☆ ☆ SARRYの「ありがとう」日記 ☆ ☆

☆ ☆ SARRYの「ありがとう」日記 ☆ ☆

甘える



甘える→心の底からありがとうと言う
    →何故甘えられないのか?
(心の底から“ありがとう”と言えて無いから)

自分には出来ない事ばかりなので、他人に甘える(謙虚な気持ち)
分からないから→ただ聞く

“コミュニケーションの基本”

・甘えられる人は、他人を甘えさせられる人
・自分に厳しい人は、他人にも厳しい
(自分に厳しく、他人に優しくは出来ない!)
例えば~待ち合わせに自分はぴったり到着していて、厳しい人は遅れる人を許せないけれど、他人を甘えさせられる人は笑って許せる。

ので、人に対して寛容になりたい人は、まず甘えられる自分を作る!

(解説)
「よく、人に優しく自分に厳しくって言う人がいますが、そういう人に残念ながら一度も会ったことがありません。自分に厳しい人は、人には倍ぐらい厳しいものです。やっぱり一番いいのは人に優しく自分にも優しくですよね。 そういう人の周りにはいつも優しい波動が漂っています。」

この一人さんのお言葉は、正観さんの言葉に影響を受けたものと思われます。

人に甘える=自分に優しいということ。自分に優しければ、他人にも優しくなれるということです。「自分に厳しい」と他人に対して心の底から「ありがとう」とは言えないようです。
類の法則、鏡の法則というのは分かりますが、これだけでは私も良く理解できなかったです。それで、この言葉の真意を突っ込んで調べてみました。
正観さんのある本の一節に次のような内容があります。

「(ある方の気づき)自分に厳しかった分、社員に対してもとても厳しいことを要求し、厳しい見方をしていたのだと思います。自分はいい加減でろくでもない人間であると自覚ができたとき、社員に対して厳しいことを言わなくなりました。
その結果、あれほど求めていた笑顔が社内にあふれるようになったのです。自分に厳しい人は、常に他人にも厳しい。逆に、自分に甘い人は、他人に甘くせざるを得ないのです。そういう方法論が分かった時、人は、自分を甘い状況にすることで人に優しくできるのかもしれません。」

つまり、「自分に厳しい」ということは「人間は自分のことが一番大切」であるが故の「プライド」であるということが分かります。妙な意地を張ったり、過度のプライドが人間関係の邪魔をすることが多いのです。

妙なプライドを捨てて、「自分はできた人間ではなくいい加減である、他人に支えられて生きている」等と謙虚になることが「自分に優しい」という意味です。謙虚になれば、人にも優しく接することができるということになります。

こういう具体例があれば、納得できます。仲間と仲良く、楽しくしたければ、他人のやることの粗探しばかりしてはいけないようです。肩の力を抜いて「自分に甘く、他人と楽しく」ありたいものですね。


お釈迦さまとそのお弟子さんの話~

『三宝に帰依する』
・仏に帰依する
・法へ帰依する(お釈迦さまの教え)
・僧へ帰依する(集いへ;仲間へ帰依する)

弟子のアーナンダがお釈迦さまに尋ねます。(引用を見つけましたぁ!)
「大徳よ、よくよく考えてみますと、私どもが善き友をもち、善き仲間のなかにあるということは、すでにこの聖なる道のなかばを成就したに等しいと思われますが、このことは如何でしょうか」と。それに対して、釈尊は、こうお答えになります。
「アーナンダよ、それは違う。そんなふうに考えてはならない。アーナンダよ、善き友をもち、善き仲間のなかにあるということは、この聖なる道の全てである。そのように考えねばならない」と。

つまり、よき仲間を手に入れることは“聖なる道の全てを得ること”であるらしい。

よき仲間を手に入れるため~私もがんばろう


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