えば、妻はこれもあれも文句を言う個性であってももういやだ、本当に、と愚痴が多くても、夫がそれをいやでもまあ許せていて、しかし、夫も夫でだらしなくって、ほかの人だと結構嫌かもしれなくて、それも妻はいやだけれど許している、なにかお互いに、ほかの人だったら受け入れてくれないかもしれないけれどこの人だと受け入れてくれているなあ、というのがお互いにあれば、これはどんなにけんかをしていても、まあまあ安定をしている夫婦です。いやだなーこんなところは。というのはどんな夫婦でも必ずあります。どんなに幸せだと書いていても言っていてもご相談に来る方々はおられるんですし自分も幸せな結婚生活をしていてさえ、色々感じることはあったわけだからよくわかります。無意識にお互いを受け入れている夫婦は、表面でどんなに争っても長続きをしています。何かをはじくばかりではなく、受け入れる訓練も大事なものなのです。http://www.acoreading.com
2016.09.24
どうも見ていると、生理的にだめな人が多いと、恋愛が進まない気がします。生理的にダメな人が多い人は、それを外すと生理的にダメな人と結婚をしないとならないと信じていて(!!!)これも面白い誤った信じ込みですよね。それと、生理的にダメだ、と感じることで自分を守れている、と感じているんだけれど。。。。まあそんなところを整理すると、確かに恋愛運が変わる人はいるものなので。たぶん、なにか別の部分が動いています。異性はもともとが引き合うものだと思うんですがその力を使えなくなるのかもしれません。もちろん、そういう、いやだ、という人が、何名かいてもいいんですしそういうことは、確かにあるんですが。。。多すぎるのは、問題があります。多すぎるのは、なにか全部生活の中でも、いろんなものをはじかないといられないんだとは思います。はじくと、自分にとって良いものを受け入れるほうに意識がいかないこともあるでしょう。ーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com
2016.09.24
癌に効果があるという アガ ”リクス”をリスクを減らす、アガ”リスク” と覚えていた私を、アガリクス 好きの皆さま、どうぞ、お許しくださいませそういえば幼い時には、息子はディズニーランドをネズミ―ランド、と呼んでいたなあ。。。微妙にあっている、と、いまだ、思うんだなあ。。。。
2016.09.24
たくさんの方々のこころとお話をして感じることがあります。わたしにはどうも、愛は、真の意味でいいよ、と言えた人にくるのではないかと。深い愛は、ある種の悲しみと裏返しに思います。子供に対しての深い愛は、どこかで慈愛、すなわち悲しみとつながっています。そうして人々にも、深い愛を開いたときに深い悲しみはあるのではないでしょうか・例えば深い愛を経験をしたときに、その人と別れなければならないときその人が死を迎えたとき、どれほどの悲しみがあるでしょうか。子供を産んだ時、同時に様々な悲しみも経験をするのです。しあわせだからこそ、経験をするのです。子供が病気のとき、子供に何かあるとき不良になったり望み通りではなかったり、いろんな経験をするのです。愛する、ということは、それだけ、深い悲しみを経験をする可能性があるのです。それでもいいよ、大丈夫、やってみるよこころがそう告げた時、その人には愛がやってくるのです。しかし、深い心の底に、傷つくのはいや、相手に傷つけられるならば恨むしいやそれよりも前に、私は愛することを選ばない相手が完全に私に大丈夫だと言ってくれるまで、という魂の奥底の闇があるときに、今しばらく愛がやってくるのにじかんが掛かることがあるのかもしれません。安全は、危険を冒した人にしか得られない、有名な言葉です。これは実践をしないとわからないと思います。怖いからと安全でいようとパニックになれば、そこには安全はありません。多少危険でも、安全を求めて頑張る、というときに真の安らぎがあるからです。涙を流しても傷つく可能性があってもわたしは愛を選び取る、深い心のそこでそれを決意をするときさまざまな癒しがやってくることを私は見届けてきました。それは深い心の中で起きることでもあるのです。あなたは愛に、イエスといえるのでしょうかリスクがあってもよいものを選びたいですか。そう、その人の奥底には源泉があります。必ず力となるものが。ーーーーーーーーーーー記憶の中からACRでは、平安になる深い癒しを経験をしていきます。http://www.acoreading.com
2016.09.23
自分を責めると物事うまくいきません。自分を責めないと反省ができない?逆です。反省というのは、「これはこう改善しよう」でおしまいです。これをフィードバックと言います。何かが起きた、ではこの方法にかえる、という単純作業ですね。しかもフィードバックは、物事をより良くする、という楽しい目的があります。決して責める必要がないんです。自分で自分を責めている人々は、人を責める気持ちも、必ず同時に高かったりします。それは、自分を責めるのが心苦しいから相手を責めるようになったりします。そうなると、なにか見直すことを、「自分のダメな部分を見るための作業」として苦しんだり、嫌がったり、避ける傾向があります。間違いを「あ、そうでしたね」と言えずに戸惑うのであればなにかそういう癖が隠れていることが多いとは思います。「あれこういうことだったんだ」をすごく複雑に考えたリ、自分がダメなんだと余計なところにエネルギーを遣ったり、という人間の、とても複雑な機能が「今の自分にとどめていく」ための、プログラムだとも言えます。 こういうのができていないのは、自分が悪いということだという潜在意識の誤った誤解はとったほうが、かなり人生がすんなりいくようにはなります。考え方として、「あれ、こういうことだったんだ」と学び選びなおす作業が楽にできるほうが、成功をしていきます。今有る壁を確実に打破できます。先にお伝えした、ほしいものを知らない、の欄でも、自分ができていないとか、いやな気分になる必要はなくて、「あ、こういう選び方を自分はしているな」「だったらこうしよう」「あるいは、こういう癖があるので、ここはこれで選んで良しとしよう」「結果こういうよいものを得よう」というのが大事になります。ーーーーーーーーーー自分のプログラムを発見し書き換えていきます。穏やかになったり、セッション後楽になったりする方も多いです。自分の偏った感じ取り方が修正をされたときにこの独特の軽くなる感じがあります。http://www.acoreading.com
2016.09.23
ほしいものを知らずに引き寄せはできないです。でも多くの方が、ほしいものを知らないです。というか、ずれていたりなんかしちゃったりなんかしちゃったりして。え、そんなことはないって?では試しにちょっとチェックをしてみましょう。買った服は全部着ていますか?礼服、パーティー用など特殊な服を除いて、チェックをしてみましょう。〇 着ない服が多い、としたら、 ほしいものと、頭で勝手に生み出す理想がずれているという事はありませんか? とても着る服があなたが好きな服です。着続けているには、どんな理由がありましたか? 着やすさ?なじみやすさ? だとしたら、それを選ぶ自分を好きではない 理由はなんですか?なぜそんな服を選ぶのは本当の自分ではないと思っていますか? 自分はそういう服のほうが好きだと認めたりすることには、 抵抗や(心の深くには、拒絶された悲しみ)はありそうですか? 着たいと思って買うけれど、着ない服がある、としたら、あなたは、 こういう理想になりたいと思ってばかりいるけれど、それは誰かの価値観なのでしょうか。 あるいは、自分の感覚を遣わずに、常に頭でいらないものを連想をしている癖がついたの かもしれません。〇 食べなくて捨てるものが多いとしたら 買ってしまったときの状況を考えましょう。きっとないと困るとか、 これはあったほうがいいとか、頭で動かされたのかもしれません。 それは飢餓感ではないといいですね。そういった「これは安いから買っておかないと」 という選び方を常にする、としたら、「頭が生み出した」幻想をみているのかも しれません。いつも緊急を考える癖があるのかもしれません。 本当に必要なものを買っていますか? 実際に食べているもの、食べ続けているもの、腐らせないものが あなたに必要なものです。あるいは好きなものです。それらは どんなふうに貴方に癒しを与えてくれますか?責めてばかりいずに感謝をしていますか。 感謝をしたうえで、必要なものを加えられるでしょうか。〇 買い込んで忘れている文具があるとしたら それは、あなたが、「こういうふうに学習をしたい」という理想です。 でも実際に使わない、としたらあなたの手になじむものはなんで それを使ってどういう作業をするのが、効率がよいでしょうか。〇 本をすてられないけれど 役に立つ本を自分の感覚で確かめられないのではありませんか? あなたは「自分にとってこの知識が必要だ」と感じているでしょうか? 誰かに言われたときに理論武装ですか? それとも、「いつか必要になるから」と取っておくタイプでしょうか? または、まだ方針が決まっておらずに、全部必要な気がするのかもしれません。 経験がないから、全部必要な気分になっている時期も確かにあります。 下の場合には、人生がきっちり整うにつれて、つまり 夢に向かって動き出すと、自分に必要な知識がわかるように なります。(いくらいると思っていても、実は使わない本もわかるようになります)おっとろしいことに、いろんなことでずれを感じている、としたら、人との関係でもまあ多少は、ずれを生じています。いろんなものに対して同じようにずれを生じています。一度、自分はどんな基準でものを選ぶとそれが長続きをしてどの感情でものを選ぶと、うまくいかない方法に行くのか、見直してはいかがでしょうか?引き寄せは自分に戻る道です。自分が意思で望んだことを努力して手に入れることもあるでしょうし、そして、自分が本当の自分を謙虚に受けえ入れて学んだ先に、もう一度なりたい自分になろうと意思を使うことで運命が見方をしてくれたり多々な方面で引き寄せがあるものの、もう一つは、自分がよい方向に進むと勝手に良いことがおきるという事はあります。これは大きいです。あなたの運のつかえが自分自身の中にある心の乱れが現れているとしたら?http://www.acoreading.com
2016.09.23
