江戸東京ぶらり旅

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お台場

「お台場」って本当は何?


 新橋駅から「ゆりかもめ」に乗りましょう。めざすは「 お台場海浜公園駅 」。浜松町から都バスでもOK。船でも行けますよ。

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 ところで「台場」って何でしょう? 1853年のこと,アメリカのペリーさん,黒船で浦賀沖にやってきて,鎖国している幕府に「はやく開国してくださいよ。来年また(この大砲を備えた黒船で)来るから,それまでには結論を出しておいてください」とプレッシャーをかけたのです。いやはや,慌てましたね。無防備きわまりない,当時は迎え撃つ大型の船を徳川幕府は所有していなかったのです。来年あのメリケン人がまた来たらどうしよう。そこで急遽,ドロナワですね, 台場 (大砲を設置する台になる場所ですよ)を造ろうと考えたのですね。黒船で近づくとぶっぱなすぞ! と脅しをかけようと思ったのでしょうね。それで1年ちょっとで品川沖に6つの台場を造ったのです。品川区に台場小学校がありますが,もう校名の由来わかりましたね。当初,11の台場を造る予定だったのですが,その前に井伊直弼さんが日米和親条約を結んでしまったのです。井伊さんも辛かったでしょうが,京都の宮中は世の中知らずで頼りにならず,力のない幕府にはこれ以外の選択肢はありませんでした。結局,金をかけてつくった台場,使いませんでした。

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正面,海の向こうにフジテレビがあります


 こんな皮肉めいた狂歌がありますよ。

  「太平の眠りをさます上喜撰たった四はいで夜もねられず」

 上喜撰(じょうきせん)とは,お茶の銘柄にあったものです。黒船4隻が浦賀にやってきて,幕府のお偉いさん,どうしていいか夜も眠られなかった,という内容ですね。

 六つの台場の内,東京湾の整備で第三台場と第六台場の二つだけが残りました。 第三台場 は台場公園として開放され,第六台場は海上にあって立入禁止です。といっても簡単には近づけないのですがね。前者はもともと海上にあったのですが,埋め立てで陸続きになりました。北側には船着場跡があります。また中央には守備隊の休憩所と呼ばれる兵舎があって,今では礎石のみが残っています。他に火薬庫,玉薬置所などの跡もあります。上の写真のとおり,結構広い場所ですが,バーベキューをしたり野球を楽しんだりはできませんよ。台場からはレインボーブリッジが目の前に見えます。

 ここで出会った若い女の子二人,「えっ,そうだったんですか! 一つ賢くなりました」だってさ。お台場とはなにものかを知らないで訪れる人が殆どなのですね。

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