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お友達とお話をしていて、わわわ、それって本物の恋愛ではないけれど何もアドバイス、できないなーなんてことがあるかもしれませんね。例えば、一度もデートをしていないんだけれど、ご本人はうまくいっている、愛されている、と思っている場合、などです。もちろん、恋愛は、その二人にしかわからない部分もあります。そして事実、進まないと思った恋愛が、意外に進んだ、そんな経験が、私のクライエントさんにもあるのです。ただ、いつも「うまくいっているはずなのに続かない」という事になってしまっている、としたら、いつもいつも付き合えない、ということであれば、別のものの見方をしなければならない時期ではあるのです。本当にその人が関心があると、具体的に付き合いにはなっていきます。あるいはその人が内気である、としても、アプローチをすると意外なほどするすると進む部分が出てきます。でも私は、うまく恋愛がいかない人々のことを、何か叱ったり、誤っているからやめなさい、とひとことで片づける気にはなれないんです。というのは、その方々の本当の部分は、それがうまくいっていないことも知っているからです。そうして、本当は、何かに納得をしたかったり、あるいは、前に進めない部分があってつかえていたり、そんな事柄を、うまく自分自身で言葉にできていないから、ずっとずっと同じところにとどまると思うからです。 その深い目的は。自分が本当は好かれていない、なんて思えないほど思いたくないほど、何かに傷ついているのかもしれません。その人との思い出や小さな出来事をずっと記憶にとどめていないと今の自分が支えられないと誤って信じていたり、自分の素敵な部分が解放をできていないこともあるでしょう。自分がこころの奥底で否定をしているけれど、実はある気持ち、というのは、相手に映し出します。これがACRの考え方でもあり、そしてそのために、自分の気付かなくなった感情に触れていく作業をします。以前、セッションにお越しになった方が、総合失調症で、さまざまな幻想にとらわれていたことがありました。私はそういった病気の方を対象にセッションはしていませんし、ただその方がセッションを受けたい、ということで、当日まで御病気のことをおっしゃらずにいらっしゃったので、病院で指導をされていることを守ってくれるなら、という約束のもと、セッションを始めたのですがその1時間半の間、彼女がとても普通になったんです。その前は、だれだれが自分を縛っている、だれだれがこうしている、盗聴をしていると言っていたものが、ふと、「自分は被害妄想なのを知っている」とおっしゃいました。被害妄想、といくら言っても聞けないような状態である方がその時に、本当は知っている自分自身に触れたときには、とても感動をしました。それはもう、何年も前のことなので、今は、そのことについても、お話ができるかな、と思います。そうしてその時のことを考えると、同じようなことはセッションで起きている気がするのです。その方の表面の考え方や出来事は別として、その人の奥深くにすべてを知っている部分がある、私はそう思います。そうしてそんな自分自身い触れるには、その出来事や、その解釈は彼に対する自分の気持が感じ取れなくなっていることを一つ一つ自分の物、として認識をしたときに、ああ、こういうことだったんだ、こういう出来事だったんだ、という新しい解釈にたどり着ける気がします。そうして自分から真向に、自分自身に向きあうことができた時に、初めてその人は、幻想的な恋愛を抜け、本当のつながりへ一歩を踏み出していく、ということもあるのです。もし、何度恋愛をしても、うまくいくはずなのにつきあえていない、としたら、「相手が好きなはず」ということや、「それなのに、相手はこんな理由で、私から離れたリくっついたりしている」という考えかたから、「私には、この出来事がとても大切だった」「このときに彼が示してくれた関心を、絶対に大事にしたいと思っている」「この出来事に期待をしている」「進まないことに納得がいかないし、うまくいかないはずがないと信じたい」「けれども何かを言ってしまったら、壊れるのを恐れてしない部分がある」などを丁寧にだとっていってください、「私の中に起きている大事な気持を大事にしよう」と思えたら、糸がほどけて、あなたは、新しい自分に出会うことができるかもしれません。そうした自分自身は、新しい関係に進むことが出てくるでしょうから。http://www.acoreading.com
2016.12.28
大事な事を調整するためにある人と話あっていて、うまくいかない、としたら、おそらく、もう少し時間が必要なのです。お互いが納得をするために、ですね。その時間が必要な時に、「どうしよう、こうだし、ああだし」と考えても、今は決められないでしょうし、「なんとか結果を出すように話し合うんだ」としても、お互いに焦って、すれちがうことになるかもしれません。そのようになったら、話し合うにしても、結論を出すために話し合うのではなく、相手はどう考えていて、それを受け入れられるかどうか情報を聴く時期なのです。無理に今、結論を出そうとすると、出すための話し合いをしようとすすめると、面倒が起きることでも、「相手の考えと価値観を知る」時期、それに対して、私はどう感じるのかを知っていく時期、あなたの考えはそうなんですね、私の考えはそうです。今は、それらを理解をしていきましょう。そうしてそういった理解したことを寝かせてから結論を出していきましょう、という余裕がどちらか片方にあればいろいろ変わっていくこともあるでしょう。http://www.acoreading.com
2016.12.27
続きーこれが、その人の癖の感情です。別にさ、ピアノを弾けなくても気にしない人もいます。そして数学が向いているからそっちに熱中をしたり。とか。でもね、何か、「あーあまたやらないや、出来ないや」というほうに行きやすい感じ取り方をっ持っておられるんです。何かできたことを評価をする、という事がしにくくて、経験をしにくくなっています。でセッションでは幼少期に戻ります。というのは、感動をするような感情の整理がしやすいからですね、ここは、小さな思い出が出てきて、その整理がうまくいくととてもよいです。宙ぶらりんになったのは、ですね。生き生きとした感情をあなたが、「とめた」からなんです。そしてその「とめた」出来事は、親御さんもしていたり周りもその姿を見せていて、あなたには、とても自然なことでした。今、行動から変える、としたら、そうです。小さなことからしてみてください。自分が何かを達成しても、「ああ、こんなの、、こんなにできないや」というおなじみの感情にあることに気が付き、ああそうなんだ、こんなに、そうだ、できない、やれないと、自分を責めてきたんだという感情に気づき、そして、そこにはい込んで事実だ、できないのがと思うのではなく、ああこのがっかりするような、できていないなあーそうだよね、全部達成していない、という感情そのもの(それがあなたがよんでいるところの、罪悪感のもとですが、だからセッションだと罪悪感を弱めるのにこちらも扱います)を、感情として認めてあげてください。やがて「ああなんだ、こんなものに支配をされているんだなー」と気付いたとき、人は動くようになります。ふしぎですね。これが癒しなんだと思うんです。そこから、変化がはじまります。あのね、皆さんが思うよりもいろいろ変えるのは、単純なことです。そしてやさしいのにそれを見出すのが難しかったり、そこを見落としてしまうのですからご免私の悪い癖 お話が飛びましたね、し、長くなりました。えーっとお話はなんでしたっけ。そうか、そうすればいいんですか。だねそうだね、行動よりも、気付きを大事にしてみてください。ああ、小さなこと、自分の喜びをどんなに失ってきたかそれを許せずにきているのか、そうなんだ、このこころがこれが、私を止めている大事な気持ちなんだ、と。そこから動けるからそうですね、小さなものからしてごらんね。案外人生は変われるものなのです。だけど、そのポイントを見出すのが、大変なんだと思います。やさしいんだけれど、その人にとっては、「最もしたことがない難しいこと」なのですけれどね。http://www.acoreading.com
2016.12.26
夢をかなえることと、すべてのことがくだらないことー夢をかなえる、ということのお手伝いを近日しているのですが結構、結果も出てきていて面白いです。それで、私は出来れば、みなさんが本質の姿に戻って,知恵をもって生き生きと生きられるように(幼子のように純粋で、しかし強さを持っている)という事を伝えていきたい、という所存です。だけど夢を叶えたい気持ちもわかるから、手伝うけれど本当は、本質のあなたのすばらしさに気づいてほしいんだよね、。そしたら色々逆におこるから。 それで、こんなことをいただき、ブログに書く許可をいただいたので載せます。夢をかなえることや、心の整理です。ある方が、夢をかなえるための色々作業をしていて、つっかえたところがあります。それは、自分のかけている点が、自分を評価できない →そのために、夢を叶えたいと思った→ でも進んでない、ということだったので、逆から攻めていっています。つまり、夢をかなえるとどんな気持ちになるのか→自分がこれで良いという気持ち →それが出てくれば、逆に焦点が合う、という話をしました例えば、「あーあ、私って、全然ダメだ」「そうだ!!人気者になればいいんだ」という夢の場合、なかなか人気者になる行動を起こさないんです。そういう行動を起こせる人はよしとして、行動をしてもピントがずれているとか、そうならなくて嫌気がさして行動ができないとかであれば、ピントがずれています。つまり、「だめだダメだ」と思う癖があるから不快だ、その不快さをとれば、本当にしたいことがわかっていくし勝手にする、ということですね。そっちが本来のあなたかなー「あーあ、全然ダメなんだ」」という気持ちを感じる癖を直さないと、「あーあ、全然ダメだ、この気持ちがなくなるには」という夢の叶え方なんですね。逆の場合面白いんですが、「あ、そうだ、ダメだと思わなくていいんだな」と気づき、それに丁寧に接すると変化が起きます。そして自分がすべきことを自然としたり、引き寄せが起きます。で、ある方がそんな逆を整理をしていったときに出てきた質問です。つまり、じゃあ、「自分は、今、できているな、と感じて生き生きと感じるのを取り戻す目標を立てて、継続をしてください」、ということでしたよね。> キャシー天野さま> お返事ありがとうございました。> メールを読んで教えていただきたい事が2つあります。>> 少し前から今回アドバイス頂いたように、チャレンジしていて、自分で自分のために何かしてみるときの焦りや怖さ、これは癖の考え方であって実際は怖いこと> なんて起こらないからやってみよう!と行動してみるところまでは出来るのですが、> その後した事に喜べないというか、やってみてできた。けどその後、宙ぶらりんのような気持ちになります。> これは子供の時からあって、例えば、ピアノをやってみたくて教室に通わせてもらったけど、全然集中出来ず6年も習っていたけど今や音符さえ読めない。> 勉強したくて参考書を揃えてもらっても、集中出来ずそれをただのゴミにしてしまう。という感じです。> これについては、今してみている小さな事(行きたいとこに行く、食べたいものを買って食べてみる、欲しい物を> 買ってみるということで行動してみているのですが)、罪悪感があるのだなぁ。と感じ、行動した後も、してみて大丈夫だったなぁ。> してみて良かったなぁ。とゆっくり感じてみる時間をもっととっていけばよいのでしょうか? これ!!これそのもの!!これこそが、セッションで扱うべきところです。そして整理をすると、変わっていくところです。つまり、この方は、宙ぶらりんの気持をかんじる癖があるんです。何をしてもあーあ、ダメだなあ、、、こんなふうにしかできないやこの気持ちがあって、そのために続かないしやっても退屈だしエネルギーがでないし。続く