わかってほしい、と意地になるとき、じつはその裏側には、なにか心の、わだかまり(傷)みたいなものがあります。こころの聞こえてくる声は人それぞれで、人によっては、「痛み」です。人によっては、「罪悪感」です。人によっては、「分離感からくる恐怖心」であったりもします。なぜなぜわかってくれない、私はやっているのに!というときには、自分が何か、やらなくてよいことを怖くて一生懸命にやっていて、なのに、それを人に認めてもらわないと怖いことがあったりもします。例えば、一番になりたくはないのに、一番勉強をして頑張ることがよいと教えられ自分はそんな動機ではしたくなくても、気が付かずに頑張っていたりしてそうすると、「ちょっと勉強が足りてなくない?」と言われただけでガーっと上がって憎しみになったりするかもしれません。これはなにか、というと、深い深い心のレベルでは、本当はこんな勉強の仕方が違っていると知っていたりもします。誇りを持てないのです。面白いですよね。しかしそんな心境を無視をして頑張っているために、そこのところをつつかれると非常な心の痛みが走って、あいてを許せなくなる心理だったりします。本来その人がその人らしく生きていると、これは、深い深いレベルで自分自身が一つであると、という意味ですが、聞いてもらえない、という痛みがつねにその人を支配はしにくくはなります。こころの癒しは、多くの場合、一つのことがほっとできてそして全く関係がないところも整理をされていきます。そうして自分につながり、その人らしさを取り戻し、より効率的に、より有能になっていくこともあります。複雑な様々な心境は、それぞれの人々に隠れていてじつはもっと大きなその人の人生の豊かな流れを探し出させようとしてくれています。それにつながることは、どれほど豊かで重要なことなのか、とも思います。ーーーーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.com(ACRで、一つの問題を整理していくと、ほかのことが改善をすることがあります。それは興味深くおもいます。)
2016.09.23
先のわかってほしい、と近いのですが、人は自分が非難をされたくないがために、自らの何かを、理論武装をしていくことがあります。さてこのことについて、仕事と、個人の成長という二つから書いてみたいと思います。こういった理論武装はあってよいのです。あるものをきちんとした言葉で伝えて伝わっていく、そういった時期には、そのエネルギーを使って、多くのことが成し遂げられていきます。そしてある時期がきたら、その人たちはまた壁にぶつかります。その時は、仕事がうまくいっていても、こころが納得をしないという壁だったり、あるいは、仕事の流れがつっかえる、という壁かもしれません。対人関係でいうならば、うまくいっていた関係が伸び悩んだり、その二人の共通の何かではお互いに無理があったり、個性の違いが出てきたり、逆に飽きたりという時期なのかもしれません。ここを超えるとき、その人は大きく伸びる時点ではあるのです。世の中に、新しい知恵がでることもあります。関係が大きく変わることもあるでしょう。さて、何かをわからせたいとき、戦っているのは、、どうぞ、覚えておいてください。あなたが戦っているのは、自分自身とです。わからせたい相手ではありません。 さて、理解ということであれば、医師は過去、どんな歴史をたどってきたでしょう。天然痘のワクチン(のちに天然痘は撲滅をされます)を作ったジェンナーは、近所の人々から、変な研究をしているとか、気が狂った扱いをされました。そのワクチンの有効性が認められてからも、そのワクチンを接種すると、牛になる(もともとは牛痘からワクチンを発見したから)、などのうわさが広がり大変だったようです。そのワクチンが広まるためには、地道な活動が必要でした。人は、「私の理論はあっている、なぜわからないんだ、この馬鹿野郎」という心境になりやすいのですが、そうなると、おそらく伝わらなかったり、つらわらないことを責めたり、こころのどかであきらめることになり、伝わるのに、時間がかかるのではないでしょうか。相手が変わらない腹立ちは、実は、自分がかえようと思っていることをどこかであきらめている姿なのです。相手が変わらないから変えられない、そういった信じ込みがあることもあるでしょう。あるいは、急ぎすぎているのかもしれません。急に一個の物を見せたら変わるだろうと思っていることもあります。人が新しいことを伝えるとき、そこには、やはり抵抗が生まれます。そこを伝えたい、としたら、わからせたいという気持ちをすて、謙虚に良いと思う道を伝え続けないとならないことがあります。そういった活動には、継続的な忍耐力が求められるのです。意地になるのではなく、行動で自分が伝えていかないとならないという時期があるのです。自分の心が、どこへ向いているかを整理をしないと前に進めません。相手に伝えること、伝わるということは、たとえ世界を変えたワクチンを伝えたような大きな出来事ではなくても、相手にとっては、育ってきた環境からよいと思ったもの、そういった記憶からくる判断を変える大きな出来事なのです。急に小さな(具体的な?)話になりますが、ご主人が家事を手伝ってくれるようになるのだって小さな変化ではあれ、その人の中では、自分の怠け癖や、夫婦の関係を変える大きな出来事であることさえあるでしょう。上司がその方法を採用するには、彼の価値観を変えないとならないこともあります。相手に何かを伝えようとして伝わらないとき、人はイライラしてどうして、と相手に喧嘩を売るみたいになります。そして一発で何かを伝えようとします。一発でわからせようとしたりおなじことばを何度もかけたりします。でも、相手は違う価値観持っている人間です。徐々に根気よく、自分が信じたものを、信じた通りに見せていく忍耐強く、根気よく、そういった根気良い「活動」を通して変わっていくものもあるのです。根気よくの意味は、言葉でわかれ、変われ、ではなく、「行動を共にして」変わったり「相手にわかりやすい部分だけを伝えて、それでよしとして、その内容を徐々に変えていく」ことなのだと思います。そして、「常に同じ言葉をかけて、またダメだったという方法をやめる」ということでもあります。洗脳、というものは、恐怖心によって行われます。しかし芯からわかってもらうためには、つまり相手の心が変化をするためには、愛と忍耐と、そして自分が思い描いたよい目標を見据えることで、成し遂げられるものなのだとは思います。ーーーーーーーーーーーあなたの言葉が相手に伝わる方法をあなたの潜在意識から出します。http://www.acoreading.com
2016.09.23
本日もお疲れ様でした。さて、お休みの前に。もしご自身が、「私がこんなに困っているから助けてほしい」と本日、口にしたのであればあかるい未来のために、ご自身の癖に気が付く必要があるときです。「私はこんなに〇〇で、あなたのほうが状況が恵まれていて、だから助けてほしい」という言葉が多いのは、無意識レベルでは、絶対にその状態から抜け出たくはないのです。幼少期に身近にそういう姿勢の人がいるから学んできたこともあるでしょう。すると、おなじような困った状況に入ってしまいます。そんな潜在意識なんて嘘だと思うのであれば、試しに、「だってあの人のほうが困っているよ、こんなにも」という言葉をほかの方が言っていることの想像をしてみてください。もし、人が、本当に自分が幸せでありたいならば「ああ、あの人のほうが大変なんだ、私のほうが幸せでラッキー」と思います。だって幸せを望んでいるんだから、その言葉は望み通りではありませんか。しかし、無意識に、「私は困っているから助けてほしいし甘えさせてくれて当然だし、そういうのが好きだ、この状態が好きなんだ」というのがある、としたら「何を言っているの、私のほうが困っているんだから」とその人に不幸で負けたくない気持ちが生じるはずです。なにか面白くなくて、認められなくて、怒ったような気分になります。自分のほうが不幸ではないとならないという気持ちがわいてきてしまうのです。これがあなたを不幸にずっといさせている無意識です。さて、会話の中で、「私がこんなに困っているからこういうふふに優遇をしてほしい」という言葉が少しでも出るのであれば注意をしておいてください。それは誰からもかなえられない望みです。たとえ一時期に助けてくれたって、もっともっと助けてほしい、という姿勢があるから、相手から見捨てられることさえありえます。その時には当然助けてくれると思っているために、裏切られた気分にもなります。自分がいつまでも不幸から抜け出られなくもなるでしょう。あるいはたとえ同情を買って一時的にかなえられても、本当の助けは得られないものです。自分はこの助けを得よう。けれども、本当に解決をするのは自分だ、と思えば、助けを借りる相手に適切な願いを申し出られるし、必ず乗り越えられることができるでしょう。ほんのちょっと、「私が背負おう、大丈夫だ」と思ってください。あなたの強さに、必ず祝福があり、そして助けがやってきます。あなたが甘えすぎずにいると、あなたを今まで助けてくれなかった人々も、相手も力を貸したくなるというよい協力関係になります。ーーーーーーこころの癖をほんのちょっと変えただけで人生は変わります。よく、こころが変わると周りが変わるということは感想をいただきます。http://www.acoreading.com
2016.09.21
自分らしさを見つけるというのは、実はとても深い意味があります。また意義があります。自分に出会ったとき、人は深く安心をします。また感動をします。さて、一つの例を挙げたいと思います。人にはもって生まれた寛容度がある、これがパーソノロジーという学問での主張です。人にはもって生まれた寛容度がある。個性として、「ここの部分は極めたい」とか、「ここの部分は見落としてもよい」といった、欠点に対する物事の見方です。どのくらい何を大事にして何を許すか、許さないか、です。それが細かな失敗を気にしないことを寛容度が高い、と言い、細かな失敗でも修正をしたい個性を寛容度が低い、と言います。しかし、寛容度が高い個性を持った人々が、「あれ、私の物の見方ではまずいみたいだ。私は全然気にならないのに、気になっている人がいる。怖い、ここを気にしないと」となった場合、寛容度が低い人々よりも、厳しくなることがあります。しかし、もともと、この人は、寛容度を広く持ち、こういたことは気にせずに、なにかもっと大事なものを気にしたいという個性を持っていたのですから、この厳しさは本質的なものではなくてイライラした厳しさになります。さらにこの寛容度という資質は、子供の時と、大人で変わっていきます。骨の形が変わっていくに伴い、子供時と違う感覚を大人で持つようになります。幼い時に自分の寛容度の個性をどう使うかを学べずに育つと逆に大人になって厳しくなる時にも、うまく使えない、という事が起きてきます。自分の本質とずれていることをしていて、そこがどんな心の傷からうまれそれがどう、今の生活に影響を及ぼし、そして自分が本来の姿で何したがっているのか、深いレベルで学ぶことは、非常に感動をすることもでてくるようです。パーソノロジーについては、今まであまりお伝えをしてこなかったのですが今後ACR理解するうえでも、お伝えしていこうと思います。パーソノロジーについては、日本に 遺伝行動科学、として、日本に入ってきた時点で学びました。その後、アメリカにわたり、パーソノロジーのインスティチュートで学び、その後、スリーインワンという流派で、構造機能として学びました。おそらく、私は、日本で最もパーソノロジーを、正当な、しかし多岐な流派から学んでいると思います。3か所での学びは、それぞれが全く違うものでしたので、(派生は同じものですが)非常に勉強になりました。そして、30年をかけて、深い心の癒しを学ぶ上でのツールになると気がついてきています。ACRで今まで説明を仕切れない部分をこのツールと合わせることで、より深く説明ができるかもしれません。http://www.acoreading.com
