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扁桃腺のトラブル続きだと以前書いたら知り合いが仙人草のことをことを教えてくれた。葉っぱをちぎってしばらく腕に貼るだけだ。貼ったところが後で、火傷のようになるというので少し怖かったが、その程度のことで扁桃腺のトラブルが減るならと試してみた。結論からいうと、かなり効果があると思う。貼ってからも、何度か喉が痛くなったが、扁桃腺の腫れにつながらず、納まった。実は今も少し風邪をひきかけているのだが、扁桃腺は無事だ。それにしても今年に入ってから不調が多い。生活を整えていきたい。
2014.10.12
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今回の面接で徹底して衝かれたのはこの点である。学生時代は考古学ー卒業後農業関係の出版社に1年ー文化財関係の役所の臨時1年ー障害者の作業所2年半ー農業。一貫性がなく、いきあたりばったり、今度は教員ですか? 農業時代の収入のこともかなり聞かれたから、これは、農業で食えなくなったから今度は公務員ですか?という意味だろう。圧迫面接だと思っていたが、本気で反感を買ったのかもしれない。短期の転職経験は採用側からは非常に嫌われると聞いた。それも、もっともだと思う。学生時代に自分の進路をきちんと決められなかったというのも事実だし、とりあえず、やってみないとわからないから就職してみようと思ったのも事実だ。試行錯誤の20代だったのである。30代はなんとか農業で自立できないかと暗中模索。40代でたまたま臨時の教員の声がかかり、半分農業半分先生。51歳で採用のチャンスが生まれた。だから、受験した。なぜ、転職をしたのか。なぜ農業をはじめ、なぜ、今教員なのか、それをきちんと説明できなかった。文章にして整理することからはじめてみる。
2014.10.12
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日曜日、たっぷり時間を使ってこのブログを書いた。例によって、現状分析、過去を振り返り、なんとか前を向こうと気持を整理しながら書き込んでいった。どういうわけか、アップしたつもりができておらず、きれいに原稿は消えてしまった。しかし、昨年の不合格時の記事を読み返し、あまりにもよく似ていたので、妻と思わず笑ってしまった。唯一違ったのは、昨年は自分の後悔の気持との戦いを書いていたが、今年はそれがないことだ。やるだけのことはやったということか。。ここ一番と自分で決めた大勝負に敗れ、どうしようもないほど落ち込み、半生を振り返り、まあ悪くはないではないかと自分を慰め、なんとか前を向こうとする。人生論や名言集に救いを求め、立ち直る。若いころから何度繰り返してきただろう。性懲りもなく繰り返す自分がますます情けなくなり。。。しかし、今日、こんな言葉に出会った。「自分を信頼しはじめた、その瞬間にどう生きたらいいのかがわかる。」byゲーテすとんと心に落ちた。そうか、私をここまで運んでくれたのは、情けないこの私だ。情けないなりに悩んだり、迷ったり、苦しんだり、どれだけ頑張ってきたかは自分が一番よく知っている。その自分を自分が信頼できれば道は必ず開ける。そう確信できたような気がする。大勝負に弱くて、打ちのめされ、名言集に救いを求める、そういう自分をまず認めてやるのだ。さて、今から、再スタートである。
2014.10.08
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あきろまん。3枚で約8反。無事台風が来る前に刈り終えることができた。ぎりぎりの日程で、コンバインに乗る私も、軽トラで籾を搬送する妻もフル回転。夕方雲行きが怪しくなり少し焦ったが、なんとか、もった。朝から風が強く、朝露が早くとれてくれたこと、途中,機械のトラブルがあったが、馴染みの機械屋さんがすばやく対処してくれたことが、良かったのだと思う。そういえば、昔の私は、機械のトラブルがあると、とにかく自力で何とかしようとした。お金が無かったのが一番の理由であるが、随分、無理や無茶をしたなあと思う。そのおかげで、ある程度の技術も身についたし、できることとできないことの見極めもつくようになったのだが、、なんせ、ものすごいオンボロのコンバインばかり使っていたから、トラブルには事欠かなかったし(笑)30代のころの自分を思い返してみると、「がむしゃら」という言葉がよくあてはまる様な気がする。そんなに肩ひじ張らなくても、、、とか、もう少し、先の見込みのあることで頑張れば、、とか声をかけてやりたいが。 でも、いつも子供たち、家族がそばにいてくれたのが救いである。この頃の稲刈りは、家族総出、私の父母も手伝いに来てくれて、賑やかで楽しかった。弟の家族が手伝いに来てくれたこともあるし、友人、知人もよく来てくれた。小さなコンバイン、小さな田んぼだったから、みんな、子どもたちにも役割があったし。さて、今年の稲は、夏の悪天候の割にはよくできたと思う。感謝、感謝である。残りはこいもみじという初めて作る品種で小さい田ばかり。4枚で2反位。田も固く、倒伏の心配もない。猪の心配もない田なので、この台風も大丈夫だろう。明日はゆっくりしようと思う。
2014.10.04
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本日誕生日。覚書を思いつくまま。先日、妻と近くの山に登った。たまたま山頂で出会った人が写真を撮ってプリントしたものをハガキに貼って送って下さった。実に幸福そうな私が写っている。しかし、このとき、私は知らないだけで、すでに採用試験の不合格は決まっていたはずだ。これが、発表後であればこんな笑顔はできなかったと思う。そこで気がついた。不合格と、この山登りは何の関係もない。このとき私が幸せな笑顔ができなくても不合格が合格に変わるわけではない。それはそれ、これはこれである。何か一つ良いことがあったから、関係のないことまで楽しく、幸福にできる。これはOKだ。自分も周りもハッピーになれる。逆に何か1つ不幸なことがあったから、ほかの関係のないことまで楽しめない。これは愚の骨頂である。自分の大事な時間ばかりか、周りの時間まで貶めてしまう。今までの私がこれだ。つまりだ、たとえ、今回のこの不合格の通知を受け取った直後でも同じこの笑顔で、妻と山登りできる人間でありたいのだ。がんばって目標を達成する。それは、とても立派なことだ。しかし、それは目的ではなく手段なのだと気がついた。私も少し大人になれたのかもしれない。
2014.10.03
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