2016.12.26
心配性の方々は、生きにくいですよね。常に、「まず前もって事件を起こさないようにしよう」と考えます。けれども、そうすると、息苦しくなるし、なにか生きにくくなったりします。なにか人生が制限をうけてしまう。ということでいえば、大きな失敗をした人にもいえるかもしれませんね。大きな失敗をした後で、ラッキーなことが起きにくくなったり。例えば大失恋の後から、恋愛ができなくなる人も(別にトラウマもなくて、ウエルカムなつもりなのに)、案外、いらっしゃいますよね。 さてさて、そんな人生を妨げてしまうのは、考えかたが有効ではないからです。では、有効ではない考えかたって、なんでしょう?以下は心配性さんに向けて書きますが、ある失敗をしてからなにかラッキーなことが少なくなった方々にも、同じアドバイスがいかせます。さて、ある失敗をしたときに、心配性の方々は、例えば話しすぎをして、相手が顔をしかめた、としましょうか。すると、「話しすぎたから、もう二度と話しすぎないようにしよう」心配性の人は、そう考えます。そうして、「話しすぎないための知恵」を学ぼうとされるんです。情報の集め方が、全部、この原因だからいけなかったんだよね、という前提のもとに探されていきます。だけれど、そういった心配性の方々が、対人関係がうまくいかない、としたら、失敗をしたときに、「原因は一つに違いないから」「それさえやめれば」という発想そのものに無理があるんです。で、現実は、ですね。それは、「その人と」「その場の関係で」起きていることでしたし、逆にあなたが禁じてしまっていることには、力もあります。引き寄せる力ですね。この場合であれば話しすぎる力は、あなたのパワーである面もあるんです。そこがね、とても大変なところです。解放をしてあげないとね。例えばなんですが、先の、話しすぎて失敗をした、としましょうか。その場では、その人は、話したがり屋の人だったのかもしれませんし、ある話題が、触れてほしくなかったのかもしれませんね。あるいは、両親も話しすぎる人は嫌いで、それをあなたに禁じてきたのかもしれません。でもいずれにしろ、そしてその場では、あるいはその人たちとでは、話しすぎたのが悪い、としても、ほかの場では積極的に話をしないとならない、という事があるので、そこが心配性の方々にはわかりにくいところになります。そうやって、禁じてしまった扉がありすぎて、かえってうまくいかないことがあるんです。-^^失敗を恐れない人々は、失敗から確実に学びます。それに、原因を一個とは思いません。さっきの話しすぎちゃった例でいえば、「ああ、なるほど、この人は、話したがり屋なんだなー」というように個別に物事を見て、だったら、「その人には」どう対応をしようか、とします。あるいは、「その場では」静かだったけれど、「この場では」話すと喜ばれる、というところもまなびます。二つの矛盾をする事柄が、双方真実であることもわかっています。http://www.acoreading.comその人、その場の原因をよく知っているので、とても賢明な生きた知識です。さあさあ、心配性の方々へ、失敗をしたときに、原因を一つと思わないようにね。その人はその場でそういう現状でそれが起きています。だけれど、あなたが「こんな性質駄目だ」と思っている性質は、何処かで確実に使わないとならないもの。失敗を怖がらず、起きたら、「何かの原因のせい」一つにするのではなくて「この場ではこれが起きたなあ」「別の場では別のことが起きるんだ」ちょっと開いてみよう、ととらえておいてください。そこで自分を責めすぎず、「この場ではこの人とではこれが起きたんだな」とみられていく、としたら、あなたに生きた知恵が授かります。不思議と、「うーんなんか、焦点ずれているんだけれど、、、」と思われがちな点は改善をしていくと思いますよ。それに、新しい出来事が起きる人も、現れてくるでしょう。
2016.12.26
彼の心理を知れば、子供の心理をしれば、うまくいく?そうでしょうか。こころをあつかう専門家になればなるほど、こころの仕組みを知れば知るほど、自分自身のケアーが何よりも大事なのだとは思います。たとえば、ある精神分析医の方がおられて、その方は、身内の人々に、「あなたがこういう理由でこんなことをする」「あなたはこういう心理でこんなになっている」という話しかたを、していく、とします。心理の方々が、陥りやすい罠で、これをすると近しい関係性が離れていくことがあります。でもそうであれば、気づかないとならないのは、相手の心理、ではありません。自分自身の心理と、それと、それにどう対応をするかを考える知恵です。その人が、「相手はこんな心理で、こんな幼少期で、だからこうでああで」というときには、それが親しい人々ではなければ助けになる知恵も、親しければ、自分の感情もどこかしら入っているものなのです。それを知らないことは、まずいです。相手はぶしつけさを、そういう分析をしている人に感じてしまうことさえあります。よく言われる、「うざい」ですね。そのため、「私は、なぜ、それを直したいと思うのか」「なぜ、その人のその生きる姿勢を(たとえ気づいていなくても、)ひょっとしたら不快だと思っていて、そのように言ってしまうのか」「優位に立ちたい、科学的なことで言い負かしたい面はないのか」「何か私が、その人の生きる姿勢を許せないことなのではないか」という見直しは必要です。自分の分析を、「私が考えた正しいこと、あなたのこころは私が知っている」という立場では押し付けになります。もし近しい人々に、「私は貴方のこういうことが、このように、いやでそして、こう直してほしくて、それはこれが原因だと私は当てはめているのだけれど」と 自分の考えと信じている事柄は、本当に自分に起きていることとして伝える賢明さがあれば、素敵な関係が築けるきっかけになるかもしれません。なぜなら、あなたの本当の気持に、初めて、相手が触れられるからです。貴方の学問ではなく、あなたの本心に触れるからです。その人の、心理学の知識ははようやく、ただの知恵ではなく、人とかかわる実践できる知恵となっていくのでしょう。その関係は、また豊かに実るものです。ーーーーーーーーーーー気付かないうちに自分の癖で偏っている部分を整理していきます。http://www.acoreading.com
2016.12.24
クリスマスは、素敵な時期。でも、ひょっといたら、クリスマスは、相手のあらが見えてしまう人もいるのかもしれません。イベントごとがあると、お互いお性格の違いが判ることもあります。 それで今回は、会う約束がなかなか決まらない、ということについて書きます。いずれにしろ、うまく予定が立たないときに、気を付けておくとよいなーと思うことがあります。それは、話してダメならば、引いてみな。それをほっておく、ということができます。たとえば、ぼんやりとアバウトに行こうと彼からいった約束があるのに、その予定が具体的に決まらないときには、一度言ってダメならば、ほっておくのですね。ねえ、予定決まった?いつ決まるの?私の予定が立たないよ、と言ってもだめで、そんなことが繰り返されるのであれば、彼のほうは、うまく調整が立てられないこともあるでしょう。繰り返し決まらない予定の確認をしたいのはわかりますが、ぼんやりと決めた日程が、後になって仕事などで取れないときには、連絡をしない人もいますし、気持が確定をするまでそのことは忘れてしまっていたり、日程が決まれば連絡を、という男性もいます。それに何故か、話そうとしたり、決めようとすればするほどあれれ、相手が引っ込んでいく、ということもあるでしょう。「ルールズ」という本があり、2、3冊ほど、翻訳をさせていただきました。この本などは、相手にしつこくしないことで、関係をうまくいかせる方法です。その本ほど、厳しくこれをしてはダメ、あれをしてはダメ、とする必要は全くありませんが、予定が決まらないのであれば「じゃあ、自分はどうしようかな?」と、その彼との予定は全く別にして自分がどうしたら楽にいられるかを考える習慣を持てる、としたら、とても役にたちます。その習慣ができると、いろんな物事の考え方が変わります。いつも問題に執着をしていたのが、彼のサイクルもわかりながら予定をたてられることができるようになったり、仕事関係でも同じですが、うまくいかないことがあっても、それをほっておけたり、これは彼の個性、彼の問題、仕事場の改善点、しかしそれは別として、そして私はこうできる、と問題を細かく見る能力にたけてきます。たとえば、なんだか、日程が決まらないのであれば、大体今の彼の習慣もあるし、あるいは自分の考え方で、この日まで待ってこないならば、ここまでは待てるけれど、ここは違うと思う、というのであれば、自分の日程はもう決めちゃう、というのだって手です。そして彼が万が一約束をとってきたら、「あ、ごめんね、その日、連絡来ないから駄目なのかと思って予定、くんじゃった、別の機会に行けたらいいな」といえるようであれば、何故か相手の男性が、追いかけてくるものです。こういったことができると、相手から尊重をされないことはありません。そして、相手も、ちゃんといつまでに日程を決めるかを考えてくれたりします。コツは、できれば、なんですが、「相手がこう思う、相手はこうでああで」というのとは別に、「自分の中の一番良いと思う方法」で決められる力です。常に相手にしか視点がないと尊重をされず丁寧で優しいけれども、「これが自分にとっても相手にとってもよいと思う」ということで決められると、また別のことが起きてくるのが、潜在意識の不思議です。そんなことができるのが、もてキャラです。彼にしても、なにか約束がうまく流れていかないときに彼女なりに考えて、自分のことをしてもらえる、ということは、とても助かるものです。「あ、しまった、彼女に連絡を入れ忘れた!!怒ってんだろうな」と思ったところが、大丈夫だよー、忙しいと思ったからその日はこうしておいた、と言えれば、たとえ彼がおこちゃまでちょっとむくれるとしても、大人で感謝をしてくれるとしても、どちらにしても、その女性を大事にするものです。こういった真似をして、相手にきつくあたるのは、(お前なんか知らないよぉ~みたいな)小悪魔的な魅力ですし、相手の配慮をするのがやさしさですが、本当はどんな魅力の根底にも、「自分と相手がきちんと境界線があるけれども、あたたかくつながっている」というものがあるのです。そう聞くと、そうできないといけない、なんてことはないんです。文句を言って進む関係もあるし、そういうときもあるし話し合わないとならないことまおるし。でも、すぐには出来ない習慣も、ちょっと取り入れたリ、「そうなれたらいいな」と思っていると年月が進めば必ず、できるようになっています。それはちょうど、^^小学生がまるで中学生になって、難しい方程式が普通に解けるようになるように、ですね。「30代の女性が、一番きれいだなあ」と20代前半の息子が、ふと、昨日、言っていましたがじつは方法次第では、30歳以上のほうが、生活が充実をするものです。それは、不器用ながらも、よい方向に進もうとした女性たちに出る魅力です。どんな状況でも、「じゃあこの状況で、私はこうしてみよう」「相手がこうしてくれたらこうだではなくて、この日程までに決まらないならば私はこうしちゃおう」という自立心を持ってください。なにか見方が変わって、大事な人との関係が、もっと良くなることがでてくるかもしれませんね。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーよくメール相談で、ひとこと会話を変えただけで相手の返信が多くなるなど、流れが変わることはよくあります。これは、へへ、結構自信があります。基本的には、なにかの考え方が歪んでいてそこから会話をしていて、そこに無理があるんですが。http://www.acoreading.com
2016.12.23
感情と本質と、そしてあなたの力とすこし引き寄せに誤解があるので、実際にメールでのやり取りを(ご本人の許可をいただき)掲載をします。通常、夢が叶ったらどんな気持ちになるのか →そこから、自分がその気持ちを感じていく、ということをしています。でもそれには、深い意味があります。そして、それを続けられる、としたらけると状況がかなり変わっていきます。今回の引き寄せのセミナーでも、かなりややこしい内容をお伝えしたのですが良い風に変わってきている人もいて、面白く思いました。それでその方の夢は、「仕事をしてお金を稼ぎたい、と地域やママ友うまくやりたい」の二つです。今回は、ママ友とうまくやりたい、のほうの夢から見ていきます。ママ友とうまくいっているときの気持は、「みんなに信頼されて好かれている自分が役に立つ人間だと思える誰かの助けになっていると思える自分に価値がある」 でしたが、これは今、書いていただいている段階だと「自分の内側」にはなくて、「外で何かが起きたら感じ取れる」気持です。それで、なぜ、自分が役に立つ人間だと思えないのでしょうか?なぜ、誰かの助けになっていると思えないのでしょうか?通常、「自分の中の内側にないものを外側に探した」ばあい、それを引き寄せていないか、逆の状態を維持しているか、あるいはそれを作り出しても作り出しても、不満があり、もっともっと、となります。満足感がないんですね。そして、内側にあるものを、引き寄せていきます。たとえば、「人がこわくて疑う」人の例なんですが、これは実際にあった出来事です。ある会社の方が、「人は信頼ができない」と思っていたために、会社で自分の名前を記載せずに、対応をしていました。それでクレームがくると、「この人怖い、いやだ」と思ったために、対応が遅かったんです。で、どうなったか、というと、あるクレーマーみたいな方が着てすごくおおもめに、もめました。その方が、「相手を疑い、インターネットでは怖いことになる」と信じて、『自分を守るため』に、名前を掲載をしなかったこと、あるいは、こんな人がこわいと思ってかかわらなかったことで、相手がすごくこの会社の対応がなっていない、と思って過剰に反応をされたんです。正しくその方に対応をしてもらうと、すぐに問題が解決をしました。これなんかは、顕著なんですが、「インターネットは怖い」「クレーマーはまともじゃない」「被害を受けるから、とにかく守らないと」と思う感情が、相手に対しての行動を起こさせ、その対応に、相手が反応をしていますよね。相手にしたら、なにか対応は遅いし、責任感なく仕事をしているみたいで過剰に感情的になったわけです。それで、これと一緒で、「自分の中にないあるポジティブな感情」を外側に求めた場合、人にそれを強要するばかりで作り方がわからない、という事があります。たとえばこの方が、「自分はまあこのままでいいかも」という安心感が根底にある、としたら、行動が必ず変わっています。たとえば友人が困った時に、「自分が役に立てないけれど表面誤魔化して役立たないと」といったような無意識の働きが弱まります。するとこれはする、しない、というのが明確で本当に役に立つことができます。簡単に言えば、この方の中で、「どうして人の役に立てないと思っているのか」などを整理をすると面白いんです。本当に面白いんです。その人の本質が望んでいる生きかたに向かうときになにか変化が起きます。が、大変なのは、維持と、それに気づく気づきです。それで、今回は、聞いていくと、役に立てないと思っていて人に聞いていて、なにか間違えないようにしていて、そして、ああ、役に立っているなあー思えないままに外側に、友人とうまくいったら、「大丈夫だ、私は役に立っている」とかんじたい、という順番ですよね。でもそうではなくて、「自分はまあこれをして、これでよかったなあ」と思える安心感を先にもてるか、という話です。そうは思えなくしている原因があって、それはこの方の場合意見を聞いて常に「これはよくないよね、これはダメだよね」と感じていく方向にいっているからです。すると本来の自分ではないために「何かおかしい、なにかが起きたら、これがおもえるだろうな」というような夢の思い描き方だ、ということなんです。そうではなく、「ああ、これは自分でしてみてまあよかったと、思おう、安心をしてみよう」というのが何でできるかという目標が小さなものでもいいので、人生を変えていく力を持った目標になる、ということで、これは続けていくと、ものすごくパワフルです。本当にパワフルなんです。思ったよりも、です。いろんな状況が変わります。いま、すごく動いてきている方々もいます。このように、なにか未来に感じたい気持ちを感じていくという一つのことについても、いろんなことがあります。しかしいずれにしろ、その人自身がその人に戻れる方向はすごく簡単にいくんですが、そしてそれが続くとしたら、自分が変わっていくんです。周りが変わっていくんです。しかし、凄い抵抗がわきます。絶対にそんなことしたら、ダメになる、というように、ですね・そうしてそこから逃げたいので、もっと素敵なストーリに行きがちになるんです。無価値観を癒そうとすると、「母がもっと私をほめてくれたら」みたいにですね。でも、この無価値観は、「何か自分にとって大切なことを自分でできなくなったこと」と関連があるので、それだけではないんです。これがその人は家族歴などにある、思い込みなので小さな目標でそれを達成していくようにするとよいんじゃないかな、ということです。http://www.acoreading.com
2016.12.21
なんとなく、なんですが、芸術家、あるいは、職人、が生まれてきている時代に思います。芸術、というのは、生きている時には評価をされない可能性だってあります。そしてその芸術は、芸術という形さえ取らないかもしれません。世の中に合わせようとして生きてきて、だけれど、なにかが不自然だ、そう感じている方々にそういった個性や力を感じるのですね。「なにか」ではなく、「どう生きるか」がその人の中で作品となるべくして生まれてきているのかもしれません。しかし、その生き方を望んで生まれてきている方々はすこし、大変です。社会から外れて生きるんだったらいいんだけれど、その力を使って稼ぐ、ちゃんと社会性を持つためには、今までの思い込み、私自身は、私の作り出すものは、受け入れられないだろう、私は戦ってそれを勝ち取らないとならない、といったような信じ込みに操られないときに、力が使えるからです。私の芸術性は、受け入れられる、社会がどういおうともこれがよいとおもえて、それを静かに続けていける、しかも自分に正直に、そうするときに、実現をすることもあります。幸いながら、それに触れられていく人々は、幸せである、という事は言えますし、道が開けていく、ということもあるのですから。http://www.acoreading.com
2016.12.21
というのは、「ああさびしい、私は一人だ、一人だからだ」とか、「ああさびしい、人がわかってくれないからだ」というのは、理屈が操っている感情だからです。ここは、とりあえず理屈で考えるとわからなくなるので、「今は何か癖になっている感情が大きくて、そこが働いているんだな」という理解でいいかな、と思います。だけれど、「本当に、こういう感覚が私の中にあるんだなさびしいというのがあるんだ、ああさびしいってこれなんだ感じてみよう、理屈ではなく、身体におこっているものとして」とそこにとどまれると、その感情から求めるという不自然なことがなくなります。ほかの例をあげましょうか。自分があまり尊重をされていないから「尊重をされて尊敬をされる夢」を考えている、とします。先の例と一緒で、尊敬をされるんだ、という強い意思があって頑張っているならばまだしも、「今が尊敬をされていないから本当にいやで、私は尊敬をされるために、これもあれも勉強をする」としている方々って、いつも不満で、尊敬をされていない気がしますよね。さらに、「尊敬をされてこんないい気分になるんだ」と目標を造ったら明日こそはなれるだろう、とあこがれているばかりで、なれない何かになるんです。そうではないです。尊敬をされて意見を聞いてほしいのであれば、「今」じゃあこの意見を言ってみよう、言って誇りを持ってみよう、というように「今」その気持ちを自分で感じる努力をするのです。何かを待つのではなく、その何かを感じることをしていくのです。というように、「今」その気持ちをかんじられる行動を起こせる人のみが尊敬をされるようになるんです。今その気持ちになってください,というのは、そういう意味です。その気持ちに夢が叶ったらなれるよね、というのは、明日はなれるでしょう、と追い求めてばかりいる心境を作り出し、永遠に望んでいることが実現をします。永遠に「今度こそはかなうでしょう」と夢を見る、という状態にとどめられるんです。ずっと望み続けることが実現をするんです。なぜなら、ずっと未来に与えられることを望んでいるから。でも、今、ちゃんと尊敬をされたいならば、その尊敬をされている気持を感じ取れる今できるなにか^例えば意見を言ってそれでよしとしてみるとか、勇気をもって何かをしてよかった、と自分をほめてみるとかそれらが、引き寄せをもたらす力になります。やがて、尊敬をされるために、同じ勉強をしていてもこれはあう、あわない、というのがわかっていく過程を正当に踏むことができます。自分の今がダメでこんなんじゃないんだよね、の気持から何かをしていくと常に得られずに「今その気持ちになる何かをしていく努力」をしていくとそれが習慣になり、やがていろんな状況を生み出します。かといって、自分が尊敬をされたいのに、尊敬をされていないのを知っているのに、「私はみんなから愛されているし尊敬をされている」なんて言ってみて、それがしっくりこないのであれば、それは何かをかけたまま誤魔化して言葉でやり過ごしすぎています。やはりその感覚=これが足りていないなあ=をちゃんととらえてだからこの反対に求めている気持ちを、正しい方法で感じていくの、という何かをわかっていかないと、ならないかもしれません。 話を戻します。感じる、というのはそういう癒され方をします。ここが、本来の意味で感じることなのですが、ここができないんです。なぜなら頭は、「この理屈を、この理屈が大事でこの理屈こそが本当の事実だ」と、ものすごくとらわれているからです。下の例でいうならば、「尊敬をされたいな、ああ何か自分がダメな気がする」から求めても、ずっと焦って求めることだけが起きます。でもそうではなく「今」私が尊敬をされているときに感じる感覚を、自分が何かをやってみて、そしてそれをたとえ周りがどういってもちゃんとよし、とできる、という訓練をしてみて、そのために細かな目標を続け、例えば、意見を言ってよしとするとか自信をもって仕事をしてそこには誇りを持つ努力とかそういったことのほうが、引き寄せていきます。これについては経験をしていきましょう。私はそれについてちゃんとお伝えもできますし、経験もさせてあげられます。特に経験をさせてあげられるのは、感情、というものの整理についてです。やがて癒された感情は、あなたを操らなくなり本来の望みにそのあとで触れていったり、安定をすれば、自然とさびしさが減って違う目標に行きます。あなたがもし、「何かがないから」という欠乏感から探していて目標が叶ったらどんな気持ち、という答えが、「こういった今私が感じている、悲しさ寂しさ虚しい感じがなくなる今のない感覚がなくなる、幸せな感じ」であるのだとしたら、「ないところから」作り出そうとしています。そこからいったときには、次の日には現れるだろう、いつかきっとなれるだろう、とずっとあこがれていく方向に行く、と思ってください。「ない感覚が私にあって、それが私の今を作っている」というとらえ方は大切になります。その感覚があるんだ、いつも逃げようとしてきたあああったんだ、という気づきとそして正しい対応が。http://www.acoreading.com
