69.ビートルズ事件簿

ザ・ビートルズ事件簿




ビートルズの曲が放送禁止になり、レコード、本等の焼き払い事件があったのを。事件簿第一弾!

この事件の事の発端は、'66年に「僕らのほうがキリストより有名」というジョンの発言がイギリスの「イブニング・スタンダード」紙に掲載されたときから。

この雑誌の中で「キリスト教はいつか衰退してなくなるよ。今じゃ僕らのほうがキリストより有名だ。ロックン・ロールとキリスト教のどっちが先に消滅するかわからないけどね。キリストには問題はなかったけど、使徒たちがキリスト教をねじまげて堕落させたんだ」と発言した記事が掲載された。

この掲載から5カ月経ってアメリカのティーン雑誌「デイトブック」(9月号)に転載されたのがビートルズのアメリカ・ツアーの2週間前の7月29日だった。
この記事が、キリスト教徒を刺激し、特に熱心な信者が多いバイブル・ベルトと呼ばれる南部では反発運動が起こった。(この事件を発端に、全世界でビートルズ・バッシングが起こった)

多くのラジオ局では、ビートルズの曲が放送禁止になり、レコードや本を焼き払う集会まで行われ、音楽の代わりにその集会が実況中継された。

エプスタイン(当時のマネージャ)は身の危険を感じ取り、急遽アメリカに渡り人々が記事の内容を誤解している、という主旨の記者会見を開いた。

ツアーの前日(8月11日)に、ビートルズは記者会見に出席。記者よりジョンはキリスト教発言に関する質問攻めにあう。
その中でジョンは「もともとキリスト教と比較するつもりはなかった。ビートルズではなく、車やテレビを例に出せばこんな問題にはならなかった。
レコードが焼かれたのはショックだ」と発言し、最後にはこんな騒ぎになってしまった事に対して謝罪した。

この事件が引き金になって、ビートルズはアメリカ・ツアーを最後にコンサート活動を一切行わなくなった。


知ってますか。ビートルズが勲章を授与された事に反発して起こった叙勲たちの勲章返還事件を。ビートルズ事件簿!第二弾。

この事件の事の発端は、'65年6月11日の新聞に叙勲者リストが掲載されその中にビートルズ4人の名前が載った時から。

この叙勲を知らされたビートルズのジョンは「ロックン・ロールで貰えるとは思わなかったな」更に「叙勲を知らせる封筒が届けた時は軍隊の召集令状かと思った」と、ジョンは「戦争に勝たないと貰えないと思ったよ」と感じたままの発言をしている。

その発表があってからから、それまで叙勲されていた人たちが勲章の返還を始めた。その人たちは元軍人で彼らは口々に「ビートルズごときと同じ勲章なんかいらない」と反発したのだった。
この事件を知ったジョンは「彼らは人を殺して勲章を貰ったんだろう。僕らは人を楽しませたから貰うんだ。その方がましさ」とここでも感じたままの発言をしている。

新聞には「ビートルズは髪を切ってからバッキンガム宮殿に行くべきだ」などと書かれたが、授与の当日ビートルズの面々はいつもの髪型のままスーツを着て、エリザベス女王からMBE(メンバー・オブ・ジ・オーダー・オブ・ザ・ブリティッシュ・エンパイア)を授与された。

この授与式の中で女王とビートルズの面白い会話のエピソードがある。
女王「グループを組んでぐのくらいですか」
リンゴ「40年です」
女王「お忙しいですか」
ジョン「いえ、ずっと休暇中です」
と、いつものビートルズ流の調子で答えたという。

後にジョンはこう発言している。「あれをもらうことは身売りすることだった」と。
そして、'69年には、ジョンはイギリス政府がアメリカによるベトナム侵略を支持していることなどを理由にMBEを返上した。

一方、LPのアビーロードの「ハー・マジェスティ(女王陛下)」を唄ったポールは'97年にナイト爵を受けるが、今度は流石に「ナイトを返上する」と云う人はいなかった。

何故このMBE勲章をビートルズが叙勲できのかと云うと、
理由は、当時のイギリスの首相ハロルド・ウィルソンがエリザベス女王に「ビートルズは世界的成功を収め、イギリスの経済に多大な影響を及ぼしている」と推薦したといわれている。

話は変わるが'80年12月8日にジョンは射殺されたが、真相は現在も闇の中に葬られているが。何故ジョンは暗殺されたのだろうか?
噂されているように、CAIが裏で暗躍しているのだろうか?