2016.09.21
近日思うのですけれど、分析があって人があるのではなく、人がいて分析があるのだと思います。治療法があって、人がいるのではなく人がいて、治療法があるのだと思います。どういうことか、というと、「この人はこういう人なんだな」と思ったとたん、「この人はこういう治療を必要としている」と思ったとたん、人を扱う仕事をしていたら、見られない部分がでてきます。この、人がいて、治療法や分析を後から当てはめられることができる人々が天才、職人、と言われている人々です。右脳を使って、つまり感覚を使っているのです。頑固ではあっても、それぞれの対象(陶芸家であれば土に対して)柔軟ですが(陶芸家であれば温度を変えるなど)馬鹿です。言っていることが一貫しないです。この、治療法や分析があって、そこから人を判断をして行くのが研究者、科学者です。つまり、頭脳を使っている人々です。きちんとした方法論を用いているので、社会に受け入れられやすく、そして、誰もに当てはまる素晴らしい方法論を生み出す手段を持っています。ACRを何かの方法にしようとしたときに、あらゆる分析、方法が、人というものを中心にして組まないとならない、と気が付きました。つまり方法が毎かい教えることが変わる、ということです。一人一人がきちんと、見られないとならない、ということでもあります。でも、双方が生きる道があるはずです。しかし、ここを本当に何らかの方法を考えないとと思います。
2016.09.21
一緒にいたいのは、ただ一緒にいるからそんな価値はとても大きいものです。 うまくいっている家族や、うまくいっている夫婦のなかにはただ心地よく一緒にいられるから、理由は別にないけれど、ということもよくあります。そうしてお互いが気が付かないけれど、ふと離れてみると価値がわかったり、意識はしないけれど大事だということもあります。もしも、「大きな理由」や「意義」がないと一緒にいられないのであれば、それは、「愛というものはこういうものだ」と決めつけてしまったものがありすぎることだってあるでしょう。その根底には、経験がないから、「愛はこういうものだ」と思いすぎてしまったこともあるでしょう。望んでいる形の、愛というものの体験ができなかったのかもしれません。穏やかな心境になれずにいた経験をしていなければ、愛を大きく描きすぎて、本物の愛に行きつけないこともあります。ただ一時期の恋愛を愛情と思い込んでしまえばながきにわたる安定をした関係が作りにくくなります。自分の心の中で失われている愛につながる経験はこれほどまでにも深く、安心をする経験でもあるのです。ーーーーーーーーーーーセッションでとても安心をするのは、自分の愛の経験をしているからです。とても小さなことなのに、涙が出たりしますよね。先日、初めてのセッションの方が来られました。ある生徒さんが、ほかの方をセッションする様子を見てみたいということでお友達を連れてきてくださったのです。その方の深いところに触れると、いくつかの涙が流れていましたがこういった、深いレベルでの整理をしていくと、理由がない涙が流れます。これは、自分の本当に求めていた感情につながる瞬間で、クリエイティビティ―を取り戻していく過程です。こんな記憶にこんなにいろんな感情が隠れていてそれにつながるとほっとする経験は、自分の愛の世界を開いてくれます。http://www.acoreading.comあなたがどのような愛につながれば自分が解放をされていくのかについてはご相談ください。
2016.09.20
これは本当に面白い、と思います。わからない、どうしよう、となってしまうのをわからない、確かめてみよう、と落ち着いてできるようになったときに、能力が変わるんですね。何名かのクライエントさんにそういう現象が発生をしています。例えば、英語関連のお仕事をされている方で「わからない、けれどわかるふりを」していた方が「今のはどういうこと?」としっかり相手に聞いてから通訳をするようになってから、飛躍的に力が伸びたとか。全文聞き取れるようになったとか。能力が上がったんではなくてそういう姿勢になったとたんに、全部わかるようになったそうなんですが。そういうのをよく聞くので、能力が伸びるみたいなんです。。。。もともとあったものが、どうも、隠そうとした途端、ほかの能力も使えなくなる、そういうことみたいです。隠さないと、というほうに全部の感情と感覚が行ってしまうからそちらにエネルギーがいってしまって、落ち着いての対応ができない、つかえない、となるようです。これはセッションをして隠さなくなった結果起きたことだけれど、でも逆に、隠さないことを隠さなくてよい、と思えたら能力もあがるんじゃないかなーと思います。ーー隠さないと、という癖の修正には、その隠さないとならない感情から深みに入りそして全然違うところで整理をすることが多いです。ですが、つながっていものなので、感情がほっとできれば姿勢は変わってはいきます。http://www.acoreading.com
2016.09.17
近日、近所にあったケーキ屋さんがつぶれました。観察をしていると、住宅街に近い駅前ですとお店はある一定の法則を持っている気がします。例えば、住宅地駅にある高級感あふれるケーキ屋さん、そういった場所にあるセンスの良いお店などは、最初ははやってもずっと維持が難しいようです。何年か周期でつぶれることが多くあります。そこに新しい人が来ない場所では、それなりの、お店の維持の法則が働くようです。片や、毎日いろんな人が来る銀座にある高級感あふれるケーキ屋さん、六本木にある有名店などは、比較的、もう少し、安定をしていける気がします。それは、単に、人が多いところがよいとか、人が来る人数だけではないのです。双方が例えばその店を通過する人が同じ人数だとしても、双方で、経営の方針をかえないとならないんです。あまり新しい人の来ることがない、住宅地駅まえであれば、自分の生活になじまないものであれば、最初は珍しくても、人はあまり買わなくなります。「今日でなくてもいいかな、、、」と買わない傾向がでてきてしまいます。しかし、方や新しい人が出入りする場所ではどうでしょうか?ちょっとお出かけをしたときには、おいしいものがあったら、普段より奮発をして買いたくなるでしょう?つまり、お出かけをしたときには、お出かけをしたときの購買心理があるということです。そういったさまざまな心理に合致をして販売がなされます。 でも、どうでしょうか?地元の人とふれあってお店をやりたかったのに銀座にお店を出したら成功をする、と出してしまうと、この人は、仕事をしていて、なにか居心地が悪いです。とても疲れたリもします。どんなお仕事を考えてみても、どんなお仕事でもこの立ち位置は、とても重要に思います。 周りの人々の生活に、深く浸透をして、派手ではなくてもつねに愛されるお店、という方針もあるでしょう。そうであるならば、その街(人)になじむ何かを作ることは、とても大切です。町になじむなにかであれば、ずっとお仕事は続けていける業界であり続けられるかもしれません。そしてこちらの宣伝は泥臭いものになると思います。人と人と一人一人丁寧に接したりその結果、だんだんと伸びていくということもあります。しかし、面白いことに、その地元で伸びれば知らず知らずのうちに新しい人たちが来ていて今までやりたかったほかのこともできるようになっていきます。なにか二つがうまく融合をしないことがあります。どうしても高級店を出したいと思った、あるいは日常生活では必要がない、夢あるお菓子屋さんにしたいと思った、でも、あまり新しい人が来ない常に同じ人たちが通る街に出した、そうすると、常にチケットを配るなどの工夫が必要になるはずです。誕生日にはいかがですか。とか、特別な日にお使いに使えるのはこの店で、という商品を出さないとならないでしょう。しかし、カリスマパテシュエテなるなどの見せ方でしっかりと見せていくのであれば、カリスマになりたい、という夢があるので、これはこれで、全く別の経営方針になるはずです。見せる場所などの検討は必要になるかもしれません。駅前ではなく、そもそも売る場所から考えないとなりません。ケーキ以外の要素を検討をする必要があります。でも問題は、皆さんの頭ではわからないのです。本当の方針と思っているものが実は少しずれているのです。実際にいろんな経験をして、本当はパテシュエになりたくなかったとか。だけれど、カリスマにすごくあこがれていたり.逆もあるでしょう。町で出したケーキ屋さんなのに、異常にパテシュエの服装に凝っていて売れると思っている、としたら、これはもう、なにが自分でしたいのか気が付かないとならないです。いったいなぜ自分がそこにこだわるのか、じゃあどうしたらその道が達成するのか、どういったことを売りにすればいいのか自分を学ばないと出てこない越えなければならない壁があるかもしれません。混乱がたくさん自分の中で無意識にあります。その無意識にある混乱が、潜在意識のブロックと呼ばれているものです。 頭の中の好き嫌いと、本当の好き嫌いは、そのヒントは、過去の体験の中に、必ず隠されていてそれに一致をすると、「ああ、こういう事だったんだな」と開かれる何かがあります。中途半端になってしまうのは、自分の中の頭の中の自分と本当の力ある自分のかんがえが、違うからです。すべてがそろったとき、人はいろんな一致をします。そしてエネルギーがわいたり、その方向が開かれたりもします。ビジネスモデル、というものを見ていて思うのですが、本当に立ち位置次第でいろんな方法がある、という事に気が付きました。要は同じことをしていても、一人ひとり、生きたい方向望んでいることが、とても違うのです。そして私は、私の使命は、その人がどういった本質を持ちどちらに行きたいのか、そして、その過程で起きることを自分自身でしっかりと知ってもらうこと、それを出すために深く感情をたどるセッションをしているのだな、と気が付いてきてもいるのです。http://www.acoreading.com
