オキナワの中年

オキナワの中年

日本・沖縄・ドイツの国際シンポジウム


2001/04/09 


 三月十五日、日本・沖縄・ドイツの国際シンポジウム「複数文化の接触―文学・映像を通して考える」に参加する機会があった。概要については本紙既報(三月二十二日付文化欄)の通りであるが、参加者の一人として所感を述べたい。
 今回のシンポジウムは、表題にも明らかなように軸が二つあった。一つは「複数文化の接触」という大きなテーマであり、もう一つは文学と映像とを同格のメディアとして考えるという新しいスタンスである。
 複数文化の接触という観点は、沖縄文学(文化)を考える上で避けて通れない問題であり、今後さらに重要性をもつテーマである。戦前の同化政策から米軍統治へと、沖縄の固有の文化は絶えず異文化との接触にさらされてきたし、近年の急激なヤマト化の中、沖縄の若者によって「沖縄」が新鮮なものとして再発見される、というような興味深い現象もある。さらに今後国際化の中で、沖縄の文化がどのような固有性を主張していけるのか、興味の尽きないところである。ただこの問題は、今後も本欄において考えていくつもりなので、今回は「映像」という問題、さらに文学と映像を含む「文化」という問題を中心に考えていきたい。
 アンドレアス・ムガラ氏(トリア大学研究員)は「ドイツ人とスイス人の日本滞在を描いた作品の比較」と題し、小説「いちげんさん」と映画「開眼の道」を分析した。特に印象に残るのは「開眼の道」である。作品は日本の禅に憧(あこが)れるドイツ人が、精神的な救済を求めて、日本を訪れるというものである。神秘的な「日本」像は、町を歩く携帯電話を持った若者たちの群れに、一瞬にして崩壊していく。エキゾチックな「日本」は、日本の中でも特殊な空間である禅寺にしか残っていないのだ。
 研究発表自体は、信じ難いほど流暢(りゅうちょう)なムガラ氏の日本語によって行われたが、映画に字幕はついておらずドイツ語のままである。しかし映像は瞬時にして、イメージの中の神秘的な日本と、現実の日本の落差を表現していた。また、禅寺のシーンにおいては、現代日本人である我々もまた、本当はよく解(わか)っていない神秘的な日本文化と出会い直すことになるのである。
 ヒラリア・ゴスマン氏(トリア大学日本学科教授)の「複数文化の共存」においては、「リンデン通り」という移民の多く暮らす町を舞台とするテレビドラマ、日本の作品として米軍統治下の沖縄を舞台とする「ビート」(又吉栄喜原作)など、数作の映像が紹介された。移民排除を目指す「ネオナチ」の活動などはニュースを通して知る機会があるが、ドイツにおいてこれほど移民が日常社会に加わっているとは思わなかった。映像表現には異なった文化のもつ雰囲気を一瞬に伝える力がある。
 映像機器も良いものだったのだと思われるが、学生スタッフのがんばりもあり、研究発表と映像の連動はきわめてスムーズなものだった。両氏の個性的な語り口も、聴衆を引きつけて離さなかった。この二つの発表を見て、「文化」研究も本当に新しい時代に入った、という感を強くした。
 日本においては長く「文学」というジャンルが、数ある文化、表現メディアの中で特権的な地位を占めていた。これは単に権威主義的な面だけではなく、かつて文学は質量共に他のメディアを圧倒していたのである。しかし現在では例えば「マンガばかりでなく本を読みなさい」というような説教は説得力を失いつつある。下らない小説もあれば、優れたマンガもあるのであって、単純にジャンルで割り切ることは困難になってきている。
 現実には小説の退潮は一九八〇年代以前から公然の事実になっていたのであるが、大学における研究サイドが重い腰を上げ始めたのは、つい最近のことである。日本中の多くの大学で文学部が改組されており、私の所属もこの四月より文学部から総合文化学部ということになった。これは文学を軽視するというよりも、さまざまな文化現象の一つとして文学の意義をもう一度とらえ直す、という側面がある。
 映像表現は二十世紀以降確立したものであるため、長期的な文化史の中で文学の重要性が衰えることはないし、個人の内面の表現においては遠い将来にわたって、文学は一定の意義を持ち得るだろう。また映像世代の新しい感性が、新たな言語表現に回帰すると言う現象も起こり始めている。その一方で売れないものは退場するという市場の原理から文化をどのように守りうるか、といったような難しい問題も山積している。
 しかし今回、実際に先進的なドイツの研究に触れて何よりも感じたのは、一応研究者ということになっている我々の意識改革である。
 沖縄演劇も理解せずに沖縄文学を語るのか、というようなジャンルを横断する知見が求められるのは、そう遠いことではないだろう。また実際私のゼミでは、手塚治虫の「火の鳥」を論じる者、詩人中原中也の作曲された作品の研究など、従来考えられない意欲的な分野を志す学生が現れ始めた。台湾における村上春樹受容を考察したいと、中国語の勉強を始める学生もいた。これらはいずれも興味深い研究テーマであるが、指導ということになると困難を極める。さらに「映像」というジャンルにおいて、沖縄には戦後日本のテレビ放送に大きな影響を与えた金城哲夫という天才シナリオライターがいる。
 文学から文化へと、単なる看板の取り替えではなく、改革を実のあるものにするためには相当の努力が必要だ、と緊張する思いである。



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