としきぴ堂

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ネチケットと鬱な人



会話はよくキャッチボールに例えられますが、ある種の憂鬱な人との会話はまったく様子が違います。あたしの投げかけた言葉へは、直接的に応答してくることは、まず期待できません。では、どういった返答があるかといえば、基調となるのは「自分は間違ったことを言った/したおぼえがない」です。これでは、こちらの言っていることが通じているのかすら、判然としません。
これまでの経緯を無視して、この鬱な人は、誰が正しいか、などという裁判じみた応答に持ち込もうとするのですが、では、なにについての「悪」なのか、これもわかりません。しいて考えられるのは、鬱な人の心のわだかまりに、あたしの言葉がひっかかったのかもしれないという推測です。実際にそうであるか、どうか、たずねて答えが返ってくる相手ではありません。
この手の鬱な人は、自分を大切にする気持ちがかなりすりへっている可能性が大きいです。自分を重んじる心がなければ、他人への信頼もありえません。信頼がない間で、空疎な言葉が空回りして、最後には相手を悪者にしてしまうのが、この手の人の常套的なやりとりです。もちろん、この人自身には自覚がないと思います。
上記の応答には、鬱の人に他者が見えていない傾向も見てとれます。他人と自分は違うのだから、自分が思ったような返答が来るとはかぎらない、その時どうするか、という基本的な対人関係の調整がまったくできないに等しいわけです。すると、これまでの経緯につりあわないような極端な言葉を返してきます。ありていに言ってしまえば、少し前にはにこにこしていたのに、直後に切れて攻撃的になってくるわけです。
ケースによってはむやみにへりくだって、わびてくる場合もあります。この時の謝罪は「これ以上、自分にかまわないでほしい」ということを伝えるのが目的なので、謝罪された側は、なんともつじつまがあわない思いの中に放り出されてしまいます。

上記のような鬱の人に、ネチケットを説明しても理解してもらうのは難しいと思います。
( ーoー)y-~~~、言ってもわからないのは、当人の理解力の限界だと割り切ってしまうという手もあります。

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