2016.09.17
「ものをどう選んで買って、どう管理をするか」というのはとてもその人を表していて、「これはないと大変だからと思って買う」という基準をお持ちであれば見直す必要があるかもしれません。ましてや、それらが使われずにたくさんしまわれていて捨てようと考えると捨てられないのであれば、今抱えている問題についても、物事の選び方を変えなければならないのです。「これがなくなると困るから」という考え方ではなく、「一体本当にはいくつ使うのか、いくつ必要なのか」を考えていくことは、今までの、「困るだろうから飛び込んで後で何にもならない」という発想を「真に必要なものを見分ける作業からする」というように見直すきっかけにはなるようです。もちろん欠点というのは裏側に長所を隠しているものですし、自分自身の欠点を責め立てても、何も改善はしないでしょう。また、欠点がその人をかわいらしく親しみやすくさせていることもありますから、ほんの少しの気付きを実践してみられてください。鍵は、罪悪感を持たずに行動から探す、です。「あらーこんなもの、買ってまたたまっちゃったぁ」と自分を責めるとやる気がなくなりますし、そこから逃げるために何も見なくなるものです。そのため、改善もされていきませんが、「こういうのって買っているなあ、すんごいたまってる、どんな動機で買っていてそして実際に使うのかな、どういうときに使うんだろう、必要なのかな?」と見ていくことで、必要数がわかったり、自分がそれとは別に買い込んでいる心理に気が付いてやめられたりします。そして思い切ってもったいなくても捨てる!!いったん全部なくなってからではないと、自分が使う量がわからないこともあるようです。これは仕事も同じです。http://www.acoreading.com
2016.09.15
人をうらやむことがあるかもしれませんね。でもでも、人をうらやんでいても何も手に入りません。で、うらやましい、自分にない、ということばかりを感じるようであれば、その気持ちに引っかからないようにしてください。これはあなたの考え方の癖です。どういう癖かというと、うらやましい、わたしにはない、と感じる、ということを脳がパターン化してささいな出来事で常に感じている癖です。そうして、だんだんと自分がすることがくだらなく思えたリ意味がなく思えたリ、力を失っていくという感情のパターンです。すると、幸福な相手がどんなことに努力をしたり悩んでいるかということは気が付けなくなって学べなくなります。そして、相手はただラッキーで自分は不幸なんだ、という世界にどっぷりつかってしまいます。例えば芸能人がうらやましいとして、とても憎たらしく思える、としたら、自分が芸能界に入る努力が足りてはいません。努力をしているようでも、まだまだ改善解決の余地があって、少し向き合わなければならないことがあります。しかしそこから逃げているのです。逃げたまま、あいてをうらやましく思い、自分は〇〇がないせいでこんなだ、という事にこだわることに、時間をかけてしまっています。そのため、自分が同じようになれるチャンスを失っているのです。例えばうらやましいという感情に乗っ取られていないと、その人は、「あれ、私は、芸能界で彼女の、この分野ではなくここに向いているな、むいているのに、あっちばかり見ているからうまくいっていないんだ」ということに、必ず気づきます。そしてその分野で成功をするのですが、うらやましいとそこばかりみて、同じようにやるというクリエイティビティ―のなさが災いし、うらやましくて、自分はないからできないといった悲観的な悲壮感が邪魔をするんですね。そしてその人はラッキーで自分は不幸という世界から抜け出られなくなるのです。例えば、主婦がうらやましくて、自分は仕事をしている主婦だから不幸なんだという気持に引っ張られると、実はそういう人々にも苦労があったりが全くわからなくなります。あるいは、ちゃんと仕事をする、ということに向きあえなくなります。いつも何かに逃げ腰で疲れてしまったりもします。逆の方もいて、主婦で仕事をしていないから評価をされていないと悩む方もおられてさまざまですね。^^この強い感覚が「感情」であり、ずっとそちらに引っ張られてきてしまって、一生懸命に行動をしているようでも、常に面白くなくなってしまったり長く自分が誇りをもって続けることをしにくくなっていないかどうかチェックが必要です。得たいものが得られるのは、何かを続けていけるときの姿勢です。短い期間は頑張れても、すべてにいやいやながらやっているとしたら、とても手に入りにくくなります。そうして、うらやましい強いねたみを持っている、としたら、自分のすべてのエネルギーが努力ではなくて下に下に落っこちていくようにはなります。〇 私ができることに集中をしよう〇 うらやましがっても何も手に入らない、だけれどそれをしていくの?と自問する。〇 うらやましがる気持ちに乗っ取られずに、「こう感じている気持ちがある」とまず自覚を〇 それは両親も同じような姿勢があったから学んだもの?癖づけられたものですか?〇 一日5ページで良いから、そういったことを乗りこえている人々の本を読むーーーーーーーーーーーーーーACRでは、自分の気持ちの解放をしていきます。先日、セッションを受けて半年後に出会った方とご結婚をされた方がおられて、そのお話を聞けてうれしかったです。その方は、意地になるところがあって、その意地になる部分が人とのかかわりを避けていて、そこの整理をしておられました。こころの整理は、人との出会いに、とても役に立つこともあります。ー いったい何の感情がどうその人の人生を妨げているのかを知ることと、それにとらわれないように幼少期の記憶の整理をします。ACRの特徴は、かなりすっきりする感じがすることでこの感覚が出てくると、いろんなものが変わります。通常、周りの人が変わっていったり、自分の行動が変わったり感じ取り方が変わったりします。その感覚は、単に、「お母さんを連想をして抱きしめてもらおう」といったものではなく(そういう書き換え方はしませんから)本質が求めていたものに出あえた時の安心感です。http://www.acoreading.com
2016.09.15
何でも、続けていればなんとかなるものです。さて、思い込みと感覚をお伝えしていきますね。感覚は人を幸せに導いてくれます。しかし、思い込み(観念)は、自分を事実と分断をします。で、続けていればなんとかなる、10年も続ければなにかものになっているし、に隠れている観念ですが、「続けないとだめだ」と、「こんなのやっていても〇〇になれないから、意味がない」の二つが私たちの頭に教えられた観念です。さて、観念は、観念に事実を当てはめますが感覚は、私たちに事実を教えてくれます。では事実は?続けないとだめだ、と思って苦しんで、長年やっても苦しむだけで全く使えないならば意味がない例えば親が、絶対に学ばないと、と強制をしてものにならなかった習い事などの、やつたち。これらがそうですね。では、次に、「こんなのやっていても〇〇になれないから意味がない」はどうでしょうか?もし感覚が楽しくて続けたい、としたらそこに、その人を解放をする意味があるのかもしれません。例えば、絵を描いていて、自分が自由になれる感覚があって家で八つ当たりが減っているとしたら?色の使い方から、「自分は同じ色を系統的に塗っていく」と経験から始めて気づき、仕事でも同じように、分類をして進めるほうが早く物事が進むのに気付けた、としたら?でもものにならないから、無駄だ、と信じているとそういうことさえ気づけません。なぜでしょうか?まず観念はとても強くて、すべて、そこに事実を当てはめそこからはみ出ようとすると怖くなって仕方がない、できないというプログラムだからです。まず観念はとても強くて、すべて、そこに事実を当てはめそこからはみ出ようとすると怖くなって仕方がない、できないというプログラムだからです。それにいったん思い込むと感覚を使わなくなるんです。だから、系統だって色を塗っていくことがくだらなく思います。自分が楽しい感覚よりも、頭で「これは意味がない」という思い込みが回るからですね。感覚は、正しく使うならば、次の正しい感覚を学ばせてくれます。そして自分に繋いでくれるため、むなしくなったりしません。一方で、ずっと頭で「続けていないとだめになる」と考えて続けている場合には脅迫的な観念から続けます。続けていないとだめになる、というこの連鎖が頭の中で続いているため感覚を感じる余裕がないのです。体で本当にそれが学びたいことかすんなり気づけずにいます。自分を取り戻すことは、とても重要なことですよね。今日は、自分の中に思い込みがあって、なにか自分につながらない感覚があるのであれば注意をしておきましょう。自分本来の感覚を取り戻していきます。http://www.acoreading.com
2016.09.13
