H15年1/13 座談会 Ⅰ

去る平成15年1月13日、町づくりセンターにて行われたクローバー座談会でのお話です。
講師として”えぢそんくらぶ”代表の高山 恵子さんがお話してくださいました。

(この記述についてはお話の内容を私なりにまとめた物ですので名称その他記載に不備があった場合ご容赦ください。)

ADHDとLD

数年前までMBD(微細脳障害)と呼ばれていたものが
今日ではおもにADHDとLDとに分けて考えられるようになった。

ADHD→医学的診断によるモノでリタリン等、薬剤が処方される場合がある。
LD→教育的診断によるモノで薬剤の処方は無い。
この中には非言語性LD(高機能PDD、アスペルガー症候群等)が含まれる。

どちらも兼ね備えている場合があるが小学校の高学年になり
ADHDが落ち着いてきて非言語性LDが発見される場合もある。
特に幼児の頃は多動が出やすいのでADHDの診断がされやすいが
「のび太、ジャイアン症候群」という本を読んで医者に駆け込んだ人の1/3がPDDであったように
ADHDのチェックだけでは本当の症状というのは見えてこない。
(ADHDのチェック項目にはこだわりに対してのチェックは無い)
ADHDと非言語性LDの違いにはコミュニケーションに対しての違いがある。
ADHDと非言語性LDも共に多弁ではあるがその症状のよるところは全く違う。

ADHDが実況中継のように今の状況を事細かに語るのに対し非言語性LDは自分の好きなことを相手にお構い無しに一方的に実に流暢に述べつまなく語る。

またADHDの場合は相手に共感したり出来るのに
多動性・衝動性・注意欠陥性のため気持ちを汲むことに集中できない。
そのせいで暗黙の了解が分からない等コミュニケーションに障害が起きる。
それとは逆に非言語性LDの場合はコミュニケーションを取り辛い、
こだわりがあるといった障害のせいで衝動性・多動性が生まれる。
しかし決まったこと、習慣化されたことは出来るのでパターン化してしまえば出来たりする。

いま出てきた”こだわり”という面においてもまた性質が違う。

ADHDは診断基準にも出てこないくらいの副要素としての位置づけに対し
非言語性LDではここに重きを置いている。
なぜならADHDの場合のこだわりは心の不安の為にこだわらなくてはならなくなったりする。
なので不安が無くなればこだわりも無くなる場合が多い。
また飽きっぽい性質からこだわる対象が変わる。
これに対し非言語性LDは先にこだわりありきで
これが否定されると不安になりパニックを起す。
またこだわる対象が変わらず、1つのもに対するこだわりが年を追うごとに深くなっていく。

また聞き取る力に対してもADHDが白昼夢にいるようで聞いても忘れてしまうのに対して
非言語性LDは自分なりのファンタジーの世界を持ち
その世界に入り込んでいて現実との区別がつきにくくなり聞いていない。

共通の悩みとしては一見、普通に何の問題も無く見えるので
できないと怠けているようにみんなに思われてしまうことにある。
そうすると認めてもらえないことにより面倒くさくなってやるのを忘れる。
ADHDはとにかく忘れっぽい。気づくことが出来ない。
そうして起こる2次障害としては2通りあり、
1つはとにかく出来ないのは自分が悪いと自分を責め、精神的に病み鬱に陥っていく。
もう1つは出来ないのは誰かのせいだととにかく延々と他者を責め行為障害を起してしまう。
そうならないためにはどうすればいいか。



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