2016.12.19
わたしは、引き寄せを教えるのを、早く卒業をしたくて、本来の本当のあなたに戻ってく過程をお伝えしたいと思います。この中に入っているのは、感情の癒しの方法、夢の持ち方、正しい対応の仕方、などがごったに入っていますから必要なものだけ受け取ってください。自分の引き寄せたい気持ち、が引き寄せに大事だとは言われるのですが自分が夢をかなえた時の気持をかんじてください、というと、たとえば、「人にたくさん囲まれて、幸せな様子」などが思い浮かびます。で、気持ちが大事だ、とお伝えすると、こういうものが上がりやすいんですが、たいてい、こういった夢があっても叶わない方々は、大事なのは、その方の下にあるものです。「たくさんの人に囲まれて幸せだ」と思うのであれば、ひょっとして、「自分一人で寂しい」と感じているのではありませんか。そういう方々であれば、常に「一人が寂しいから救い出してくれるもの」を求めていて、こういうものだとうまくいかないのです。何かが今なくて、それがいやでいずれ来るでしょう、という望み方って、なにかがかけているんです。そういう時には、「私は一人でいると寂しいんだなあ」という気持ちに向きあってください。あなたの信じ込みの中で、「一人はダメなことで、私は寂しくて」というのがある、としたら強烈なのは、寂しいほうでしょう? 幸せな気持ちではなくて常にあるのは、そのさびしい今を受け止められない何かですよね。そして、何かがあれば救い出されるけれどずっとずっとある気持ちが、寂しい、とかなんです。わかりますかね?夢を叶った状態を考えた時に、「今ないから、これがあると幸せだよね、今ないから」という方々は夢想をして、夢想が自分を支えてくれているけれど、行動に向かう強いよい望みになっていかないんです・いつも常にある気持ちがあるとしたらいつも虚しいとか、こんなの自分じゃないとか、なにかがあるとしたら、なにかほかの出来事では癒されません。なにかの欠乏感から何かを求めているときって、うまくいかないです。たとえば、寂しいから、すごく頑張れて何が何でも人と話して囲まれている、という行動を起こす方であればそれはかなっています。もう人のいるところに言って話しているとかですね絶対に人といないから悲しいから絶対に人といるとしているのであれば、それは自分がしているんだからかなってはいるでしょう。でも虚しいとは思います。そういうふうに虚しさから来た夢は、無理矢理頑張ればかなうけれどそれも何かが不安定です。なので、今がダメだから、ではなくて、今を安定をさせて望みたいんです。なので、寂しいんだ、私、そうなんだ、こういうのがなくて、自分はダメだと感じているんだこれが感情なんだな、これは感情で、感じているんだなと受け止めるのがまず最初その際には、決して、「一人で寂しくてみじめなのが本当だ」と思って感じるのではなくて、「あの人がこうで」「状況がこうだからこう感じていて」というように周りや人を巻き込んで感じるのではなくて、「事実は感情がゆがめているけれど、とにかくこの感覚が本当にあるんだ」という「周りが起こしているもの」ではなくて「自分の中にあるもの」として受け止められることができないと、感じると余計よくはありません。周りが起こしているもの、という錯覚があるままに感じていくと、「どんなに周りが優しくなくて私が寂しかったか」というように周りに焦点が移っていき、感じるわびしさ寂しさは本当のあなたの感覚ではないのです。感じれば感じるほど、助長をされて増えていき、大きなものに感じて、整理ができなくなります。そうして、しかもあなたのずっと感じている癖の感情にとらわれていきます。かんじれば感じるほど、そういった出来事に執着をしていきます。
2016.12.19
それとね、文章を読むときには、二つの方法があって、一つは、頭で考える方法です。これだと、抜けるところや、理解できないところが出てきます。さらに、頭で考えるのも、実は最初に、なにかは来ています。好きだな、嫌いだな、というのがもともとあったりして見えないところが出てきて、それを理屈で振り分けたりしています。やはり漏れがでます。もう一つは、体験をしていく方法。その場にいて、その書かれている例を経験をしてみてください。自分の体験に当てはめ、そこに言われることに抵抗をせずに経験をしていくのです。そうしたらわかることも、たくさんあるのですから。とはいえ、一つの文章を書いた人と同じように理解をするのは年月が必要だったりしますよね。^^そこが文章の素敵なところだったりもしますし。http://www.acoreading.com
2016.12.19
私が私からそれない、ということについては、一歩も譲れないところがあります。仕事の方法についても、どんなにいろんなものを取り入れてもここは絶対に譲らない、という頑固なところがあります。社会の一般的な方法を使えなかった頑固さもここにあって,だから、メルマガや宣伝を今までせずに仕事してきたんだけれど、だけれどようやく開いてきた部分もあってしかしそれでも。絶対に譲らないところはあります。個々の人々が成長を遂げること、それができないならばもうお仕事なんて、やめちゃうんだもんね~というぐらい頑固。もう、職人に近い。と自分でも思いますし、よく言われます。それで、ACRを学んで、今すぐ仕事をしたい生徒さんが今、2名ほどいるかと思いますし将来、だんだんと道が明らかになるように、いろいろやっていっている方もいるし、いずれにしろ、「自分は本当にこれがやりたい」というものをもっといで。そうしたら、すごく力になれる、と思うから。たとえば、私は、お金節約の方法を教えたくてそれでセミナーをする。という段階であれば、まだ学びが必要。アドバイスは心からするけれど、まだあなたにっピッタリのものではないですだけれど色々やってみて、本当に、本当にお金の節約の方法を私は、私の方法は、こう、というのが出てきた、としたら、あなたにしかできないACRのセミナーができるように組んでいくことは可能です。その段階だと自分が明確にはなっているよね、それは頭で考えたもの、ではないんです。アイデアでもありません。そんなふわふわしたものは力にはなりません。いや、この部分も大事で、いろいろしていっていいのです。ただ、今後、例えば節約を教えたい人であれば、経験を積んで、いろいろ人に教えていくと、「あれお金の節約でも、ここの部分は教えるの得意、ここはやりたくないし、やりたくないことを裏返すとここがやりたい」みたいな経験に基づいた力強い知識が得られます。自分が頭で考えていたり、ほかの人々の物まねだったりがもっともっとこなれた形になっていきます。それまでの間、どんなに色々学んでも何かをやっても「あなた自身が経験をしてわかってきた」生きる知恵、経験に基づくものがでてきないとならないです。それを早めるんだったら、いろんな人との出来事にひっかからずに自分の本来の力を大事にしてあげることが有効ではないかと。ただし誤解をしないでね、その間でも人はどんどん稼げます。んもう、そうなれないとだめ、なんて、最初から完ぺきではないとだめ、なんて思わないでね。ただそこが出てきたら人はおもしろいものができるよね、という将来の方向性です。http://www.acoreading.com編集後記 「もっといで~」というのは、私にとって、とってもかわいい言葉でその言葉に愛情を感じちゃうんですね 💛それは何か息子が私に運んでほしい時に、「ほら、自分で取ってきなさいっ!!!」というと、「おかあさん、もっといで~♪」「いい加減にしなさい、自分で取ってきなさい!!!」「おかあさん、もっといれ~」みたいに、甘えてくる言葉だからに思いました。もっといで、というふうに、上記にも書いてしまったんだけれど、愛情表現だと思ってほしいなっ♪ (複雑であほな愛情表現かもしれませぬが)んもう、自分でもってきてよ、ぷんぷん
2016.12.19
自分の本来の声に従えれば、とても幸せです。たいていの問題は整理ができるとも思います。でも、本質ってわがままと間違えられやすく、社会性のないことととらえられやすいです。あるいは、どうしても、自分と人や社会との問題に変換をされやすくなります。信じ込みですね。本当はとらわれないこころでいると現れてくる、たくさんの繊細な感受性をきちんと知っているのが、本質的な姿なのかな、と思います。経験、というものがとても大切になるので言葉ではない気づきが大事になります。今迄私は、それを言葉で教えようとしてきたんだけれど、すると誤解をされやすいところを、全部例を挙げるわけですからややこしいことになります。本当は経験を言葉の中でさせてあげることのほうがよほど重要だと思うようになりました。もしあなたが本質に出会いたいのならば、正直にこう思っていて、でもこれは通じないと思っていてこうまげて表現をしてしまうそんな自分に気づくことから、始まるのかもしれません。奥深くでは、そういった小さな人とのもめ事は「自分自身の力を正直に使うのがいやだから」ということになるかな、と思います。素直に、自分はこれがいいんだよね、とおもえる姿おもえる姿というのは、やらなくても、です。どこに抵抗もなく、誰に抵抗もなく誰の許しをこうでもなく、それがいいいんだよね、と心からのびのびとおもえる姿が本質なのでしょう。本来人は、素晴らしいものです。だけれど、それは頭で考えているような、理念のすばらしさではないんだと思います。どんな聖職者も、立派な考えを持っている人も、自分が人間らしい、へんてこなところを持っているのを知っていて気付いていて、それをごまかせずにあれるときにのみその人は本質であることができるのかもしれません。人は自分のすばらしさに気づき、だけれどまだ自信がなくてそれを表に大きく出そうとするときには、要は説得をしたいんですがそうすると、カリスマというものになります。それはそれで、そういう時期もよいんだと思います。自分のすばらしさを出すよりも、人が私を素晴らしくしてほしいそう思うときに、媚びる人になります。あるいはそうしてくれない人々を、恨んで消極的に生きるという時代もあるでしょう。自分のすばらしさを理念で考えたとき、つまり経験をしていなくてずっと頭で表現をしようとしたとき、とても偏った思想からでられなくなることがあります。すると、イライラします。人と接するときに、その人のすばらしさが現れることがありその瞬間はとても恵まれたものですが、それは人と対峙をするときに現れることはしばしばあります。でも、そんな経験を出来るような経験を積める言葉を紡ぐことができたなら本望です。言葉は、頭で考え込みやすく大事なあなた自身の、経験に基づいた個別の知恵を与えにくいツールだとも、思います。http://www.acoreading.com
