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下手な一句を詠んでみました・・・実はこういう方は多いのでは?と思います。自分が里帰りをする日程と、娘が我が家に里帰りをする日程が重なる、ということは十分ありうることでした。(仕事をやめればいつでも里帰りできるのですが・・・それでは生活ができない)我が身にならないと全然実感がわかないというか、それがどうしたの?というくらいにしか思えないかも。娘にしてみれば、実家に帰ってみれば母親はいない、という変な感じ?でも今年に関しては、娘は里帰り出産ということで、出産までとその後一月くらいは家に滞在の予定です。少し早まれば今月中にも、「おばあちゃん」になるかも♪しかし、問題はその後です。里帰り出産は誰かが家にいることが前提で成り立っているんだな~としっかりたたき込まれました。自分の時のことはすっかり忘れていたのですが、産後一ヶ月あるいはせめて3週間くらいは安静にしていなければいけない、ということだったんですね。昼間誰もいない状態では、赤ちゃんと二人きり。。お昼ご飯の支度もしてはいけないということで、誰かが朝のうちにやっておかなくてはなりません。←それはいいとして。赤ちゃんと二人と言っても、実は「ひとりきり」と同じか、それよりなお悪い状況、と言わざるを得ない面もあります。孤立無援と言う状況が赤ちゃんにとっても、母親にとっても、一番まずい状況のような気がします。一ヶ月、お休みをください、とも言えず、何日か休ませてくださいとだけ、お願いしています。多少は無理を聞いていただけそうですが。。「ばーちゃんにも育休を!」と言ったら変?それにしても、毎日必ず誰かが顔を出してくれる、というような社会のバックアップはないようですし。。。こういうとき「ご近所の底力」的なつながりがほしいですね。ご近所つきあいはなくはないのですが、そうそう毎日お願いするわけにも行きません。社会的な支援のネットワーク?的なものを作り出していけたら~と考えるのですが・・・
2010年08月20日
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1時間+7時間+1時間半。実家からバス停までと、中央高速に乗っている時間と、バスの終点から我が家までの本日の所用時間。普段ならバスに乗っている時間は4時間と少しでいいのですが。今日は里帰り史上一番という位混み合いました。「高速料金1000円」から外れた日なので、うっかり油断してしまったというわけです。それだけ、沢山料金を払えるほど「豊か」なのか?それとも、休みがこの日に集中するくらい、「豊かでない」のか?家にたどり着いてぐったりしているので、思考力が停止状態かも?それにしても、9時半を過ぎても混み合っている電車。。。お仕事お疲れ様~と思う一方で、片や仕事の場がない人、がいて・・・片や仕事で帰りが遅くなるほど働き過ぎな人・人・人・・・市場主義=資本主義では人は幸せになれない、と心から思うのです。
2010年08月16日
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「男女平等最下位県」と不名誉な報告。東北大の研究グループにより都道府県別「男女平等度」が発表されたそうで。男性に対する女性の相対給与で47位。総合でも47位。知らなかったのですが埼玉県は「男女共同参画推進条例」を全国初で制定したのだとか。男女平等「先進県」!のはずが、最下位。ということで、埼玉県人は猛反発しているとか記事にありましたが。とんでもない!特に、給料の男女差が「全国でもっとも大きい」というところに、私個人としてはつい「さもありなん」と納得してしまうのですが・・・・
2010年08月10日
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「働ける場を提供」したい・・という言葉に惹かれて、先週木曜の朝聞いた「ラジオ朝一番」の中の『時の話題』をネットで探してまた聞いてみました。福祉ジャーナリスト・村田幸子さんご紹介の神奈川県藤沢市のNPO法人『グループ 藤』のお話。ご自身の介護の経験から、<自分の老後は自分で>と考え、仲間と勉強会を開いて介護のNPO法人をたちあげたのだとか。この法人では、働きたい人がひきもきらず、求人の必要がないそうです。というのも、どんな事情を抱えていても働ける、ということで、育児や介護があるから、といって、「それじゃあ、ウチはやとえないね~」なんて言われる心配もなく♪朝2時間、とか、一週間に2回とかしか働けなくても、周りに気を遣う必要もないのですから!!しかも、全員がホームヘルパー2級以上の資格があり、資格のない人は働きながらとらせてくれる!!というありがたさ。仕事が決まっていなく、誰もがどんな仕事も出来るというところも、急に誰かが休まなくてはいけなくなったときにとっても便利?です。「人が人を呼んでくる」と言う言葉がよくわかります。説明がうまくないのでイメージがわかないかも、ですが、支え合いの形がとってもいいな~と感じました。私も、近くにそんなところがあれば即働きたい。間に合ってます、と言われそうですが・・・
2010年08月02日
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愛車のマーチを車検に出しました。もうこれで最後かも、と思いつつというのも、あと2年でちょうどめでたく?定年となり、車を持つ余裕もなくなるであろうという予測が濃厚でして。。。この代車が、今の新型マーチの2代か3代前のつまり我が愛車のマーチの2代か3代後の!!車にさす必要のないキーの、つまりワンプッシュで鍵の開け閉めのできる!!私にとっては初体験の車でございました。というわけで、会社の同僚が言うのです。「代車の方がいいなんて・・悲しいものがあるね~」吹き出すのをこらえるのに、必死でした。。笑うしかない・・・しかし、工場長さんは言ってくれました。「いや、この車(我が愛車)の方がいいですよ」♪お世辞でも何でもいい。燃費が多少悪くてもいい、(税金が高いのは困るけど)「一台の車を大事に乗り続ける」ことに地球の未来がかかっている?なんてことはないけど、私の場合はあり、なんだと、無理矢理思っている次第なのでありました。
2010年07月17日
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開票の途中ですが、やはり一人区は“犯罪的”という気がします。小選挙区制そのものの一人区。<民主がだめなら自民>しかないのか?一人区で二大政党以外の人に投票するのは死票を覚悟するだけでなく、負けさせたい候補をむざむざ勝たせる結果になるかも?という事態も覚悟しなくてはならない、という<二重の残念な思い>を引き受ける覚悟がいるんですね。始めの方の覚悟はいいとしても、後の方の覚悟はなかなかできない・・・一人区と小選挙区制に断固反対という思いを今更ながら新たに感じているところです。ある程度わかっていた結果であったにしても。。
2010年07月11日
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いつの間にかそうなっているらしいのですが・・・NHKラジオの夕方ニュースで、聞きました。「だから昔は ―会社は経営者と労働者のものだったから―利益が出たら労働者にも還元されたけど、今は ―株主のものなので―利益が出ればそれは株主の方に還元され、損失が出れば労働者が首になる」ということになっているのですと。それでは、割を食うのは労働者のみ!!働く人ばかりにしわ寄せがいくって、どう考えても変じゃない???株主って社会にとってそんなに有り難い存在なの???そんなことを考えながら家に帰って朝日新聞の『声』欄を読みましたらば、なんと私の言いたいことと同じようなことが!「企業の役員報酬が高額」なのは、その企業の業績による、とあるが、その業績は、労働者の低賃金等によって築かれたものではないのか?非正規労働者や、社外労働者の使い捨て等・・ほんの一部ですが、勝手に引用してごめんなさい。あまりにも私が言いたいことそのものだったので。。。株主の報酬も役員の報酬も、労働者の働きあってのもの!!実際に働く人の報酬を低く抑えて、そうでない方々の方に手厚く、という形のままで、いいのかな?といつも考えてしまいます。そんな社会の形のままでは、実際に手や足を動かして働く人の明日は「働けど、働けどなお・・・」のままであり続けるような気がします。。。
2010年07月05日
