抗がん剤の考え方…





●2000年1月24日(月)

抗がん剤一時中止。
あまりにも体調が悪く、手足がぎくしゃくして歩くのがやっとだった。先生とお話しをして今日はビタミン剤の点滴だけにした。血液検査では白血球が6100になった。入院時の6200に近くなった。キトサンを飲んでいるからだと実感した。先生は不思議に思ったんじゃないかなあ。足がふらつくのは抗がん剤のせいなのかキトサンの好転反応なのかわからない。先生に抗がん剤をやめたいと言ったら、根治手術をしたががん細胞がひそんでいるかもしれないし無いかもしれない状態だ、抗がん剤をやらないよりやったほうが良い、というのが先生の考えだった。決して抗がん剤をやめたいと言ったことに否定的ではなかったが、抗がん剤に替わるものはないとはっきり言われた。そして体調が悪い今決定しないで、体調がよくなってからもう一度考えたほうがいいと言われた。先生が言うとおり体調がよくなれば冷静に考えられるし、抗がん剤を投与してもいいかもしれない。



●2000年1月27日(木)

昨日近所の薬局で借りた本の中で、奈良の慈恵クリニック山田院長が、「がんはその人が生きてきた人生の結果生じたもので、その人の生き方に直結したもの。ライフスタイル、食生活、タバコ、ストレス、考え方、そういうがんの原因となるものがすべて患者さんに反映されて、がんという結果が生じる」と書いていた。正直いって愕然とした。私の生き方はそんなにもいけない生き方だったのかと思う。ところが反省の箇所がわからない。普通の人間なら私みたいな生活は大なり小なりやっているはず。どうしても納得のいかない言葉だ。



●2000年1月28日(金)

先生の第一声は「(抗がん剤)やめますか?」だった。そうあっさり言われると思い悩む私の性格を、先生はしっかり見抜いているのね。私は「6クールならきっと辛くて途中で挫折しますが、3クールだったら頑張ります」と言った。3クールで決定した。2月4日に血液検査をして7日と14日に抗がん剤を予定した。明日からまたエンドキサンを飲むように言われた。あれを飲むと排尿痛があるからちょっと嫌だな。



●2000年1月31日(月)

お願いだから私の前で頑張っている人(健常者)の話しをしないでほしい。「○○さんに会ったのよ。朝7:30から仕事なんですって。子供の送り迎えもしてるし、頑張ってるわねえ。」悪気はなくても、ただの世間話でも、頑張れない状態の今の私。気持ちだけあせってしまってひどく落ち込む。



●2000年2月5日(土)

2,3日前に乳がんホームページの掲示板に、「抗がん剤どうしよう」というタイトルで今の私の悩みを書き込んでおいた。すると今日Sさんという人が私宛に掲示板に書き込みをしてくれた。35歳の人。私と同じく左を切除して9クールの抗がん剤に耐えた人。それでもすごく明るくて私の心の支えになってくれそう。すぐにSさん宛てにDMした。そして1時間後くらいに返事がきた。1998年5月に手術して放射線治療、抗がん剤9クール、髪が抜けてひどい吐気があったって。抗がん剤は入院で投与したそうだ。私が通院でやるのでまだよいほうだということを書いていた。メル友(癌友)がたくさんいるそうだ。いつでもメールくださいねという優しいお言葉。ウルウルしちゃう。やっと自分一人じゃないっていう気持ちになれた。



●2000年2月7日(月)

抗がん剤の日。
最悪だ。体中の細胞が暴れているみたいでいてもたってもいられない。痛くも痒くもないけれどものすごく苦しい。説明のつかない嫌な状態。体が火照る。



●2000年2月8日(火)

細胞の暴れはなくなったが体がひどくだるい。それでも乳がん関係のホームページは欠かさず見るようにしている。私の力や勇気はそこからたくさんもらえるから。インターネット乳がん患者の会・テデイーベアにも入会した。ROMでどういう人がメンバーかを見てから自己紹介をしよう。もう少し体調を整えてからじゃないと、ろくなこと書かないから。



●2000年2月10日(木)

昨日今日とつらかった。だるくてしかたがない。胃がムカムカするのと頭が重いのも嫌だ。毎日3袋飲んでいるAHCCを倍に増やそうと思う。とても弱い自分になっていくのがわかる。もうこんなつらいことはやめたい。副作用は死ぬよりつらいと感じる。来週月曜日にはっきり断って、普通の生活に戻りたい。つらい!つらい!つらい!こんなことをどうして私がやらなきゃならないの?