2016.12.19
言葉が力を持つとき、というのは「自分自身をきちんと明かせられるとき」です。自分がどこかで何かを隠そうとしたり何らかの責任を負わないように逃げ回っているとき、そこに弱さが出ます。だから力がないんです。現実を変える力がないために、そのためにすごく攻撃的な感情になります。攻撃的な言葉を使わざるを得ないか、あるいは、力を相手にかけての交渉にしか及べなくなります。人生のほとんどが、私たちは、何処かで自分の力を隠そうとし、思いを隠そうとし、力を相手にかけて、あるいは逆に相手に力を預けて、そうして生きているのだと思います。それでいいのだと思います。なにかを隠して何かを得ようと必死になったり、あるいは、純粋を取り違えて、こんなに純粋な想いなんだからわかってよ、と相手に押し付けたりして、得ようとしていたりします。それでいいんです。それが人だもの。けれども、ほんのちょっとでも、そんな言葉の力を知る人、というのが世の中に出てきた、としたら、言葉の力、というのは、自分が恐れや感情やそんなものにとらわれなくなった先にある真の強さと望みだとは思います。そんな言葉の力に気づいたら、非常に良いほうには向いていくでしょう。真に、「こういう事でこうしたい」という願いが純粋であるときにそしてそれに伴って動くときには、奇跡が起きます。そんな経験はしてきましたし、そしてその、「本当の願い」に触れる感動を生み出すことはできるのです。近日、さらにこういう経験をして、面白いな、と思います。ああそうなんだ、、、そうだったんだ、と非常に納得がいったのですね。ーーーーーーーーーあなたの本来の力に触れていくセッションです。かなり深いところに触れていくと思います。http://www.acoreading.com
2016.12.17
先日、一番下(10代後半)の息子がセッションをしてほしい、というのでセッションはとても楽しいんだけれど、素晴らしいんだけれどまあ人様のことは、許可なくかけませんしね。息子のことですと、かけるわけですし。でも子供達だといつでもできる、というのがあって10分程度でザクッと行ってしまうのですけれど。それで、息子のことで書いていくと、彼はパーティーに出たんですが、そののち、そのパーティがものすごく楽しかったらしいんです。しかし、その後、意味なく落ち込むということなんで、筋反射、それから彼からの会話、さまざまな質問(コーチングでも質問を大事にしますがACRも質問を大事にします)をしました。ものすごく不思議なものが最後は出てきました。聴き方としては、彼から出てくる言葉だけを追っていくものです。それで、彼の中に、いくつかの「気分」があるんですって。パーティーでは、すごくすごく楽しかった。ということで。すごくすごくたのしい、気分がよい、というもの。これが一つの気分。それから、すごくぼよよん、としているとき、ぼっーーっとしているんですって。そして、気を遣っているとき。すごくアルバイトなどでは役に立ちます。この、ぼよよん、としているときに彼は関心を持たれるらしく、彼って不思議で優しさが表面に出ています。そのため、絶対に人になつかない動物がよってきたり、常に女の子の友達たちがいて(安全そうだから)、バレンタインにはいくつかチョコを持って帰ったりもします。余談だけれど、手作りチョコは申し訳ない、と思うらしく、「せっかく作っていただいたんだから、俺が全部食う」と頑張っておられるご様子で、指をくわえてそばに立っている、ああ虚しきかな、母。だって、すごーいきれいなんだもーん。おいしそうなんだもーんさて、話を戻しまして、で、このバランスがどちらかに偏った時に、意外に落ち込むみたいで。このパーティーでは、すごくすごく楽しかった、というのに偏りすぎたようです。まあ彼のバランスですね。そして最後にこのバランスを取ればいいという話になりバランスが、完全に取れているのが、セッションをしていると気が付いたのが、ピアノを弾いているときだそうです。それに気づいたときの彼が、「あっ!」という感じで実現を出来ないと思っていたことが実現を出来ていたのに気が付きました。楽しい時には楽しさしかなくて、ぼーっとしているときにはほーっとしかしていなくて、ここは、双方とも彼のとても良い状態なんでしょうけれど。ピアノを弾いている時には、緊張なく楽しいけれど、という状態だそうです。楽しい時、というのは、緊張度愛も高く、興奮度合いもたかく無理もしているのかもしれませんね。躁鬱、なんて現象も人によってはあるわけですしじゃあ、バイオリンはどうなのか、聞くと(近日から希望でバイオリンを習い始め)バイオリンは、「壮大」「荘厳」ということだそうで、それを言葉に表したいので色々探したら、なんと、じりじりとする怒り、というのが出てきました。「ねえ壮大なのが、じりじりとする怒りみたいなんだけれど」と聞くと、「あ、わかる、わかるよ!!じりじりとした怒り、荘厳な感じ、そうそう」ということで、本人しかわかりかねるが、本人を本人に繋いでいけばいいのでね。私はわかる必要のないものの、すーっと落ち込みは引いていったようです。要は、常に言っている、あるマイナスの感情は、正しく使われたらエネルギーなんです。それだろうと思われます。何か彼の中にある、非常に感情の奥深くにある本質的な、情動、怒りのようなもの、その情動を動かすものがあって、壮大な音に聞こえるんだろうと思うのですね。まあなんとなく、バイオリンのあの音の深さは、ピアノの繊細さよりはもっと根源的な情動を動かすものなので、わからなくなくもないです。なお、彼は、幼少期、非常に大変だった子です。セッションで助けられたところが、大いにあります。はてさて、彼にあるこの4つの感情、楽しい、ぼよよんぼよよんで楽しい、荘厳、を、どう使えばいいのか、というのは、後のお楽しみ、ということでー http://www.acoreading.com
2016.12.15
子育てで、ちょっとこの子、おかしいんじゃ、と思うこともあるかもしれません。一回それを、個性として受け止めてみましょうか。近年、アスペルガーや学習障害も、個性として考える、という向きもあります。アスペルガーの方々の中には、非常に高い学習能力をお持ちの方もおられるわけですし、私はここら辺は、専門家ではないので、専門家にご相談をいただければと思うものの、お子さんは、それを個性だから、どう生かし、どういうときにはどう注意をさせるか、どういう道具をつかえば、その子はより生きやすいのか、というのを具体的に考えていくと、のびのびしていくお子さんもおられます。お子さんのセッションは、ちょっとしたことを変えれば非常に変わっていくので、非常に楽しいんですね。こんなところはいけないのでは、と、直そうとすると、その焦りはお子さんに伝わるもの。しかも何にも問題がないのに、お母様だけが焦っているということもあります。これが個性だ、、と思えば、どうやって日常の中でその個性をうまく整理できるか、ということを考えるという事に変わっていくでしょう。ちょっと困ったことがあれば専門家とご相談をされるのも、恥ずかしいことではないです。その子のことを理解したうえで、どう伸ばすのか、という具体策を知ることは役に立つことでしょうから。http://www.acoreading.com
2016.12.15
この、上司がこうする、相手がこうでわかってくれない、こうだからああだから、というのは、あなたの細胞レベルの中に入り込んでいる、考え方の癖です。細胞レベル、と言ってしまうと、遺伝的な物事の考え方とか家族歴も関係があるからです。考え方、というよりも、非常に強い、感情の癖で、しかも何年もかけて強化をされてきたものです。こちらに引っ張られないこと、というのが、人生を開く方法で、ここに引っ張られない方法というものを、少し、Commitment and Acceptanceという心理療法などがあり、その心理療法は瞑想なども使うのでそういった考え方について、かなり詳しくは前回の引き寄せの方法でお伝えしています。また、マイナスの感情は、変化をしてよいものに変わっていくものでもあります。ですから、「すんごい上司がいやだ」というエネルギーが、本来のあなたであればなにに使われるかなぁ~、というのも、前回のセミナーではお話をしました。二つが微妙にリンクをしていて、自分がとらわれる強い日常の感情にとらわれないと自分本来の創造性などそちらにエネルギーが使える、とも言えますし、自分が創造性などを使って、マイナスの気持にとらわれないようにしようとするとそちらが開くとも言えます。双方向からのアプローチがあり、そのアプローチは、自分の心にあまりにとらわれすぎている場合にはマイナスからの整理を、(潜在意識の何とか、という方法)もうここからではないと、とらわれすぎていて大変です。しかし、自分がよりプラスにコーチング的に向かっていきたいのであれば、創造性を解放する、などがありますが。ACRでは双方向を使っていきます。でセミナーで皆さんに気持ちの整理の方法と実際に何ができるか小さな目標を立ててそれらをし続ける、方向があっているといいことが必ずすぐに起きる、という話はしました。それと自分のこころのメンテナンスと維持。ここが最もテーマになるかな、と思います。それと自営で成功をする場合、考え方と、それから、経験則が必要です。経験則、というのは、「何をしてきたか」ではなく、それらの経験から「一体本当の意味で私は何をしていくのか」という、経験に基づいた頭だけではない方向性です。これについては、機会があれば、話します。ーーーーーーーーーーーーーーーー囚われを解放をしていきます。http://www.acoreading.com
2016.12.15