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40年前の今日、通っていた高校で生徒総会があり、議題はずばり「70年安保」でして、日米安保条約の自動延長がどうとかで、どういうわけか、紛糾。総会は初めて流会となり、1週間後にやり直し、と相成りました。なぜ日付まで覚えていたかわかりませんが、当時の何も知らない高校生としては、「流会」なんて(そんなのがあることも知らず)だいそれたことのような気がして今にして思えば、ストか何かを決めたくらいに興奮したような記憶です。それまで政治の向きの話なんてしたこともなく、社会的な問題に対して何か物を言うなんてこともなかった私たちが、突然、この問題をつきつけられ、あーだ、こーだ、とクラスで討論をしたことも初めての経験でした。というか、そんなことがなければ、その手の話し合いなんて何もしないまま、高校生活を終えていたかもしれなかった、のですね。ほんの一時間ほどの話し合いでしたが、楽しかったのを覚えています。普段考えていないようで(失礼!)実はみんないろいろ考えているんだな~とわかりましたし、もっといろんな意見を聞きたいと思ったし、もっと深くつっこんで話し合いがもてたら・・・と思ったことでした。<安保がないと不安という立場と、安保反対の立場。前者は当時少数派でした。「60年安保」は知らなくても、安保反対という声はまだ多くあったのです。どちらも言いっぱなしで終わってしまったという印象ですが。>この日が沖縄慰霊の日だと知ったのは随分後のことです。管首相が日米合意は守るしかない、というようなことを言いに沖縄に行ったみたいですが、今からでも遅くない、「沖縄の理解が得られませんでした」とか、「沖縄に海兵隊の基地はいらない」とか、「日本にアメリカの基地はいらない」とか、言ってもいいんじゃないかと思います。政府同士は敵対(?)していても、国民同士、労働者同士は敵対していないのですから。(政府同士でも実は互いに補い合っているのです。互いに相手の方が軍事力が上だと言い合って、いくらでも軍事費をつり上げられる・・・軍事産業は大もうけ・・)地球が危ないというときに、いや、地球が危ないのではなく、人が住める地球でなくなっていく危険が迫っているかもしれないときに、軍事費つり上げ競争をやっている場合ではないと思うのです。
2010年06月23日
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民主党の代表選に立候補するという人の言葉を聞いたのですが、「鳩山さんが職を賭して守った?日米共同声明を何とかして実現したい」とかなんとか・・・これを聞いて、鳩山さんのやったことはなんと犯罪的だったのかと改めて思いました。やめるんだったら、どうせできなかった責任をとるという形なのだから、何で普天間基地の辺野古への移設を『反故』にしてから辞めなかったのだろう?大方のマスコミではもう「辺野古は絶望、普天間は動かない」という見方をしているようです。米国も、「地元の理解が不可欠」と言ってたくらいなのだから「理解が得られませんでした」と言えばよかった。そうしたら、最後に「やっぱり自民党案が正しかったじゃん」なんて言われずにすんだのに・・・誰が次の首相になっても、<解決を難しくした>ような気がします。問題提起をしたままでおけばまだしも良かったと・・・
2010年06月03日
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今日もまた「私も一言夕方ニュース」から珍しくNHKの解説にしては辺野古への移設を評価していないな~と思ったらNHKの方ではありませんでした。「中国や北朝鮮の脅威があるから、抑止力として海兵隊が沖縄にいることが重要」という話はうそで、「海兵隊がいたって何の抑止力にもならない」のですと。日本のためにあそこにいるわけではなく、軍事練習のためなら世界中どこにあっても同じ。ただ、日本政府の米軍への思いやり予算は他の国では得られず、その分助かるから他へ行きたくないのだとか・・・その上で、中国とか北朝鮮とかの脅威からもし国を守らなくてはならないというなら、それは軍事的な方法でない道で、外交努力でやるしかない。というようなことを述べておられたように思います。え~、元防衛大学校の先生が?とおどろきました。ひょっとしたら一部聞き間違えたかもしれませんが、NHKの解説の方とはえらい違いだな~と思ったことでした。少なくとも、日米合意について、「鳩山さんは条件をつけるべきだった。地元の方の理解が得られたらと」という意見には頷けるものがあります。安保条約の改定から50年。日米同盟について根本的に考え直す必要あり、との主張は大いに議論されるべき、と考えました。
2010年05月31日
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今日の「私も一言夕方ニュース」は普天間問題。「県外移設を説く方々は(沖縄がアメリカの世界戦略にとっていかに地理的にすばらしい位置にあるかということは主たる問題ではなくて、)日本の防衛にとって沖縄に米軍の基地―なかんずく、海兵隊―があることが抑止力としていかに役立っているか?を見ることを忘れている」と言わんばかりのNHKの解説員の方のお話でした。なんでも、「基地があるとその周辺への攻撃は避けられ、安全が保たれてきたのは歴史が証明している」のだとか。日本が曲がりなりにも平和を維持できたのも、(米軍の)基地や軍隊があったからこそ、と、無条件に基地を賛美しておられる!!そして、「自衛隊だけでは国を守ることは不可能で、米軍に防衛を担ってもらった方が安上がり」とどこかで聞いたような言葉も・・・NHKさん。それってあまりにも偏った見方ではありませんか?保守系?の方々が泣いて喜びそうな・・・どうして「有事」の心配先にありき、なのでしょうか?ムロン、有事の心配はなくはありません。「掃除機で世界の富を吸い上げる」(平野次郎さんの言葉をお借りしています)ような方々がその心配をするのは非常によくわかります。でも、働く者は、よその国の労働者と手をつなぐことができます。利害関係がないのですから。よその国の方々は、闘うべき「敵」ではありません。働く者同士には、闘うべき理由なんてないではありませんか。。。そんなよその国の方々を仮想敵にして、有事の心配を盛り上げて国家間の壁を高く高くして、軍事演習をいくらでもして、軍事費もできるだけ積み上げて、軍拡競争をして・・・そんなことで安心な生活なんてとても購えるものではないと思います。=基地のない平和=を求めるなら「掃除機で富を吸い上げる」ような今の理不尽な体制をなくすことそれしかないように思われてなりません。
2010年05月18日
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働く者の祭典。ですが、働く者が何を求めて闘うのか?が問われなくてはならないように思います。賃金格差の是正、長時間労働やサービス残業の規制やその他もろもろの働く者の権利を守る闘いももちろん必要ですが、それだけでいいわけではない。根本的には労働力を売らなくてもいい体制をどうやったら築き上げることができるか?ということを考えて行かなくてはいけないのではないのか?と、この日はいつも思うのです。
2010年05月01日
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とは今朝のラジオで初めて聞いた言葉です。平野次郎さんの解説によるとサッチャー政権時代のイギリスのグラスゴーで生まれた言葉だそうで。グラスゴーに線路を敷設しようという政策に、騒音とか環境が悪くなるとかで反対して、「自分の所の裏庭には来てもらっては困る」=「Not In My Back Yard」ということで「自分の所に来てもらっては困る」という運動をニンビーと呼ぶのだとか。普天間基地の移設問題はそれと一緒にして欲しくないな~と思いつつ、徳之島の反対運動を見るまでもなく、どこの場所に移設の話をもっていってもその地の住民たちは絶対に反対を叫んで立ち上がるのだろうなとは思います。日本のどこかに持って行こうとするから「袋小路」になるので。。聞こえてくるのは「基地はいらない」という声ばかり。それなら、自分の所にほしい、という声がないのだから、それは日本の社会にとって「いらない」ものだということなのではないでしょうか?ごく一部の人たちだけが、「基地がなくなれば、明日にでもどこかの国が攻めてくる」と心配しているにすぎないとおもわれます。アメリカとの仲が悪くなる、という心配の声も聞かれます。しかし、アメリカとは平野さんが「掃除機で世界中の富を吸い取った」ととってもわかりやすく説明してくれた、世界中に自国の権益を持つ強大な国。そんな国の権益を守るための軍隊や基地。そんなもの、日本においてやることはありません。沖縄や徳之島の人たちばかりに反対運動をまかせておくのではなく、日本中から「基地はいらない」の大合唱をすべきなのでは?・・・5月1日はメーデーです。みんなで一斉に「基地はいらない」と叫ぶチャンス!!ではないか?と思うのですが。。。
2010年04月27日
