敗戦の日におもう (苺)



よく「終戦」と言われていますが、これは「敗戦」と言って頂きたいと思います。でないと戦争を知らない若者に正しく伝わりません。

アメリカの伝統的あくなき無差別爆撃によって、人々は負けであれ何であれ、とにかく終わったことを歓迎せざるを得ない状態に追い込まれていました。
終わったことがあまりにも嬉しくて、アメリカの非道を告発する気力さえ失っていたと言えます。

戦後60年たっても、中国、韓国、北朝鮮等、日本の侵略を一般国民のレベルで告発し続けているのに比べて、敵国であったアメリカへの親近感を国民が抱いているのは何故でしょう。
日本の軍部、政府の独走やお先棒かつぎの一部の者に、いかに踊らされていたかを、国民が身に沁みて理解したからではないでしょうか。

戦争になると、何でもありで、後からあれがどうだったかとあげつらうのは無意味という考えもありますが、アメリカ軍部が原爆を使ったこと、非武装の国民を絨毯爆撃(総なめの意)したことは告発し続けなければならないことです。
今、イラクで行われ、且つ続行されていることの何倍もの徹底的攻撃がなされたのですから。

こうした敗戦を経て、60年後の今、平和憲法を改変しようという機運が作り出され、君が代、国旗の掲揚が義務化されようとしています。
オリンピックで揚がる国旗と掲揚を強制される国旗は別のものです。後者は国民を支配するために最も分かり易く使われる道具です。特にこれを推し進めている石原慎太郎の強弁に警戒心を抱かずにはいられません。

12日の朝日夕刊で永井愛さんがこの日記と同じタイトルで『「日の丸・君が代」強制の先にあるもの』(副題)として警鐘を鳴らしています。

手足の不自由な子供たちの施設でまで、日の丸を飾った壇上で卒業証書を受け取らせるため、今までのフロアではなく、スロープをわざわざ作って対応したとか。
それよりも何よりも、東京都教育委員会は君が代斉唱時の起立や伴奏を拒否した教職員を「服務命令違反」として大量処分した、ことを告発しています。
そんなことが、黙って進められているのです。

戦争容認への道がこうして開かれつつあることを、私たちは見過ごしてはならないと思います。
夫や息子を戦争にとられて、泣くだけだったかつての女性と同じであってはいけない、女性こそ反戦の底力を見せねばならないと思います。



2004年08月19日  コメント(10) | トラックバック(0) | コメントを書く この記事のトラックバックURL:
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以上は、ラクテン仲間(先輩)の苺さんの2004年8月19日のエッセー。
非常に、感動、私の趣旨と同じ。そのまま、ここにアップ、コピーしました。なぜ、戦争を嫌悪するのか、人さまざま。
私の父は、海軍2等兵として昭和18年、30歳にして乙種か丙種で召集。そして、新兵いじめに遭ってます。ちょっと、見かけが2枚目で優男であったばっかりに、そして隣の万兵衛氏が海軍中将であったがため、大學出と思われて、いじめられたという、泣くに泣けない、けったいな話。

左耳に銃弾が貫通。まじめな父は、それをしっかりと行政に届けることなしに戦後。防寒服、防寒帽が戦争の勲章でした。
みんな1ランクあがって、1等兵になってますが、一番下であったことは事実です。そして、死に行くものは一番下でした。

たまたま、我が家4人兄弟で父しか生殖に恵まれませんでしたから、お家断絶は父が生きて帰るかどうか、これで世界が一変したのです。

だって、父が生還してないと、私が居ません。我が家が存続してません。

恨むらくは、戦争遂行の全体システムでしょうね!(イデミー、8月19日、04)

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