●2000年2月12日(土)

CMFのことをテディのMLで質問したら、和歌山県立医大の外科の先生が、一度体調不良で休んでも今までのCMFはすべて無駄になっていないということを教えてくれた。そして次回14日が3クールの1回目ということになるそうだ。無駄になっていないことを知って本当に安心した。3クールの1回目は頑張って受けよう。でも2回目は受けられない気がする。3クールなら頑張れると自分で言っておきながら、けじめもつけられないなんて情けないけれど、途中でリタイヤするなら最終的に責任は自分にあるということを肝に銘じておかなくてはいけない。



●2000年2月13日(日)

やっと外出できた。少し気分が良くなったのでフェスタへ買い物に行った。みきへの誕生プレゼントを選んでみたり、サラダバーでサラダを山盛り食べたり、何よりもスィングマーマレーズのJAZZ演奏があったのが嬉しかった。真正面の椅子にこしかけてスタンダードジャズや映画音楽などを聴けた。生演奏だったので思いがけずストレス解消ができた。



●2000年2月14日(月)

抗がん剤の日&バレンタインデー。
今回がもし思ったより楽にすめば、もう一度頑張ってみようかとも考えた。しかし今回は点滴中に細胞が暴れ出した。付き添っていた母が下半身を長時間さすってくれて何とか乗り越えた。点滴が始まってから主治医が診に来てくれた。今回で抗がん剤をやめたいと懇願したが、先生はOKしてくれない。
今日は世間はバレンタインデー。みきから先生に小さいチョコのプレゼント。私は??恥ずかしくて先生に渡せなかった…。



●2000年2月16日(水)

昨日から頭痛が治まらずバファリンを飲んでも治らない。一晩苦しんだ。緊急で病院に行った。歩けないので生まれて初めて車椅子に乗った。パジャマのままガウンにコートを羽織ってひどい姿のままだった。血液検査は異常なし。主治医が言うには血管が急に開いたのが原因だそうだ。先生の掌と比べたら私の方が赤かった。頭痛薬をもらってすぐに飲んで点滴を受けた。抗がん剤の濃度が低くなれば体調も良くなるから入院はしなくて良いと言われた。私の状態を見て先生は「(抗がん剤を)続けるのは無理だね…」とやっと言ってくれた。辛い顔をしながら私の心の中は「やっぴー!」だった。やっとわかってもらえたこの辛さ。スッピンで行ったのがよかったのかな。この私でも化粧なんてする余裕はなかった。洗面所まで這って行って顔を洗うのが精一杯だった。病院に着いて担当の看護婦さんの顔を見たらほっとして、先生の顔を見たら心から安心できた。病人ってこんなに不安なものなんだとつくづく思った。



●2000年2月18日(金)

今日は体調も戻りおしゃれをして病院に行かれた。先生もほっとしたみたいで笑顔だった。あまり笑顔を見せない先生だからやっぱり100万ドルの笑顔だ。白血球は3600に減ったけど先生は大丈夫だと言っていた。ノルバデックスが25日になくなるので、次回は1週間後の金曜日に外来予定。25日は空いているからそのほうがいいよねって先生が言っていた。その日によって患者数ってそんなに違うのかな。それだったら先生ともっとおしゃべりしたいなー(なんて先生には言えないね)。
触診の時に先生の机の横の棚をながめていたら「抗がん剤の薬の選び方」というものがあった。私の持っている本と違って、専門書なんだろうなー(当たり前)、読んでみたいなーなんて思った。でも私はもう抗がん剤は一応終了した。次に考えることは1.再発防止2.再建について3.再発時の覚悟。
インターネット乳がん患者の会のメールの中で「私の主治医はケビン・コスナー似です。」なんて言ったらそれからはケビン先生になってしまった。






© Rakuten Group, Inc.

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: