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何気なく図書館で手に取った「何のために」中村文昭という本が、面白くて一気に読んだ。サイコロ振って、目が出たところに進み、そこに書いてあることをして、またサイコロを振る。そういう行き当たりばったりの人生を「スゴロク人生」と筆者は言う。その対極にあるのが、「逆算の人生」具体的な夢や目標に向かって、今するべきことを逆算で求め、そこに向かって最適なルートをいく人生。皆が逆算の人生を歩めるわけではないし、「スゴロク人生」の方が楽しくていいと筆者は言う。そういうことだったんだなあと素直に思えた。私の場合、まさにイケイケで、スゴロク人生歩んできたくせに、一度大きく躓いてから、この、逆算型にとてもコンプレックスを感じてしまったのだ。先日、無事55歳の誕生日を迎えることができた。出た目のところに書いてあることを精一杯やりきり、そしてまたサイコロを振る。自信を持って行こうとおもう。
2017.10.10
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祭りがあるので来ないかといわれ、岡山の娘のところを尋ねた。先日、孫たちが宮参りさせてもらった神社である。小さいけれど、樹齢400年の大木のある落ち着いた雰囲気の神社だ。孫たちは、小さな半被を着せてもらい祝詞もあげてもらった。その場にいる人の数がすぐわかる程度の人数だし、みんな顔見知り。娘夫婦も地元の人にいろいろ声をかけてもらっていた。私たちが、まだ小さかったこの娘たちを連れて、初めての地の、初めての祭りに参加した時のことを思い出した。不安と期待。最初に入植したところはとても開放的で、祭りじゃけえ、行こうやあと声をかけられ、付いて行くと私と息子の半被を渡され、神輿を担ぎ、そのまま宴会。もともとの住民だったように参加させてもらった。その後引っ越した今のところは、なかなか手強い。「神殿入り」という、祭りの前夜祭のようなものが県の無形文化財になっているような由緒正しいところだからか、まず、氏子になるかどうかの選択を迫られた。タイミング悪く?屋根の葺き替えの寄付を募っているときで、氏子になるといえば、相応の寄付を求められた。相応は、50万円だった。当時の私たちにそんなお金はあるはずもなく、氏子にはならないが、祭りは手伝うということになった。全く面倒なことだ。4人の子供たちは、皆、巫女の舞や太鼓を、長く続け、次男は神楽の舞もした。勿論、私も神輿を担いだり、花電車を作ったり、一通りのことはしてきたし、子供の太鼓の指導のリーダーもした。しかし、多分だれも気にしてもいないだろうけれど、私自身は最初の取り決めのことが頭にあるから、なんとなくすっきりはしていない。幸い、娘たちのお世話になっている集落は前者に近いようだ。でも、なんとなく、緊張感も伝わってきて、自分たちの昔の姿もオーバーラップして、ちょっと、しみじみした気分になった。そんな、しみじみした気分を吹き飛ばしてくれたのが、孫たちの人見知りである。私が抱くと穴の開くほどじっと見つめ、火の付いたように泣き出す。それならと、私の顔が見えないように抱いても駄目。ネットで調べたら、少し距離を開けて間に赤ちゃんの好きなおもちゃを置いて、目を合わすなと書いてあったのでそうしたけど、やっぱり駄目。このままでは、預かってやることもできないから、早急に対策を練ろうと思う。
2017.10.10
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