療養の経緯


挫折と復活?の記録

~ 療養の発端と経緯 ~

休職・入院・手術を克服して復職。しかし、半年後の事故で再び療養生活に!

これは、療養経過と復活への軌跡である。(たぶん。。。)
自らの覚え書きとしての現在進行形の自分史である。 
同時に同じ悩みを持つ者同士の情報交換に役立てば、
・・・と思っている。

2004年1月18日現在  武蔵野唐変木 記


2000-02-01:発病 (腹痛、関節痛、腰痛、排便異常、痔悪化)
今にして思えば、過労であった。この時は既に椎間板症になっていたものと思われる。関節痛、腹痛や排便異常は椎間板症から坐骨神経や自律神経に影響が現れたものだったのだろう。(後の入院時、こういうケースが多い事を知った。)表面的には内臓の不調として現れた為、以後内科での検査が続いたが、これが敗因だったようだ。結局原因不明の状態が長く続き、初動の治療を怠った事になる。


2000-07-21:整形外科受診 (椎間板ヘルニアが発覚)
内科ではらちが明かない為、各科を受診。整形外科でのMRI検査で腰椎椎間板症および小さなヘルニアが見つかった。保存療法、と言ってもコルセット装用、服薬、シップのみの治療。この時、腰痛に対しては全く無知であり、医師の指示のみに従っていた。神経ブロックを受けたが効果は持続せず。この間、脳腫瘍も発見されたが良性と考えられた。しかし次第に歩行困難となり通院さえ困難なほど悪化。病院は通院治療を強要するのみで一切対処せず、不審を抱く。

2000-11-01:休職
○○○○大学病院 での治療は無理と判断し、郷里にて治療に専念するため休職。まもなく歩けなくなり車椅子生活となった。

2001-01-10:入院
痔悪化の為、○○病院に入院、手術。同時に腰痛の治療を受ける。手術の傷が癒えるに従い、ホットパック、ストレッチ等のリハビリを行い、歩行訓練を実施。途中幾度と病院を脱走し、カイロプラクティックの施術を受け、急速に快復。


2001-03-末:退院
退院後、フィットネスクラブに入会。マッサージを受けながら、ストレッチ、水中歩行、マシントレーニングによる筋トレを実施。減量にも成功し、通常な生活が出来るようになった。


2001-06-01:復職
定時退社後、職場近くの○○○整形外科クリニックに通院しながら勤務。


2001-10-01:異動
クリニックから遠くなった。慣れない仕事で疲労がち。気温の低下もあって体調は下降気味。ときどき休んだりもしたが仕事は継続していた。
2002-01-09:労災事故
職場で荷物の引き取りに立ち会っていたところ、その下敷きとなって、さらに腰を痛めてしまった。
診断は胸腰椎打撲捻挫。以後、公傷休業中。腰椎部の炎症による痛みから、筋トレはドクターストップ。


2002-03-02:MRI検査 /2002-03-18:MRI検査診断結果が出る。
通院中のクリニックの院長が、親交のある ○○○○総合病院 との意見交換を経て、保存療法で自然治癒による治療が望ましいと結論する。

<所見>凡例:S=仙骨、L5=第5腰椎、L4=第4腰椎、L3=第3腰椎
・L4~L5間およびL5~S間の椎間板の弾力が失われている。
・L4~L5間およびL5~S間にヘルニアの突出が認められる。
・L4,5の脊椎管周囲のじん帯が肥大している。炎症の為と思われる。
・この為、L4,5部分に脊椎管狭窄が認められる。
・L4,5由来の坐骨神経痛が両下肢に現れている。
・右大腿部の痺れはL3由来の神経痛と思われるが、MRI画像に異常は認められない。
・右腰の違和感は仙腸関節(骨盤)に炎症があるのかもしれない。X線写真で右腰に負担がかかった形跡がある。
・L4,5部分(右)の炎症が未だ治まっておらず、その部分に痛みがある。
・症例としては、髄核摘出手術の対象ではある。
・炎症が未だフレッシュなので、症状が安定するまで手術は控え、保存療法&理学療法を継続する事が望ましい。
・最近の研究で、椎間板ヘルニアは自然治癒する事が解っている。
 その期間は、半年の場合もあれば5~8年を要する場合もある。
 「年々、良くなりますよ」と主治医の言。予言は出来ぬか・・・
・手術をするとしても症状が固定し、ターゲットを絞って行うべきである。
 何回も手術をやり直し、かえって悪化する例も多い。

