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オヤック(Oyak)行きのドルムシュに乗れば、大使館の近くを通るのだという。
ドルムシュは坂道を滑るように下りていく。
左手に大きなジャーミー(コジャテペ・ジャーミー)。右手には、萌えいずる新緑が美しい、まるでヨーロッパのどこかにでもいるような落ち着いた佇まいを見せる公園(クルトゥルシュ公園)が見えてきた。
すぐに、眼前を覆いつくすほどの巨大な建物群が現れた。左にアンカラ大学病院、右にハジェッテペ大学病院。この一帯は病院エリアとなっているらしかった。
坂道を再びゆっくり上がっていく。周囲の景色は、ドルムシュ乗り場や商店などが渾然一体となった、いかにも下町のものだった。そろそろウルス地区に差し掛かったのだろう。
ドルムシュは細い道に入る。地図で確かめると、すでにウルスの中心に近づいていた。PTTの脇でドルムシュを降りる際、運転手にオヤック行きの乗り場を確かめると、1本上手の道にあると指差してくれた。
時間は午後1時。ドルムシュを下りた私は、とりあえず何か腹ごしらえできる場所はないか探すため、小路を気の向くままに進んでいった。
とはいえ、ウルスに関しては、何の知識も持ち合わせていなかったのである。コピーしてきたガイドブックでも、ウルス情報は皆無に等しかった。
いざ歩いてみれば、喧騒と人出と溢れるような物、物、物。。。周囲の建物はどれも古びていて、時に歴史を感じさせる美しい建物もあったが、大半は老朽化し解体を待つばかりといったような薄汚れた建物ばかり。
歩きながら私は、町並みがどんどん濃密化していくのを感じ取っていた。
いつのまにかシャルクテリ(肉加工品の店)やチーズ屋、パン屋などが何十軒も軒を並べる界隈に出た。どの店頭も食品が溢れんばかりに積み上げられ、ぶら下げられている。その前を行き来する人々の波。
私は、いかにも下町らしい活気を身体全体で味わっていた。
アンタルヤには、寂しいことに、今どきこんな濃密な空間は見つからない。この豊かさは何だろう?活気は何だろう?
私は自然に屋根付きパザールに吸い込まれていた。




アンカラの歴史は古く、新石器時代にはすでに集落が形成されていた証拠が残っている。また、明らかな証拠はないが、ヒッタイト都市があったとも考えられている。
BC1200年代に、この地方一帯はフリギア人によって支配され、アヌットカビル付近の発掘調査の結果、この地は、BC750~500年にはフリギア人の重要な定住地として確立されていたことが明らかになった。その名も アンキラ(Ankyra)
は、スーサからサルデスに至る「王の道」における重要拠点であった。
BC333年にアレクサンダー大王に征服されたが、大王の死後、セレウコス朝下に入った。
BC278~277年にアナトリア西部に侵略にやってきたガラット(ケルト)人が、BC228年にペルガモン王国のアッタロス1世によって征服されると、ガラット人たちは大フリギア王国内に小さな王国を建設し、ゆるい部族連合を形成した。地理学者ストラボンによれば、アンキラの要塞はテクトサグ(Tektosag)と呼ばれるケルトの一部族に属すもので、その痕跡が城砦(Ankara Kalesi)の基礎に見出せるという。
ガラット人はローマ人とも良好な関係を築いていたが、デイオタリスはBC74年にガラットの全部族を統治下におくや、ジュリアス・シーザーを迎え入れた。ガラット人の土地 ガラティア(Galatia)
は、BC24年アウグストゥスによってローマに併合され、アンキラには属州ガラティアの首都として数々の建築物が建立された。
アンキラにはAD50年に聖パウロも訪れており、後に聖パウロは「ガラテア人への手紙」を書き上げた。しかし、異教信仰の影響の強く残るこの町の人々は、362年には背教者ユリアヌスを歓迎した。(BLUE GUIDE TURKEYより抄訳)
●関連書籍
『ガラテア人への手紙』
『背教者ユリアヌス(上巻)』
『背教者ユリアヌス(中巻)』
『背教者ユリアヌス(下巻)』
『ローマ人の物語(14)』
ユリアヌスの柱

AD362年、時の皇帝ユリアヌス帝(背教者ユリアヌスとして有名)のアンキラ訪問を記念して建立されたと考えられている。
オスマン朝時代には、シバの女王ベルキスの名をとって、「ベルキスの柱(Belkiz Minaresi)」と呼ばれていた。
高さ14.5m。コリント様式の柱頭のてっぺんには、コウノトリの巣がある。
ヒュキュメット広場から、坂を上がり、ドルムシュの発着所の脇を通り抜け、ハジュ・バイラム・ジャーミーに向かう。このジャーミーの隣に、アウグストゥスの神殿が残っているはずだった。
それにしてもアンカラに、これほどドルムシュが多いとは意外だった。
一種、異常と思えるほどである。アンタルヤもミニビュスが多すぎて渋滞の原因になっているわけだが、これはアンタルヤの比ではない。あっちの角もこっちの角も、ドルムシュの発着所として塞がれてしまっている。
ターミナルだとはいえ、繁華街のど真ん中で順番待ちをしている、すべて同じ方面行きの20台、30台という空のドルムシュ群は、混沌・猥雑とした雰囲気のウルス地区に一層、喧騒と大気汚染と閉塞感をもたらしているように思えた。
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