全8件 (8件中 1-8件目)
1
牛のような動きをしている自分の姿を見て、これはいかんと早朝ランニングを始めました。でも気持ちは? たるんでしまった自分の気持ちを鍛えるために何かしただろうかとふと思いました。作業の都合上、身体が悲鳴を上げるようなきつい肉体労働が続いたとします。しんどいなあと思う反面、身体が鍛えられていく充実感もあります。仕事で身体を鍛える場面がなくても、わざわざこうして、走ったり泳いだりしているわけです。気持ちはどうだろう。ハードな局面を迎えたとき、避けることばかり、癒すことばかり考えてきたような気がします。精神的にキツイ状況が続いても、筋肉痛のときのように、「でも、鍛えられている」と思えばいいのではないかと。。。話は変わって、今日近くの酪農家のところへ味噌を届けに行って、ついでにあつかましくも牧場を案内してもらいました。本物の牛は可愛いです。そして、親はやっぱりデカイ!!お土産に貰った牛乳もとてもおいしくて。でね。そこは今、20代の息子さん夫婦と共に二世代4人で作業してらっしゃいます。僕がいうのも変ですが、家族で働いてる姿というのは本当にいいですね。これが農業の最大の魅力かもしれないですね。
2005.02.19
コメント(4)
昨日は長女の誕生日でした。12歳。そういえば昨年のこの時期は虫垂炎で入院していて大変でした。5年間無欠席で通した学校を休む休まないでおおもめしたことなどをこの日記に書いていたのを思い出します。昨日はバナナのことを思い出しました。彼女が保育所の頃の話です。台所に行くと彼女がテーブルに一人で座っていました。僕が行くとビクッとして、決まり悪そうにしています。手にはバナナ。(笑)おやつにバナナは全然OK。なーんだ、食べんさい。でも食べません。もじもじしています。で、理由を聞いたら。。。バナナの房の中で大きそうなのを1本とったら、隣にもっと大きいのがあったと。で、そっと、その大きいのに取り替えようとしたところに僕が登場(笑)OK,OK、大きいのを食べんさい。で、とっても嬉しそうな顔をして。。しかし、今時、バナナの大きさで一喜一憂もうちの子供ぐらいのものだろうなあ、なんて妙にしみじみしたのを覚えてます。さてさて、このバナナ娘も春には中学生。嬉しいような、寂しいような。。。
2005.02.17
コメント(2)
ご近所の葬儀に参列のため、今日は学校、お休みを取りました。大往生と言えるお年だと思います。僕がこちらに来てから随分お世話になった方です。それにしても、この10年、一体何人の葬儀に立ち会ってきたことでしょう。そのたびに、戸数まで減っていきます。これが高齢化ということなのでしょう。。。たった今、葬儀から戻ってきました。故人の人柄でしょうか。空気は澄んでいて冷たかったけど、お日さまが、ぽかぽか暖かくて。なくなったおばあさんは、僕達が今住んでいる山のもともとの持ち主でもあります。そして、直接、間接に、ずっとおばあさんの田んぼは僕が作り続けてきています。農作業に行くと、いつも、お茶や、ビール、お菓子なんかを用意してくれていて。帰るときにはいつまでも見送ってくれていて。人の生死にはかなり醒めていると自覚している僕ですが、やっぱり、お別れは寂しいなあ。さてさて、まだお昼過ぎ、ぽっかり時間が空いたことになります。非常勤で出してから、前もってわかっている休みのときはしゃかりきになって、味噌を仕込んでいるので、なんだかこういうのは久しぶりです。何をしようか。。なんていってる場合じゃないのですが、やっぱり、「何をしようか」の気分でいたいと思います。
2005.02.14
コメント(0)
かぼちゃ畑というのはうちがずっとお世話になっている自然食品店のことです。昨日そこの店長さんから、今月いっぱいで退職される事、お聞きしました。とはいっても、出産のための退職ですから、非常におめでたいことではあります。思えば、開拓父ちゃんというのは、彼女のネーミングであります。ある本に彼女がうちの紹介の記事を書いてくれて、そのときのタイトルが、「開拓父ちゃん、手作りの暮らし」 その後いろいろあって、、自ら開拓父ちゃんと名乗るようになった。という次第です。コピーやデザインのセンスも抜群で、非常に暖かい。父ちゃんの手前味噌も確か彼女のネーミングだったと思うし、ラベルなど、彼女の手によるものが多いです。鶏を飼い始めたばかりの頃、僕が始めて営業に出かけたのも彼女のお店でした。「卵を買ってください」の一言がついにいえなかった僕は、仕方なくこんにゃくを一つ買って帰ったのでした。(笑)その後、別のご縁で、うちを訪ねてこられ、「ああ、こんにゃくの人だ。」(笑) ご自分の結婚式のときはうちの玄米餅を引き出物に使ってくれました。かれこれ、10年近いお付き合いになります。オーナーは別にいても、彼女が作り上げてきたお店ですので、実質かぼちゃ畑というお店は一旦消えることになります。とても寂しいことですし、うちにとっても大きな痛手です。でも、まさにおめでた退職。また落ち着いたら、楽しいお店を作ってくれることでしょう。それまで、うちもがんばんなきゃ。
2005.02.13
コメント(0)
