鍋・フライパンあれこれ美味
100万ポイント山分け!1日5回検索で1ポイントもらえる
>>
人気記事ランキング
ブログを作成
楽天市場
000000
ホーム
|
日記
|
プロフィール
【フォローする】
【ログイン】
日替わり「鉄道写真館」&ダイエット
これまで公開した鉄道写真
これまでに公開した鉄道写真です
これまでに「日替わり鉄道写真館」で公開した鉄道写真を集めています。ジャンルごとにある程度集まり次第、別のページにまとめて整理しているので、そちらもご覧ください。
特急列車
長野・上越新幹線開業前の特急「あさま」「とき」
「上野~長野」を結ぶ特急「あさま」、「上野~新潟」を結ぶ特急「とき」。新幹線開業前の上野駅は、あちこちのホームで特急列車が見られる、とても“華やか”で“旅情あふれる”駅でした。今では夜行列車と常磐線の特急が見られるだけで、鉄道ファンにとってはあまり面白くない駅になってしまいましたね。(上野駅にて、1977年)
東北新幹線の開業は1982年のこと。それまでは、東京~仙台、山形、秋田、盛岡、そして青森を結ぶ数多くの特急列車が走っていました。東北本線の栗橋駅付近(埼玉県)はそんな特急列車の撮影名所でした。上の写真はボンネット型の485系電車。下の写真は寝台兼用の583系電車。確かに新幹線ができて便利になりましたが、この頃の“旅情たっぷりの特急電車”が懐かしいです。(東北本線栗橋駅付近、1978年)
さようなら「寝台特急あさかぜ」
ブルートレインの“元祖”、寝台特急「あさかぜ」の廃止まであとわずかになりました。1970年代はまさにブルートレインの黄金時代でした。東京駅のホームは、休みの日になるとブルトレの写真を撮る“カメラ小僧”で溢れ、そんな中を、「あさかぜ」「さくら」「はやぶさ」「富士」「みずほ」など、九州からやってくる寝台列車が、少年たちが羨望のまなざしで見守るなか続々と到着する。それが乗客減で廃止とは、実に寂しいものです。(東京駅にて、1975年)
2005年3月をもって引退する“ブルートレインの元祖”「寝台特急あさかぜ」。1956年に東京~博多間を走り始めた当初は、従来の旧型客車を使っていましたが、1958年に新型の「20系客車」を採用。全車両冷暖房完備の豪華設備から「走るホテル」とも呼ばれ、また車両の青から「ブルートレイン」とも呼ばれるようになりました。とは言え、20系客車は3段式寝台でB寝台はベッドの幅が52cm。今から考えれば窮屈な寝台車でした(現在は2段式寝台の24系客車を使用)(1976年、東京駅)
上野~仙台を結んでいた「特急ひばり」。東北新幹線が開通する前は、東北本線で最も本数の多い特急列車でした(1976年、西日暮里駅)
ボンネット型の489系特急「雷鳥」。昔はこんなボンネット型電車がたくさん走っていました(1978年、大阪駅)
長野新幹線が開業するまでの1966年から1997年までの22年間、信越本線を走り続けた特急「あさま」。当初は181系電車が使われ、その後、上野~金沢を結ぶ特急「白山」用の489系電車も使われるようになりました。この写真は“ヒゲのボンネット車”489系電車で、山手線の西日暮里駅で撮影したものです。新幹線開業前は、この西日暮里駅のホームは、東北本線、上越線、信越本線の特急列車が頻繁に走る“撮影名所”でよく行ったものです(1977年、山手線西日暮里駅)
特急電車の元祖と言えば、1958年に登場した「特急こだま」。東京~大阪を6時間50分(その後6時間半)で結び、東京~大阪の日帰りを可能にした「ビジネス特急」と呼ばれました。そこで作られた「151系」の流れを汲むのが、この「181系」です。上越線の「とき」、信越本線の「あさま」、中央本線の「あずさ」などで活躍しましたが、1982年の「とき」を最後に引退しました(1976年、上越線越後中里駅付近)。
<
現在の「特急踊り子」の前身である「特急あまぎ」。昔は157系という電車が使われていました。写真は157系の運転最終日、東京駅の風景です。翌日からは「183系電車」に切り替えられました(1976年2月29日、東京駅)
こちらも「157系特急あまぎ」。撮影名所だった早川駅、根府川駅付近での写真をピックアップしました。(1975年、東海道本線早川駅付近(上)、根府川駅付近(下))
