江戸東京ぶらり旅

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湯島聖堂<神田>

孔子の教えって?


 御茶ノ水駅から見える鬱蒼とした森が 湯島聖堂 。御茶ノ水駅の南側に ニコライ聖堂 があって,二つの「聖堂」をつなぐ橋という意味で,神田川に架かる橋が「 聖橋 」(ひじりばし)。湯島聖堂と神田川の間にある坂が「 相生坂 」,この坂を下って聖堂の入口を過ぎると,北へ上る「 昌平坂 」があります。昌平坂学問所があったから名付けられた名前ですね。

 入場料はいりません,安心して進みましょう。最初に 仰高門 (写真)をくぐります。少し進むと右手に 孔子銅像 があります(写真)。これは世界最大の孔子像,1975年に中華民国台北ライオンズクラブから寄贈されたものです。次に 入徳門 , 杏壇門 と木漏れ日の差し込む中を上り詰め,やがて 大成殿 へ(写真)。もともとは1632年に幕府の政治顧問だった林羅山が,現在の上野公園に建てた孔子廟「先聖殿」を移築したものなんです。徳川綱吉さんはこの先聖殿を「大成殿」とあらため,付属の建物をひっくるめて「聖堂」と呼びました。

湯島聖堂9.JPG


 当初は朱塗りで青緑に彩色されていたそうですが,火災で焼失。改築された黒塗りの建物も関東大震災,第2次世界大戦時の空襲でも消失。さんざんな目にあって鉄筋コンクリート造りで再建。

湯島聖堂6.JPG


 では孔子さんとは如何なる人物なのか? 紀元前551年のこと,春秋時代の中国,魯の国の昌平郷というところに生まれたそうです。孔子さんは面倒くさい現実の世の中で苦しむ人々を救おうと,人間愛を中心とした教えを説いたのです。彼の教えや行いを弟子たちが,彼の死後にまとめたのが「論語」なのですね。儒教の中では一番大事な書物として尊重さてれいます。日本もこの教えに大きな影響を受けました。こんなのどこかで聞いたことありませんか?

孔子廟2.JPG


子(し)曰(のたまわ)く
吾れ十有(ゆう)五にして学に志ざす
三十にして立つ
四十にして惑わず
五十にして天命を知る
六十にして耳従う
七十にして心の欲する所に従って矩(のり)を踰(こ)えず


 孔子さんは70歳になると,心のおもむくままに行動しても,道理を踏み外すようなことはなくなった,なんて自信ありげなことを言っていますね。84歳の奥さんが80歳の夫をハンマーで殴って殺してしまった,という事件が最近ありましたが,奥さんに聞かせてあげたいですね。きっと孔子の論語なんて習ったはずなのにね。

 「子曰わく,学びて時にこれを習う,亦説ばしからずや」(学んだことを時々復習すると,理解がより深まりますよ。これは何とも嬉しいことではないですか) 殴った奥さんは復習が足りなかったのでしょうね。

 「己の欲せざる所は,人に施すこと勿れ」(自分が人からされたら嫌だと思うことは,決して相手にしてはだめよ!) 奥さん,自分が逆の立場だったらどうですか。長い間連れ添った相手に,長生きされては困るという理由で消されたら。

 徳川幕府が人々に滅私奉公を強いるために採用した朱子学ですが,こんな教えなんて古くさい,さんざん文句を言って学問所を退学した人もいましたっけ。



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