執行猶予付の経過観察とでも言えばよいのでしょうか?
当分、社会復帰は無理そう・・・「絶対治りますけど、何年かかるか判りません」なんて・・・気鬱なり

2002-03-26:セカンド・オピニオン
自宅近くの○○○クリニックにて○○○○大学病院スポーツドクターの意見を伺う。治療方針は変わらず。

 ●S1~L5、L5~L4間に加え、L2~L1間の椎間板も変性している。
  ・変性→水分が抜け、弾力が無くなって堅くなっている。つまり関節としての可動性が無い。
  ・L2~L1間の椎間板変性は新しい事実。
  ・S1:第1仙骨、Ln:第n腰椎(n=1,2,3,4,5)
 ●S1~L5、L5~L4間にヘルニアが認められるが脱出は小さい。
  ・小さいからと言って症状が軽いわけではない。(実際、地獄の苦しみです)
 ●L5~L4での後縦靱帯の肥厚、脊椎管の狭窄は大した事はない。
 ●事故で力が加わった部分が痛んでいるので、外因性の可能性もある。
 ●ここを治せば良くなるという特定部分がなく、全体的に傷んでいるので、
  手術する状況ではない。保存療法による自然治癒を目指す方が望ましい。

 以上、現在の治療を継続する事が望ましいとの結論でした。
 私の背骨はボロボロで、長い闘いとなりそうです。
 あとは「郷里で療養生活をするかどうか?」ってところでしょう。あ~~~(。-_-。)

2002-06-26:CFS(慢性疲労症候群)の疑い発生
微熱が続き、酷い疲労感から自宅近くのクリニックを受診。
症状は慢性疲労症候群に似ているらしい。

2002-07-08:郷里での療養開始
回復が思わしくなく、慢性疲労症候群様の症状さえも現れて通院も困難となった。
独力での療養に限界を感じ、郷里にて介護を受けながら療養生活をおくる事にした。


2002-07-19:採決、血液検査

採決し、成長ホルモンの検査。内科診断では異常なし。
以後定期的に血液検査を行い、内科にて経過観察を行う事となった。

2002-07-23:オステオパシー療法開始
無謀にも電話帳で探して飛び込みで行った(怖!)、
オステオパシー療法(米国整形外科における整体的治療法の一種)の整体院。
偶然にも良い療法士に出会えた。(以後、ジッチャンとして唐変木日記にしばしば登場することになる。)
骨盤、胸椎、腰椎に歪みがあると言われた。(未だ正確な見立てではなかったが、当時最も正しい状況認識だった。)

2002-07-29:腰椎MRI検査、2002-07-31:整形外科にて診断
先の東京での検査以上の診断は特になし。
以後、整形外科にて経過観察を行っていく事となった。

2002-07-31:頭部MRI検査
脳神経外科の定期受診。
以前からある、左側頭葉~脳幹間の髄膜腫は特に成長もなく、良性のまま推移している。
特に異常なしなので、今後も定期的に検査を行う事となる。

2002-08-07:骨盤CT検査診断
私には明らかに左骨盤が前方にずれているような画像に見えた(実際は右骨盤後方遷移)が、
整形外科では特に異常ではないとされた。非対称性は異常とはしないらしい。(変だが。)

