23.グループ・サウンズ(GS)VOL:5

グループ・サウンズ(GS)VOL:5




ザ・ジャイアンツ


ジャイアンツ 遠い夏

"ジャイアンツ"は、'67年の夏、銀座にあるビアガーデン四季で演奏していた時に永井秀和(「二人の雨の日曜日」などの青春歌謡曲のヒット曲がある)のバック・バンドとしてスカウトされプロとして活動を始める。

この当時、フォークルのヒット曲「帰ってきたヨッパライ」などの突如沸き起こったアングラ・ブームの中でも、ケメ子のブームの引き金を惹いたバンドとしても有名。
'68年1月25日にビクターより「ケメ子の唄/豚のしっぽ」でレコード・デビューする。

メンバーは、鈴木晴夫(B)、原 道夫(LG)、飯田久雄(SG)、谷 しげる(D)の4人。

このケメ子ブームでは、"ダーツ"の「ケメ子の唄/ブーケをそえて」、松平ケメ子「ケメ子の唄/私がケメ子よ」、滝 しんじ「ケメ子がなんだい/渚のキッス」などがレコード発売された。

GSの衰退時期の'69年に解散する。
"ジャイアンツ"はデビューから解散までに、次の4枚のシングル・レコードを発売した。

「ケメ子の唄/豚のしっぽ」'68年1月28日発売、「どうしても女に勝てなかった悲しい男の唄/涙のエンゼル」'68年4月15日発売、「遠い夏/素足の乙女」'68年9月発売、「スケート野郎(B面)/ヤッホースケーター(A面)永井秀和」'68年11月発売(全て、ビクターより)


ザ・ダーツ


ダーツ ケメ子の歌

「ケメ子の唄」の大ヒットで知られているように、バンド名より楽曲名のが有名。

当時のフォーク・ブームに便乗したGSブーム末期のフォーク・ロックの前身バンドともいえるバンド。

"ダーツ"は京都の高校生が結成したウエスタンバンドが前身で、その後メンバーを加えてインスト・バンドとして京都の音楽団体に所属し活動を始める。
その音楽団体に所属していた他のバンドの持ち歌であった、「ケメ子の唄」を'67年10月にダーツもレパートリーに取り入れる。

折りしも、フォークルの「帰ってきたヨッパライ」の大旋風が日本列島を吹き荒れていたのに便乗して、急遽ホリ・フロと契約しコロンビアより、'68年2月1日に「ケメ子の唄/ブーケをそえて」(コミック・ソングの王道をいく曲)でレコード・デビューする。

メンバーは、土森勝則(D)、原田和夫(LG)、橋本謙次(B)、浅井たかし(SG)の4人。

上記の"ジャイアンツ"の「ケメ子の唄」と競合したが、セールスでは"ダーツ"の方が断トツだった。

'69年に解散する。

"ダーツ"はデビューから解散までに、次の3枚のシングル・レコードを発売した。

「ケメ子の唄/ブーケをそえて」'68年2月1日発売、「いつまでもスージー/君は恋の花」'68年6月1日発売、「黄色いあめ玉/遠い人」'69年4月発売(全て、コロンビアより)


ザ・ビーバーズ


ビーバーズ 初恋の丘

"ビーバーズ"の前身は、'66年2月に結成された"ジ・アストローズ"。

翌年、スバイダクションとプロ契約して、"ビーバーズ"と改名する。

"スパイダース"の弟的バンドとして、デビュー前から実力あるバンドとして注目されていた。

特に、リード・ギターの石間は七色の音色を出すと評され、独特なギター・サウンド(サイケデリック)が特色で、様々な音楽的挑戦を試みている。
更に、成田と早瀬のツイン・ボーカルは力量があった。

メンバーは、淡村悠紀夫(D)、石間秀樹(LG)、平井正之(SG)、荒川 宏(B)、成田 賢(V)、早瀬雅男(V)の6人。

'67年7月にセブンシーズより「初恋の丘/ハロー!コーヒーガール!」でレコード・デビューする。

"ビーバーズ"の評価(テクニック)は折り紙つきで実力派ではあったが、残念な事にヒット曲には恵まれなかった。

GSの衰退と共に、'69年1月に解散する。

"ビーバーズ"はデビューから解散までに、次の5枚のシングル・レコードを発売した。

「初恋の丘/ハロー!コーヒーガール!」'67年7月発売、「君なき世界/ホワイ・ベイ・ホワイ」'67年11月発売、「君・好きだよ/恋して愛して」'68年4月発売、「愛しのサンタマリア/波うつ心」'68年8月発売、「泣かないで泣かないで/サテンの夜」'68年12月発売(全て、セブンシーズより)




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