仕事で絶対にお金を引き寄せる私自身は、いろいろ引き寄せてきたほうです。それで、今回はお金のことについて、お話をしていきますね。まず、お金を引き寄せたいときに、その方がどういう状況から始めるのか、ということもあります。それで、引き寄せない例、なんですが、「未来にすべてをかけている」という人は、引き寄せられていないです。たとえば、「宝くじが当たったら、自分の状況は変わる」とか、「お金持ちと結婚をできたら、貧乏から抜け出せる」みたいな考え方。今に根っこがなくて、未来を望んでいくのではなくて今も楽しいと思えるようにしつつ、未来を望んでいくか、今がいやなエネルギーをマイナスではなく、頑張るエネルギーに変えるかです。この考え方がなぜ引き寄せないか、というと引き寄せはかなり、自分と予測をしていない方向で現れます。方向を決めすぎているから。それと、依存的。陰に隠れているそういう方法ではないと、幸せになれない、と思い込んでいるなにかもありそうですし。そして今がいやだから、というとらわれがあって、うまくエネルギーになっていないと無駄な動きばかり(本人は全部必要だと思ってやっておられるけれど)ばかりしています。だからいつも未来のために頑張るんだけれど、うまくいかないことが出てきます。「今」というものを受け入れていない人は、「今の自分はダメで違うんだから」というのが必ずどこか心にあります。こういう潜在意識があると、今、せっかく直観ができることを指し示してくれていても、ちょっとその声は絶対に聞こえない、という残念なことがおきます。「今」というとらえ方って面白くて、「今あるようにふるまえ」というのはよく言われるんですが、それも引き寄せの原則です。でも今あるようにというのは、「今、お金があるかのように、一流ホテルに泊まって良い服を着て」というのとは、ちょっと違います。豊かさの気持を持っている、というのに入りたいからそうするんですね。そういう方法を教えておられる方もいて、これはこれでそういう雰囲気になってそれになじんでいく、という一つの方法ではあるのですしうまくいく方もおられるとは思います。 しかし、今ある環境の中でも、そういう環境の中でなれている自分と同じように行動をする、ということが基本ではあるのです。 自分が理想的な状態にいたら、創造性を使っているのが楽しいのであれば、小さな一部分でいいので、制限をされた環境の中でも文句を言わず愚痴らずに、(文句を言って愚痴ってもいいから、とにかく、想像力を使うほうに気持ちをシフトをして)その中で創造性を使っていれば創造性を使う仕事にいずれシフトを必ずします。これはおもしろくて、本当にシフトしていきます。24時間のほとんどが何に費やされるか、です。いやだこの会社、こういうのがいやだ、といやなことばかりを考えているのかそれとも、自分が使いたいものを使っているのか、です。本質的な部分で自分があり続ければ、それに伴っての変化が起きます。ただし、先ほど言ったように、急激に何かが変わるというよりもいろな問題を適切に整理をしながら変わっていくという方向になります。すぐに引き寄せがはじまるんですが、問題は維持のほうです。維持さえさせていけば、なにかはおきていきますが、維持がすごく大事になるとは思います。しかし、ここにすごくその人たちが引っ掛かりやすい問題が派生をします。感情的にすごくとらわれやすい方向があるのです。上司が馬鹿で、と思っている人々は、絶対にそちらの気持にすごく引っ張られて、(そういった感情の渦の渦中にある方々はすごくよくわかると思いますが)創造性を使うどころの騒ぎではないです。続くーーーーーーーーーーーーーーー囚われを解放をします。http://www.acoreading.com
2016.12.15
交渉をしなければならないときには、感情的ではないほうが、うまくはいきます。自分が最初からこの主張を通すと思いすぎていると、喧嘩腰になります。、相手が弱気な人であればいう事を聞いてくれることもあるかもしれませんが、強気な人とであれば、もめてしまって余計な手間がかかるものです。これはこういうほうに持っていきたい、という前に、状況の把握に努めることは大切です。じつは最初から意見を通そうとするよりもどういう状況下を把握してから伝えたほうが、ずっと伝わるものなのです。どういう状況下を把握する前に、「ここは絶対に言ってやる」と思うときの意見って一方的過ぎて、うまく通らないことがありますから。「相手がこう間違っていて、こんなふうに違うじゃないの」という感情が強すぎれば、相手からすれば、筋が通っていないことを意地になっているようにしか、聞こえないという弊害もあります。誰だって、時には喧嘩をすることだってあるでしょうし、感情的になることがつねに間違っているとも思いません。しかし、時には、最初からここを通すと意地にならずに、冷静になって、相手が言っていることはなんなのか聞いてみようとしてみてもよいでしょう。そうやって耳を傾けてから、主張をしても遅くはないものです。耳を傾けると、どこを突っ込めばいいのか、どこを共同の目的地にすればいいのか、作戦だってたてられることもあります。自分が冷静になれないときには、双方の意見を聞いて仲介をする人がいてもいいでしょう。http:.//www.acoreading.com
2016.12.14
私のセッションって、意味がわからん、というときも最初はある、と思うんです。でもご自身が変わってくると、ああここが変わるんだ、とわかっていく、というか。で、この、過去の記憶の扱い方は独特です。トラウマのあるところを扱うのではないからです。だから小さな「え、なに?」と思うところをいじって意味がわからないけれどなにかほっとした、このときにも、いろんなことが行われています。それで、限界、というのは、その人がつねに生み出すものというのは同じだから、そこから抜け出られない、という意味に思います。そして,限界、というのは、なぜあるか、というと、その人が変わらないからです。それで、例えば、限界を超えるのであれば、今迄良いと思った考え方さえ、光を当てないとならないかもしれません。たとえば絶対に絶対に絶対に、完ぺき主義でそれが今まで自分のよい世界を築いてきた人であれば、それを抜くのって恐怖です。意味が分からないです。でも例えばですが、その人は完ぺき主義で今まで来て色々学歴も高いし、という人が、なにか、発想が凝り固まっているのであれば、潜在意識は(私のところは筋反射≪キネシオロジーという学問です≫と話し合いとで見ていきますが、ひょっとしたら、完ぺき主義、という考え方がすごく潜在意識にあってほかのことが見られないことが原因であれば、これは緩めます。「これとこれとこれをしてほら次はこれで、ここはきちんと見て」という手順とかが、無意識に自動的に脳に凝り固まっていて、そしてもう自動的にそこばかり必死になるのだからほかのことが思い浮かぶはずがないです。思い浮かぶはずがないんです。なので、それまでは助けてくれていた資質も、限界を超えるときには新しいものにちょっと変えないとならないのかもしれません。そのように、今は一例だけれど、一件よい、と思う考え方がどこから組み込まれたか、というのさえ見ていくのだからそりゃ、全然ご本人が思っていたのと違う内容です。でも人って面白くて、無意識に答えを知っているから「ああ、なんだ、そうなんだ、◎◎なんだなー」と新しいことも受け止められてほっとすると、すごく色々見えてきたり楽になったり、答えの方向って納得がいきますし、ちょっと幸福な気分になります。そして、頭で絶対にこうしないとではなくて、「事実が」しっかりその人に見届けられるようになります。なので、限界を超えるのは、「自分にとっては絶対に常識でこれは正しい」と思っているものをちょっと見直してそこから新しい力を、という事は、言えるかもしれませんね。たとえば、「愛されることはこんなに素晴らしいこと」というようなストーリーが苦しい過去から反対に出来上がっていると、相手が自分を大事にしてくれていても、わからないです。ストーリーからしか、愛を読み取れないということになっていてそれが、この行動をしているからどう?ああ?と聞かないと不安だということですね。そして、なにかあるたびに、「どうしてこんなふうにするのよ」という怒りしか感じ取れないです。なので、愛されるのはこんなに素晴らしいこと、という勝手なストーリーの裏側にある、「愛されていないのがこんなに不安でいやだった」という経験とか、怒りとかを軽減をすれば、ストーリに頼ることなく、事実が見えて相手がしっかりわかっていってコミュニケーションが取れたリ、ですね。今ある、絶対にこれが正しい、と執着をしているやり方や前提も切り崩して新しいものを作り出す力を持ってみてください。それが限界を超えるコツなんではないかな?http://www.acoreading.com
2016.12.14
愛、というのは、努力が必要です。そしてそれは、「愛される努力」ではないです。愛される努力は、ひっかける努力になることもありますしそれであれば、長続きはしないでしょう。大事なのは、デート代を払ってくれるかどうか、みたいなみみっちいことではなくて、ちゃんと関係ができたら、維持を出来る能力があるかどうか、です。また、人格が安定をしているかどうかも愛せる能力、やお互いを大事にできる能力、と関連があるのです。人と人として、やっていける成熟度愛です。そういったことは、ある文化圏では、きちんと教えるところも見受けます。男性と女性が違う、という理解のもと、ちゃんと愛情を定期的に伝えたり、常に女性男性として、定期的にデートをしてみたり、そういった、相手を見過ごさない努力がお互いにあって、あたたかさをはぐくむことができる、という実践的な教育はなされたほうがよいのかもしれません。もし愛を、相手から勝手にわいてきて、ずっと私が大事にされるもの、と思っているとしたら、そういう人々って常に不満ばかりを抱えていたりします。人によっては、恋愛依存になって、結婚後に夫や妻以外の人に恋愛をしているでも不満、という方も、近年、非常に多いです。愛は勝手にわいてくると思ったので、夫婦で恋愛ではなく家族になっていくときにうまく乗り越えられないのかもしれません。たとえばなんですが、ルームメイトと必ず問題を起こしてしまう人、この方々は、どんなに情熱的に愛されても、一緒に暮らしてうまくいっている例を見たことがありません。相性、というものがあっていても、結婚後何年かで喧嘩ばかりしていたら、最初にあったはずの愛さえなくなります。トルストイは、そんな人生を送った人でした。彼はお金を稼ぐことよりも、立派に生きることのほうに関心がありました。でもそれを嫌がった妻は、非常につらくトルストイに当たり散らします。なぜもっと有名になろうとしないんだ、なぜもっと自分たちのことにお金を使わない、と鬼のようにトルストイに迫ります。その姿は、悪妻、と評されることが多く、その中で、トルストイは完全に妻への愛を失います。愛していた妻、老いて完全に愛を失ったとき、若い時、自分を愛していた時の、彼からきた手紙を読んでほしい、そう妻にせがまれたトルストイは、その手紙を読みながら涙します。自分の中にあったはずの愛、消えてしまった愛、もう二度とわかない愛それに涙をするのです。そんなことで、彼は長年一緒に暮らした妻から離れていきます。彼は自分が去った後に妻からきた手紙に返事をします。その手紙は、戻らないならば、自殺をする、といった脅しのような文章でした。それに対して、トルストイは、あなたが、自分のエネルギーを私を戻したいとか、私をどうにかしたいではなく、(そういうやり方がこの関係をこわしたのだから)あなた自身がきちんと自制心をもって生きられる工夫をしないのであれば一緒にいることは、私の生を否定することです。そこを見直してほしい、と切に訴えるのでした。彼にとって忍耐に忍耐をして、この妻といたけれどこの妻に否定をされ続けることは、生きることのすべてを失っていく感覚はされたようです。経済的な安定はとても大切なものですから、もっとこうしたい、という事自体は悪いことではありません。しかし、この、人として立派に生きたい、という彼の生き方はかえようもなく、そこに妻がついてきてくれていた、としたら、彼は妻を愛し続けた可能性は高いでしょう。例えば生活をできていたのだから、この人のこういうところはあきらめよう、と思っていたら彼女は非常に愛されたには違いありません。あるいは、彼女が、「もっとこうしたいな、ここはこうお金を貯めてそして、ここはあなたがそうしたいならば、すれば」といったように、理解を示せば話し合いの余地もあったのかもしれません。