もともと、英語に興味があった。なんでだろう?
小・中学生のときから、「英語を話せれば、世界中の国の誰かとコミュニケーションができるなんてすごいじゃないか!」と思っていた。あと、中学の英語の先生の授業の仕方がユニークだったのも拍車をかけた。授業にしょちゅうギターを持ってきては、ビートルズや英語の童謡を歌っていた。英語の授業がとても楽しかった。
英語をマスターできれば、、、、ジャッキーチェンと通訳なしで直接話せる!これもきっかけのひとつ。でも、最近になって「ジャッキーは英語は大得意というわけではなく、母国語は広東語」だと気付いた。もし、中学のときに気付いていたら、今頃はアメリカではなく、香港にいたかもしれない・・・(かも)。映画が字幕なしで見れたら、、、映画スターと通訳なして会話ができたら、、、そんな憧れが私を英語の世界にひきこんだ。映画字幕翻訳の戸田奈津子さんがそのときの一番の憧れだった。
高校は英語科に進学。これまた先生方がとてもユニークで、それぞれが趣向の凝らした授業だった。交換留学を実践している学校で、かならず各国からの留学生が数名いたし、こちらからも留学していく生徒がいた。初めての外国人との直接コミュニケーションとなる。
忘れもしない最初の一言。
最初の英会話。
話しかけようと、隣の席に座ろうと、、、
"May I sit here?" ”Yes!Sure”
通じた!英語が通じた!とてもうれしかった!
英語系のクラブに所属し、留学生をあちこち案内したり、一緒に遊んだり、地元の小学生たちとの交流会を運営したり、単なる英会話ではなく、コミュニケーションの道具として、実践で英語力をあげていった。
そんな中でクラブに所属していたメンバー7人のうちなんと5人が1年の留学に旅立っていった。学校の交換留学を利用して、アメリカ、オランダ、ブラジル、オーストラリアなどさまざまの国へ。クラブのならわし?で空港に見送りに行く。ひとりひとり見送る背中を見て、うらやましくてしかたがなかった。ちょうど受験の3年だった。受験勉強の合間に届くエアメールには楽しい留学生活を伝える内容ばかりだった。受験勉強で悶々としていたので、うらやましさは倍増。そして、帰ってきたそれぞれは、1年間とは違い明らかに大きく成長していた。海外生活はこんなに人をたくましく成長させるのだと思った。みんなそろって集まると、留学時代の共通の話題で盛り上がるが、その話にはもちろん入れない。
今は、仕方がない。うらやましいのだって仕方ない。
自分でお金を貯めていつか行こう!
これをする!っていうものを見つけたときに行こう!
憧れとうらやましさが強かったけれど、漠然とはしていたけれど、
そう心に硬く誓っていた。