2002-08-22:フィラデルフィア染色体検査診断
非常に痛いマルク(骨髄穿刺)で採取した骨髄液で、フィラデルフィア染色体を検査した結果、
慢性骨髄性白血病ではないと内科で診断され、まずは一安心。
ただし、白血球数が10000超もある原因は不明のまま。
精神的要因も検討する為、隣市の大病院の診療内科を紹介された。
手に負えない場合に精神的要因の可能性に言及するのは、医師の常套手段?(医師だけではないが。)

2002-09-12:鬱病診断
隣市の心療内科を受診し心理テストを実施。精神的にはまったく問題がないとの診断であった。(当然だが。)
CFS(慢性疲労症候群)の可能性を検討する為、専門医を紹介してもらった。

2002-10-24:CFS診断
CFS(慢性疲労症候群)研究のメッカである大阪大学医学部付属病院の血液腫瘍内科(現在は疲労外来)を受診。
事故という明確な原因がある為、CFSではないとの結論。現病院に対して処方のアドバイスを文書で頂戴した。
診察はよくTV番組にも出ている、あの大先生だった。(いわゆる権威だが。)

2002-11-06:頸椎MRI検査診断
MRI検査結果からは特に新しい異常は認められなかった。
ただし筋肉や靱帯の損傷は画像に現れないので、その可能性がある事は再確認された。
以後、唯一治療効果が現れたオステオパシー療法を継続しながら、整形外科にてはその効果を観察していく事になった。

2003-03-13:オステオパシーリンク集開設、2003-04-08:オステオパシーリンク集完成
整形外科主治医の求めにより、オステオパシー(米国整形外科における整体的治療法の一種)の資料を作成、
3月13日、Web上にリンク集を開設した。楽天広場の仲間の協力を得てMET療法の翻訳文を加え、4月8日にリンク集完成。
翌4月9日、整形外科主治医に資料進呈。

2003-04-01:人事異動
後日、別の職場の仲間から知らされて、私自身が異動になっていた事を知った。
抗議をして事情を尋ねたが、要領を得ず。連絡したつもりらしいが、eメール不達事故か?
それにしても連絡ミスを認めぬ元上司の無責任さ。わけわかめ。。。

2003-06-25:線維筋痛症発覚?
この年の4月に国内初の研究会が発足した、「線維筋痛症」の症状が私の症状に酷似していたので、資料を持参して整形外科を受診。
断定は出来ないものの、事故当初の全身的な重い症状は限りなくクロ、「線維筋痛症であった疑いがある」との診断となった。
(何れ、この病気も一般的に認知されていくだろう。)

2003-07-02:無自覚性両側耳管狭窄症?
自覚しないまま炎症が拡大して両方の耳管が詰まってしまい、CFS(慢性疲労症候群)様の症状を示す病気。
楽天広場で発信されていた情報を持参し、耳鼻咽喉科を受診。耳管狭窄の為、その通気の治療を受けた。
鼻炎を起こしていたので、ネブライザの治療を受け、内服薬の処方を受ける。(実は、ただの鼻炎ではなかったようだ。)

2003-07-31:耳管狭窄の潜水医学的自己診断法を発見
ダイビング技術の「耳抜き」で、耳管狭窄の状態をある程度自己診断できる事を発見した。
また狭窄の程度が低い場合は、耳抜きだけで通気できる場合もあった。自分的には大発見であった。

2003-08-06:胸椎矯正試行
オステオパシー療法の整体院で、ときどき起こる胸の痛みについて相談。
既に痛みがある事を確認していた第4胸椎での神経圧迫から、胸の痛みや不整脈が起きる場合があるとの説明。
試しに胸椎矯正を行うが、周囲の骨格筋の損傷が未だ十分に回復していないらしく、
筋肉の反発力を利用するオステオパシー療法の効果は認められず痛みだけが残ったので、後日状況をみて行う事に。

2003-09-12:背中の筋肉の緊張が頸胸椎を圧迫しているとの仮説で治療試行
第6~7頸椎、第9頸椎での神経圧迫が原因で下半身の痛みが生じているとの仮説から、該当部分の矯正をオステオパシー療法で実施。
効果があるようなので正解のようだが、周囲組織の回復状況をみながら徐々に行う事になった。