ブルートレインの元祖「特急あさかぜ」「特急さくら」が2005年3月に廃止になるというニュースは、新聞等でもずいぶん大きく取り上げられました。残る九州行きのブルートレインは「はやぶさ」「富士」のみとなり、しかもこの2つは小倉まで併結運転されるということです。その「特急富士」は、今では大分行きになっていますが、かつては東京から西鹿児島まで、日豊本線経由で走る、日本一の長距離特急でした。この写真は、そんなブルートレインの“黄金時代”に撮ったものです。ちなみに当時は、EF65型電気機関車(500番台)が牽引。その後、EF65の1000番台に代わり、現在はEF66型電気機関車が牽引しています(浜松町駅付近、1977年)
狩人の「あずさ2号」でも歌われ、全国的に有名になった中央本線の看板列車「特急あずさ」。183系と189系電車(183系をベースに信越本線横川~軽井沢でEF63型電気機関車と協調運転できるようにしたもの)が使われていましたが、2002年12月に引退。現在これらの車両が見られるのは、千葉県内の特急列車ですが、新型の257系電車が順次投入されており、こちらもそう遠くない将来に引退する予定です。この写真は高尾~相模湖間で、ちょうど小仏トンネルを出てきたところを撮ったものです(中央本線高尾~相模湖、1977年)
急行列車
急行くずりゅう(京都駅にて)
「急行アルプス」と言えば、“山男”の列車。たくさんの登山客を乗せて、新宿~松本・信濃大町を走っていた、中央本線の看板列車でした。今では日本中で、急行列車自体がどんどん特急に置き換えられてしまい、中央本線の主役も「特急あずさ」になってしまいましたが・・・ (中央本線高尾~相模湖、1977年)
「20系客車」と言えば、ブルートレインの“元祖”です。東京と九州を結ぶブルートレインで使われていましたが、「14系」「24系」の登場で、20系は第一線から引退。この写真の「急行安芸」などに活躍の場を移しました(大阪駅、1977年)
東京~大阪を走る「急行銀河」。東京を夜11時に出発し、大阪には朝7時過ぎに到着する、けっこうビジネスにも便利な夜行列車です。当時はEF58型電気機関車が「ブルートレイン」の元祖である20系客車を牽引していました。下の写真は急行銀河の最後尾(大阪寄り)に付いていた電源車「カヤ21型客車」。客車の冷暖房や食堂車調理設備などの電源供給を行うためのディーゼル発電機を搭載した車両です(1977年、田町駅)
1970年ごろまで東京~大阪間を走っていた修学旅行専用列車「ひので号」と「きぼう号」で使われていた155系電車です。その後は修学旅行も新幹線利用に切り替わり、155系電車は臨時列車などで使われていました。(1977年、東海道本線根府川駅付近)
1965年に製造された修学旅行専用列車用の電車です。1970年代に入って、修学旅行が新幹線利用に切り替ったため、急行列車や臨時列車で使われていましたが、2003年に全廃されました。なおこの電車は、東京の交通博物館に保存されています(1978年、東海道本線根府川駅付近)
昔は急行列車でも、こんなヘッドマークを付けていました。今では特急ばかりになって、急行列車そのものが滅びつつありますけど・・・(大阪発富山行き急行「立山」、1978年大阪駅)
旧型電車&国鉄の通勤電車
飯田線の旧型国電
田町駅にて(1976年)。配給車と呼ばれるタイプの電車です
最近はあまり見かけなくなりましたが、昔は「郵便電車」「荷物電車」が、よく普通列車に併結されて走っていたものでした。郵便車は「ユ」、荷物車は「ニ」で表すルールになっており、この写真の「クモユニ82」「クモニ83」は、旧型国電の「72系電車」を改造して作った「郵便/荷物兼用電車」「荷物電車」です。ちなみに鉄道による郵便輸送事業は1986年に廃止され、それに伴って郵便車も廃止となりました(1977年、中央本線高尾~相模湖)
昔の東海道線では、普通列車の後ろにこのような「郵便・荷物専用電車」がくっついていました(東海道線鴨宮駅、1976年)
八王子から町田や新横浜を経て東神奈川を結び、さらにその先の横浜や桜木町、磯子まで乗り入れる「横浜線」。今では新型の205系電車が走っていますが、1979年9月までは茶色い旧型国電「72系電車」が走る路線でした。その横浜線で異色だったのが荷物電車「クモニ13」。新聞輸送のために、通常の列車に併結して走っていたそうです。(横浜線片倉駅付近、1978年)
元祖「湘南電車」の80系。当時はまだ東京駅まで乗り入れていました(東海道本線根府川駅付近、1975年)
