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AとBどちらか迷って、Aを選ぶ。問題が大きければ迷い方も半端じゃない。そして、Aと決めた後も、本当に良かったかどうか思い悩む。そして、猛烈に不安になる。そして土壇場でひっくり返す。周りは大迷惑である。これまで、何度かそういう場面があった。最初は高校受験だ。ここで自分の不安感に負けてしまったことがで、負け癖がついてしまったと思っている。その後も負けっぱなし。今回、同じような場面があり、絶対負けないことだけをテーマにした。選択が間違っていてもよしとした。一度決めたことは変えない。変えないとどうなるかを見てみたいというのが一番のテーマだ。そうはいっても生活ががかかっている。しばらく失職してもかまわないぐらいの決断が必要だった。で、結局どうなったか? 思いもかけない展開で結果オーライとなったのである。これかと思った。思いもかけない展開。信頼しきればそれがついてくる。還暦前にして遅すぎるかもしれないが、少し流れが変わるのではないかという予感がする。
2022.03.26
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今のように動けるのは後、せいぜい10年くらいかと思う。寿命が尽きていてもおかしくはない。10年なんてあっという間である。今更ながらに気が付いた。1日、1日、丁寧に丁寧に生きていきたいと思う、
2022.03.23
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臨時教員生活、なんと20年である。結論から言えばかなり恵まれていたと思う。今の学校はブラック企業だといわれるがあたっていると思う。職員室を出るのは7時8時は当たり前、仕事が終わってなくても無理やり追い出されるからUSBを持ち帰り、家でも仕事。それでも追いつかないから、土日出勤。子供たちの暴言、暴力は日常茶飯事、モンスターペアレンツにパワハラ管理職。みんなしんどいから職員室の空気も悪い。たぶん、これが普通なんだと思うけれど、僕は1度しかこういう学校にあたっていない。この時は本当にしんどかった。もう1年いたら、確実にメンタルやられていたと思う。この時ほどではないが、ちょっとしんどかったのが2年くらいか。残りの17年は基本楽しかったし、なかでも、田舎の小さな学校で10人以下の通常級のクラス担任。こんなに楽しい毎日で給料までもらっていいのだろうかと思うような経験を6年もさせてもらった。僕なんて40人近いクラスを持たされたら、1ヶ月と持たず、ぶっ倒れるんじゃないかと思う。それにしても、残りの半分以上が特別支援クラスだ。これはどうかと思う。圧倒的に臨時の先生が多い。本当は、経験豊富で、その学校のこともよくわかっている先生が、できるだけ長く担任をするべきだと思うのだが、現実は逆だ。まあでも、そんなこと僕が言ってもどうなるものでもなく、特別支援の担任ができるということで、声をかけてもらっている立場なので、それはその道のプロであろうと思っている。来年度も、ほぼ特別支援の担任になりそうである。実は、これまでお世話になっている市とは違うところから声をかけてもらっている。そちらのほうが魅力的な話なのだが、直感に従い、今回は諦めようと思う。なんせ、十数年も世話になり、大失敗した後も声をかけてくれたところだ、腹をくくるつもりである。
2022.03.22
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僕の時は、今思えば無茶苦茶だった。仕事のあても何もなく、無料で貸してくれるという空き家と、わずか3反ばかりの田んぼだけを確保して田舎に飛び込んだ。妻と1歳の長男を連れて。失業手当が3か月くらいはもらえるだろうから、しばらくは何とかなる。その間に何か見つかるだろうという全く根拠のないプランしかなかった。田舎に行けば思いがけない仕事があるとでも思っていたのだろうか?それとも、3反の田んぼで生活できると思っていたのだろうか?しかし、不思議なことだが、全く不安は感じていなかった。それが若さということなのだろうか?ただのバカだと言ってしまえばそれまでだけれど。でも、それがあったからこれまでの暮らしがあるわけで、本当に不思議だと思う。自分ではない何かに突き動かされたとしか思えない。そして、困ったときにはどこからともなく助けが入り、本当になんとかなったのである。