TokyoMovieJack Vol4



Mu01 上映作品は私の2本を含め14タイトル。なんだか子どものピアノ発表会のように、知り合いが観客という情けないものになってしまった。宣伝が足りないのでもなんでもない。(もちろん認知度が低すぎることもあるが)面白い内容を我々が提示し得ないことに問題があるのだ。(そう思うことが大切だ)
 僕らは本来、アマチュアのりの映画なんて吐き気がするし、そんなもの友達の映画でも見たくもない。(ヘタウマを目指すなんていい訳だぞ)また、メジャーの真似事に甘んじてる作者はもっと吐き気だ。もちろん、我々の会のメンバーは十分に分かっている筈だ。
 しかし、結果が出せない。後何年かかるものやら。
 撮ることでしか結果、もしくはある目標に達するプロセスは得られない。もう一度、今獲得した映画をブッ潰す勢いで、始めるしかない。映画=物を作者の提示したリズム(時間とともに)で観ることを方法化するメディアという原点に戻って、はじめるしかないような気がする。
 映画を自らの方法にしよう。
 Tokyo Movie Jackの映画の中には、まだ、ようやく映画の形になったというものもある。映画が目的なのだけれど、あえて問う「映画を作ることが目的なのか?」「映画になれば良いのか?」ならば、大きなスゴロクを作ろう。そこに考えられるだけの職業を書いて、サイコロをふって主人公を選ぶ。さあ、人生ゲームのスタートだ。いくつかの障害、葛藤、出会いを用意する。このスゴロクを原稿用紙にシナリオ形式で書けば映画はスタートできる。将来はコンピュータがシナリオを書いてくれるかも。実は、今言ったシナリオスゴロクをソフト化したものもすでにある。
 もういいだろ、映画は作れるのだから。
 我々は映画を絵画や小説、詩と同等の「表現の場」に選んだはずだ。イラストやデザイン、コピー、歌詞と同等の作用をする映画とは違うはずだ。
 繰り返す・・・映画を方法化しよう。

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