江戸東京ぶらり旅

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ねずみ小僧次郎吉

実在の人物「ねずみ小僧」


 南千住駅のすぐ近く, 小塚原回向院 (荒川区南千住5-33-13)には,日本の歴史には必ず登場する,安政大獄や桜田門外の変の犠牲者,2.26事件の刑死者などが眠っています。その中に「 ねずみ小僧次郎吉 」のお墓もあるのですね。実は,両国の回向院にも彼のお墓があって,こちらの方が本家本元,はるかに立派です。墓石にある戒名は「教覚速善居士」,俗名は「中村次良吉」。没年は天保三年。受験生は「するりと入れる」というご利益,引っ掻いていく人が絶えず,引っ掻き専用の石まで置かれています。石は黒色のスレートのようです。でも,今回の写真はあまり知られていない小塚原の方のお墓(写真)。

回向院7.JPG


 それで,ねずみ小僧って何者かということですが。

 ねずみ小僧次郎吉は1797年日本橋の生まれ,いや愛知県蒲郡市生まれという説もありますが・・・,26歳頃から裕福な武家屋敷に盗みに入り,ついに捕らえられて江戸から追放されたものの,その後もカムバック,懲りずに昔取った杵柄だ。盗みを重ねて,ついに1832年に再び捕らえられ,江戸市中引き回しの上,磔獄門となったのです。

 これって,本当の話,ねずみ小僧は実在の人物だったのですね。彼を題材とした芝居,講談では盗んだお金を貧乏人に施す弱い者の味方,「義賊」として有名ですが,このお話はちょっと出来過ぎ,疑わしいのであります。命がけで盗んだ金を他人にただであげちゃうの? こんな理に合わない馬鹿げたこと,するわけないよ。でも,こうした話は庶民に受け,連日大入り満員。こんな大泥棒いたらいいのにな,といった願望が人々の心を引きつけたのですね。本当はねずみ小僧,盗んだ金で贅沢をし,飲む打つ買うに没頭し,他人の不幸などには関心なし。きっと美味い物を食べ過ぎて,生活習慣病,メタボリックシンドロームか糖尿病か,痛風か,高血圧かになっていたかもよ。

 日本橋浜町の松平宮内少輔邸で捕らえられるまで,侵入した大名屋敷は71箇所,盗んだお金は1万2000両。今のお金に換算するといくらになるのか,数10億の単位にはなるかな。お金のありそうな屋敷を専門に,人を傷つけることなく盗む。これぞ盗賊のお手本,「恐れ入谷の鬼子母神」ですね。北町奉行所(現在の東京駅八重洲北口を出たあたり)で取り調べを受け,品川の南,鈴ヶ森刑場で処刑されてさらし首になりました。


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