1957年に登場した101系(当初はモハ90系)は、それまで茶色一色だった旧型電車に代わる新性能電車として登場。その後登場する国鉄の通勤型電車の基礎となった車両です。101系が最初に投入された中央線では1985年まで活躍していました(1977年、中央線高円寺駅)
昭和30年代まで山手線や中央線など、都心部の通勤電車で活躍していた“茶色い電車”72系は、30年代後半から青梅線や南武線、横浜線など、都心の周辺路線に活躍の場を移していました。そんな中で、最後まで残った活躍の場が、京浜工業地帯のど真ん中を走る「鶴見線」。写真は支線の終点「海芝浦」駅で撮影したもの。海芝浦は、ホームが海の岸壁にあり、しかも改札を出るとそこは東芝の工場で部外者は入れない、妙な駅でした(鶴見線海芝浦駅にて、1978年)
京浜工業地帯の一角、鶴見線大川支線(武蔵白石-大川)のわずか「1kmにも満たない」区間をトコトコ走る「クモハ12型電車」。車長が17メートルと、一般の車両の20メートルよりも短く、しかもそれがたった1両で走る姿はとてもほほえましいものでした。残念ながら1996年に引退してしまいました(1978年、鶴見線大川支線)
飯田線を走っていた“流線型電車クモハ52”。1937年に京都~神戸の急行電車用に登場した、当時流行していた流線型を取り入れた電車でした。京都~大阪を36分、大阪~神戸を28分で走っていたそうです。1978年に引退しました(1977年、飯田線にて)
お茶とみかんをイメージした、緑とオレンジ色の「湘南電車80系」。1950年に東海道本線でデビューし、茶色1色塗装が当然だった当時の鉄道界に新鮮な驚きを与えたそうです。その後、全国各地で活躍したが、1983年に飯田線を最後に引退しました。この写真は、その飯田線で撮影したもの。ちなみに、東海道本線で湘南色を引き継いだ113系電車も、来年の1月に東京駅発着の列車から姿を消すことになっています(飯田線田切駅付近、1978年)。
旧型国電の宝庫だった飯田線。この電車は「クモハユニ64型」。
JRの電車はク=制御車、モ=電動車、ハ=普通車といった記号のルールがありますが、この電車はさらにユ=郵便車、ニ=荷物車まで1両に入っているため、「クモハユニ」なんて長い形式名になっているのですね。(飯田線伊那松島駅、1978年)。
上越線の新潟~水上間で1970年代に活躍していた「70系電車」は、独特の色が使われていおり、正面のスタイルも2種類ある、ユニークな電車でした(1976年、上越線土樽駅にて)
電気機関車&ディーゼル機関車&蒸気機関車
異色のディーゼル機関車DD54。福知山線で活躍していました(大阪駅、1978年)
これまでも何回か紹介したディーゼル機関車「DF50」。電化工事の進むなか、紀勢本線で最後の活躍をしていたころの写真です(紀勢本線岩代駅付近、1978年)
「トンネルを抜けるとそこは雪国だった」--。その舞台となった、上越線の清水トンネルを挟んだ水上~越後湯沢は、まさに雪国の世界。EF16型電機機関車が重連で貨物列車を引いていました(上越線越後中里駅付近、1978年)
現在の御殿場線は、もともとは東海道本線の一部でした。しかし1934年に丹那トンネル(熱海~函南)が開通してそちらが東海道本線になり、御殿場線と名前を変更。それまで複線だった線路も単線になり、一気にローカル線になってしまいました。1968年に電化されるまで、大型のD52型蒸気機関車が活躍。この写真は1976年に撮影したもので、SL廃止後も残されていた機関庫の建物とD52型蒸気機関車です(1976年、東海道本線国府津駅)
昭和63年の「さいたま博」にあわせて運行を開始した「
パレオエクスプレス号
」。この列車を牽引する蒸気機関車が「C58-363」(昭和19年製)です。東北地方をずっと走り、昭和47年にいったん廃車になりましたが復活し、今でも現役で秩父鉄道の熊谷~三峰口まで、約2時間半かけて走っています。運行期間は毎年7月から12月上旬まで。今年の運行は終了しました(秩父鉄道にて、1993年)
大井川鉄道と言えば、SLの走る私鉄として有名です。動態保存のSLが本線を走り始めたのが1976年。その1号機がこの写真の「C11-227」です(現在6両のSLが動態保存されています)。その後、国鉄(JR)も蒸気機関車を復活させましたが、大井川鉄道の、SL動態保存の先駆けとしての功績は非常に大きいと言えるでしょう(大井川鉄道千頭駅にて)
私鉄
