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ここは記憶の片りんです。
記憶の中に、南先生と、北先生がいました。
お年を召していらして、
とってもおばさん臭のある先生でした。
北先生はものすごく美人な先生です。
たぶんあこがれていたんではないでしょうか。
さて記憶の中をたどっていくと、
なんともないと思っていた北先生に冷たさを感じていたり、
なんともないと思っていた南先生に愛着を感じていたり、という事があります。
南先生は、その子があまりに忘れ物がおおいので、
赤いリボンを、確か人差し指に結び付けてくれたのです。
忘れ物は直らなかったけれど、でもそのリボンは
なにかの象徴として、記憶の小さな小箱にしまわれていきました。
そういった記憶の数々は、その子が求めているあたたかさ。
その子が今後、本当になりたい人物や大切な何かを
ぶれないように、おしえてくれているのです。
現在で迷ったことがあるときに、
記憶はさまざまなことを教えてくれています。
記憶は、自分が気づかないうちに
正しい向き合いたい方向を教えてくれているのです。
その子はやがて、仕事で迷いが出てきます。
その迷いは、過剰に情熱的なところへ行って仕事をするけれど
うまくいかない自分はどうしたらいいのか、わからなくなった、ということでした。
その子はやがて、記憶の中から南先生を好きだった自分自身を取り戻します。
きれいだと思っていた北先生に愛着を感じず
なんともないと思っていた南先生への愛を取り戻したとき、
その子は、自分が選び取るべき仕事を選び取ることができるのでした。
潜在意識の会話は、みなさんが思う以上に象徴的です。
イメージの世界で言語に上がらない世界です。
そして皆さんが思う以上に、潜在している、つまり隠れているのです。
その子が、北先生はきれいだと思っていたのに、
北先生には愛着を感じていないと気が付いたとき、
そして南先生には何か深いレベルでの愛を感じていると自覚をできたとき、
その子が選び取った仕事は、やはり華やかな、情熱的な仕事でした。
しかし今度は、前回と違って、
ぶれなく、周りからこの仕事がいいから、と勧められた声に
ごまかされることなく、ここはこうする、ここはああする、と
ちゃんと言える力を取り戻したのです。
きれいだと思った北先生に、自分は本当は愛着を感じておらず
しかしなんともないと思った南先生に愛を感じているのを知った時
彼女は自由に羽ばたける力を取り戻していけるのです。
記憶の中にあるさまざまな景色は、イメージの中で
言葉ではない美しい世界を奏でます。
そしてその世界を取り戻したとき、それはおそらく
自分自身がよいと思うものを自分で良いと思える
自分の世界と自分への愛を取り戻した時なのです。
なにかの新しい音楽が、その人の世界で開くことがあるのだと思います。
聞かなくなった自分の生命のリズムに耳を傾けるのだと思います。
その音を広げながら、その人の人生は豊かになります。
そしてその豊かさは、経験をした人にしかわからない深みを持っているものです。
年月を経て、その人たちは自分に戻っていきます。
これこそが、人生なのではないでしょうか。