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今日の朝日新聞の『Be』版聖路加国際病院理事長・98歳の日野原先生の欄です。「10年後の日本に向けて」と題して 米軍と条約を交わし、国内の米軍基地をなくして、日本は「平和の国」として世界に宣言しよう。資源のない日本を他国が爆撃する必然性はない、武力を誇示して国を守るのでなく、非戦の精神で国際社会に「平和の国」という確固たる地位を築くべし・・というようなことを提案しておられます。普天間基地の移設の問題は、日米合意が形の上でなされてからもう15年以上も立ち往生というか、先に進まない状況とか・・そんなに放っておかれたのも、本当には沖縄の方たちの同意が得られてはいなかったことと無関係ではないと思います。あの美しい海に、飛行場が建設されるだけでも反対なのに、それが軍事のためのものであるなら、尚更のこと、やめてほしいという思いが強くありました。そこへこの提案です。諸手を挙げて大賛成!と思いました。もちろん、それまで普天間の方たちに危ない思いをず~っと我慢してくださいということではなく、硫黄島とかどこか無人島にでもその機能を移すということを今すぐにでもお願いすることは前提としてあると思いますが・・・『絵空事』と笑っていたら実現しないでしょうが、実は今の社会が『儲けの追求』をやめて、『助け合い』の追求の社会に生まれ変わることができたら、日野原先生の提案も実現可能だろうと考えてしまったのでした。
2010年03月06日
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私が小百合ファンでつれあいが鶴瓶ファンで、ということがなくても、この映画は見たい、と思いました。50歳以上の夫婦割引の切符で入ろうとしたとき、係の方に「年齢を確認できる」ものの提示を求められもちろん、マニュアル通りなのでしょうが、心の中で笑ってしまいました。どうみたって「50代にそろそろ別れを告げよう」というつれあいは頭の具合からしても、年齢以上に見えるのです・・・と、そんなことはともかく。見終わって感想を述べ合う中で、小さい頃の自分の空想癖を突然、思いだしました。物心ついた頃は、居心地のいい空間というものがなく、一人になって「ありうべき未来」に自分をおいて自らなぐさめていた、なんてことがあったな~なんて。。。誰かきちんと自分に対して、向き合ってくれるような人が欲しかった、そんな気がしていたような、気がします。今も、そんな空想の続きを夢見ているのではないか?とそんな気になりました。といっても、空想の中身は違います。今は、向き合ってくれる人がほしいのではなく、「お金をもらってする仕事はいやだな~」「お金のことは関係なく、ただ単に助け合い、だけでどうして生きていけないんだろう?」そんな風に生きていくために何が必要なんだろう?自分にできることは何かないだろうか?そんな夢みたいなことをずう~っと考え続けて来たような気が・・・映画の内容とは関係ないように思えるかも、ですが。。。
2010年02月07日
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お昼休みに産経新聞のコラムを読んでいた時、気になったのがこの言葉です。「外国人に参政権を」という案が国会に提出されようとしている、として、これに反対の立場からの記事でした。曰く<その人たち(日本国籍をとらないで日本に住んでいる外国人)の「忠誠を誓う対象は日本国家ではなく、自分の国籍のある国家であろう」>というのが反対の理由の一つとしてあげられていたように思います。このことが大きな理由の一つであるなら、人間として大切なことは人として生きる=人と人とのつながりを大事にすることよりも国家への忠誠心があるかないか?の方である、と言ってるようにしか思えない―と言ったら言い過ぎでしょうか。。そこで少し忠誠心について考えてみたのですが、あんまりこの言葉は好きでないな~という結論に達しました。国家に対して語られるとき、それはろくな役割を果たさないという確信みたいなものがあります。忠誠を誓う対象は国家と言い切るコラム氏はきっとそれに疑問を抱いたことはないのでしょうね。いろいろな国家の「国民」に分断されている人類はそれぞれがそれぞれの国家に忠誠を誓うことによって流さなくてもいい血を流すことになっているのでは?と考えてしまうのですが。。
2010年01月13日
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早いもので、このブログを開設してから丸5年になりました。同じようなことばかりしか書いてないですが・・・やはり、何に感動するかって、人の温かさとか優しさに触れたときが一番ですよね。娘が一大事のとき、友達が手を差しのべてくれ、その友の顔を見たとき、なんか、もう涙ぐんでしまってどうしようもなかった・・・今も会う度、涙が出そうになるくらい。。。手を合わせたいような思いです。彼女のように、自分のできることで、人の役に立てるような人に自分もなれたら・・と思うのですが、欲張りなので、できもしないのに、遠い未来の人類の平和のために自分に何ができるか?とそんな風につい考えてしまうのです。人は皆、人とのつながりの中で生きているし、助け合い、支え合うことでまた、生きる喜びも感じることができる、それは間違いのないことだと思うのですが・・・これを道徳の授業なんかでやられたら「社会はそんな風にできていない」「そういう社会を作ってから言ってくれ」と言いたくなると思います。そういう社会を作りたいな~と思いつつ、また同じようなことを書いてばかり、という日記になりそうですが。。。
2009年12月19日
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今日も帰りのラジオ(私も一言夕方ニュース)はこの問題でした。未だに高校生の就職内定率は6割を少し上回ったくらいとか。「高校生のお給料は低いのだから、皆で育てるつもりで、働きながら学ぶという道ももっとあっていいんじゃないか?」「社会みんなで育てるということでいいと思う」「大学へ進むのは大変だけど、高卒で就職口を見つけることはもっと大変」「60歳以上の人が仕事を辞めなくなったことも、高校生の就職難の一因になっているんじゃないか?育てるのが大変な新卒の人より、ベテランを使った方が会社も楽なのかもしれないが・・・」等々、一言の中にはドキっとするような言葉も。。。私も60歳過ぎても働きたいと思っているのですが・・・今の会社にはいたくないですが、違うことを見つけたいとは思っています。でもそれが別の人の職場を奪うことになるかもしれない、なんて考えていなかった・・・というか、そんなことを考えなくてはいけないなら、それは<そんな社会こそがおかしいのだ>と思いたい。。。あなたにもう、働く場はありませんよ、という宣言を受けるなら、社会を支える側にもいたいのに、支えられる側にしか身をおけなくなるとしたら、それはつらいような気がします。支える人数が多い方がその社会は絶対住みやすいと思うのです。高校生と働く場をとりあうなんてことは現実問題として、あってはならない、と私がいくら叫んでも無駄なのかもしれませんが、それでも叫びたい。みんなで分かち合い、支え合うことを妨げているものはなんなのか?それを取り除こうではありませんか!社会はみんなのためにあるのだから!!!
2009年12月16日
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「就職氷河期」の再来か・・・10月1日時点で大学生の就職内定率62%。高校生で37%とか。。。つい最近、大手企業の40代で年収が1000万円を超える人の話を聞いたばかりでした。その企業の働きがどれほどのものかあまり伝わってこなかったこともあり、一人がそんなに何人分かの報酬を得ている一方で、(200万円に満たない人だったら5人分以上!)就職できない新卒の学生の存在がある、という現実は、当たり前、なことなんだろうか?と思ってしまいました。片方にとりすぎの人がいることが、もう片方に足りなさすぎをもたらしていることは疑う余地のないことでは?と思ってしまいます。なんだかなぁ~、「労働は生活の基礎」普通に働いていたら、普通に生活できる。そういうことが当たり前にできる社会をつくっていかなくてはいけないのではないか?学校を卒業して、働く気が十分あるのにどこもやとってくれない、それは学生たちに原因があるとは思えません。「自分を上手に売り込め」などと学生たちに説教をしてみても、どうしたって100人いたら100人の職場があるのでない限り、就職できない人ができてしまう。それは社会にとっても、とってももったいないことだと思う。「100人いたら100人に働く場を」「100人いたら、100人に居場所のある社会を」求めたいと思いませんか?