独立をして、お仕事をするというのは、成功を望む、としたら、自分の感覚を使うことと、無関係ではないのではないでしょうか。感覚が使えなければ、どんなものが売れるかわかりませんし、どんな方法が自分に合っているのかも見落としてしまいます。そういった感覚を使えなくしているのが、「経験不足」と、「方向の間違い」と、「思い込み」の3つに思います。それらは、経験を積んでいくとわかっていくものではあるので今のお仕事を、しっかりと学んでいくこともよいかもしれません。さて、その、感覚を使えなくする思い込みの中でも、重要なものに、「非難をする人を常に想定をして恐れている」こともあるのではないでしょうか。非難をする人を想定をして動くとうまくないので、少し切り替えてみてください。非難をする人がいても大しことはないので、(いや、怖いのわかるけれどもね)うけいれる人々が増えると、それらの人々もわかっていくという過程を知っておくことです。そして実際には、そう思っている人のほうが、非難をされないものです。わかってもらえるものです。というのは、しっかりと必要なことを相手に隠さず上手にお客さんに伝えるからなのですが。非難が怖すぎると、隠す情報と出す情報が混乱をしているんですね。変なところをおびえて出さないので、相手に伝わらなかったり、相手がいらない説明をしてみたりはあるでしょう。そういった、「自分の中での方法の偏り」は、ビジネスのセミナーなどで学べると思います。自分が不安定であっても、焦りすぎるとことを仕損じます。忍耐をもって、良さが徐々にではあっても、どんどんわかってもらえるイメージをしていくことはとても役に立つことでしょう。ーーーーーーーーーーーーーー〇 ACRでは、非難者が怖いのは、幼少期にモデルを見て築き上げたシステムがあるからだと考えています。例えば、両親が、とても非難をしている人であり、なおかつ自分がそれを嫌がっていた、としたらつねに周りの人々が、非難をしているのが気になって当然です。そして、正確に、「その人の問題」につながる深い部分での整理をしていきます。感情が物事を大きく見せてしまう事の整理は感情に触れることで整理をしていきます。http://www.acoreading.com------------------------------スカイプでセッションをした方の感想です。1週間前の記憶なんですが、たしか、会社の人が嫌で嫌でたまらない、みたいな感じのことだったと思います。セッション歴は長く、そのため、ご結婚をされる過程や、やがて妊娠をされてその過程もご一緒できたのは、とても幸いです。それで意外だと思うんですが、心理的に絡まっている物事の裏側はいやなマイナスの潜在意識だけだと思われがちかもしれません。そうではないです。いろんなプラス(だと一見思われている)思い込みが、なにかにしがみつくことになって、すごく行動や考えを制限をしていて、それを取り除かないとならないことがあります。この方の問題は、あいてを喜ばせられないからすごく自分がいやになる、みたいなことが根底にあったようななかったような。はっきりは忘れましたが、なにか喜ばせる、みたいな喜ばれないとだめだ、みたいなのが、無意識の気持があって、それがかえってあいてをにくませる。(完全に全部 私のことを喜ばないときには、恨みになるから) みたいなことをしていました。相手が喜ばないときも、淡々と楽でいられるということがしにくかったのだと思います。(忘れっぽくてすみません)それと、脳の中のファイルって面白くて一つの思い込みがほかの思い込みとくっついていたりもします。なので、あいてを喜ばせたいという強い願いには相手は喜ばないだろう、という裏側の書き込みもあることがあります。それと、本当の思い込みを変えると、すっきりします。なにか気にならなくなったりもします。まあ全部が全部1回1回起きることではないですし、時間が掛かることがあってもそこは目指しています。このすっきり感は、とても重要です。それとスカイプのセッションの方法も教えていかないとならないですよね。確かに。そうです。http://www.acoreading.comそれと、このセッションは、とても結果が現れることもあります。でも長い目で見てほしいところもあります。長い目で見るのが無理な方には、ちゃんと、「今回は何と何がテーマで何を気を付けるとよい風に進む」とお教えしていくようにします。ーーーーーーーーーーー先週はありがとうございました。とっても気持ちが軽いです。私は誰かを喜ばさなくてもいい私は自分が人に喜ばれないと思っている他人じゃなくて『私』が自分の仕事をばかばかしいと思っている人は気に入らないっていう理由だけでいろいろ言ってくる時がある私は重たく考えすぎている他にもいろいろ解放できたんだと思うんですけど、いつも忘れちゃって。とってもすっきりしました !あと、この前思ったんですけど、筋反射を使わずスカイプで行うACRのためのクラスは開かないんですか?はい、やっていきますね。(天野)http://www.acoreading.com
2016.09.13
違和感を伝えられるということは、とても大事なことです。できれば違和感が小さな段階で、「これって、こういう事と思いました【私は解釈をしました)が」とか、「ここは、こういう方法でもよろしいでしょうか」などと「感じ取れて」相手に「聞ける」ことが望ましいです。それと、相手が怒っている、相手が自分を悪く思ったというのは、「あくまで」自分が考えていることです。それは、多くの場合、「自分のことはどう思われているかそれが非常に重要」と思いすぎている自分が大げさにしてしまっている物ではあるのです。しかし相手がそう絶対に思っていると自分がおもう時には、「自分をそれほどいやだと思っているに違いない」とか「自分に絶対に今要求をしたよね」、「自分を束縛をしている」とかさまざま相手がそう思うだろう、という気持ちは、「自分の解釈である」と知っているほうが望ましく思います。それを伝えるとしたら、「今の言葉で、あなたが不快に感じていると私は感じたのですが、そうだとしたら、ごめんなさい」とか、「私がこれをするように、期待しているの?」とか、「自分が感じていることで、あなたはそう感じたと私は絶対に思っているんだけれど、あくまであなたはどうなのかわからないけれど」というスタンスで聞くことが重要です。話が面倒になってしまったり、うまくいかないのは、「あなたは今、私のことをこう思ったよね」という決めつけがあるのに、相手はそれとは多少違う感想を持っている場合です。それと、「今の私、いやじゃない?いやじゃない?」と聞き出そうとしたときこれも相手には、負担が大きくなります。こういった自分をよく思ってほしい、という姿勢があなたにあると、相手は依存をされている気分になったりして、重たく感じることがあります。「相手の気持はあくまで相手の気持ち、自分に対して不快でも「それはそれでよし」とすることが、あいてを認めてあげることです。これはとても良い距離間でのお付き合いができますし、あいてを尊重をしていることにもなります。違和感が伝えられない人々は、小さな問題を大きくしてイライラしていたりします。また、自分のその気持ちが落ち着くまで会話をできなくなったり、見落としが出たりもします。たとえとても親しくなれる可能性がある人と一緒にいても、違和感がわくと離れてしまうため、よい縁を持ちにくくなったりします。今日は、ぼんやりしたり、あるいは、話をしたくなくなったら、なんの違和感があるのかな、と自分に聞いてみましょう。小さなことで気にもならないと思っていても、自分のこととして気が付いてから胸にしまったり、ちゃんと調整をするために、軽い小さな一言を相手に伝えてもよいことがあるでしょう。ただ自分の胸に手を当てて聞くだけです。探そうとして、考え込まないようにね、考え込むと、その人が信じている理由以外に出てこないのです。相手は自分にこう期待をしているに違いない、違う意見を持っても受け入れられない、違うって思っちゃうときっとうまくいかない、という思い込みが大きすぎると、そういった違和感はわからなくなります。そしてこの違和感こそが、相手と自分をつなぐ架け橋のヒントを持っているのです。自分らしさを取り戻していきます。http://www.acoreading.com
2016.09.09
人にはどうやら、二つの気持が必ずあるようです。一つは自分を表現をしたい、です。もう一つは自分を表現をしてはならない、です。これは人である以上、背負っている自分の大事な何かなのです。その時々に応じて、その人の成長度合いやできることに応じて、それらの二つのバランスが、変わっていきます。人が何かをしたいと望んで実現をしないときには、少し表現をするものがずれているのです。自分が表現をしたいことが怖いから、ほかのことで表現をしようとしてしまっていることが多くあります。信じ込みの中で、「自分が本当にしたい表現が簡単にできるのに。それをみようとしていない」ときです。人が何かを手に入れようとしてうまくいかないときには、自分が表現をしていくものから、大きくずれているときです。自分らしさがわからなくなって迷子になると人は、ある一つのものを、手に入れると、この不快な感覚が収まると思います。自分の中で、その二つが調和をしようとしただけで、自分の人生が見えていきますが、この課題とそして学びは、生涯続きます。この、生涯の流れに乗ることを、引き寄せの法則と呼びます。自分が自分を表現をしてはならない、という思い込みから本当の自分を見せて、ちゃんと何かをしていくときに、ちゃんと正面切ってやっていくときに、なにか道は自然と現れていく、そんな印象があります。http://www.acoreading.com
2016.09.09
もし、意地になり始めたら、自分を生きていない、という印です。幸せになるための目標が、こうしないと絶対にダメだ、という恐怖心に置き換わった瞬間なのかもしれません。そこには、記憶の奥深くにしまわれた、自分が自分を貫き通せなかったほかの出来事や、優しさや理解ではなく、きつくあたられて覚え込んでしまった記憶などが隠されてはいます。記憶に出あおうとしなくても、その整理をしていくことができます。自分の意地という気持ちを深く感じていくことでその奥底に到達ができるのですが、邪魔をしているのが、「だってあの人がこうしてああして」「こんな出来事があって私が傷ついているから」「私がこんなふうに感じているから、こうだから」という理由の部分です。この理由の部分は、頭の部分でここを感じきろうとすると思想に入り、どんどん抜けられなくなります。純粋な感情は、流れては消えていきます。しかし、理由の部分は、こだわりこだわり考え続け消えることなく、新たなしがみつきとこわばりとこだわりを生みます。ーーーーーーーーーーーーーーーー自分では止められない感情のプログラムを見直していきます。http://www.acoreading.com
2016.09.09
自分に優しくない人は、人にも優しくないとか、自分を愛せない人は人も愛せない、などがよく言われますよねあれはどういう意味なのでしょうか?自分に優しくする習慣を学んでこなかった人というのは、「当然、自分のために、自分の責任でこれをしても、差しさわりがないな」というのを学んでこられなかった人々です。そういった方々の発想は、「、やるしかないよね」といったようになにか、絶対に我慢をするしかない、というように周りを見てしまいます。周りはそこまで求めていないのにもかからわず。です。期待をしたところで、断っても、そこまで大きなことが起きていないこともあるでしょうし。その結果、自分が常にいずらい経験をしてしまうので、周りにつらく当たるようになります。自分いじめの潜在意識、というのは、「自分が体調をよくしていったり」「効率よく仕事をしたりしては絶対にならない」という禁止のことなんですね。自分が自分に優しくできないと、どうなるでしょうか?男性であれば、家族に、同じように自分に厳しくしろ、というように、冷たくなります。女性であれば、周りの人々が、自分をもっと理解をして助けるべきだ、とつらくあたるようになります。自分が自分に優しくしないことで、周りの優しさを引き出すことはできないのです。そもそも、自分に本気で優しさを示さなければ、人に示す優しさも表面上ことになるでしょう。この無意識レベルでの感情、自分に優しくしてはならない、というのは、幼少期に見ている映像そのものを、繰り返す特徴がある、とACRは考えています。つまり、会社で忙しくても、ちゃんと自分本人や家族を大事にできたり自分を大事にできたりする人を見ていると、自分が成長をしても、自分に対しても、そうできる方がほとんどなのですね。こういった自分を大事にできない姿勢があると、最初の段階では、「自分のためにも、少しこうしたらいいのに」と言われると非常にいやな気分がします。自分がどれだけ忙しくてできないのか、もっともっと苦しんでいるのを理解してほしい、という気持ちがわくのです。苦しいことに意義がある、そうやってそうしてそういう自分が評価をされることに意義がある。自分の中で覚え込んできた部分が暴れる最大の時です。しかしだんだんと、自分自身が自分に優しくしていないことに気が付いてくることもあります。そうすると、「そうだよね、Aさんは休みを取っているけれどちゃんとしっかり仕事をして嫌われてはいないな、私だって休みをとれるはず」とか、「そうか、この仕事、明日に回してもいいんだな、供しても意味がないし、そのほうが八つ当たりをせずに周りにも迷惑をかけずにお仕事ができるぞ」とか、.何か今までは、絶対にあんたたちがやらせるから、社会がやらせるからやらないと自分がダメになるからする以外にないでしょう、という強い強いこだわりから、違うものの見方ができていきます。「家事はこことここはこうして、ここは、少し手を抜いても誰も叱らないし、子供たちも私が安定をしたほうが喜んでくれているなあ」などということがわかっていきます。それでも最初のうちは、「理屈でわかるけれどやりにくい」という状態であることもあるでしょう。でもいずれにしろ気づきは、大きな第一歩ですよね。自分をいじめて自分に優しくできなければ、無理にそこまでしなくていいのに、そこまで怒らずにいてくれるほうがいいのに、ということができにくくもなるのです。人との関係で優しさを求めるならば、自分に自分で優しくできなければ、相手とかかわる方法を間違えて、相手からもやさしさを引き出せないことは、よくあるものです。ほらほら、優しくしてほしいのに、優しくしてくれない、と八つ当たりをしてしまうのは、誰ですか?今日は、「できない」「どうせできない」から、「制限があっても、少しでも自分に優しい選択をしていこう」から考え方を変えてみましょう。ほんのちょっとでいいのです。誤解をされやすいのですが、大事なのは、何ができた、ではないんです。周りを変えたとか気分が変わって幸せに急に慣れたとかでもありません。「自分のために優しさを選んだ」ということが、結果として、考え方が変わることです。「ほらどうせできないんでしょ、させてくれないんでしょ、だからあなたが気遣いなさいよ」という心境しかなれなかったものが、「今の状態で本当に心地よくいたいと願い、自分を大事にしただから、自分を愛せる」状態に移っていくことなのです。その結果は大きいです。人生に新しい選択肢が増えて結果、違う世界を引き寄せていきます。● 夫婦などは、片方が変わると、片方が変わることはよくあります。お付き合いをしている方々は、お互いに学ぶと離れていくことも縁がある人同士であれば、片方が学ぶと双方が変わることも見受けはします。http://ww.acoreading.com
2016.09.09
コメントを書いていただいた皆様、ありがとうございました。あたたかなコメントに癒される毎日です。^^引き寄せでは、いやなものの反対が求めているものだ、と言われています。そうなのですが、そこだけだと、なかなかうまくいかないでしょう?昨日、ちょっと生徒さんのおひとりと話していて気付くことがあったので、そのことをお伝えしたところブログのアクセスが倍になる、という事がありました。(ブログは何も変えてません)気付くだけでアクセスになる、なんてことは、不思議ですよね、でも、私はその方法のみで仕事をしています。気付きだけで仕事がきたり、減らしたいと思ったら,お仕事の気付きを少し休んだり(ちょっと今度話します) の繰り返しです。だから今のところ(将来はちゃんとやっていくとしても)メルマガを出したり、マーケティングはせずにお仕事になってきました。引き寄せは自分の本質に戻る、戻って戻ってすると自然に起きる、その一連の流れに思います。さて、いやなものの反対が好きなものではないというのはどういう意味でしょうか?例えば、「今の事務職がいやだから芸術家が向いている」というのを例に考えていきますね。いやだ、に支配をされていますよね。いやすぎて、そこしか感じられない、反対は、我慢をするしかない二つに一つ、という考え方は、「頭」で考える時の特徴です。いくつも答えがあるのが、「感覚」をちゃんと感じていると、あるのです。で、その感情の流れは、「こんな事務職大嫌いだから、もっとよい芸術家になりたい」といった感情的な感情の流れではないです。嫌いだから嫌いに支配をされた感情ではないのです。「事務職がダメで、そしてほかにいい仕事があるはず」ほらね頭が生んでいる幻想です。もっと繊細で、今の状況でも答えを出してくれるのが感覚です。たとえば、「ああそうだ、事務職で、こんなにやなのは、そうだ、わかった、私手に触れたものを大事にしたい、だから、ファイルをきれいにつくってみよう、ああこれだ、楽しいな、楽しいというほどではないけれど、そう何かいやではないな、この仕事って嫌いだけれど、へへ、いいとこあるなあ」といった繊細な感覚の流れなのです。頭は、「こんなのいやだ、こんなのできない、でも我慢するしかない」で、感覚は、こんなのいやだ、我慢をするしかない、にとらわれないとわいてくるもっと奥の感覚です。こういった繊細な感情の流れが毎日たくさんあって、自分を清め、たくさんのよいものとつなげてくれて、やがて大きな流れになることもあるのに、そしてその先に、その人は自分の仕事に出あったり趣味に出あったりします。じつはこれは、対人関係も一緒です。それなのに、人は頭の幻想で、「好きというのはもっと崇高でいいもので、素晴らしいものでだから、事務職ではなければ、もっと良い仕事につながるはずだ(しかもいきなりある日突然!!!) 」と繊細な感覚を使うことをしないで、いきなり何処かへ行こうとするのです。そーすると夢の職業に就いたはずなのに、疲れ切ってという方が先日、何名かセッションにお越しになられました。自分の整理をするとかなり軽くなりますよね。、、、、という事を、皆さん言語化されようとしていてエイブラハムヒックスも、こんな感じのことをもっとザクッと言っています。繊細な感覚を使うには、頭がおりこうさんすぎて、働きすぎて小さな声を聴けなくなったからです。しかし、嫌いだ、こんなのいやだ、というのに捕らわれるのはそれが課題だからです。人はみな、こんなにいやだ、これがいやだこういうのがいやだ、というのにしがみつき、そしてそこを抜ける課題があります。そしてそれは、おそらく、細胞レベルに入った、あなたの親御さんもしてきたとても深い何かの、感情がすごくわいて止められない、思い込みなのです。その課題の整理は、ここをちゃんと見て、ああなんだ、こうすればいいんだ、という繊細な気づきがそれがあるだけで、人生は変わっていきます。ーーーーーーーーーーーーーーー● 関心があるのは、その人が本質に戻っていくことです。ここに、すべての鍵があります。人として満足のいく人生を、ああよかったと思える人生を送ることは何よりも大事に思います。そして、今の信じ込みから、自分本来の感覚を遣えるようにトラウマの整理をしていっています。 ACRホームページhttp://www.acoreading.comーーーーーーーーーーーーーーーーー ACRセラピスト白鳥弥生さんのブログのご紹介です。(生徒さんのなかでブログをご紹介する場合はご連絡くださいね)http://s.ameblo.jp/sweetie841/彼女は、非常に感覚人間で、ご本人がおっしゃるとおり相当に生きにくかったでしょう。幼児教育、特に英語関連がご専門で、母親のサポートも上手です。>専門は幼児教育で、0〜6歳までが得意です。> でも、人生の悩み全般も承ります。> 恋愛、仕事、家庭、なぜか繰り返してしまう癖…などなど。>> 右脳/感覚派で、 私自身も社会という枠の中で生きづらさを抱えて育ちました。> 幼児教育を専門とすることで、 自分自身の整理をしていたのかもしれません。>> 社会性と個性の狭間で苦しんでいる親子を救えたら… という思いが常に心の中にあったことが、 セラピストになることを後押ししてくれま した。> 本当の自由の意味を理解し、伝えていける人になりたい、> 楽に生きるお手伝いをしたいと思っています。> 社会性と個性、右脳と左脳、意識と無意識… 相反するもののバランスをとって、楽に生きたいの。> ブログは私の経験を基に、 バランスをとって楽に生きるとはどういうことなのかを、 お伝えしていきたいと思っています。http://s.ameblo.jp/sweetie841/ーーーーーーーーーーー名古屋の優さんのブログもよろしくお願いします。http://nekodatte.exblog.jp/ーーーーーーーーーーhttp://www.acoreading.comセッションでとても楽になったというお声をいただきます。この楽になっていくのは、頭の幻想にとらわれずほっとできて回答につながるときに起きますよね。感想をいただいた皆さまありがとうございました。
2016.09.09