知ってますか?日本公演前に起こった、ビートルズに武道館を使用させるな!武道館に行くな!事件を。ビートルズ事件簿!第三弾。

この事件の発端は、'66年3月3日イギリスの音楽誌「ニュー・ミュージカル・エキスプレス」によってビートルズが夏に日本公演を行うと報じた事から始まった。
4月27日、読売新聞に社告が掲載され、ビートルズ来日が正式に発表された。次いで、5月3日には読売新聞より公演日程、入場料金が掲載された。(当初は計3回の公演で後に2回追加された)入場券希望者はハガキで申し込み抽選で配布すると報道される。因みに入場料は、2100円、1800円、1500円の3ランクでした。
5月10日に入場券購入申し込みが締め切られ、集まったハガキは約23万通に達したとのこと。

このビートルズの来日に伴って、日本はビートルズの一大フィーバーが起こる。
今でも代表的な例えとして語り継がれているTV番組がある。
TBSTVで放映されていた「時事放談」の細川隆元と小汀利得のコンビが。彼らは「夢の島でやればいい」、「こじき芸人だ」、「ビートルズごときくだらんモノを呼ぶとは」などと徹底的なアンチ・ビートルズの暴言を繰り返した。
これに増長した某団体が「日本からビートルズを叩き出せ」と横断幕を掲げて街頭演説するなどいやはや日本列島が熱気を帯びた大変な状態となった。
後に、この「時事放談」の評論家とビートルズ・ファンがTVの座談会で対決した番組は有名。(爽快だった。あの細川がタジタジだったので)

この読売新聞の公演の日程と会場が発表されてから、武道館館長が「武道の精神に反する」としてビートルズに武道館を使わせる訳にはいかないと発表した。
しかし、「女王から勲章を授けられたイギリスの国家的音楽使節のビートルズに国際親善の視点」から使用させない訳にはいかないという事で、結局は武道館の使用が直前で許可された。
武道館へ行くな!事件、は警視庁が学校に対して非行防止の協力を要請した事から端を発して、全国の多くの学校で「ビートルズのコンサートに行かないように!」という生徒指導が行われた。
このような親や教師や評論家の命令調子の発言に、多くの若者が反発した(昔も現在もかわらないですネ)事がいっそう反抗心を焚きつけ、さらにビートルズ熱を高める結果になった。
寺内タケシとバニーズのページでも書いたけど、エレキ禁止令と同じです。
禁止・反対されればされるほど反抗心が湧き上がってくるのです。
日本公演の前のドイツ公演を終えたビートルズは、6月29日15時39分に羽田空港に到着。
日本公演を前にヒルトン・ホテルの地下一階の紅真珠の間で記者会見が行われた。

記者とビートルズの面白い会話のエピソードがある。
記者:「日本について何か知っているか」
ポール「本で読んだ程度の事しか知らない。もっとも、その本もあまり読んではいないが」
記者:「MBE勲章はもってきたか」
ジョン・ポール「ここにもっている」(タンプラーの下に敷いてあるコースターをヒラヒラさせながら)
記者:「今の人気はいつまで続くと思うか」
ジョン「考えてみた事もない。ダメになったら、その時に考える」
記者:「武道館使用と武道の精神に関して」
ポール「日本の舞踏団がイギリスの王立劇場に出演しても、イギリスの伝統を汚す事にはならないと思う」

最後のポールの発言が的を得ている。学習した方がいいよ!武道館館長並びにお偉いさん達!ポールの発言の意味を。

全ての公演を終えて、7月3日10時30分にフィリピンに向けて羽田を飛び立った。
ビートルズの日本滞在時間は、約102時間30分。

次のフィリピン公演でも、イメルダ・マルコス主催の晩餐会でビートルズ晩餐会ドタキャン事件があったが、前記した宗教問題のバッシング事件と、初めて世界ツァーを行って、事件が続いたからビートルズの面々はツアー活動に嫌気をさしたのではないだろうか?

ビートルズ関連の事件は未だまだ書ききれないほどあります。近々このページに加筆していきます。

尚、上記「時事放談」の会話の中で現在では使われない不適切な表現がありますが、当時の雑誌の原文から引用しています。ご容赦の程お願いします。


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