2009年11月25日
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昨日は坂本龍馬が生まれて174年目だったそうですね。(旧暦ですが)土佐の高知では海に向かって「お~い、龍馬~」と叫ぶ催しが初めて開かれたのだとか。私も一つ目標ができました。休みをまとめてとるのはむずかしいので、定年になったら土佐へ行き、「海に向かって龍馬好きのみんなと一緒に叫ぶこと」。でも叫ぶだけじゃ物足りない・・・せっかくなら、龍馬のように、時代の扉を大きく押し開くような、「みんなが平らに暮らせるような」世の中に一歩でも前進させたいもの。「幕末の日本の混乱を哀れに思って、天が龍馬をつかわした」と司馬遼太郎さんの『竜馬がゆく』にありましたが、龍馬好きの人たちが心を一つにしたら(知恵を集めたら?)「日本の洗濯」どころか、「地球の洗濯」もできるかも???なんて、夢想してしまいました・・・・
2009年11月16日
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今朝のNHKラジオです。学習院女子大学特別専任教授の平野次郎さんの「時の話題」のコーナー。話題はアメリカの破綻した企業の役員への報酬やボーナスのカットが甘いとか甘くないとかそんな話でした。。その話の中で、平野さんが言うのです。「人の値段」!と、さらっと。9,11テロの犠牲者の一人一人に値段をつけるように、と時のブッシュ大統領から頼まれた人がいて、『“ちゃんとやり”名をなした』?と。・・いったかどうか正確には忘れましたが、そんなようなことでした。「ちゃんとやる」って?平野さんの言葉とも思えず・・・「人の値段」なんて聞くと、なんだか「品評会に出される品物」のようで、いやな感じがしました。でも、実際にはそうなのです。人はこの世におぎゃあと生まれたときから、値段がついているのです。悲しいことですが、今は・・・でも、それは神代の昔からではありません。共存、共生の時代がひとにはあって、その頃には、人に値段なんて、つけようがなかった。それは人に限らず、何にでも値段なんてついていなかったから・・・人に値段がつくということは、「人は売れるものだ」と言ってるようなもの。人を物におとしめるもの、といったら、「物」に悪いか?・・・労働力を売って生活している、という状況=何でもお金に換算されてしまう状況ということなのだと思うのですが、その状況を打破することができれば、と思うのです。人が人として値段をつけられずに生きるためには・・・
2009年11月04日
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OECD諸国の中で一人親の家庭の貧困率がワースト1!とかいう不名誉な数字を帰りのラジオでまた聞きかじりました。それに対し、対策が必要かどうか?なんて、考えるまでもない、と思っておりましたところ、「日本は資本主義国なのだから、貧しい人がいて当然。何か国が対策をしようなどというのはまるで社会主義のようでおかしい」という意見がよせられ、びっくりしました。ラジオに出演されていた方は「北欧の国々は日本よりよほど国による対策がとられているが、まったく社会主義の国ではなく、りっぱな?資本主義国」と反論されてましたが・・・貧しい人は社会によって作られる、貧富の差が生じるのは確かに資本主義だから、かもしれません。しかし、それが一人一人の努力の差か?といったら、そうとも言い切れませんよね。(卒業の年がたった一年違っただけで、売り手市場から就職氷河期に、などというのがいい例ではないでしょうか)資本主義のままでも、政策によっては「子供の教育には差のないよう」に、ある程度できるのかもしれませんが、それも限度がある、と思います。そんな「ある限度内の小さなこと」さえも、社会主義と名付けたい方たちの神経がわかりません。実は社会主義というのは、社会が成り立つように、という意味で言うなら、そんな貧しい内容のことではないように思います。ラジオでは盛んに、国がやっていくために、というような言い方をされていましたが、国、ではなく、社会、と置き換えた方がいいように思いました。他の国の人も、同じ地球の住人なのだから、国益だけ求めればいいってものじゃない、社会全体、地球全体のことを考えるのに、<国という枠>でなく、社会という<人間枠>で共に生きる方策を編み出していけたら~と、今日も考えています。
2009年10月28日
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帰りのNHKラジオで聞こえてきたのは、政府内に「緊急雇用対策本部」の設置の話。「一週間の内に具体策を出すように、ただし、新たな予算の追加はなしで」!予算のない、雇用対策。「最低賃金を1000円にするとか、派遣労働を特に製造業では全面禁止にするとか、安定的な雇用の確保に必要な対策をとろうとすれば、経営者の抵抗があって、容易にまとまらないだろう、経営者の納得をえられなければ、強引にまとめてもすぐ抜け道を作って、法律が有名無実なものになってしまうだろう」、と解説者のお言葉。経営者も、経営が成り立たなくては、競争に打ち勝たなくては、負けてしまっては、経営者として生きていけません。競争に勝つためには、コストを下げ、よそより利益をあげなくてはならない、そうした状態に経営者も、<追い込まれて>います。<経営者も労働者も追い込まれなくていい社会>経営者が儲けなくてもいい社会、を考えられないものでしょうか。労働者も、働く場を心配しなくていい社会。安心して働ける社会。そうした社会であれば、予算なんて一円もなくても、何もこわくない、という気がします。話はかわるようですが、派遣切りにあった労働者を<派遣を選んだやつの自己責任>という言葉で罵倒するような方々が同じ口で<失業しているのに、派遣はいやだとか、不安定な職場はいやだとか働く場を選ぶなんてずうずうしい>、などと、おっしゃっているのを聞く度、自分で自分の言ってることの矛盾に気づかないのかしら?といつも不思議に思います。派遣を選ぶ必要のない社会を、大人が準備できていれば、誰も好きこのんで機械の部品のような働き方を選びたくはないと思うのです。人が人として認められる社会、誰もが人間らしく働ける社会、子供たちにそうした未来を準備する責任が<今の大人たち>に課せられていると思うのですが。。
2009年10月16日
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クローズアップ現代の今日のテーマ「助けを呼べない30代」就職氷河期に運悪く遭遇してしまい、正規の職に就くことができなかった、それが尾を引いてずっと正社員になれないまま、派遣の仕事につき、派遣切りにあい、職と住を一瞬にして奪われ、あっという間に路上の暮らしに・・・という方々にとって、仕事につけない、ということが「自己責任」とは私にはどうしても思えないのですが。それなのに、そういう方たちは「たすけて」とは言えないでいる、のだとか。「頑張った人が勝ち組になり、いい暮らしができている」ということの裏では今いい暮らしができていない人は頑張らなかったから、と言ってるようなものだが、事実はそうでない、と、番組でも指摘されていました。「つらい受験競争にも耐え、難しい公務員試験に合格して日本の国を支える官僚になり、高待遇を得ることは本人が頑張った結果であり、当然の報酬である。なんら、批判されるべきことではない」「そういう人たちが高給を得ることができないような国なら優秀な人はみんな外国へいってしまう」よくこういう話をききます。それを聞く度思うのです。なんで、そういった高級官僚の方々が日本の社会のために頑張っているというのに、社会はよくならないのか?社会をよくするということはどういうことか?実は働きたい人に働く場があることが良い社会なのではないのでしょうか?そして、その仕事に、つまりその成員に格差のないことが良い社会なのでは?『儲けたい人が儲けたいだけ、青天井に儲けていいですよ、働く人がそのためにどういう思いをしようが、関係ない、経営がないところに雇用なんてないのだから・・・』というような今の社会では、雇用は経営が成り立ってその後についてくるもの。そうではなくて、人が喜びをもって働ける環境が誰にも保証されるような社会、そうした社会を作るためには働く主体の労働者が団結することが必要だと思うのですが、勝ち組と負け組とか、正規と非正規とかその他いろいろに分断されてしまっているように思われます。番組の中でもいわれていましたが、人は助け合いがなくては生きていけないのだから、気軽に「たすけて」と言える社会にしていかなくては、という思いをまた新たにしたことでした。
2009年10月07日
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愛車のマーチが故障しました・・・一昨日の朝走行中に突然エンスト!何が起こったのか?数日前からエンジン?がおかしいかな?~という兆候はなくはなかったのですが、まさか大丈夫だろうとあまり気にしてなかったのです。その日のうちに整備工場に持ち込んだのですが、昨日は日産が休みだったということで今日連絡が。スロットルチャンバー?という何かエンジンを円滑に回すのに不可欠の、空気を溜めておく部品が壊れたのが原因だとのこと。その部品の取り替えに数万円もかかるとかで。もう10万キロ近く走っているし、そろそろ、と、買い換えのお誘いもありましたが・・・確かに「今年から13年以上となる」(我がマーチのことです)車は税金もバカ高くなり、買い換えにはエコポイントとかの甘い誘惑もあるのですが、どうも、しっくりこないのです。なんで、こんなにも走れる車が廃車にならなくちゃいけないのか?そりゃあ、あちこち傷むところはこれからも出てくるかもしれないけど、今まで何の問題もなく、スムーズに走れていたのに・・・こんなことでポンコツ扱いにされるなんていくらなんでもかわいそうすぎる!!(というか、どんなにエコポイントで底上げをしてくれても新しい車を買う財力はまるでない!!というのも本当ですが・・・)古い車に乗り続けているのは本当のエコではない、と叱られても、一台の古い車に対する愛着はいかんともしがたい、これはどうしようもないのであります!!!
