兵庫・加古川(加古郡播磨町)徳山接骨院 TOKUヤン先生の「足の痛み専門治療院」 足のバランス加古川

兵庫・加古川(加古郡播磨町)徳山接骨院 TOKUヤン先生の「足の痛み専門治療院」 足のバランス加古川

僕が接骨院(鍼灸院)の先生を選んだわけ。


徳山がなぜ柔道整復師(接骨院)、鍼灸師という職業を選んだのかという話をします。

僕が小学校6年生の時にソフトボールをしていて、手にバットが当たりツキ指をしました。その時かなり腫れたので近くの医院で診察を受けました。

「打撲」ということでシップ薬をもらいましたがなかなか腫れはひきません。別の外科で診察、デンキ治療を受けましたが1月たっても鉛筆も持てません。

クラスの担任の先生には体育を休むのを「ズル休み」みたくいわれるし、すっかり落ち込んでいたところに、神戸に住んでいたおばあちゃんが神戸の接骨院を紹介してくれました。当時の「本荘駅」から明石で乗り換え、国鉄「新長田駅」まで通院すること1ヶ月。その接骨院の先生は一生懸命、治療してくださいました。おかげで指の方も徐々に回復してきましたが、

クラスの担任の先生は「徳山君は本当に指が痛いの?」「まだ治らないの!」「病院の先生は何て言ってたの!」って僕に言うので、「指のネンザだって」て応えたんです。すると、「うそ!足はネンザするけど、指はネンザなんてないわ」って、その時、本当に悲しかったです。今なら「足だけじゃなく、指もクビも腰もヒザも関節は全てネンザしますよ」って言えるけど、当時は、もうくやしくて泣いちゃいました。

でも、いまでも思うのですが、この時の「くやしいなぁ」「悲しい」って気持ちが僕の仕事に対する「情熱」に変わっていっていると思います。

「痛い」っていうのは、患者さん自身でないと分からないのですが、ちょっとでも分かってあげれたらと思うし、

「レントゲンでは異常がない」でも「痛い」っていう事も多々あります。また、ケガで苦しんでいる、悩んでいるスポーツ選手を元気に試合に送り出してあげたい。いつもそういう姿勢で治療に取り組んで行きたい。

◆高校2年のとき,将来のことを考えたとき、当時、僕の両親は、今、接骨院がある場所で化粧品店と薬品店を営んでいたので、なんとなく「薬剤師かな」なんて思っていたのですが、

ここでターニングポイント。さっきの事件?が頭をよぎり、やはり「接骨院」だと、本当は父の色々な助言が効いていた(感謝)。

そして、高校3年、受験(明治東洋医療学院専門学校、柔整科)と来たが努力が足らず、「不合格」。

どうしょうってところに和歌山の方の整骨院で求人が・・。電話で問い合わせたら、「免許を持った先生がほしい」とのこと。父と一緒に無理やり頼み込んで修行を許可してもらう。ありがとう上住先生。

1年間、掃除、雑用、デンキ当て、マッサージなどを教えていただき、たくさんの患者さんと接しあらためて「接骨院」だと確信(僕はついてる?)。

今度はたっぷり勉強し受験(明治東洋医療学院専門学校、鍼灸科)、見事?合格。本当は「柔整科」に入りたかったが倍率が高く、成績がよければ「柔整科」に推薦してくれるということで「鍼灸科」に入学。

これが良かった。鍼灸は奥が深い、勉強になる、身体を丁寧にさわって診察していく。本当に僕はついている。

学校に入学してから、クラスメートの紹介で大阪、北浜の「荒藤接骨院」で朝から夕方まで修行(荒藤先生の治療所はお昼休みナシ)しながら学校(夜間部)に2年半通って鍼灸師の免許を取る。

翌年、「柔整科」に無事入学。「荒藤接骨院」で朝から夕方まで修行しながら学校(夜間部)に2年通って柔道整復師の免許を取りました。

その後、1年、先生のところでさらに腕を磨き、

平成3年3月に播磨町に戻ってきて「徳山接骨院」を開きました。

荒藤先生(僕の師匠)は本当素晴らしい先生だ、先生には色々勉強させていただきました。「感謝」。

いつも、たくさんの患者さん、お弟子さんに囲まれ、にこにこ笑顔で仕事をしている先生です。

僕の目標は先生みたいな素敵な先生になることです。まだまだ、これから、努力します。「誓い」。



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