エッセイ「Y君のこと」








   「square」

塾の生徒の中に、教えても教えても、覚えない子がいる。
その日に覚えたとしても、次の時には真っ白。

宿題も出す。ちゃんとやってくるけど、時々中に、お母さんのものらしき
筆跡があったりする。
「お母さんに、本人にやらせてくださいっていったらどうですか」という先生もい
る。でも、私はそうは思わない。彼の勉強について、この世で一番心配しているの
は、彼の親だと思う。きっといっしょに夜中まで、奮闘しているのだと、その筆跡
を見て私はいつも、顔も見たことのない彼の母親を、痛々しく感じる。

何か障害をもっているとか、そういうことはまったくわからない。
とても元気で素直な子だし、実は手足が長かったりして、きっと将来かなりの好青
年になるんだろうと私はひそかに思っている。


私が最初にその子に教えたのは、アルファベットだった。
みんながとっくに「this is a pen」を習っているころだった。
指で何番目の文字か数えたりしながら、やっと彼はアルファベットを覚えた。

それから月日がたち、今は中学二年生。アルファベットのようにはいかない。
少しでもこみいったことを教えるのは、もう不可能といってもいい。

とにかく、繰り返す。それしかないと誰もが思っている。
私も、そう思っている。何度もノートにかき、読み、読ませ、そしてまた書かせる。
時には絵を見せたり、ゲームのようにしながら、なるべく楽しく。
時々雑談をきいてやりながら、その繰り返し・・・・


「じゃ、続けてよんでね。 アイ ウォント トゥー プレイ テニス」
「アイ ウォント トゥー プレイ テニス。」

「アイ ウォント トゥー プレイ テニス。」

「アイ ウォント トゥー プレイ テニス。」

・・・・・


数回繰り返していると、私は一瞬、言葉で説明しがたい感覚に体中を包まれた
ような気分になる。
確かにそこは塾の一室で、隣にはその子がいて、別の机では別の子供が、
勉強を教わっている。クーラーの風もいつもどおりに左頬からふいてくるし、
素足にあたる机のあしのパイプの感触も、そのままだ。
でも、何だろう。この違和感は。


そして、いつも頭の中に、一枚のます目の並んだ紙が浮かぶのだ。
それは、幼稚園のころに、ひらがなや、かたかなを練習するときに先生がみん
なに一枚ずつ配る、B4くらいの大きさのわら半紙だった。
それが頭に浮かぶとき、決まって幼稚園の教室の、床についた絵の具のにおいと
か、行きのバスにのるとき決まっておしっこがしたいような気持ちになって不安
になったこととか、お昼寝の時間に眠れなくて、人の顔みたいな天井の模様をず
っと見ていたこととかを、いっしょに思い出すのだった。すべて一瞬のうちに。


私は、2歳になるころにはひらがなを読み、時計を読んだ。こうして大人になる
まで、何か勉強についていけないとか、そういう類のことで困ったことは一度も
なかった。
中学時代、他校のヤンキー風の友達と毎日つるんではいたずらするような生徒だ
ったのに、テストではまったく成績が変わらないことに、仲間も先生も、困惑し
ていた。
でも私は心のどこかで思っていた。どういうことを普段してるかっていうことと、
成績と、どうしてみんなリンクさせたがるんだろう。本当に、まったく、違う世界
の話といってもいいくらい、関係ないと思うんだけど。
思春期の私は、心の中で反発していた。
そんな反発は、今も心の中にあるから、生徒がどんな子で何が好きで何ができるか
ということと、成績を関連付けようとする先生や親に出会うと、いたたまれない。
もっとまっすぐな気持ちで、勉強を見据えたら何かが変わると信じているのだ。


その子は、「私はテニスをしたい」という文章を、もう100回以上繰り返してい
るのに、また忘れてきた。そして少し目を離すと、なにやら落書き帳のような
ものに、野球選手の名前やら、へんな船の絵やら、書いている。

ところでその子は、活躍している野球選手の名前は、全部言える。
「先生、何年生まれ?」ときかれ、「1979年だよ」と答えると、その年に活躍
した選手の名前を得意そうにあげるのだ。
一度、家の本棚にほうってあった、弟が小さいころに見ていた「野球選手マガジン」
を手にとったことがある。写真入りで、歴代野球選手のプロフィルがのっている雑誌。
私自身は、バッターがボールを打ったあと右へ走るのか左へ走るのかもはっきり答え
られないくらい、野球を知らないが、授業中に彼がいっていたことがでたらめなのか
どうか、ふと知りたくなったのだ。

私が生まれた1979年の欄に、彼の言っていた選手の名前が確かにあった。うろ覚
えではあったけれどこれだけ疎い私が「あ」と思ったのだから間違いないと思う。

それからしばし何も考えずにソファにねそべったまま、そのマガジンを床においたと
き、私はもう一度心で「あ」と叫んだ。


幼稚園のころ、本当に一度だけ、なんだけれども、こう思ったことがあった。
「なんでひらがなやカタカナの練習って、ます目の中にしなきゃいけないんだろう」
そんなに幼いころのことを、しかも幼いころの中のたった一度のことを、どうして今
こんなに鮮烈に思い出したのか。

その子は、英語を書かせるとき、私が単語ごとに線でます目を作ると、決まってこう
いった。
「先生、おれ、それきらいなんだよ。」
な~~にをこのわがままやろうが!!と聞く耳も持たなかったが、その何気ない一言が
突然、幼いころの私の気持ちと通い合った。
そして、今までどんなに悩んでもまったくわからなかったこと・・・どうして彼が英語
を覚えられないかとか、野球選手の名前をあんなに性格にいえるのかとか、へんな絵を
落書き帳にかくのかとかいろんなこと・・・に、次々にちかちかと、明かりがとも
ってきたのだ。

私は、透かせばあっちが見えるくらいに薄いわら半紙に真っ黒い直線で描かれたまるで
格子のようなます目が、こわかった。まだできたての小さな心臓を、いつもすこし揺ら
した。
でもその中に文字を書き、何回も書き、毎日書いていたら、少しもこわくなくなった。
そして文字がわかったらいろんな絵本を読めるようになったし、いろんな勉強ができる
ようになっていった。寝る前に必ずよんでもらっていた絵本も、「わたしがよむ!」
とはりきるようになっていた。
いつしかそのわら半紙のことなんて記憶からすら消えて、今にいたる。

それでも私が文字を知り、この世界を知るきっかけはいつだって、あのます目から始ま
ったのだ。
真っ白な落書き帳に絵をかいたり字をかいたりするほうが、私だってずっと好きだ
ったけれど。

いつか彼も、私が線でくぎってあげなくても、すらすらと英語を書くようになるんだろう。
道のりは遠いかもしれない。でもそういう日が必ずくる。
今まで路頭をさまよっていた私の迷いは確信に変わり、私の内部を潤す。
そういう日がきたら、あれだけ野球選手をおぼえられるんだもん、きっと流れるように
いろいろなことを学んでくんだろう。私のことも忘れて、勉強したり、恋したりしながら、
大人になっていくんだろう。

そのときが待ち遠しくて、早くそのときがくればいいのに、と思う。でも反面、いつまでも
このままの彼でいてほしいとも思う。


PSなんと、文中に出てくるヤンキーだった友達に、ばったり会いました。
ホームセンターで(笑)。今では私は引っ越してしまっているので、なおさらびっくりです。
彼女、美容師になっていました。そしてかわいい女の子を連れていました。






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