サリエリの独り言日記

サリエリの独り言日記

2020.09.30
XML
イタリア

 中国人移民労働者の歴史は、改革開放を唱えた鄧小平の時代からと古く、イタリアの経済は構造的に中国に絡め取られて、にっちもさっちも行かなくなっている。迂闊な発言で北イタリアの経済的没落が始まっては、ただでさえ不振な彼の国の経済にとってはたまらない、ということでしょうか。
 とはいえ、ソーシャル・ディスタンスを守りマスクをつけて、押し黙ってスーパーの入り口に並んでいる本国人の映像を見て、在日イタリア人のある人が「こんなのイタリア人じゃねえ!」と吐き捨てるように言っていたのには参りました。この人からすれば、これはある種文化的な屈服に見えたのではないか?しかし、命と文化のどちらを取るかと言われれば、別にイタリア人でなくても「命」を優先せざるを得ない。この人の発言は、別に本国人をくさして言っているのじゃない。現実の不条理に対する、「怒り」とでもいうほかないものだったのでしょう。

 と考えてくると、もっと過激な形でのマスク拒否や、ほとんど偽悪的としか思えない「三密」の大騒ぎをやらかしているアメリカの景況も、何となく「こりゃ、しょうがないかな」という気もしてくるのです。これを簡単に「民度」の差みたいな話にしてはいけない。「三密」のないアメリカなど「アメリカじゃねえ!」と思うアメリカ人は多いのではないか?マスクをするかしないか、というのが公衆衛生の話ではなく、政治的態度の表明にすり替えられている、といった指摘もありますが、それも少し違うような気もする。
 要は、口元を隠しハイタッチもハグも拒否する人間は、万事カジュアルであることが自由平等と民主的態度の根幹的エートスであるような文化から見れば、これらは「気持ちが悪くて、しかたがない」ということなのではないか?で、それでもって、数多くの犠牲が出るのであれば、それは自国の文化的エートスを守った結果なのだから、「これは、しかたがない」という筋になってしまう。

 「そんなバカな!」という話になりそうですが、ここで少しだけ想像力を拡げてみるのも一興でしょう。今回の武漢ウイルスと真逆の性質を持つ病原体が、仮に日本で蔓延したとして、「公衆衛生のために、明日から土足で家に入りなさい」と時の政府から言われた場合に、私たちはどう振る舞うだろうか?相当数の人たちが「それは文化の破壊だ!」と言って拒否し、場合によっては犠牲者も出るかも分からない。諸外国からいろいろ言われても、おそらく大半の日本人は、「これは、しかたがないわい」と思うのではないかしらん。
 私がここで申し上げたいのは、世界のさまざまな文化的エートスがたまたま「凶」と出たからと言って、その原因を「民度」のような話で概括してしまうのは、乱暴な考えかただということです。お上の言うことには、いろいろ文句はあっても、取りあえずは従っておくというエートスは、今回はたまたま「吉」と出たけど、高度な自律性が求められる民主社会において、はたしてそれが理想のエートスなのかと言われれば、そんな有頂天になるような話ではないでしょう。

 ところで、話はまたイタリアに戻るのですが(好きですね)、同じような感染爆発と多大な犠牲者を出しながら、イタリアではマスク拒否のような話は、それほど先鋭化してないような気がする。私はこれもたぶん、それぞれの国が背負った歴史文化伝統のなせるエートスなのだと思うです。一つは教会があらゆるパニック的事態の受け皿になってるのかもしれないし、あるいはまたひょっとすると、イタリア人に特有の屈折した感情が、どこかにあるのかもしれない。

 コロナに対しても中国に対しても、これは他所さんのことなので言いにくいことなんだけど、一種「諦め」の気分が漂っているような気がして仕方がないのです。

 しかし、中国への絡め取られぐあいでいうなら、日本なんかイタリアの比ではないわけで、そのわりには現在の共産中国には、ほとんどの日本人は非好意的と言っていい。少なくとも、恩着せがましく空港に降り立った医療救援隊と称する宣伝部隊を、諸手で歓迎する日本人はいないでしょう。
 では、なぜそうしたエートスの違いが、出てくるのかと言えば、それもやはりそれぞれの民族や国家が経て来た歴史の結果としか言いようがない。近現代において日本は、西欧列強の帝国主義的覇権の圧力に正面から立ち向かい、唯一独立を守ったアジアの国という歴史的経緯があるのです。
 日本の立憲主義と民主主義は、あたかも敗戦後アメリカから、初めて付与されたかのような通念が、今だにオールドメディアを中心とした、いわゆる知識人たちから何の疑問もなく呈せられることが多いですが、中学校の教科書でもそんなことは教えてない。江戸幕末から明治維新にかけて、西欧近代主義の有りようを必死で研究し、国力とは何か、民意を汲むにはどういう制度が日本にはふさわしいか、あれこれ試行錯誤を重ねながら、日本は自力で統一近代国家を形成してきたわけでしょう。

 このあたり、イタリアは同じ幕末の時期(1861年)に統一国家を形成しながらも、小国分立と王国、さらには教皇支配という入り組んだ歴史が長く、実質的な共和制に移行したのは、なんと第二次大戦後(1946年)のことなのです。イタリア人が自国を語るとき、古代ローマやルネッサンスの輝かしい文化遺産と歴史は声高らかに語れても、現代のイタリア共和国という民主政体について、必ずしも声高に語らないというのには、その短すぎる歴史から見て、無理からぬ理由があるのでしょう。
 と、ずいぶん遠くの話になってしまいました。私はそれでもイタリア人の持つ、「豊かさ」の有りようというものが好きでたまらない。生まれた時から同じ村で育ち、一歩も外に立たこともないのに、「私たちは幸せです」と気張らずに言える国民性が。





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.09.30 22:47:57
コメントを書く
[政治、経済、社会、歴史] カテゴリの最新記事


■コメント

お名前
タイトル
メッセージ
画像認証
上の画像で表示されている数字を入力して下さい。


利用規約 に同意してコメントを
※コメントに関するよくある質問は、 こちら をご確認ください。


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

PR

×

Calendar

Archives

2026.05
2026.04
2026.03
2026.02
2026.01

Profile

TNサリエリ

TNサリエリ

Comments

TNサリエリ @ Re[1]:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) ナガノさんへ  コメントいただき、ありが…
ナガノ@ Re:Kyoto Tachibana High School Green Band 10.(09/07) 2年遅れで、この文章を読んで泣けてしまっ…
TNサリエリ@ ふたたび、コメントありがとうございます。 cocolateさんへ 私自身、彼女の演奏に刺激…
cocolate@ Re:エレクトーンというガラパゴス 1.(06/17) 再びおじゃまします。 826askaさんのYouT…
cocolateさんへ@ コメントありがとうございます。 三年ほど前に826asukaさんのことを知り、…

Favorite Blog

まだ登録されていません

© Rakuten Group, Inc.
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: