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城ヶ島(じょうがしま)は、神奈川県三浦半島の南端に位置する島。 周囲長約4 km、面積0.99 km²で、神奈川県最大の自然島である。東西幅約1.8 km、南北幅約0.6kmと東西に細長い菱形の地形であり、東西南北にそれぞれ安房ヶ崎(東)、長津呂崎(西)、赤羽根崎(南)、遊ヶ崎(北)という岬がある。長津呂崎には城ヶ島灯台、安房ヶ崎には安房埼灯台が建つ。安房ヶ崎は神奈川県の最南端でもある(北緯 35゜ 7'32)。行政区分は三浦市で、220世帯604人が暮らす(2005年10月1日現在)。 尚、しばしば伊豆の城ヶ崎と混同されるが、三浦三崎周辺に城ヶ崎という地名は存在しない。風光明媚な三浦半島の情景を凝縮したような景観で知られる、鎌倉時代以来の景勝地である。漁業、軍事、交通、文学に深く関わってきた多面的な歴史を持っており、大正時代に北原白秋の『城ヶ島の雨』(後述)が評判を呼ぶと、ロマンの島として全国に名を知られるようになった。大正末期から終戦までは東京湾要塞の一部として砲台が存在したが、戦後に「城ヶ島公園」として開放された。現在は磯釣、磯遊びに適する行楽地として知られる他、三崎と共に海を囲み、遠洋漁業基地三崎漁港の一角を成す。 三崎との距離が約500mと近いため、歴史的にも三浦三崎の一部と言える存在である。かつては三崎仲崎岸壁より出ていた渡し舟が唯一の渡島手段であったが、1960年に城ヶ島大橋が開通すると三崎との一体化は一層進行した。
2012.08.30
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河口湖(かわぐちこ)は、山梨県南都留郡富士河口湖町(旧河口湖町、勝山村、足和田村)にある湖。富士五湖の一つである。富士箱根伊豆国立公園に指定されている。富士五湖の中で最も長い湖岸線を持ち、最も低い標高地点にある。面積は富士五湖では2番目の大きさで、最大水深は精進湖と並び3番目の深さ。 湖の中央に鵜の島と呼ばれる小さな島がある。富士五湖の中で最も北に位置し、全体が南都留郡富士河口湖町に属する。 河口湖には天然の流出口がないため、古来より大雨により増水し、湖岸の村々に洪水被害を出した。一方で、山を挟んだ東の富士吉田市域の新倉村では透水性の溶岩台地が広がり、水利に乏しく、湖水を新倉方面へ通水させる用水路の開発が求められていた。新倉掘抜は江戸時代初期から工事が行われ、曲折を経て、江戸後期の1865年(慶応元年)に完成し、新倉村は河口湖の水利権を保持している。1911年(明治44年)には新たなトンネルが掘削されたため、それ以降、新倉掘抜は利用されていない。 現在は、1917年(大正6年)に竣工した第二嘯川(東京電力の放水路)と1994年(平成6年)に完成した嘯治水トンネルを合わせた、嘯(うそぶき)川から構成される放水路により、宮川に放水される。この宮川は桂川(=相模川)の支流であるため、河口湖は相模川水系に属している。 湖の東には三つ峠、北には御坂山地の黒岳、節刀ヶ岳が連なり、さらに西には十二ヶ岳がそびえる。南側は開け、そこに富士山が美しい山容を見せ、湖面に写る逆さ富士は、湖の優れた景勝である。
2012.08.29
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南大隅町(みなみおおすみちょう)は、鹿児島県(離島部除く)の東南部、大隅半島の南部にある町。肝属郡に属する。 2005年3月31日、根占町(ねじめちょう)と佐多町(さたちょう)が合併して発足した。日本本土最南端の佐多岬を有する。縄文時代早期の遺跡として大中原遺跡が、弥生時代中期の遺跡として谷添遺跡があり、この頃からの定住があったとみられる。 713年の大隅国設置時には肝属郡に属していたが、後に大隅郡(1887-1897年は南大隅郡)所属となる。平安時代からは禰寝院として荘園支配がなされたのち禰寝氏領となる。 江戸時代は薩摩藩(島津氏)が根占・佐多に外城をおき薩摩藩直轄領となった。外城は1784年に郷に名称を改め(根占郷・佐多郷)、1889年の町村制実施時にほぼそのままの区域をもって小根占村・佐多村となった。小根占村は1941年に、佐多村は1947年にそれぞれ町制を施行し根占町・佐多町となった。 平成の大合併では2003年6月に根占町・佐多町・大根占町・田代町の4町で南隅地域合併協議会を設置し合併協議を進めたものの、大根占町側の反対により交渉は決裂した。根占町と佐多町は2004年9月に南大隅合併協議会を設置。同年11月の合併調印式の実施・議会による議決を経て、2005年3月31日に2町は合併し南大隅町が発足した。 町名は一般応募により決定されたものであるが、南大隅(南隅)は錦江町を含む2町を合わせた地域をさす名称でもある。
2012.08.24
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