2009年09月09日
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私のところの選挙区での立候補者は自民党と民主党と幸福実現党の3人だけ。選挙に行くなら、この中から一人を選ぶか白票を投ずるか、の選択肢しかありません。何が悲しくてこの3人の中から選ばなくてはならないのか?いやなら白票にすればいい、という問題で終わり?でしょうか。。。この選挙制度-小選挙区ですが-がどうしても許せない思いです。二大政党といっても、大して違わない二つの政党からどちらかを選んでも、大資本の体制は安泰です。この体制こそが、「変えられなくてはいけないしくみ」、だと思うのですが。民主党の優勢が伝えられていますが、この党が政権与党になったとして、内部の対立からすぐぐらついて、内政も外交も一貫した姿勢・政策を期待することはできないように思います。たちまち内部分裂あるいは政界再編あるいは、こんなことなら自民党へ「政権交代」を、となるような気がしてならないのです。「二大政党制」なら他の選択肢がないから・・・民主がだめなら自民へ、自民がだめなら民主へ・・・だなんて。。。それが二大政党制のねらいなのですが。こんなどうしようもない政党が二つあっても(人が生きていくための社会作りには)何のたしにもならない、直ちに小選挙区制をやめて、全国一区の比例代表制に改めるべき、と思うのですが。。なんとなれば、それが今のところ民意を忠実に反映するにもっとも近い手段だと思えますので。
2009年08月29日
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今日届いたのですが、なんと、あまりの少なさに唖然呆然・・・30年近く働いたのに???それで生活できなくても、いくらなんでも生活の足しにはなるだろうと期待していたのに、国民年金の額にも足りないなんて、おかしい・・・としていろいろつれあいに調べてもらったところ、このほかに“年金基金の代行分”がある!ということが判明。実際には社会保険庁に聞かないと本当にあるかどうかあやしいのかもしれませんが、それに、あったとしても大した金額ではないかも、ですがこれだけではないだろう、とひとまず「ホッ」とした次第です。年金のしくみってわかりにくいですね~。しっかり疲れました・・・・泣きそうでした。同じような思いをされた方がいらっしゃるのではないか?と思い、書いています。無駄に泣かなくてすむよう。。。しかしやっぱり、そうはいっても、働いても働いても、楽にならざり、我が暮らし、であります。働かなくてやっていけるようにはなりそうもないな~と実感しました。「働く場」がないといけませんが・・・・
2009年08月27日
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生まれているのになんですが・・・生まれなかった可能性が、考えていた以上に大きかったことがまた一つわかり、命は大事だな~、出会いって大事だな~としみじみ。。。母は18,9歳の頃、こんな人と結婚できたら~と思う人に巡り会ったが、恩ある人から薦められたのはそのお兄さんだったとかで、それが私の父。働き者の母はなぜか婚家からいじめられ・・見かねた義弟(つまり初恋?の人)が母に「子供の面倒は見るから一緒に○○に行こう」とさそったのだそうな!!それは子供が2人の頃のこと。母は恩人を悲しませることはできないと誘いにのらなかったけど、何度も夫とその弟がばくれたら(交換したら)どんなにいいだろうと思ったのだとか。その恩を裏切るようなことがあれば6人目の私は生まれていなかった。。。しかし、我が儘に育ち、妻に働いてもらって自分は親元で甘えているだけの父(その頃は殊にそうだったらしい)と比べて働き者の弟と結婚していれば、母は今よりどれだけ幸せだっただろうか?と少しだけ考えてみる。そしたら私が生まれていない!!ブンブン!!夫には恵まれなかったけど、子供には恵まれたよね!!!と強引に結論を持って行く私なのであります。父も叔父も鬼籍の人になってしまったので気楽にこんなことを書いています。命って本当に『奇跡のたまもの』、ですよね。命拾いした気持ちになってしまいました。
2009年08月20日
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明日から帰省するのですが、高速の1000円渋滞がどの程度のものか、怖れをなしています。高速のバスの利用者にはいいことは一つもないばかりか、悪影響のみやってきそう。。いつものお盆でも混むのに、1000円になってしまったらどのくらい車が増えるのか、見当がつきません。車の渋滞ばかりでなく、トイレ渋滞も怖いし、サービスエリアでの買い物もしていられないかも・・・(15分しかないので)・・・この時期に集中するのは全国的に(!)休みが一週間前後しかないから、ですよね。一ヶ月くらいど~んと休みがあれば少しずつずらして移動するということも考えられるのですが・・・(日本人働き過ぎでは~???)その少ない休みで、私は信州へ里帰り。娘は我が家に、ということですれ違いになりそう。私が16日に帰ってくれば逢える確率が高いのですが、何しろ1000円渋滞が怖くて、とてもその日に帰る勇気がありません。17日にお休みを戴いて、その日にこちらに戻ることにしました。実は娘は職場の状況が少し変わったらしく、転職を考えていて、少しはその悩みを聞いてあげなくては、と思ったのですが・・・親として自覚がない、と言われても仕方がないかも。。。ごめんなさい。次の週には時間をとるからね!今は自分が親であるということよりも、親から見て子供であることの方を優先してしまいます。あと何回帰れるかわからない、と思い始めてから、帰る度、切なさを増しているような状況になっています。勝手に出てきておきながらですが、故郷が遠いのはつらいものがありますね・・・休みがたくさんあれば話は別ですが。。。
2009年08月12日
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やはりこの日はこのことについて何か言わずにはいられない、という気がします。日本が3度目の原爆を落とされないためには、核武装をしなくては、と田母神氏ら日本会議のメンバーによる講演会が開かれたとか。「核抑止のために核武装」???その考えで平和をどうやって求めようというのか?際限のない核競争以外、行き着く先はない、ように思われます。どれだけ核をもてば安心、ということはありえないでしょう。人類は永久にとどまるところを知らない核に怯えながら生きて行かざるを得ない??「核抑止のために核武装」という考え方は理論的に言っても正しくないように思われます。核抑止は核を持ってなければ核攻撃を抑止できない、という意味ではないはず。逆に「核を持たないことことこそ核抑止」になることだってあると考えます。世界中の労働者が連帯して、核に利益を見いだす連中を一掃するというようなことは考えられないものでしょうか?今日の式典で、小学生の2人の「平和への誓い」には(いつものことながら)涙ぐんでしまいました。秋葉市長の宣言も力強いものがあります。それに比して、総理大臣の言葉は、通り一遍のものに感じました。それでも何年か前の原稿を棒読みしていた小泉氏よりはましに感じたのは、何度か顔をあげて語りかけようという姿勢が見えたように思えたから・・というか、単に小泉氏の姿勢がひどすぎたから、なのかもしれませんが。。。今年はオバマ大統領の核廃絶への強い意欲が表明された後ということで、期待も例年よりは強いものがあったような気がします。しかし本当に核廃絶を目指すなら、「核兵器」だけでなく、「すべての兵器」がいらなくなるような社会を目指す必要があるんではないかな~と思うのですが・・・
2009年08月06日
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と、言わないで済むような社会を・・としみじみ思ったのは、整形外科を受診した今日、そんな言葉を耳にし、自分でもついそう思ってしまったから。。「きをつけ」の姿勢をとったとき手のひらがくるあたりの少し上に、丁度掌サイズの腫れが生じ、休みをとって総合病院へ駆け込んだのですが、覚悟はしていたのですが、結構待たされました。私より少し後に来た方は「随分待たされる」とかなりいらいらされているご様子。おまけに私ばかり問診だ、診察だ、レントゲンだ、その説明だ、と何回も呼ばれるものだから―(といってもその間1時間半以上)、はじめはご機嫌よくお話されていたのが、もう話もしてくれなくなり・・・申し訳ないような気持ちに。。。お年寄りの方が多く、「随分待たされる」ことにいらいらが募るのは他の方たちも同じようで、「年はとりたくないね~」と。待たされるのが嫌なものの2番目か3番目くらいに病院での受診があると聞いたような気がしますが、本当によく待たされます。受診するなら午前中いっぱいは覚悟していくようです。そこは予約制ではないところでしたが、予約制の病院ですら、1時間くらいは待たされたり。診察時間は3分ほどなのに、待ち時間はやたら長い。これってどうにかならないものなのかしら?年をとると、「どこか悪い」ものだ、とよく言われますが、若いときにガマンしたり、無理をしたり、ということの影響が年をとって出てくる、ような気がします。ムロン、そればかりではないでしょうけど・・会社勤めをしていると、少しくらいの痛みでは休みを下さいとなかなか言えないような方も多いのではないか?と思います。気軽に休みがとれて軽いうちに疾患を治したりできるようであれば年をとってから若いときの無理がたたって、ということがないように思えてなりません。我が社でも、休みをとらないで無理をしている同僚に、そんなに頑張っても会社は面倒をみてくれないよ、というのですが、ちっとも休もうとはしません。それでいて、会社をおもんばかって無理して働いて病気になっても、“自己責任”と言われるのがオチ、だろうと思います。今回、骨の病気だったらどうしよう、と本気で心配して無理に休みをいただいたのですが、心配したようなことじゃなくて安心しました。快く休みをくれた上司や同僚に感謝です。病院ではいろんな疾患を抱えた多くの、殊にお年寄りの方々をおみかけしました。ただでさえ、具合の悪いお年寄りを長時間待たせて当たり前のような、医療のあり方に疑問をもつと同時に、年をとることがそれ自体、幸せであるような、そんな老後がすべての人に保証されるような世の中にしていけたら~と思ったことでした。