2003-10-04:所得補償保険交渉成立
2002年1月の事故以来、保険会社の度重なる支払い拒否に対して抗議を申し入れ、契約履行の交渉を行ってきたが、
ようやく交渉が成立。満額の支払いを受ける事に決まった。(長かった。。。)

2003-11-15:床屋事件勃発
伸ばし放題だった髪を切りに頑張って床屋へ行ったが、理髪師のミスで傷めた首を捻られてしまった。
以後1箇月程度、激しい首の痛みの再発に悩まされる。この頃は、右腕にも痺れが発生していた。
事故以来、初めての規模で楽天広場への日記掲載が停滞。
(以後、このサイト始まって以来のアクセスカウント低迷が続き、ジャンルランキングからも落ちた。少し悲しいかも。)
それでも確実なアクセスがあり、常連読者の訪問とメッセージは嬉しく、ここへの復帰を誓ったのであった。

2003-12-15:定期的散歩開始
この日以来、週2~3回の散歩を行えるようになった。
床屋事件の影響がようやく薄れてきた為と、背中~骨盤の筋肉や靱帯が回復してきた為らしい。
この為、オステオパシー療法による頸椎および胸椎の矯正が可能となり、以後週2回程度の頻度で矯正治療を実施。

2004-01-22:頭部MRI検査&緊張性頭痛再発
雪の降る中を通院。頭部MRI検査の結果は特に異常無し。良性の髄膜腫も成長していない。
脳神経外科の主治医によると、耳鳴りの原因はこの髄膜腫である可能性があるとのこと。
聴覚神経の近くにあるそうで、手術で治るとも断言できず、手術自体もリスクがあるとの事。

通院後、冷気のショックで膝がキリキリと痛み、首と頭が痛みだした。

2004-01-31:背中~腰に極度に緊張した筋発見
整体院で、木の根っこ状態だと言われた。(^O^;)
事故による負傷では、首とこの部分が残る大きな課題だろう。

2004-02-03:極度の疲労感再発
久々に起きあがれないほどの疲労感を感じた。
病院の耳鼻咽喉科を受診したところ、両耳とも耳管が狭窄していた。(x_x)

2004-02-09:右脇腹肋骨上に痼り発見
新しく出来たわけではなく、たんに見過ごされていたらしい。圧すと酷く痛む。
整体院によるとカルシウムの結晶らしいが、そこで治療可能なレベルだとの事。
ちなみに病院へ行くと手術するのが相場らしい。(怖)

2004-02-10:疲労感極大
2月3日以来の極度の疲労感。第2の極大期?。
午後になるまで、左目が霞んで見えなかった事が気になる。
症状が落ち着いたら眼科を受診しようと思う。

2004-02-13:定期的散歩休止
12月15日以降続けていた、整体院への通院往路の散歩を休止。
極度の疲労感で、予約時間までに到着出来ない為。
2月11日の散歩途中、行き倒れになりかけたし。(--)ノ

2004-02-15:発熱
久々に原因のはっきりしない微熱が発生。
極度の疲労感で、予約時間までに到着出来ない為。
2月11日の散歩途中、行き倒れになりかけたし。

2004-02-17:耳鼻咽喉科にてMRI画像診断
1月22日の頭部MRI画像を利用して、鼻の炎症程度を確認。
副鼻腔炎自体はたいした事はないらしい。右鼻腔の炎症がはっきり現れていた。
診察で鼻腔内の出血と炎症も確認。処方を変更して様子をみる事に。

2004-02-18:整形外科にて背中~腰の極度の緊張、肋骨上の痼りを確認
1月31日、2月9日に整体院で発見された筋肉の緊張と肋骨上の痼りを触診で確認。
触診(おそらく初めて?)が苦手な医師でもはっきり判るレベルのようだ。
結局、治療は整体院に頼る事に。







2004-01-20:更新
2004年の記録を追記。





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