とても面白いことなのですが、失敗を大切に扱うと成功が早く来ます。で、失敗でまず見ないとならないのは、「その人はどういう方法であれば、成功をするか」です。「もっと頑張り、やる気カバーをし、もっと欠点を直し」とか「これはやれるはずなのになぜしない、原因を」 みたいなのは、うまくいかない、ということです。あるいは、その人の個性を無視してせかせた場合、長続きがしない、という事があるでしょう。その人の今のできる範囲で、現実的にやらないものはやらないとしたうえで、立案をする能力を培う時期なんですね。しかしながら、その人の無意識下での問題の整理が進むと、ある時期から、その人が本当に違う方法でできる時期が来ることがあります。なので、答えは一つではなくて、その時期ごとにきちんと読み取っていかないとならないものではあるのです。私の例を挙げるならば、私は何か、奇抜なアイデアを思い立ちます。そしてそれに興奮をして、新しいアイデアをしてしまい、しかしそれはものにならないという経験を、若い時期には、いくつかしています。その時期には、「新しいアイデアがわいても、一時的にやる気になるだけだから、時間を置く」というのを学ぶ必要があったのです。しかし今、力がついてくると、そういった風変わりなアイデアが実現をしやすくなっています。簡単に色々できたり、時間を経てもちゃんと長く一貫した行動ができて実現をさせていたりします。しかし、そのまだ風変わりな、世間一般の方法ではないアイデアを実現をする力がない時に、それはおそらく、知恵だったのだと思いますが、それをし続けていたらどうでしょうか?うまくいかないことだらけであったでしょう。でも今、いろんな経験を積んで、だからこそ、できることがあります。言いたいことは、欠点を責める必要はありません。「ああ、これはこうすると失敗するなあ」「ならばほかの方法で」という柔軟性は、弱い点を認めること、個性を探すことにつながります。しかし、そういった柔軟さをうまく使い、実力がそうやってついてくると、以前、失敗をした方法が、実は才能であることに気が付くのです!そうして、人生の扉を開けることが、多々あります。あなたの本来の力を取り戻しますhttp://www.acoreading.com
2016.09.07
よく出来事は、偶然起きるのではないよね、というようにも言われます。それは、偶然だと思うと、見落とすメッセージをきちんと受け止めるために、大切なことなのでしょう。さて、個々人がもつ癖、というのは常にいろんな方面で出ています。つまり、一つの考え方や癖が色々波及をしていて潜在意識の一つの深い問題を解いていくのはその人の多くの問題を解く生き方につながっていることが多くあります。例えば、仕事で何かうまくいかない方がおられる、として、結局のところ抱え込みだとしましょう。抱え込んでいても、気が付かずに、もっとやらないとならない、という恐怖心に操られていて冷静に物事を判断をできない状態になっているとします。それは、何かを捨てていく考え方を今までできなかったのかもしれませんね。そんなときには、ものを買い込んで腐らせていたり、なんだか同じものを買っても気が付かずにいたりします。潜在意識の整理は、そういった一つの問題を整理をするとほかの問題も整理がつくことがありますが、偶然だと思わないことによって、気が付かないところで同じようなことをしていることに気が付いたりできることもあるのです。もちろんなんでも自分のせい、と思うようであればそれは考えすぎです。気軽な気持ちで、ふと気が付くことを待ってみるとよいのです。● 潜在意識という言葉は、日本の心理学では使われていない言葉でもあります。ACRでの理解としては、「その人が知らないうちに動かされる方向性や動機」を、わかりやすく潜在意識と呼んでいます。ご自身の潜在意識の癖の整理をします。http://www.acoreading.com
2016.09.06
夫婦喧嘩は犬も食わない、と言われたものですが、近年、なにか深刻な喧嘩も多いように見受けます。なるべく早く、通常の生活に戻しましょう。話し合うことが大事なときもあるけれどたいがいは、「お帰り」「ただいま」おいしいごはん、といったもので、普通に戻ることも多くあります。話し合いよりも思いやりが、こころのつながりには、大事です。機嫌をとろうとすることよりも、時間を置くことが大事なこともあります。そして話し合いは、「不安なことがあったらすぐに」と思う女性と「落ち着いたときに」ではないと苦痛な男性の、双方の違いを知っておいてください。それと、「これは問題、絶対に問題、問題だから」という考え方を、「これが絶対に問題だと思わないといられない自分のこころの陰に隠れた感情」とがっつり付き合う方法を学ぶと問題は解消をしやすくなる、とは思います。http://www.acoreading.com
2016.09.06
アフリカのマサイ族の、性事情を、そのマサイ族に嫁いだ奥さんの話、というのをユーチューブで聞いたのですが、とても淡泊だそうです。話によるとなんとなく、本当に短いんだ、、、、、という印象です。で、マサイの奥さんは、、夫にポルノを見せたら、「気持悪い~」と言われたそう。それで、人は面白くて、人の頭脳は肥大をしすぎています。それは祝福でもあるのですが、同時に課題もたくさんあります。上手に使わないと、頭の中の幻想にとらわれて、自らを滅ぼすことだってできてしまうのです。さて、今、話したいことは、性は、本能だと思われていますよね、でもそのマサイ族に見られるように、感じ取り方はさまざまです。そういった分野にまで、本当は、頭で学んでしまったものが、含まれているということなんです。今の性的な巨大産業は、漫画や女性誌を含めて、私たちを日々、情報にさらします。こういうのが正しいの、こういうのが満足なの、どうのこうのね。これは性だけではなく、感覚も同じ。幸せ、というのはもっと興奮をするものなの、とかさ。そうじゃないでしょ。「周りの情報があるから、それに合わせて感覚をとらえる」のではなくて、「あなたにとってはどういうものが落ち着いているかなー」と感じるのが感覚でしょう。皆さんが本能、感覚と呼んでいるものだって、頭で作られているものが、ものすごく紛れ込んでいて、これが現代人の苦しみです。多くの問題を生んでもいるのです。本当は二人が、手をつないであたたかい、として眠ったら、これが、もう、すごい性のつながりなんです。本当に本当に本当に、二人が満足をすれば。それと感覚は、常に色々変わりながら、その時その時に違うことを教えてくれます。移り変わるのです。なのに、それが信じられず(自己不信) 自分はこんなに不幸なはずだ、と、二人で原因を探していくとしたらその人は、いったい何に操られていますか?どこへその人たちは、いったい愛を求めて、どこへいくつもりなので、ありましょうぞや?これが夫婦よくある、愛情難民ね。夫婦もちゃんと愛情を築く訓練をしないときついでしょう?いろいろ人が何らかの感覚を取り戻す、ということは、例えば性的に解放をされる、というのは、「だから性的になっていく」という意味ではないのです。「その人なりのあたたかさを感じて信じてよい」という許可をだすことで深い意味でこれをできたとき、その人はちゃんと女性性を取り戻しています。ちゃんとセクシーなのですね。そう必ず言われる機会が出てきます。htt://www.acoreading.com
2016.09.05
人の中には、複数の性格があるとは思います。それをしっかり生かしていくのが、本来の自分を生きるという事です。そういった多々なとらえ方ができる、ということは、一貫性がないのではなくて、うまくいけば、ちゃんとその人としての個性を生かしながらも、どこかでまとまりのある、素敵な人物になることができるのでしょう。さて、そんなことを考えながらも、自分のことを考えると、「好きで好きでたまらんちょぉ~」という母性本能がどこかにあります。なので、時々、クライエントさんにそんな気持ちを感じたり、生徒さんたちに「かわいくてたまらんちょぉ~」と感じていたりもします。しかしそこはそこ、厳しくしなければならない面もありますからクールな自分の部分や、とても客観視ができる部分やそういったところも生かしつつ接してはいるようには思います。いや、本当のことを言うとね、人ってかわいくてかわいくて、たまらんちょぉ~な部分が多々あります。http://www.acoreading.com
2016.09.05
近日、偶然なんですが、たまたまたまたま見かけた有名な方のブログが私が書いた内容とそっくりなものが、1日後に載る、ということが続きました。まあ偶然ですね。それで、アイデアを盗まれる、と思ってしまう場合なんですが、仕事でそう思っても、それは違うのかもしれません。例えば、あなたが言った一言で、相手が何かを思い浮かんでそれで成功をしていく、、としたら、それはやはりその人のものなのです。というのは、実際にアイデア、というのは、「形にするほう」が大変です。なので、相手がそれを聞いたところで、「自分の中に形にする力が」ないとその言葉は響かないか、そのアイデアを盗んでもしょぼいものにしかなりません。例えば、こんなお弁当箱が売れるだろう、と思った、とします。暑い時に冷えるお弁当箱とかですね。このアイデアだけでは意味をなしません。しかし、それを形にしようとするとかなり大変な努力がいりますよね。どんな素材がいいのか、何度も試作をして、実際には冷たすぎて凍ってしまったり、素材によって冷やすものを変えないとならなかったり作ってみてもお弁当箱が軽すぎたリ重すぎたりします。アイデアだけだと見えなかったものが、形にしようとするとどれほどまだまだかけているかがわかるのです。アイデアだけの段階のときに、人は興奮をします。気分が高揚をして、すごい発見だと思うのですが、実際に形にしたりするのには時間がかかり、それをした人のものになっていきます。かりに、アイデアが情報としてとても価値があるものだ、としてもそこに、「自分の深い理解」あるいは「その人なりの理解、メソッド」が入らないとなかなか、その人の情報は、ほかの人に響いて、受けられていくことはありません。道義として、全くもって盗用をした、としたらわたしだって、「めっ」とは言いますが、一般的な知識を感動をして書いたところで、その人なりの理解が入って、ほかの人にわかりやすくなっているものはその人の物なのだとは思います。その人の中にあったものが他の人の刺激によって生まれてきやすくなったのかもしれません。自分自身に盗まれる感情があまりなければ、周りも協力者が集まるものです。ここは私のもの、ここはあなたのもの、協力をしましょう、だってお互いにできていない部分があるのだから、という見方もできるからなのですが、古傷が、「私は盗まれた、怖い」というのがでるとちょっとやっかいですよね。潜在意識の考え方をしっかりとしていれば、盗まれるのではなく自分のアイデアを協力をして広げてもらうという事ができることでしょう。http://www.acoreading.com
2016.09.05