2009年07月23日
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昨年のことを忘れたのかしら?圧倒的多数で「選挙の顔」に最適!と麻生さんを選んでからまだ一年もたっていないというのに、またぞろ、別の「選挙の顔」を立てようって言うんですから・・・選挙に勝てそう、ということで選んだ人を一年もたたないうちに(自分の見立てが悪かった、というならまだしも)やめてくれ、とか他の人にしてくれ、というのはおかしいんではないですか?それでは来年の今頃、やはり別の人を選ぶことになるかもしれないのでは?(もしも自民党政権が続いていたら、の話ですが)と疑問をもたれても仕方がないと思います。「一年も持たない見通ししかできない」のであれば、政治家をおやめになってもいいのでは?といいたくなってしまうのですが・・・
2009年07月16日
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民主党や他野党に推された川勝平太氏が当選しましたが。この方、「新しい歴史教科書をつくる会」賛同者とのこと。今までの教科書は『自虐史観』に基づいて書かれているから正しくない、として、あの戦争は正しかったと言わんばかりの教科書を推奨している???ということは、自民党でも右派の方々から推されてもおかしくない方では???どちらが勝っても働くものにとっては期待の持てない、為政者にとっては何の痛痒もない、そんな選挙結果だったような気がします。自民党が推す候補が負けたということだけは歓迎すべきことかもしれませんが、それだけの意味で今はガマンすべきなのでしょうか?民主党への政権交代が実現した暁にはこの党の自民党との変わりなさが今よりはっきりして、この党に投票した人たちはげんなりして、また明日への希望を自民党に託すようになるのでしょうか?その他の選択肢をつくらねば!!生きやすい、働きやすい社会を構築するために。。今の選挙制度では、働くものの立場に立つ政党ははじき出されている、二大政党制に頼っていては、働くものたちにとって明日はない、ということは今でもはっきりしているように思います。
2009年07月06日
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今日の帰りのNHKラジオは「待機児童はなぜ減らないか」というテーマ。そこで盛んに言われていたのは、子供を育てることは将来の人材を育てること。何を育てるより一番大事なことなのだから、そこに重点的にお金を回さなくてはならない。せっかく認定こども園を作っても、裏付けとなるお金が回ってこなくては質の高い保育は望めないし、園が増えるはずもない。文科省だの厚労省だのと言っていたのではダメで、予算の分捕りあいをやってる場合ではない。(幼保一元化が進まないのは縦割り行政の弊害もあり)その予算も少なすぎ。「こども家庭省」を作るべき。なぜ「こども省」でなく、「こども家庭省」なのか。それは地域社会で子供を育てる「拠点」が必要だということ。子供は家庭だけで育てられるものではない。これからどんどん増えるであろう『老年層』が地域で暮らすのにも「拠点」が必要。家庭の仕事とされていることをどんどん地域の拠点に移していく、ということを「こども家庭省」でやるべき。。。。というようなことでした。大分ニュアンスが違うかもしれませんが、要は、「子供は社会で」育てよう!と言ってるように聞こえました。定年後の溢れんばかりのパワーも埋もれさせてはもったいない、と言ってるようにも。。「地域の拠点」づくりに少し夢を馳せてみました。。。
2009年06月25日
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今日初めて知りました。郵便物の転送は転居届が出された後一年間だけでその後は転送してくれないで差出人に戻る-ということは知っていましたが-その後のことは知りませんでした。不在の時、結婚して家を出た娘宛の郵便物の配達があったらしく、家のポストに「居住確認のお伺い」が入っていて、娘宛の郵便物は居住が確認されないので保管しているから、居住しているかしていないかどちらかに○をして投函してくれ、とありました。名字が同じなのだから入れていけばよさそうなものなのに、何でそうしないのか?と思いましたが、どうやら転居届が出ていたためにいないことがわかっていて、それでこういうことになったのでしょう。その郵便物がどうなるのか、電話をして聞いてみましたら、居住している、という所に○をつけて出せば我が家に配達してくれるのだとか。そうしないと差出人に返すしか方法がない、ということでした。一年を過ぎているから、頑として「転送できない」、のだそうで。。それなら転居届なんて出さない方がよかったくらいのものです。我が家に来れば娘に連絡して、転居のお知らせを娘から直にさせることができるのですから。(娘に連絡したら受け取っておいてほしいとのことでしたので)結局、居住している、という所に○をつけるのですから、転居届は何のためだったのか?と疑問に思った次第です。
2009年06月17日
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会社の帰り、同僚を最寄りの駅まで送る際、ついこの言葉が・・・誰かに言いたかったのかもしれませんが。自分でとっても動揺して、駅で同僚を降ろして発進するとき、安全確認を忘れて後ろの車から思い切りクラクションを鳴らされ、更に動揺を深めた昨日の私でした。何に動揺したのか?不用意に人に話す事じゃなかったかな・・ということかしら。お墓はあった方がいいんじゃないですか?と言われたことでしょうか?なんであった方がいいのか、聞くのも忘れていました。「お墓参りしたいときには、お互いの郷里に先祖のお墓があるからそれで許してもらおうかな」なんてことを言って。お墓はいらないというのは、いずれ、自分はそこに行くんだ、ということを思いたくないため。一つの場所に縛られたくない、というか、これ以上、地球の土地を新たなお墓でうめたくないため、というのもあります。子供たちをお墓参りで縛りたくないというのもあるかも。心のどこかでたまに思い出してくれればそれでいい、法事というのもなくていい、そんな事を今の親兄姉に知られたら悲しむだろうという気はするのですが、いつ何時なにがあるかわからないので、書いてみたくなりました。
2009年06月07日
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ついに来ました。賃下げの電話が。わかっていてもがっかりです。もう来ないかと期待?してたわけじゃないけど。。。でも、いっとき泣きそうになりましたが、考えてみればなんてことはない、このくやしさを、社会を変える原動力にすればいいんだ!と思えてきて、笑ってしまいました。資本主義は、自らの墓堀人を毎日生み出している、という言葉をどこかで聞いたような気が・・・働くものはいつまでも賃金奴隷のままじゃないんだぞ~と言いたい気分です。
2009年06月05日
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今年はまだ来ない・・・昨日と今日、半ばびくびくしながら今か今かと賃金切り下げの電話を待っていました。かける方もいやでしょうが、待ち受けるのもつらいものが・・・今年はいくら下がるのか、毎年びくびくものです。、生活費に関係ないだろうと雲の上の方はお思いでしょうが、家は二人で一人分の収入がやっとという位なので、いくら下がるのかは死活問題。そんなことまるで想像すらできない方々がお決めになる私の賃下げ。定年が待ち遠しいのも、そのことが第一にあります。私より年下の男性は今回昇格に昇給。そして私は二年前から毎年賃下げが決まっているのです。やってられないよ~やけ酒でも飲みたい気分です。いくらやってる仕事が違うといっても、そんなにお給料が違うほど違うようには思えないのですけど・・男性社会が自分たちの都合のいいように給与体系を決めているようにしか思えない・・・だから早く今の仕事から足を洗いたい。男性も女性もない、ただ単に、一生懸命やるだけの仕事がしたい!その仕事が社会の役に立っていることが目に見えている仕事だったらなおいいのですがというか、早くそういう仕事のみできる身分になりたい~実はやけ酒を飲んでこれを書いています・・・