自分のほしいものを力づくで奪おう、自分のしたいほうに彼がすればいいという考え方を捨てて、双方の要望のバランスをとる、そんな知恵を使えても、彼女への愛は失われなかったことでしょう。愛は育てるものです。どんな夫婦でも、どんなに仲が良い夫婦でもちょっとしたボタンの掛け違いはあるものです。そしてそれを、どうかけなおすのか、あるいは何段も掛け違えたのであればああ、不器用なことしちゃったね、と掛け違えたボタンをいつくしみつつ、不器用ながらもお互いに手を取って上手に下までかけていく工夫をするのか、そんなことで、愛は続いていくものでもあるのです。愛は、愛を生みます。思いやりは思いやりに返ります。愛は、卑屈さや犠牲、おそれではありません。こうしたらこうなってしまう、という卑屈さや、私さえ我慢をすればいい、という犠牲の精神ではなく、本当にこれが未来を創りだすと思う、よいと思うそしてそれについてしてみて、変更をして、というやり取りがあればその関係は確実によくなっていきます。誤解をしないでください。愛は、卑屈さではありませんから、相手の要望を何が何でも聞くことでもありません。しかし、トルストイの妻のように、憎み、押し付けていても手に入らないものは、確実にあるでしょう。夫婦の関係で愛を生むものは、なによりも忍耐。私は多くの、仲良しさんおてて繋ぎ 老夫婦からこの言葉を聞きました。何十年も寄り添い、仲が良い夫婦は、悪い意味で忍耐をしているのではなく、いやなところは目をお互いにつぶりつつ、良い点を伸ばす努力という点で忍耐ができる夫婦でもあるのです。忍耐、それは、がまんをする、という意味ではありません。関係性において有効な忍耐は、「こんなところがあるねえ。やんなっちゃう」とため息をついて、さあこの人といようかな、とあかるい日差しに向いてする、決意のようです。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーあなたの関係性がうまくいかないのは、思い癖、感情癖があるからです。そんな内面にもう一度触れてみます。通常セッションでは関係性が複雑な場合、周りの人との関係性がよくなっていったりもします。そのうえで、大事な人へのストレスが抜けていくと、関係が変わることが多いです。http://www.acoreadin.com
2016.12.14
先日、なにかほっとするイメージをしていたら一人でほっとできるようなイメージがでてきたので、「一人でほっとしてはいけない」と思って逆に誰かを入れた、というかたがおられたんですが私セッションで常に思うんですが、無意識というか感情に嘘は通じないです。だから、ここまで行けばここが変わるな、というのは想定できます。ただし、潜在意識や行動が変わろうとも、その人が一生持っている課題はレベルを変えてはやってきますが、それにとらわれないとよい人生はおくれます。で話を戻しますが、たとえば赤ちゃんの時に寂しかった、として、その人がお母さんに抱きしめられて愛を感じる想像をして、それが全然ピンと来ないならば今のところ、それは答えではないです。それをいくら誤魔化してやったっていや時間をかければ大丈夫かもしれないけれど、私はそれはしないです。それよりも、例えば赤ちゃんの想像の時に、お母さん嫌いだな、と思って離れてみたらすごくすごく気分がよくなった、、としたらそちらが答えです。気分がすごくよくなるというか、ああそうだったんだと何か悟れる方向で。これが出てこないことが多いのでまずセッションではそこが出てきてもよいというように許可を自分に与えて出せるようにしていっています。が。とりあえずそんなことになります。不思議に思うでしょう?頭は理論から外れるのを怖がります。しかし感受性は、ちゃんと答えを教えてくれます。そうしてたとえば、「お母さん嫌いだな」と思って離れるのはたとえば自立の象徴だったり、なにか選択を自分でできる象徴だったりこの出来事が素晴らしいのではなくて、なにかの象徴なんです。そうやってその力を取り戻した安心をした先に、愛情があるのですが愛がないと怖い人ってそういう想像を恐れます。で、先のイメージングですが、一人がすごく好きなのであればそれを誤魔化しては、関係性はできないです。一人がすごく無意識に好きなのであれば、それをごまかして人といようとすると葛藤になったり、そもそも誰も引き寄せたリ関わろうとしなかったりして、夢ばかり見ているような、そんなことになります。でもそうではなく、ちゃんとああ、一人がほんとすき、こういうのがいい、自由がなくなるのはいやなんだ、とわかっていけば、それが十分に無意識なレベルで受け止められていくと(理屈ではなく)、初めて「だからさあ、私はこういうふうに人といられるね」というのが無意識レベルでわかっていきます。たとえば先に、勝手に景色が変わってよくなっていったのだとしても不安がれば、不安を無理に変えるのではなくて、なにかそこに見落としがないかを丁寧にしていくと先にあるものがわかったりします。この、意識はしていないレベルでの本当の人とのかかわりかたってそのまま実現をします。だから、お父さんとお母さんの関係に似てくるしそれを変えるのに、私はイメージと記憶と感情を使います。だから、一回いやなものは、ちゃんと受け止めてみれば?そのうえで作り出したいものを作り出せることを考えないと。ね。いやだから、私はこうなのよ、ってある部分を否定をしていたら砂の上に、お城は建てられないのですからーhttp://www.acoreading.com
2016.12.13
こんにちは、これは、「自分が本質のほっとした導きの声を聴きたい」というご質問もあったので、少しそれと関係があります。あらゆる関係性の中で、「すぐにすぐにすぐに、回答がほしい」という場合もあるかもしれませんね。なのに、なにか質問をしてもかえってこない、という時には、いやですよねー落ち着きませんよね。さて、皆さんは、時間の魔法 (命名私) というのを、ご存知ですか?これは本当にあって、時間の魔法を操れる人ほど、特に深い関係では、お互いの関係をよくすることができます。相手に余裕を持たせてあげられるので、ほっとできていくからなんですが。その魔法は、「相手に時間を与えられる強さ」という魔法の杖があって初めてかけることができる魔法です。友人にしろ、家族にしろ、大事な関係であればあるほど、あるいは、大事な問題であればあるほど、答えることに、躊躇をすることがあります。怠けているように見えても、回答に届くまでに、こころの余裕と時間が必要なときもあります。というか男性の場合だと、いったん問題は保留にしておいて、時期が来たら取り出す、みたいなことをする人は多いです。(ジョングレーのゴムバンドの理論もそうですね)それに、大事な関係であれば、それを真剣に質問をしたら、時間をかけてでも、返ってくることがほとんどです。だから、大事な関係ならば時間がかかろうと関係がありません。ただ、時間を待たないとならないことがあります。すぐに答えられないことがあります。いったんは保留をして無視みたいなこともあります。忘れていて、大事なときに、そうだ、あの人こういっていたな、とふと思い浮かぶまで、熟成をしないとならないことも相手にはあります。うわーそれが相当に長いこともあるかもしれません。それで、期限を決めてやってもらう、というのだってとても良い方法です。しかしそうもいかなかったり、答て答えて、というほど、自分が切羽詰まったりするのだれば、それはその問題を考えすぎている、自分が自分を追い詰めている、というときでもあるのです。そうやってあいてを追い詰めれば追い詰めるほど、距離が離れることはよくあるもの。良かれと思って必死に食い下がるのに、回答がでない、というときには、せっかくです。自分を見直してみましょう。そもそも、何を聞いても答えてくれない、としたら、その関係では、距離があって、あなたが望んだものではないのかもしれません。あるいは相手には、問題ではないのかも。だから、答えてくれないならばいいやあ~というのだって回答ですし。そう思えると、もうその女性はかなり魅力的。年上の女性がある男性に好かれるのは、そういった余裕という場合もあります。クライエントさんたちの中には、待てないストレスを解消をして待てるようになったことで、関係がよくなっていくことを経験をされる方々は多いです。たとえば夫婦の場合。「なぜこれやらないなぜすぐしないなぜこれをこう改善しない、はい、お答えは?」みたいなことをしていた人が彼がどう感じて、どうすればいいのかわかったら、すごくいう事を聞いてくれたこんな場合もあります。そう考えると、「回答は?回答は?」と考えるよりも「回答がないと怖い、焦っている私とのお付き合はどうする?」というように、感情と付き合っていったほうが、後々よいことはあることでしょう。◎ 気持ちの整理の方法「答えてよすぐに答えてよ」という自分に気が付くそこから行動をしそうになったら(してもいいのですが)「あ、感情が操っているな」と知っておきます。どれだけ、早く早く答えてよ、焦ってる、そうしないと怖い、なにか起きるんじゃないかという感情があるか感情がある、自分を認めます。すぐに思考が「だってこうしないと」「今こうしないと」「あれをしないと」とすごい勢いであなたを押してきます。この、押されてする行動が、今の関係性を生んでいる行動そのものです。ここがすごくすごく強烈で、皆さんはここをとどめることが出来ずに操られていきます。この思考と操られてしまうことが、今のすべての現状を生んでいます。喧嘩をしないとならないと思って喧嘩をするのであれば、こういう場合には敵で絶対にけんかをしないと、となっているので、そういう喧嘩を出来る相手と出会うようにしてくれていますし。この、偏りが大きい人ほど、人生がなかなか難しくなっていきます。それらに操られなくなって自然と起きてくる行動はとってみてください、関係が改善をしたり、すごく面白いですよーたとえばいった先で出会うとか、なにかがあるとか違うものが生まれるとか。ちゃんと言いたいときには言って喧嘩をするんだけれど別の現状がうまれるとか。経験は簡単ですが、後は維持の方法がそちらが課題です。-------------------------------というのを、今回の引き寄せの講座ではお伝えしましたね。1月10日の関係をよくする相対学では、自分と相手との違いを知ります。今の問題が、個性の違いからくる、としたら、相手のことを理解しやすくなりますよね。http://www.acoreading.com
2016.12.13
子供が片づけをしないときに、「どうやって片付けるのー?」と聞けばいい、というのは、フランス人は10着しか服を持たない、の作者、ジェニファー・スコットが教えるとても良い方法です。「どうして片づけないの?」といえば子供はいやになり、「どうやって片付けるのか教えてよ」という言葉だと生き生きと自分でやってみせてくれるのです。でも、これは大人でも一緒です。どんなにそれが間違っているか指摘するよりも、その人自身が、どうしたらよいのか考える質問をしてさしあげればうまくいくものですし、しかも相手から、やる気になる質問であればよりうまくいくこともあるでしょうからhttp://www.acoreading.com
2016.12.06