自分はとんでもない間違いをしでかしたのじゃないかと、不安に襲われたのは40歳くらいの時で、それまでの10年間くらいは本当に毎日が充実していて楽しかった。次から次へと出会いがあり,思いもしない出来事が起こり,退屈する暇なんてなかった。子供たちはかわいい盛りだしね。40代は苦しかったけれど、臨時教員と農業の二足の草鞋で切り抜けることができた。マラソンと水泳も自分を支えてくれた。一番頑張った時期かもしれない。50代は農業からほぼ手を引き、臨時教員の時代になった。収入は安定したし、農作業もなくなったから、楽だったはずだけど、気分的には不安定なことも多かったかもしれない。まあ、それまでは出稼ぎくらいのつもりだった臨時教員から農業がなくなればただの臨時教員、フリーターなわけで。農業から手を引いたのは、農地の賃借の更新時期や機械のこと、共同経営がうまくいかなくなったことなど、いろいろな理由はあるが、一番大きな理由は子供たちがどんどん巣立っていったことだ。農業は家族労働できるところに一番の魅力があるというのが僕の持論だ。田植えや稲刈りには僕の両親も駆けつけてくれ、3世代で作業できたことは本当に幸せだったと思う。そう、一番いい時期にほぼ20年農業をすることができたことになる。だから、やっぱり僕にはこのやり方しかなかったのだと思う。インターネットもなかったし、道の駅もなかった。今ならもう少しマシなやり方も考えられるかもしれないけど。一番の目的は家族で協力して仕事をすることで、ビジネスとして農業を成功させることは二の次の目的だったのだと思う。さてさて、そんなこんなで後1年のところまできた。僕の知り合いの先生には早期退職した人も多い。僕の父も妻のお父さんも早期退職組で、今の僕の年齢で、すでに引退していた。もちろん退職金も年金も全然事情は違うが、それでもなんだか少し肩の荷が下りたような気がしている。
2022.03.22
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次男が会社を退職した。所謂一流企業だからもったいないとは思うが、私の言えた義理ではない。賢い子だから、考え抜いてのことなのだと思う。福島の会津に行き、ふるさと協力隊に入るとのこと。3年の任期らしいから、その間に自分の道を見つけるつもりなのだろう。ここまで無傷で来ているわけだし、一度や二度の回り道なんてなんでもないとは思うが、不安定な身分のしんどさや、貧乏の辛さをいやというほど味わった私としては、やはり心配である。勿論、何度も言うが私の言えた義理ではないから、ただただ見守るだけだ。彼は彼の流れに乗って行動しているのだと思う。
2022.03.22
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流れに身を任せておけば、万事うまくいくようにできているんだなあと思う。何か自分を守ってくれる存在があって、それが流れを作ってくれているのだと思う。厄介なのは、それが時々、度胸試しの形をとることだ。流れに沿って決めたことは、たぶんそれで間違いはない。その場の雰囲気で決めてしまったことはたぶん、自分を守ってくれているものが決めてくれたことで、間違いはないのだと思う。信頼しきればいいものを、あとからあれこれ考えて、不安になり、土壇場でひっくり返してしまいたくなることもある。度胸試しというのはそういう意味だ。意気地のない僕はそうやって土壇場でひっくり返し、周りに迷惑をかけたことが何度かある。そのひっくり返したことはいい結果を生まなかったような気がするが、それは「タラレバ」話だからよく分からない。それよりも、直感的に決めたことを後からあれこれ考えて不安になる、その態度を改めようと思うのだ。1度口に出してしまったことは、最後まで責任をとる。それが今年のテーマである。
2022.03.22
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5年後くらいまでの生活を、経済面からぼんやり考えてみた。退職金もほとんどないし、年金だって少ないから、働かなくても悠々自適というわけにはいかない。でも、強みもたくさんあるなと思った。まず、住むところがある。ガタが来ているとはいえ、僕らの代は死ぬまで大丈夫だと思う。これまで通り少しずつリメイクしながら。固定資産税も、子供のお小遣い程度だから、問題にならない。借金もない。死亡保険も葬式代+αくらいは前払いで払っているから、遺族に迷惑はかけないはずだ。財産なんて残せないけれどそれは、はなから誰も期待していないだろう(笑)子供たちもすべて独立した。現金に頼らず生きる術も普通の人よりは長けていると思う。それで、具体的に生活に必要な額を考えていくと、夫婦二人食べていくだけなら、それほど心配はないなと思った。40代から、臨時の教員で食いつないできたから、年度末の契約更改の時期になると胃が痛くなるような思いをしてきた。先の見えない長い長いトンネルの中にいるような気持になった。今、目の前に出口が見えている気分になったのだ。いつか、子供たちがこのブログを読むことがあるかもしれないと思ってこれを書いている。しんどいと思うことがあると思うけど、年を取ればとるほど、生きやすくなる。これは間違いないから、安心して。
2022.03.22
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5年後ありたい自分の姿が具体的にイメージできたことで、少し生活が変わった。昨日飲んだお酒は1週間ぶりである。内心、自分はアル中になったのではないかと少し心配していたので、安心した。びっくりしたのは面白いほどスルスル体重が落ちたことで、とりあえず、レッドゾーンの75㎏は下回った。そんなにすぐ脂肪がなくなるとは思えないから、アルコールぶくれのような状態だったのかもしれない。腕立て100回は、もちろん何回かに分けて1日100回という意味だが、これはなかなか難しい。30から40回は続けているから、これは少しずつ増やしていくつもりだ。走るのはまだ怖い。2kmも走れば、膝が痛みそうな予感があるからだ。一度壊してしまうと厄介なことになってしまうのは肩で学習済みだから、地道に早歩きくらいから馴らしている。孫たちが小学校を卒業するくらいまでは、負けずに走りたいものね。
2022.03.21
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先日、自分の履歴書を見て、改めて汚い履歴書だなあと思った。高専を1年で中退して、普通高校に入りなおしているから、ここからもう、躓いている。大学を卒業後、いくつかの仕事を経て、農業。ここでも、塾の講師や、非常勤の教員のバイト。40歳くらいから、ずっと臨時の教員。これは基本1年くらいで学校を変わり、それごとに経歴を書くから、すごい数になる。20年くらいの臨時教員生活だけど、大卒で定年まで勤め上げた正規の教員の倍以上の数の学校を経験したことになると思う。普通なら、すっきり、数行で済む履歴欄が、僕の場合は数十行。ごちゃごちゃと汚い。普通の人事担当者なら、これ見ただけで、不採用決定(笑)みっともないと思うし、大学まで進学させてもらった両親にも申し訳ないと思う。一方、よく、この過程を乗り越えてこれたなとも思う。自分は本当に幸運だった。そう思うと、満身創痍になりながらも懸命に生きてきた証のようにも見えてくる。まあ、良くも悪くも、これが、僕なんだなと思った。
2022.03.21
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S・セガールの映画のうたい文句に、「無敵親父」という言葉があって思わず笑ってしまったが、同時にいいなぁとも思った。還暦を迎える今、無敵爺を目指すのもいいのではないかと思った。これから5年がかりくらいで、精神的にも肉体的にも無敵の爺になれるよう、頑張るのだ。そのあとは、自然に枯れるなり、ヨボヨボになるなりすればいい。現実はといえば、今、無敵どころが、ボロボロの状態である。コロナでマラソン大会がなくなり、めっきり走らなくなった。急に走らなくなったせいだろうか、右足親指が陥入爪になってしまい、気絶しそうな手術を受けたにも関わらず再発。結局1年近く歩くのもままならない生活が続いた。そのうえ、水泳で痛めた肩が半年近く通院したにも関わらず一向に良くならず、1年以上たった今でもまだ十分に動かせない。運動不足が長期になったせいか、今まで引っかかったことのない健康診断で、腎機能や血圧に黄信号。最近は下肢静脈瘤まで出てきてしまった。まさに満身創痍である。まだ、諦めるのは嫌だなと思ったときに出会った言葉が、無敵親父だ。肉体的には、目標は簡単だ。65歳までに、フルマラソン、スイムラン、トレイルランを完走できる身体を取り戻すこと。その過程でメンタルも強くなるだろう。どうすれば無敵爺になれるか?まずは、平日の飲酒をやめる。腕立て1日100回。このあたりから始めてみようと思う。
2022.03.14
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