鎌倉から藤沢まで、湘南の海岸沿いをトコトコ走る江ノ電(江ノ島電鉄)。最近ではほとんど新しい電車になってしまいましたが、昔はこんな風情のある、古~いタイプの電車ばかりでした。途中、道路上を走る区間があり、そこだけは、さらに、ゆ~っくりゆ~っくり走っていました(1978年、江ノ電腰越駅付近)。
新宿から八王子・高尾山口まで走る京王線。この5000系電車は、1963年に登場し、その斬新な色とデザインで注目を集めた車両で、鉄道友の会のローレル賞を受賞しました。1996年に営業運転から引退し、事業用として残っていた車両も2004年に廃車となりました(1977年、京王線高尾~高尾山口)。
私が鉄道写真を撮っていた昭和50年代は、戦後の復興期に登場した「旧型」電車が次々と引退していった時期でした。この写真は京王線の2600系。1950年に登場した電車で、1977年に現役を引退しました(1977年、京王線高尾~北野のどこかの駅にて)
以前紹介した京王線2600系に続いて、1953年に登場した電車です。前面は国鉄の「湘南電車」と同じ2枚窓になっており、2600系と比べると、ずいぶんモダンなデザインになっています。1981年に引退しました。(1977年、京王高尾線にて)
そのほか
赤字ローカル線が非常に多い北海道の鉄道は、1987年の国鉄民営化を境に、次々と廃止されていきました。この写真は網走と中湧別を結んでいた湧網線の「浜佐呂間駅」です。文字通り、サロマ湖の近くにある駅で、ここから自転車を借りて、サロマ湖まで往復した記憶があります。1987年に廃止となりました。(湧網線 浜佐呂間駅、1980年)
明治時代の建造物を一同に集めた「
明治村
」。帝国ホテル、森鴎外・夏目漱石住宅、三重県庁舎、品川燈台をはじめ、数々の重要文化財を含む67もの建造物(本物)が保存されています。そして何より鉄道ファンにうれしいのは、明治時代の京都市電と蒸気機関車が現役で走っており、乗ることもできるのです。(明治村にて旧京都市電)。
明治時代の建造物を一同に集めた「
明治村
」。その中を今なお現役で蒸気機関車が走っています。この「12号機」は、イギリスのシャープ・スチュアート社製で、明治7年輸入され、新橋・横浜間を走った日本最古の機関車の一つです。客車は明治41年製と45年製のものが使われており、片道5分の距離を毎日走っています(愛知県犬山市、明治村にて)。
大糸線(松本~糸魚川)の旧型国電
長野県の松本と新潟県の糸魚川を結ぶ「大糸線」。その中の電化区間「松本~南小谷」を1981年まで走っていた旧型電車は、“青い”電車でした。当時、私はモノクロ写真に凝っていたため、この大糸線の青い旧型電車をカラーで撮らなかったことを、今となっては後悔しています。(大糸線-場所は不明、1978年)
ジャンル別一覧
出産・子育て
ファッション
美容・コスメ
健康・ダイエット
生活・インテリア
料理・食べ物
ドリンク・お酒
ペット
趣味・ゲーム
映画・TV
音楽
読書・コミック
旅行・海外情報
園芸
スポーツ
アウトドア・釣り
車・バイク
パソコン・家電
そのほか
すべてのジャンル
人気のクチコミテーマ
万歩計
こんなに歩いている!
(2025-01-23 22:18:25)
入浴後の体重
2025/06/30(月)・06月「0・7増」…
(2025-06-30 17:00:00)
介護・看護・喪失
悲嘆の不意打ち
(2025-11-18 21:32:07)
© Rakuten Group, Inc.
X
共有
Facebook
Twitter
Google +
LinkedIn
Email
Design
a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧
|
PC版を閲覧
人気ブログランキングへ
無料自動相互リンク
にほんブログ村 女磨き
LOHAS風なアイテム・グッズ
みんなが注目のトレンド情報とは・・・?
So-netトレンドブログ
Livedoor Blog a
Livedoor Blog b
Livedoor Blog c
楽天ブログ
JUGEMブログ
Excitブログ
Seesaaブログ
Seesaaブログ
Googleブログ
なにこれオシャレ?トレンドアイテム情報
みんなの通販市場
無料のオファーでコツコツ稼ぐ方法
無料オファーのアフィリエイトで稼げるASP
ホーム
Hsc
人気ブログランキングへ
その他
Share by: