中年よ、大志を抱け!

中年よ、大志を抱け!

40になって



さて、僕は子供の頃県営のアパートに住んでました。同じような年頃の子どもが多く、昭和40年代はまだ空き地もたくさんありましたので(おばけのQ太郎とかモーレツアタロウの風景ですわ。)すごく楽しかったんです。

父は会社員で、朝早くから夜遅くまで会社に行ってて、遊んでもらった記憶は2つ3つくらいしかありません。

小学校四年の頃引越ししました。父が田舎のほうに家を建てたんです。きっと僕らが大きくなると狭いアパートではだめだから、と家族のことを考えてだったんでしょうが、その頃の僕は、転校によって大好きな友達と引き裂かれたのを根に持ってずいぶん長い間父を恨んでました。引越し先に長い事なじめませんでしたから。

中学、高校と、父と顔を合わせる度に説教を受けました。それがたいてい食事時だったんで、僕は家族で食事をとる事が嫌いでした。一家だんらんなんてくそ食らえ、って思ってました。

でも、それも今思うと、父にとっても僕にとってもその時しかコミュニケーションがとれなかったんですね。

僕はだんだん父に反抗して行き、高校を卒業したら家を出てしまいました。

その後も仕事が一箇所に決まらずふらふらしていた時など、時折家に帰ると父と衝突があって、「親父のせいで俺はのびのび出来ない」と長い間思っていました。今振り返ると父との関係が頭いっぱいに占めてたんでしょうし、父の立場をまったく考えてませんでした。ま、そんな事が考えられたら対立なんて無いわけですけど。

そんなこんなで、もしもずっと家にいたら、取り返しのつかない激しい対立に発展しそうでした。

しかし、僕の場合長く家を離れたことで別の人間関係ができ、そのおかげで父との関係は、それらの別の人間との関係の一部として相対的に縮まってしまって、冷静に見る事が出来るようになってきました。また、家を離れる条件として、仕送りは一切しないと言うことだったので、必然的にアルバイトでもなんでもしなきゃならなくなり、今から思えば逆説的ですが、「かわいい子供には旅をさせろ」って言う感じになってたわけです。

・・・僕はかわいい子供じゃなかったですけどね。

そのおかげで僕はかなり自立的に親ばなれする事が出来たわけです。

そりゃ、一時はもう少し何とかしてくれ、父親だろう!(金をくれって事ですけど)とか思いましたが、車でもなんでも自分で働いてそろえられたのは、ほんとに今思えば、ですけど良かったです。

僕が今の仕事についてからは、当時から見れば信じられないくらい良好な関係になってきています。

で、今思うのは、かつてすごく父に対して恨みがましい気持ちを持ってたのはどういうわけだ? なわけです。もちろん、その時にはその時なりの理由はありました。僕が言いたいのは、どうしてその恨みがましい気持ちが僕の心を大きく占めていたんだろう?って言うことなんです。

甘えだったのかな?って思うこともありますが、違うような気もします。きっと、親離れの過程で起こってくる不可解な心理状態なんでしょうね。

まあ、良く分かりませんが、今思えば、その心理状態に完全に飲み込まれなくて良かった、と思うわけです。ほんとに、何をするかわからん(僕が父に対して、ということですけど)という状態でした。

そして気がついてみれば「今思えば・・・」なんて今思えることは幸せなんだ、と思うわけです。

もしもこの日記を今父親と対立している若い人が見ておられるのでしたら、可能なら家を飛び出すことをお勧めします。妙な心理状態から抜ける事が出来るかも、と思うわけです。

僕は今ブラジルにいるので父としょっちゅう会ってるわけではありませんが、ごくたまに電話をするときなど、父との短い会話の中に、かつて感じたことの無い懐かしさや、年老いた父に対するある種の同情のようなものをしみじみ感じることがあります。

日本にいたときには親子で一杯飲んで語らう、というところまでは行ってませんでしたが、今度日本に帰ったときにはきっとそれも実現できそうな気がしています。いや、そうしたい、とこの僕が望んでいます。

40になってそう言う事が真っ先に思い浮かんできました。まあ、40最初の日記と言うことで・・・

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