先日、独立している息子が家に遊びに帰ってきて、その姉である私の娘が、「なにか(弟が)すごく変だ、なにかが変だ」と帰ってからいい始めていました。彼自身に自覚はなく、ただそういった人様の体調不良を娘は敏感に感じ取るために、息子にも注意をするように言っていました。その後、息子は、おなじみの美容師さんから、ストレスの脱毛があって頭皮も硬くなっている、と言われたそうなんです。そのため、自分では自覚がないんだけれどストレスがあるのかもしれない、と言ってきたので、再度おうちに来た時に、セッションをしました。すごく面白いセッションだったんですが、最初にまず、年齢が下がれずにいて、ずっと現在の関係者を追っていっていました。次第に自分ではいやだとは感じていなくても、いろいろいやだと感じているのではないかしかし感じ取りにくい、ということが、読み取れていきました。その際、私は、こころの麻痺と、何らかの関連があるな、と私は思いました。おそらく自分がおもった以上に、その人との関係で傷ついている一言があったのに全然感じていないような、そんな感覚です。こころの麻痺があるときは、別に悪いことはあまり感じないんです。ただ体に不調が現れたりします。そしてようやく年齢を下がると、彼は毛虫をわざと踏んだ5歳の場面を思い出し、その時に、こころを閉じ込めてしまった感覚を、かなりはっきりと感じて、涙が流れました。(なきっぽい子ではないです。強い子ですどちらかといえば)みなさんは感情を勘違いすることが大きく、とても大きな感情を感じているから感情を感じている、と思います。しかし現実には感じていない感情の、しずかで、豊かなほうこそを感じる必要があると私は思っています。このような繊細な感情を感じて、なにかが大きく動くことを、カタルシス、と心理学では呼んでいますが、ACR(私が創設したセッション)では、自分の本当の感情に触れた瞬間だと思っています。さて、この彼の表現では、「え、驚いた、なんだこれ、僕、このときに魂が死んだんだ、一部が死んでしまったんだ」と、静かに涙ながらに言っていました。死んだという表現は大げさですが、要は魂の一部を閉じ込めたのでしょう。彼がこれに気が付けば、もう自分自身の繊細さを取り戻していきます。男の子を育てるとわかるのですが、どうしても虫などを踏みつけたリすることはあります。だからそれそのものが、さほど悪いのではなく、生育の過程ではあり得るものだ、と思います。しかし問題は、自分が毛虫をかわいそうだと思った気持ちや、命を奪った悲しみをきちんと感じて処理を出来なかったことに思います。それらを感じずに、閉じ込めてしまったことが、なにかの偏りを生んでいたのかもしれません。一見何でもないものが、現在の問題を呼び、現在の問題は整理のために一つ一つが現れている、という考え方は、スピリチャルでもあるのですが、それらは、心理の面からいっても、あながち間違ってはいないです。。それを思うと、人を殺してしまうということは、なんと恐ろしいことなのか、と思います。自分の心を麻痺させたとき、人はとても残虐になる、と言われています。さらにまた、一人を殺してしまったとき、罪悪感がなければ止めどもなくなるものだとも聞きました。自分の優しさや繊細さを閉じ込めたとき、その苦しみは、実はとても大きなものなのです。その不自然さに打ち勝つために、人は残虐になることがあります。羊たちの沈黙、という映画を私は見たことがありませんが、ある方によると、この心の麻痺を語ったシーンがあるそうです。だんだんと何も感じなくなり、そしてやがては、残虐な行為の時だけに喜びを感じる、ということでした。私はすべての人々が、こころの豊かさに気が付くことを望んでいます。そしてそれが、どれほど豊かでるのかを、幸せであるのかを知ってほしいと願っています。こころが豊かである、という裏側は、やはり傷つく心も持っていることだと思います。麻痺をさせたら感じないかもしれない悲しみも、責任を負う生き方に思うのです。傷つきながらも愛そうという意思や意図があってはじめて、傷つきながらも謙虚に、しかし強くいようとする意思があって初めて、人は、麻痺をしない生き方を選べるのかもしれません。けれども人は、やさしさと、そして愛と、それらがあるからこそ感じること、傷つく心の痛さと、そして愛する者との別れと、それらをきちんと感じて乗り越えていく生き方を選び取ることでしか真の意味での幸せ、という意味を知らないように思います。http://www.acoreading.com先日、海外にお住まいでスカイプで対人関係のセッションをしたところ、不眠が収まったとのことでその連絡をいただいた方がおられ、とてもうれしく思いました。そのことをブログに書いてよいか伺ったところ、よいとのことでした。ありがとうございます。彼の頭の固さや、脱毛はげも、この感情が動けば癒されていくことがあるとは思います。
2016.12.06
なんだか件名で、B’zの歌みたい、とコメントしてくださった方がいて、途端に楽しくなってきちゃいました。そんで今回は、なんだかねー意思がない彼。だけど文句も言わず、なんとなく一緒にいる彼。時々、意思がないのが意思、というかたがいて、その個性はわかりにくいかもしれませんね。お子さんでもいらっしゃいますよね。こっちでいい? あーいいよぉ~あっちでもいい? あーいいよぉ~遠慮しているんじゃない? べつにねえ、ちゃんと言ってほしい、 えっとあなたにしたらつかみどころがないんでしょうけれど、時々、本当に自分にあまり(そこの部分には)意思がない人がいます。まあ潜在意識とかたどればあるにはありますよ、でもそこを無理に出そうとしたって、今はその生き方なんで、うっとうしいだけです。ならば、ここ行こうかぁ~ あーいいよぉ~そこはどう? ああいいよぉ~となんとなく乗ってくれれば問題ないです。そしてなーんとなく、行ったし次回もついてくるなら、それは楽しいという意味なんだから、ごちゃごちゃ考えないことです。そうするとバシバシ決めない人は、意思がないのコンプレックスあるからねすごい一緒にいて楽です。 複雑に、「彼はどう思っているんだろう?何かいけないのかな?こうでああで」と考えられても、聞かれても、相手には、「なんで一人で悩んでるんだろぉ~」とますますぼんやりしますしね。子供であれば、「決めろ決めろ、はっきりしろ」といって圧力をかけると益々決めるという事が負担になります。なので、選択肢を狭めて穏やかに聞き、決められないことを責めずに決めてあげて、それからすごいゆっくりでも、決められた時に、それは必ず受け入れてくと意思が出てきます。時々お母様が何でも決めちゃっている場合、お子さんが面倒なんで意思を持たなくなります。というお子さんたちを解放したことがあります。意思を持てるようにはなりましたがそしてもし、大人であればそんなふうに穏やかに聞いているうちに、何らの意思が(相手から)出てきた、としたらじっくり聞いてあげることです。http://www.acoreading.com
2016.12.03
うちの子供たちは、ひじょーに仲がいいです。女の子、男の子、まぜまぜで3人ですが、集まると頭こちょこちょくっつけていたりします。そんなんで子供たちの友達が家に来ると、「なんてファミリーな家族なんだ」と言われたこともありました。かといって、外にいって自立を、とも思ってもいるので、男の子たちは、間違いなくかあちゃんよりも、奥さんを大切にするということは、あるでしょう。それが、健全な男子の姿でもあるのですしね。それで、仲良くなるには、まず家族が平安であることと、それからもう一つ、親が何かの価値観でその兄弟を比べないというのも、重要であることのようです。もちろん、出来がいい子とか性格などで、親御さんはそれぞれ違う対応を子供たちにすることでしょうけれど、しかしそれがあまりに極端になると問題です。兄弟同士での絆を感じる前にライバルとしてや、ひがみがある気持ちで兄弟を見るという事はありえます。残念なことなのですが、兄弟であまりに争い事が多いおうちですと家族中が争っていたり、あるいは、兄弟のどちらかだけを優秀で、後はいらない子、といっていることもあるのかもしれませんね。子育てはストレスがかかるもの。ましてや自分の期待もお子さんたちにかけることもあって当然で、出来が悪いと、なぜできない、といいがちなこともあるとは思います。しかし、どこかでその子も認めてあげないと、後々家族を離れていくという傾向はあるように思います。そんなことは、ちょっと知っておくとよいかもしれません。何処かで争いを見せていた子供に、自分だけに優しく、と老後いったところで難しいことはありえるものです。http://www.acoreading.com(親から習ったことは再現率が高いです。たとえば長女で自分だけかわいがられて妹はダメだとされたとか妹だけ極端にかわいがられて姉は憎まれていたなどの場合、なぜか再現をしてしまうことをよく見受けます。心理的な負担を減らすと、感情的になってそのような行動にでなくなります)
2016.12.03
ダイエットは体重計に乗ると、負担ではないですか?私は体重計を見ると、焦ってしまうほうだと思います。今は体重見たからって、どうこう思わないんですが、若いときに体重のことばかり考えていた苦しい時期もありました。過食おう吐なんて30年前にはなったこともあります。まあ自分で克服しましたが。その時のことを考えるに、体重で自分を追い込むと、数字に一喜一憂をしてしまって、食べても罪悪感とかがあったりして。すると、おいしく食べられないし、常に食べるものがどうのこうのばかり考えています。食べて満足をしていないわけで、何を食べても足りないです。そんな負担があって体重も減らなくなります。そうすると余計に食べてしまいます。そんな私なんですが、ウエストを測るのは嫌いではないので、今は、1か月に1度くらいウエストを測ったりします。私の場合は、1センチがおそらく1キロ、という割合です。これだと私の場合には、負担がないです。だから自分の体重知らないし、ウエストも、「アバウト」なんで、何センチかよく知らなかったりするのだけれど。測って、お、何センチだー、へへ、いいんじゃない?でおしまいな緩い感じです。なので、負担がない、あまり焦らないところで体重をわかるというのも手なのかもしれません。厳しいダイエットほどリバウンドするのはそういった心の在り方を無視しすぎているのかもしれませんね。でもいつからかなあ、めっきり、太らなくはなりました。でもまあ、こういう自己管理をするとかえって体重が減らないのって、女性特有であるようです。男性は太っているのがそれほど追い込まれた心境ではないので、すんなり管理をすれば痩せますが。心理的な負担が少ないんだろうな。私には三人子供がいますが、一人は、私の太る遺伝子をもっています。男の子二人は、太らないようです。一番下は心底誰が見ても、かなり、細長いので、ああ細い人ってこんなに細いんだなーと思います。もともと骨が太かったりするから、私は、そうはなれないけれどね。モデルさんとか、そうなりたいと思うと無理があります。でも、それでもいいな、って思えるから私でいられる気がします。わたしらしく健康な体重でいられたらいいな、ちょっと小太りになっても、そのほうが長生きをするそうですしそういうおばあちゃんもいいな、と思います。ダイエットに傷ついているとしたら、自分いじめをしない、長続きする、あるいはダイエットしていると気が付かない負担がないものにしてほしいと思います。自分にあうものを、自分らしくしていってくださいね。http://www.acoreading.com
2016.12.03
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