2009年05月30日
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北朝鮮の核実験について帰りのNHKラジオでの、解説員の方の弁。ミサイル?か衛星?打ち上げにたいする国連安保理の(北を非難する)議長声明にロシアや中国が加わったことに“腹を立て”、そのうち核実験をやるんだろう、という読みがあったので、今回のことは「規定の事実」。何か事がある度に核実験をやったり、ミサイルを飛ばしたりして譲歩を引き出してきた過去があり、世界が足並みをそろえて立ち向かわなくては、とのことだそうですが・・・各国がそろって非難することよりも、各国がそろって無視することの方が北にとっては手の打ちようがない、ということにならないのでしょうか・・これは重大な平和に対する挑戦だとか、我が国とって重大な脅威だとかいって騒いだら、喜ぶのは当の北の方々ではないのかしら・・・「どうだ、こんなに我が国はすごいんだぞ」ってなもので。そして軍備を拡大したい面々もそうかもしれない・・・だから「自衛軍」をもっと充実させなくちゃ。とっても腹立たしいことではあるけど、「何を馬鹿なことをやっているのか!」「人類を盾にするんじゃない!」とか怒鳴りたいくらいだけど、あえて「無視する」ってどうよ?とつぶやいてみるのです。
2009年05月25日
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帰りのラジオでエコポイントの宣伝が・・・お役人?の女性が仰るには、手間ひまのかかるポイント制でなく、現金でマイナスすればいいのでは?という問いに「それではそのお金は貯金に回るだけ。消費していただかなくてはならないので、ポイント制になっている」ですと。やはり、エコと言いつつ、消費を奨励しているんですね・・・「私も一言」という視聴者からの意見で「エコポイントとかいって環境に配慮しているかにいっているが、かたや、高速料金が1000円なんてエネルギーの無駄遣いを奨励している。エコの本当の意味がわかっているのか」というのがあり、これにはいくらかスカッとしましたネ。そうそう、お盆休みにもこの1000円をやるそうですが、まじやめてほしい!!というのは、・・・高速バスで帰省するしかない私的な理由もありまして♪、ただでさえお盆は大渋滞して毎年行き帰りにトイレの心配やいろいろで苦労しているというのに、これに輪をかけて!さらに!渋滞を助長しようなんて・・・・今から憂鬱であります。ムロン母の顔を見るのは大変楽しみなのですが♪♪♪
2009年05月15日
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・・少子化は公の問題」という発言を今日、どこかで耳にしました。これも「個々にやるのはいいけれども、みんながやるのは問題」という例の言葉(リストラとか)と同種のものを感じました。何だか奥歯に物が挟まったような言い方に思えてきます。「子供を産むのは個人的」→だけど少子化は社会の問題。「個々の会社がリストラをするのは仕方がない」→だけどみんながやると問題。???社会を作っているのは個人じゃないんでしょうか?どういう社会で生きているのか、子供を育てやすい社会なのか?仕事をしやすい社会なのか?その両方がしやすい社会なのか?子供を産むのか産まないのか(いや、多くは子供が産めるか産めないか)は、どんな社会に住んでいるのか、ということと切り離して考えることはできません。「産めるなら何人でも産みたい」という声を聞くことがありますが、それは産みたくても産めない社会だからこその言葉では・・・社会と切り離して「個人」をもってくることは無意味だと言いたい。そして今やろうとしているお金のばらまきのような政策では社会の責任をまっとうしたことにならないって。。
2009年05月05日
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労働者の祭典ということで、この日はなんだかうれしい♪定年のあとは元労働者ということで参加しようかしらと思うくらいです。今は仕事が休めないので参加できない故・・・そうしたら、「元○○労組」というゼッケンをつけた頼もしいお方がいらっしたとか。いろんな活動をする上で(仕事をしながらだと、メーデーのような労働者のささやかな闘いの一つ?にさえ参加できないのですから)、飯を食うための仕事から解放されることはとっても大事ですよね。なかなか、解放されそうもありませんが、せめて今の半分くらいにして。メーデーのような集会にくらいは自由に参加できるようになりたいものです。現役の労働者でないとダメなんて言わないよね。。。そうそう定年後の方たちの活躍の場が広がっているようです。西に母子家庭があればかけつけ、東にプレカリアートの集まりあればかけつけ、なんて、ね。そんな生活が夢だったりします。先立つものが要りますが・・・・
2009年05月01日
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「みんながやると自分の首を絞める」とまた、どこかで聞いたような言葉を今朝のラジオで聞きました。以前は企業による「リストラ」でしたが、今回は「節約」各ご家庭で節約に励むのはいいのですが(ある意味当然ですが)、みんながものを買わなくなると、→企業の業績が悪くなり、→お給料が下がり、→また各ご家庭で!→“もっと”節約をしなくてはならなくなる。(だから節約がいいとは言い切れない??)リストラのときと見事に同じ論理です。ものを買わないのは悪いことなのか?無駄をなくしてシンプルに生きるなら、地球になるべく負荷をかけずに生活するなら、子供たちに余計なゴミをのこしたくないなら、ものを買わない、のは全体的に見ても地球のためにも、子供たちのためにも「いいこと」でなくてはいけないはず・・・?それなのに、なされようとしている政策は、―お金持ちにどんどんお金を使ってもらって!それにご褒美をあげよう!―というものにしか思えない・・・のですが。。しかも、とんでもないことに!税収と同じかそれ以上の借金をして、子供たちにツケをのこして・・・
2009年04月20日
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「アトム通貨」という地域通貨のあることを知ったのはつい最近でした。もう5年も前に、アトムの1歳の誕生日にうまれたものらしい。アトムが生まれた早稲田・高田馬場の地域通貨だったものが、今年から全国的な広がりを持たせようという取り組みが始まり、すでに準備できている地域もあるとか。前、お金のいらない社会がいいな~と書いたことがありますが、まずこんな形で実際のお金が社会からどんどん駆逐(はムリ、かナ)されていったらいいのに、と途方もないことを考えてしまいます。地域通貨、がまだ本格的に通貨の体をなしていない状況でも、「人と人との助け合い」「お互い様」ということでお互いにお金のやりとりをなくしていくことができたら、と考えたりもします。たとえば農作業なんかをお手伝いして野菜の売り物にならない部分をわけていただいたり、とか考えると楽しくなります。つまるところ、「人と人とのつながりが本来の形を取り戻す」ということになるのではなかろうか?なんて考えるのであります♪
2009年04月15日
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遅れておりまして、何日か前の新聞で読んだ記事がずっとひっかかっています。「人間扱いしてくれ」と言っているのは新卒で就職先が決まっていない人でした。「派遣切り」という言葉と一緒に「派遣労働者は人間扱いされてなく、部品扱いだ」という言葉も聞かれたのですが、新卒の人までそう感じざるを得ない世の中になってしまったのか、と。つまり人間扱いとは、ちゃんと暮らせる仕事をくれ、と言ってることなんですね。どんな仕事だって、選ばなければいくらでもあるじゃないか、という人もいますが、その先、その仕事をずっと続けていて、やがて家族ももち、次世代を育てていくという目標にあわない仕事では、就く気が起こらないとしても何の不思議もないと思います。そういう仕事がみつからない、ということが問題なのですよね。(派遣切りにあった人に自己責任だと言い放つような人はどんな仕事だってないよりまし、とのたまう資格はない、わけですし。)そもそも、「まともに働いていて、それにもかかわらずまともに暮らせない」ような処遇そのものがおかしい、ではありませんか。人間扱い、とは最低限!!「まともに働く権利、そしてその働きでもってまともに暮らせる権利」ではないか、と「当たり前のこと」に今頃きがついたような次第でした。