人間歳をとれば、いろいろな荷物を背負わざるを得ないわけで。楽しいのもあれば、見るのも嫌なんて、荷物もあるのでしょうね。でも、荷物を背負えてるという事実そのものがとても貴重なことのようにも思えます。でね。この荷物、おろしたいと思えば、いつでもおろせるんですよ。多分。おろしたくないから背負っている。それでもしんどくなったら、おろしてしまうか、足腰鍛えるか。僕は、往生際が悪いのと、いろんなことを経験したいので、足腰鍛えるほうに回ってしまいます。と、いうことで、今朝もまた走ってしまいました。(笑)付き合ってくれてる子供達に感謝です。
2005.02.07
コメント(5)
まだ続いています。といってもこの前の大雪から道路がガチガチなので、今日までお休みしてました。でも、その分他で走りました。今日、中1長男が駅伝に出たので応援に行きました。柚子味噌作りもあったし、もう親が応援にいってやる年齢でもないと思っているので、普段なら行かないのですが、なぜだか行ってしまいました。ダメですね。走ってくる姿を見るだけで、涙が出そうになる。親ばかというわけでもありません。うちの子だけではなくどのランナー見てもですから。懸命に走ってるその単純さに心打たれるのでしょうか。不思議ですね。テレビで有名な駅伝見てもな退屈なだけなんですが。がんばれ!と声かけようと思っても涙が出そうになるので、本当に困りました。仕方ないので、見てみぬふりのようなおかしな応援の仕方です。(笑)でね、何より吃驚したのが、50代、60代くらいの熟年?ランナーが多かったこと。この人たちが、中学校の陸上部連中と、互角に張り合っている!40そこそこで小学校の中学年と競っている僕は恥ずかしくなりました。明日からのランニング、力が入りそうです。追記なんと、この日記始めて1周年でした。記入率が約半分。最近随分さぼり気味ですが、それでも2日に1回は書いたことになります。決してアクセスも多くないし、地味なサイトですが、皆さんのおかげで随分勇気付けられましたし、たくさんの良い出会いがありました。本当にありがとうございます。まだまだ続けていきたいと思います。よろしくお願いいたします。
2005.02.06
コメント(2)
父ちゃんプロジェクトの第二段階へ向けて、31日にミーテイングがありました。吉田さんはじめ大阪からわざわざ3名、広島から2名参加していただきました。皆さん、とても忙しい中ボランテイア参加です。なんとか百姓で食えるようにと始まったプロジェクト。なかなか簡単にはいきませんが、1年経ったもこうしてお付き合い頂いている。感謝するばかりです。この出会いがなければ今ごろ百姓もやめていたかもしれません。ホームページも見違えるようになり、メルマガも発刊。大阪では父ちゃんプリン誕生。経済的にはしんどくても、この出会いで得たものは計り知れません。まだまだしぶとく頑張りたいと思います。
2005.02.05
コメント(3)
先日、口和町時代の知り合いにばったり出会いました。いっちゃんといいます。買出しに行った店先です。口和町は僕が脱サラして初めて入った田舎です。僕はこの街の中でも一番?辺鄙な集落。一番近くの店まで、7kmという集落でお世話になりました。いっちゃんは僕より20くらい上でしたから、もう60歳くらいのはずです。約10年ぶりの再会。いっちゃんは全然変わってませんでした。「ひさしぶりー!!元気じゃったかいのー」のあと、いきなり、「何買うちゃろうか?」(笑)そうです。いっちゃんは奢り魔なのです。何もいらないという僕にかたわらにあったバナナを押し付け、これでええか?(笑)しかし、それにしても40過ぎた男にバナナはないじゃろうと、帰りの車の中で何度も思い出し笑い。すれ違った車の人はさぞ不気味だったでしょう。(笑)いっぱいいろんなこと思い出しました。口和に移ったばかりの頃、夜、いきなり訪ねてこられて、わしはこの集落のものだ。あんたが今度来た人か。よう来てくれた。さあいこう!と、なんだかわからないうちに車に乗せられ、山を下って、街の飲屋さんへ。途中いろんな人を誘って、大宴会。これが初対面(笑)その後もいっちゃんのフルタイム4駆のスポーツタイプの車に載せられ、何度も夜の街に連れて行ってもらいました。どちらかというと拉致に近かったと思います。車中はフルボリュームの演歌。(笑)そういえばずっと相手の手を握りながら話すクセも全然変わってませんでした。混み合う店先で、40の親父と60の親父が手を握りながらバナナを押し付けあう姿を周りの人はどう見たのでしょう(笑)昔こんなこともありました。信号待ちの車の窓から外を見たら、道路際のお好み焼きやさんからいっちゃんが飛び出てきて、助手席の窓をドンドン!窓を開けたら助手席の女房の手を握って、さあいこう!(笑)後ろの車のクラクションをものともせず、駐車場へ誘導。当時、1歳くらいだった長男、女房と共にそのお好み焼き屋さんのフルコースをご馳走になったのでした。超がつくほどの田舎にしかいないタイプの人のような気がします。無茶苦茶というかなんというか、丸裸、無防備、自然児?やっぱり無茶苦茶(笑)そして、僕はこういうタイプの人がとても好きなんです。少し話しただけで本当に幸せになれる。口和町にはこんな人がたくさんいました。今思えばユートピアにいるような2年間だったと思います。学生時代に旅した、韓国の田舎でもたくさん出会いました。今度は僕がそんな人になれたらいい。そう思っています。やっぱ、無理かな。。。(笑)
2005.02.04
コメント(2)
全8件 (8件中 1-8件目)
1