あけやんの徒然日記

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あけやん2515

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2011年06月23日
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テーマ: バスの話し(86)
カテゴリ: 広告・表示


 そんな大阪歴史博物館で7月4日まで、特別展として「懐かしい市電とバスのある風景」という催しが行われています。大阪は今でも路面電車の阪堺電気軌道が走っておりますが、昭和44年まで大阪市内には大阪市直営の大阪市電(以下、市電)が走っていました。市電や市バスの歴史や写真については、別の機会にも見たことがあるのですが、今回の特別展では昭和初期に「市営モンロー主義」とよばれた『市内交通の整備は大阪市が行う』方針に対して真っ向から挑んだ(大阪府が大阪市の意向を聞かずに営業許可したのが原因だそうですが、ホントかな?)大阪乗合自動車についても触れられていたのは、マニアックな方にはおもしろかったのではないかと思います。かくいう私もそうなんですが・・・。
 しかも、その内容というのが「広告やチラシ」の類を展示していたことが私にとってはとてもよかったです。

 さて、明治時代に市電の運行を始めた大阪市ではその後順次路線を延ばしていったわけですが、そんな中で大阪乗合自動車(略称大阪バス 車体の色から青バスと呼ばれていたそうです)は大正13年に大阪市内でバス事業を開始し、市電と競合するようになりました。大阪市も市電とかぶらない郊外地域で昭和2年からバス事業を始めたわけですが、市中心部の「市電対青バス」の競合状態は熾烈を極め、割引切符を発売するなど実質的な値下げをして対抗していたようです。

 ちょうどそんな時期の広告やチラシが今回の特別展で展示されていました。しかも市電側ならわかるのですが、青バス側の広告やチラシだったのです。
 まず、「捨テラヌ広告」と赤書きされて1円区間の「御試乗券」と書かれた割引切符が添付されたチラシがありました。ご丁寧に主な停留所から1円区間で乗車できる停留所名までが書かれていました。

 それから、これは「ご意見をどしどしお寄せください」としたチラシもありました。要するに、バスの乗り心地や清潔な車内かどうか、運行状況や運転士の運転が適当かどうか、そういった気づきの内容についての意見募集の内容です。そのチラシに描かれていたのは、当時運行されていたバスが高座にあがって「私を叱ってください」というようなデザインになっていました。些細な点でも改善できるところは改善していこうという姿勢の表れでこういう意見募集は今でも時々見かけますが、昭和初期の時代からやっていたんですね。

 ところで、昭和初期にはこうしたサービス合戦はいろんなところであったのかもしれませんね。例えば、大阪・天王寺と和歌山を結んでいた阪和電気鉄道(以下、阪和)。現在はJR阪和線となっているのですが、ここは元々私鉄として昭和4年に開業、関西の奥座敷の白浜温泉へ高速で列車を走らせることを目的に設立したそうです。大阪と和歌山の間にはすでに南海鉄道(現・南海電鉄)がありましたので、当然競合相手ということになるのですが、海沿いに点在する町が沿線にある南海に対して、大阪~和歌山間をほぼ一直線に結び、沿線にはこれといって大きな町もない阪和の対決は南海の方が有利なのは明らかでした。

 後発の悲しさと沿線の状況から、阪和では「何とかお客さんに乗ってもらいたい」ということで様々なサービスを提供したりしていたようです。割引切符の発売はもちろんのこと、直営のバス事業において今で言うデマンドバスのような取り組みなど当時としてはかなり先進的な取り組みをしていたとか。また、少ないお客さんを大切にするために、「乗車しようとするお客さまがおられるのであれば、列車を発車させてはならない。遅れは列車の速度でカバーせよ」ような決まりもあったとか。これは、今のような過密ダイヤではできないでしょうけど、「なんとか乗ってもらいたい」という気持ちの表れなんでしょうし、遅れを回復するための車両や線路のメンテナンスも徹底されていたのでしょうね。

 話を戻して、青バスのこうした涙ぐましい努力も昭和15年に青バス側が大阪市へ吸収合併されて終焉となってしまいます。時代が戦争へと突き進んでいる状況であったことからやむを得ないといえばそれまでですが、仮に戦争が無くても体力勝負のような状況になっていたと思うので、青バスが公営交通に対してどこまで太刀打ちできたのか。あるいは、青バスが見事なまでの合理化を推し進めて逆に公営交通を追い込んでいたのか。それとも、両者過熱しすぎてどこかで手打ちになったのか。さぁどうなったんでしょうね。


 そういう歴史的背景をかいま見える広告やチラシというのは、「たかが広告、たかがチラシ」なのですが、とても価値あるものだと思います。私はこういう広告やチラシをみるのが好きなのですが、今回の特別展では写真を撮ることは厳禁だったのが残念でした。でも、貴重なものを見ることが出来て満足できました。






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最終更新日  2011年06月23日 22時28分28秒
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