ここから現在


きました。

ここからは、私が日本の家族に電話をして得た様子を記して
いきたいと思います。 今までは電話をするのが、結構怖かった
んです。 というのは、両親はまだ冷戦状態だろうとか、弟には
何も変化はないだろうとか、電話をする度に私が逆に疲れてしま
って、電話をするのがおっくうでした。 でも、私がこんな怠けて
いてはだめだ、このHPに記して行こうと決めてから、これを電話
をする理由にすればいいじゃないか、と思うようにしました。

かなり前から、私は母に“夫に感謝しなさい、夫に感謝しなさい”
と言ってきました。 母はずっと、“だって、夫があの態度じゃねえ”
と自分に落ち度はないかのような態度でした。

約一ヶ月ほど前、母と電話した時は、私の“お父さんとの仲はどう
なの?” という質問に、“不仲はお互いが悪いからねえ” と言って
いました。 今までの、“夫が絶対悪い!” という考えから、“けんか
両成敗”という考えができるようになっていました。 私はこの一言
に和解の余地はまだあるな、と勇気づけられました。

そのすぐ後、私は弟と話をしました。 まだ会話の数はとても少ない
彼でした。 その前日に一番下の弟が、近くにある精神病院のリスト
を持って来たらしいので、私は “精神病院に行ってみる気はあるの?”
と聞いてみました。 彼は“、、、、、” 無言でした。

私 “行くだけ行ってみれば?”
弟 “、、、、、”
私 “最初の先生が良くなければ、次の先生に代えて、良い先生に会える
まで行ってごらんよ”
弟 “、、、、、”

しばらく私がしゃべった後、

弟 “じゃ、行ってみる、、、”
私 “○○日までに最初の病院に行くことできるかなあ?”
弟 “、、、それはちょっと、、、”
私 “行くの、行かないの???”
弟 “、、、、、”

電話をし終った後、私はかなりむかついていた。 彼はいつも口先だけ
で“やってみる” “行ってみる” と言うが、実際しない。 できない
約束ならして欲しくない。

私は “弟はまだまだ、時間がかかる” と思いました。


2004年3月19日 電話で母と会話

母と弟はガスコンロを買いに、弟の運転で電気屋へ行ってちょうど
帰ってきたところだったらしい。 弟は付いてきたチューブが短かかった
らしく交換しに電気屋へまた出かけていって私が電話をしたこの時
は家にいなかった。
ガスコンロが古くなってきていて買い替えたいとしばらく思っていた
母を気づかい、弟はこれ以前に何度か、この電気屋へ下見に行って
くれたそうです。 そんな弟を母は頼もしいと言っていた。
私は弟は本当に気のやさしいやつだと、改めて思う。

車の中で、弟は “お姉ちゃんと一番下の弟はすごいねえ” と言うような
事をまだ言っていたらしい。

私は、他と自分を比べる必要は全くないのに、と思う。

話を変え、私は母に父との仲を聞いた。

ちょっとだけ、良い方向へ向っているみたい、と母は言う。

母は “お父さんのお茶碗を棚の一番取り易い所に置いておいて
あげるようにしてるの” と言っていた。

私は、そうそう、そういうほんのちょっとした気使いが夫婦の隙間を
うめる接着剤になっていく、と思う。

それから、

母は “最近は、一泊以上で出かける時、お父さんはいつ頃帰ると
伝えてくれるようになったのよ” と言っていた。

父は山登り、釣り、スキーが好きで、年中、一泊から数週間の間
泊りでこれらの趣味にでかける。 夫婦の冷戦が続いていた暫くの
間は、父は行き先も、いつ帰るかも告げず、すっといなくなった
という。

大きな荷物を持ち、玄関にいる父に向って、

母は “おでかけ?” と聞くと
父 “帰りたくなったら帰ってくるよ!” と正確な情報を告げて
いるのかいないのか、わからないような返事を返してくれたという。
この時は2泊位で帰ってきたらしい。

何を聞いても、うんともすんとも、答えてくれなかった時と比べると
これは、かなりの変化である、と思う。

私は、“これからも、夫に感謝し続けてね。きっと良い方向に向って
いるから” と母に告げ、電話をきった。

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