自分がおもっている自分とのずれが、いろんなずれを生みます。人とのずれ、仕事とのずれ、そして、自分自身とのずれ。たいてい、自分のことをダメだと思っているときには、ダメな部分をクローズアップしすぎです。無駄な卑下は、頭のお遊び、と付き合わないことです。それから、自分がほしいものとずれているものしか手に入らないのであれば、自分らしくはない、自分の魅力なり能力を過大評価しすぎです。もっとちがうところを生かさないと、ずれはおさまらないでしょう。覚えておいてください、どんな自己評価も低すぎるし、高すぎるのです。低すぎるのであれば、自分がほしくないものを、もっている人をうらやましがったりすることや、自分が行動をせずにただ怖がっている自分と向き合わないとなりません。高すぎるのは、自分が変な誇りにまみれているのかもしれません。そんなもの依存をせずに生きている人々から学んでいくのも、目を開いてはくれます。自分というものは、自分への期待があるために、決して正しくは見ることはできませんが、それを知っておくことは人の知恵を大きく開いてはくれます。http://www.acoreading.com
2016.09.05
セッションをして心理的なサポートをしてくと気づくのですがダイエットの揺り戻しと同じように、その人が何をやっても変わらない時期があります。それは、ちょうど、ダイエットの停滞期と似ています。ダイエットの停滞期というのは、順調に体重が落ちてきたのに、体重が落ちなくなるときです。あることが怖かった、として、ある時期までセッションの効果があがるのにそれが怖いのが続くとき、は何が起きているのでしょうか。ダイエットは、今の体のシステムがかわろうとする時期なこともあるでしょう。その体重から下に行くには、体が今の体重に慣れる時期が必要です。同じように怖さが減らないときには、こころはもう変わってきていて、「慣れる」時期が必要かもしれません。怖さと立ち向かっていって大丈夫な部分があるのかもしれません。そういうときには、怖さがあるままに、何かをして成長をする時期なのです。でもそれを避けすぎているんじゃないかなーと思います。怖いから避けて怖さを下げようとする、すると怖さをなくそうとしすぎてしまって。向きあえないことがあります。そうすると、怖いけれどやってみて、うまくいっちゃった、という経験は積めないわけですよね。例えば、新しい仕事を取り入れることが怖くて、気持を下げて少し小さなことができた、とします。しかし、怖さが下がらないときには、「思い切って怖さをもったまま、できることに向き合ってごらん、準備や、なにかに逃げてはならないよ」という時期なのかもしれません。あなたにもし、力がある、としたら、怖くても進んでみませんか?怖くてもできるのかどうか、客観的な意見を求めましょう。やりたいからこそ、怖いのかもしれません。急激になにかを失うような冒険はしなくても、小さな確実な方法で、できることは、たくさんあるのかもしれませんね.ーーーーーーーーーーーーーーー潜在意識から答えを見ます。その問題に対して完璧な答えはその人の記憶の中に隠れています。記憶の中でできなかったことがあって、しかし、本来はこういう力をつけばよいという事がわかったときに、動きがでます。http://www.acoreading.com
2016.09.01
嫌いというのを人は嫌うけれど、嫌い、というのはとても大事な感情です。「こういうのが嫌い」とちゃんと感じ取る許可を自分に出せない人は、いつまでもいつまでも相手を許すことができません。また、嫌いという感情を、人はどこかで許してはいないので、この度合いがひどくなった時、怒りも感じにくく、したがって意欲もわきにくくなります。また自分の好きなものがわからなくなります。それと、嫌い、と言いすぎている方も、実は本当の嫌いを感じていないのかもしれません。なにかがいやだった時に許されて育った経験がなかったり、周りの大人がいやだという姿を見て育ちすぎて、物事や人への抵抗感が大きくなるのです。そういったものを、嫌悪感と呼びます。ディズニーランドに息子を4歳の時に連れて行ったときに、犬がくしゃみをする画像を見せながら水を霧状にしてかける、という催し物がありました。顔をしかめてやだなーと思っていて周りの大人は息子に微笑んだのでした。そういう、時間が過ぎれば過ぎてしまう、周りがほほ笑むような、素直な感情のはずなのでした。そうして深いところで嫌いを取り戻せば、取り戻す、というのは許可を得たら真に人は、相手の嫌いをも許せるのかもしれません。もう一度、周りの人が顔をしかめても、これがいやなんだな、とほほ笑むことができる余裕を取り戻せることもあるでしょう。相手が何かを嫌いといったときに、怖がらずにいるのかもしれませんし、たとえ自分を嫌いだといったとしても、さほど影響を受けないということだって、ありえます。自分に許せていない感情を探し出し、それをいつくしむことにはどれほどの祝福があるのかと思います。ACRのセッションは、受けると、あれ、なぜこんなふうにほっとできるのだろうと感じることが多いでしょう。それは、この、今まで触れていない感情を見出し探し出し迷子から救い出すからに思います。http://www.acoreading.com
2016.09.01
自分を好きになること、自分を愛することが、他人から愛されることや、豊かになることの、秘訣だと言われています。嫉妬深いなんていうのは、人を遠く遠ざけてしまいますがこれなども、自分自身が不安定で、自分が価値があると信じられない,人と比べられてダメだ、という信じ込みが、根底にはあるものです。でもちょっと待ってください。自分を愛するとはなんでしょう。もう少し易しい言葉でいうと自分を好きになるとは何なのでしょう?それは、一つには、欠点をちゃんとよく知ってごまかさずに受け止めるも大事なことに、あげられるでしょおう。今の現状から逃げ出して作ってしまった「自分らしさ」はどこかもろいものです。人からその欠点を言われると、気持ちがグラグラしますよね。感謝をして自分の欠点とお付き合いをしている人は愛される人です。しかし、不思議なことに、欠点と戦うと、無理をしている姿だけを一時的に好きな人を引き寄せている気がするのです。なので、一つは自分の性格の欠点や、なにやかや、うけいれつつ上手に整理をすることを知っている、ということになるかなと思います。例えば、顔に変なところがある、として、それをちゃんと認めて見つめて愛してカバーの方法を考えるのは、豊かさになりますが、嫌いだから隠そうとか、変えようとかすると、この姿勢を続けると、ちょっとメンタル的に負担がかかることがあります。二つ目、自分のマイナスの感情と、上手にお付き合いをするマイナスの感情があると、それを否定をしようとしてしまいます。気が付かないうちにそれをしてしまうと、自分の力をも失います。例えば弱さを否定をしている人がいる、とします。弱いのなんて大嫌い、と、毛嫌いをしていると、部下が弱音を吐いたときに、励ますばかりという偏った指導しかできません。しかし弱さを受け入れる強さが育っていると、「何がどうなっているのか」部下の弱さにイライラせずに怖がらずに分析をして、その人を指導する強さが生まれます。その二点は、自分を心から愛するためにとても大切なことです。その二点がきちんとできていると、かなり自分をあるがままで人として、かわいいな、と思えているところはあります。そうすると、いろんな人とかかわりを持ちます。そうしてそのままの、自分を好きになってくれる人に囲まれていたりもします。http://www.acoreading.com
2016.09.01
苦しみや悲しみ、というのは、実は大きな誘惑です。それを話し続ける家族で育つと、それを話すことが非常に重要になります。苦しいことだけを、話す時間を持つようになります。問題があると、問題のことばかりを考えてそのことばかりを話し、そのことを最優先にしてしまいます。結果、そのことを最優先にしてくれないことを恨みます。ですが、その姿勢があると、どうでしょうか?幸せな人々とは、縁がなくなるのです。そんな人生は送りたいでしょうか?私が近日通っている美容師さんは、60代の年配の方です。彼女は癌になり、闘病生活をつづけました。その方は癌になり、抗がん剤を使い、そして治療が一段落をしてから、髪の毛がなくなってそれは悲しかったけれども、恥ずかしかったけれど、治療が一段介してから、帽子をかぶって美容師を続けていき、そして今は回復をされました。誰だって、苦しみがあります。それを話し続けるとき、人は、なにか自分が苦しんでいるから最優先をしてくれていいはずだ、と思ってしまったりする誘惑があると思います。でもその悲しみは自分で受け止め整理をし、そこばかりに依存をしない強さを持つならば、人生は変わるのかもしれません。悲しいことだけを話し続けたい、という誘惑があると、なぜか、カギと鍵穴のように、依存をさせてくれる人を求めるようになります。そうして問題1が終わると、次の問題2に移ります。きりがないのです。その人が力があって、ずっとずっと苦しみを聞いてほしいと願うようになり、何かをやってもらってもそれはどうでもよくなり、例えば小さなことをしてもらっても気づけなかったりします。メールをもらっていても気づいていなかったり。苦しみをきいてもらえる利益があるときだけお礼を言ったり。苦しみを聞き続けてくれることだけを優先をします。苦しみにかかわることだけをしていくようにになります。こんなに苦しい問題があるんだから、親身に聞いてくれるはずだということだけを期待をするようになります。あるいは、こんなに苦しんだけれど、あなたにはわからないでしょう、とこころに壁を作ってしまうのkもしれません。すると相手の時間をそれで奪ってしまうので相手への配慮ができにくくなってしまって縁が切れるという事も多く出てくるかもしれません。それは、悲しいことがあっても、どんなに自分が苦しいか助けてよ、だけではなく周りの人々の温かさにも触れてそれを受け入れて着たリ、自分も頑張ってみたいという気持ちもあったからに思うのです。感謝をする、というのは、自分が見失っている相手への配慮を取り戻すということなのだと思います。ほかの人々は、ほかの動機で動いていて、それに気が付いてありがとう、と言えることなのでしょう。今はこんなに苦しいからそれしか考えられない、そういう時期は誰でもあります。その時には人の助けを借りたリ甘えたリ、そんな時期も誰でもあります。しかしつねに常に悲しみだけを話し続ける、としたら知らない内に、常に、悲しみや苦しみだけを大事にしてそのことばかりを話し続ける癖に鳴っているのは、気が付かなければなりません。悲しいことを心を込めて聞いてくれなかったから恨むことはあるのかもしれないけれど、「あれ、こんな小さなことだけれど、本当に相手はああそうか、瞬間ではあっても、私のために時間をさいてくれていたのかもしれない」と気が付ける、あたたかな感受性を取り戻したい、と願うことは、崇高な願いです。htt://www.acoreading.com
2016.09.01
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