2009年03月29日
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が一つのテーマになっている記事を二つ。一つは産経新聞のコラムで「イソップのお話の中の『農夫と蛇』」題は「なかよくなれっこない」息子を毒蛇にかみ殺された農夫。敵を討とうと待ち受けて斧をふりかざすも、外れて岩が粉々に。仇討ちに疲れて蛇に「仲直りしよう」ともちかけるが、蛇は言う。「おまえさんは息子の墓を見るたびに、わしは岩を見るたびに悟るだろう、仲直りなんてできっこないって」もう一つは朝日新聞の舞台の紹介記事。井上ひさし氏作、蜷川幸雄氏演出の「ムサシ」。爆笑に潜む「報復の連鎖」と題されています。巌流島の決闘のあと、小次郎が生きていて、その武蔵と小次郎の後日談。決闘をやり直そうとする二人を周囲は何とか止めようとするが、止めようとしていた人も、自分の父親を殺した犯人がわかると仇討ちに乗り出す・・・どちらも、なんとも、パレスチナとイスラエルを彷彿とさせるお話ではありませんか・・・イソップの寓話を持ち出して「なかよくなれっこない」と決めつけている論調にはどうにも賛成できないのですが、我が身に置き換えてみれば気持ちは痛いほどわかります。生かしておくものかと恨むに違いありません。しかし、だからといって、そうやって憎しみの連鎖をいつまでも人類が繰り返していいものか?どこかでストップさせなくてはならない、という気概がその記事の中に感じられないのは残念なことです。「報復の連鎖」は止めなくてはならない。という命題をたてて論じてくれないものでしょうか?井上氏の舞台の方は後半の紹介がされてなく、望みを抱けるような展開を期待していますが。。言いたいことは一つです。「憎むべきは個々の人間ではない」、「憎むべきはこの、人間が人間らしく生きられない体制そのもの」この体制こそが人間をがんじがらめにして、お互い同士を対立させている張本人なのだと。
2009年03月12日
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ワークシェア、ルームシェアなどはよく聞く言葉ですが、この頃はカーシェアリングやネットでのシェアも流行っているようです。車も自分で持つとなると維持費が大変ですが、共同所有?だと購入費用とか税金とか駐車代など負担しなくてよく、かなり安上がりに車の利用が可能とか。ネットでのシェアも画期的ですよね。今朝のラジオによると、自分が使わなくなったものをネットに計上して必要な誰かが必要な時だけ使い、またネットに戻す、費用負担は送料のみ、といったシステムで、モノを自分が持っていることに価値があるのでなく、「分かち合って所有している」!、ということが、実はとっても豊かなことなんだ、といったようなことをラジオでどなたかが述べておられました。個人が所有している、ということより、みんなで分かち合って所有している、そこに豊かさがある、という言葉に反応してしまいました。一人で何かを持っている満足感より、みんなで分かち合って使えるものを持っている、という満足感の方が上等のような気がしてきました。モノにしたって、使われなければただの置物かゴミ?にしかならない、それよりはもっと大勢の役に立ちたいと思うのではないでしょうか?(なんて、モノが思うわけないですが♪・・・)それにしても、“分かち合い”(→共同所有!) いい言葉です。心が豊かになる気がします。
2009年03月02日
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村上春樹氏が「エルサレム賞」の受賞講演で述べられたという言葉。「高くて硬い壁と卵が衝突するような場合、自分は壁ではなく卵の側に立つ。たとえ壁が正しく卵がまちがっていても」と。この言葉を聞いたとき、人生で初めて自分が「壁」というものに遭遇したときのことを鮮明に思い出しました。それは大学に入った年。まだ学園紛争の名残が少しあった頃、学内でささいな衝突があったのかどうか、機動隊が大勢入ってきて、学生に向けてジュラルミンの盾を並べて無表情でまさに「壁」を形作っていたのでした!そのとき、機動隊の方々はお父さんの世代と言っていい年齢の方々に思え、こちらが何か話しかけたら答えてくれそうなものだと思ったのに、何を語りかけても無表情の状態を崩さない、まさに「壁」だったのです。このとき、壁は「国家そのもの」だと思いました。村上さんは壁は「システム」だとおっしゃったようですが、私がそのとき感じたのは、「ジュラルミンの向こうにいたのは、冷たい国家権力そのもの」だということでした。人間の言葉は通じない、学生が何人か集まって何か言っても歯牙にもかけない、厳然としてある力、絶対に正しい、何物をも寄せ付けない力それは「国家」!でもそうじゃない。間違いのない国家なんてない、何物をも寄せ付けないなんてことはありえない、と信じないと、お国のやることに逆らうなんてとんでもない、という時代にまたなってしまう、と恐れます。村上さんの言葉にとっても共感して学生時代の「おそれ」を思い出したのですが、でも一つ、違う点を見つけました。卵はいくつ集まっても壁には敵わないかもしれないが、人は団結することによって、壁より強くなれる、壁を壊すことができる!人にとってはもう必要のない壁人の共存にとって邪魔な壁を人の共同の力で壊しましょう!
2009年02月22日
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について本日の朝日新聞・「耕論」で興味深い記事がありました。3人の人が述べている中で、小泉改革の立役者?島田晴雄さん(千葉商科大学長)の『競争に勝つのが最大の使命』という論です。3人の方の立場はそれぞれ「労組の幹部、小泉改革を支えた経済学者、派遣社員千人を正社員にする決断をした経営者」と説明されています。立場が違えば、主張が違うのは当然のことながら、びっくりしたのが、その「小泉改革」の島田さんの論の中で、「300万人近い失業者のうち、どんなに頑張っても職が見つからず食べていけない人を把握し、100万円ずつ支給するなど思い切った策をとるべき。それなら定額給付金の一部で済む」というお言葉。労組の幹部さえ言ってない、あるいは野党の人も言ってないような言葉をこういう立場の方がおっしゃるのですね~。と感心している場合じゃないのでした。今の資本主義の枠内でこの問題をなんとかまるく納めたいとするなら、一番大変なところに手当をして、体制批判にまで気持ちが行かないようにするのは、体制擁護派としては当然のことなのでした。昨日の派遣労働をとりあげたNHKの「日本のこれから」という番組でも思ったのですが、今の体制をそのままにするなら、労働者側にたてば「派遣」労働者の立場を守れという意見になるし、経営者側にたてば、経営が第一、競争に打ち勝たなくてどうする、という意見になるしかない、ということはあまりにも当たり前、という感じがしたのでした。正反対のことを望んでいるのに、正社員と非正規労働者の「格差を是正しなくてはならない」とどちらの立場の方たちも異口同音に述べておられたのが印象的でした。経営者の側からすれば、正社員の立場が守られすぎている!!のが問題(非正規労働者の方に近づけたい?)といいたいのでしょうね。なんでも、なかなか首を切れないのが問題だと、言いたいようでした。経営者の立場からすれば、労働者はいつでも首を切れるようでないと困る、ということなのですね。なんとも、資本主義とは非人間的ではありませんか。。。それなのに、資本主義をなんとかしようという考えはまるで見られないのですね・・その枠内で問題を論じようとすると、どうしても、こうした議論にしかならないし、景気がよくならないと労働者は雇用もされない、景気変動に左右されるしかない、弱い立場から一歩も出られない情けない状況におかれたまま、ということになるのでは・・。次のあるべき社会についてそろそろ考え始めないと、労働者はいつまでも「不安定な生活に脅かされ続けねばならない」状態から抜け出せなさそうです。
2009年02月08日
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「派遣労働を禁止すれば失業者が増える」最近よく聞く言葉です。同じ言葉をNHKラジオの「私も一言夕方ニュース」で今日も・・・・――派遣を禁止すれば、企業は労働者を一生雇わなくてはならなくなる、それではなかなか人を雇うことができず、失業者が増えることになり、労働者全体にとってもいいことではない、したがって派遣労働を禁止するのは間違っている!――のですと。こんな話がまかり通るなら、労働者の置かれる立場は「景気の動向に応じて簡単にいつでも首を切れるようにしておいて欲しい」という企業の立場に比べて、なんて軽いんでしょう!!!人間にとって、生きるか死ぬかの選択が労働(雇用)にあるというのに企業の雇用の権利―いや、解雇の権利―の方が優先するというのですから・・・これが資本主義の資本主義たるところだと思わざるをえません。そんな社会は変えていかなくては!
2009年01月29日
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