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うだつは、日本家屋の屋根に取り付けられる小柱、防火壁、装飾。本来は梲と書き、室町以降は卯建・宇立などの字が当てられた。 平安時代は「うだち」といったが、室町時代以降「うだつ」と訛った。本来は梁(うつばり)の上に立てる小さい柱のことをいった。そののち、切妻屋根の隣家との間についた小さい防火壁で1階屋根と2階屋根の間に張り出すように設けられているものも「うだつ」と呼ぶようになる。本来、町屋が隣り合い連続して建てられている場合に隣家からの火事が燃え移るのを防ぐための防火壁として造られたものだが、江戸時代中期頃になると装飾的な意味に重きが置かれるようになる。自己の財力を誇示するための手段として、上方を中心に商家の屋根上には競って立派なうだつが上げられた。 うだつを上げるためにはそれなりの出費が必要だったことから、これが上がっている家は比較的裕福な家に限られていた。これが「生活や地位が向上しない」「状態が今ひとつ良くない」「見栄えがしない」という意味の慣用句「うだつが上がらない」の語源のひとつと考えられている。
2012.10.13
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姥島姥島(うばしま)は神奈川県茅ヶ崎市の沖合1,200 m付近にある無人の岩礁群である。乳母島とも記述され、古くは筆嶋ともよんだ。高さは20 m余り。東西約600 m、南北約400 mにわたる複数の岩からなり、高低の岩が海中にも存在する。凝灰質砂岩を主とする新第三紀の池子層からなり、最大の岩礁は烏帽子の形をしているため、一般に烏帽子岩(えぼしいわ)とも呼ばれている。釣り人のために茅ヶ崎漁港から渡し船が運航されている。 江戸時代には、対岸にあった相州炮術調練場の大筒稽古においても姥島が標的となることがあった。 戦前は烏帽子状の岩の先端がもう少し先に延びスマートな形をしていた。太平洋戦争後、対岸の辻堂海岸一帯が在日米海軍辻堂演習場となり、その海上演習場である「オーボー第一区域」の標的として1954年4月13日まで姥島が使用された。このために先端が欠けて現在の姿となったといわれている。
2012.10.08
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