中年よ、大志を抱け!

中年よ、大志を抱け!

話し上手な人


昨晩はちょっと考えさせられたことがありました。

ある会合が終わって、軽食を取りながらの懇談の時でした。

僕の隣にはいつもその会合に来ている84歳の日系二世のTというおじいちゃんが座ったわけです。

このおじいちゃん、糖尿病を持ってるんですがまだまだ目も耳もしっかりしていて、市内だけではなく遠く500キロ離れた親戚の家までも現役で車を運転してらっしゃるという元気な方で、青いジーパン、白いTシャツに黒い皮ジャン、鳥打帽に銀のサングラスと言ういつものいでたちでなかなかカッコいいゴロージンなわけです。息子さん達はもうみんな50歳を超えてますが、いっしょに並んでいるとまるで兄弟みたいな感じなんです。しかも一番末の弟みたいな・・・

その方の奥さんて方がそのおじいちゃんと同じ年なんですが、毎日ラジオ体操に励み、注文を受けてはとってもおいしいお惣菜やケーキやお饅頭を作ってて、これまた元気な方なんです。お二人はつい最近結婚60周年を迎えたというスーパーご夫婦なわけですが、さてそのおじいちゃん、テーブルに置かれたビールのビンを見ながら、「昔はこの色のビンの他に青いのもあったんだ」と言うんです。

この方、いつもさりげないきっかけから妙に面白い話をしてくれるんで、この時も、何の話かな?と僕は興味がわいてきました。

「で、同じ種類のビールなのに、この黒っぽいのと青いのとでは味が違ってたんだ。」と言うわけです。

僕は「へえ、どうしてまた味が違ってたんでしょうね?」と聞きますと、おじいちゃんは僕の質問を笑顔でさりげなく無視するような形で、「昔みんなで集まって飲んだ時、その話が出たんだ。ほとんどの人は『黒っぽいビンの方がうまい』と言ったんだが、『そんなことないよ、同じビールだもん、味はおんなじに決まってるだろう』って言う人もいた。」と言うわけです。この辺り、彼は絶妙な声色を使い分けてます。

もうこうなると僕としては聞かなきゃしょーがないわけです。

「それで、僕の友達が、『そんなら僕がどっちがどうだか当ててやるから、二つのコップに、それぞれのビールをついでここにおいてごらんよ。注いでるときはあっち行ってて見ないようにするから』と言ったんだ。」

「で、当てたんですか?」と結論を聞きたがる僕を、そのおじいちゃん、またさりげなく笑顔でかわしながら、「それで、『両方ともおんなじさ』って言ってた人が、二つのコップにそれぞれのビールをついで、テーブルに置き、その友達を呼んで飲み比べをさせたんだ。」と言うわけです。

そしておじいちゃんはその友人がビールを飲んでるジェスチャーをもたっぷり混ぜながら、「やっこさん、『これが黒い方、こっちが青い方』って言ったんだ」と言うわけです。

「それで? あってたんですか?」と聞く僕に、今度はこぼれるような笑みをこめながら「そう。やっこさん、みごとに当てたんだよ」と言うわけです。

「ほぉ、どうして当たったんでしょうね?」と、その笑みに釣り込まれるような感じで僕は聞いたわけです。「ビンの色がビールに溶け出したとか?・・いや、そんなはずはないですよね。じゃ、光の加減で、とか?」と聞く僕をそのおじいちゃんはまた笑顔でさりげなく無視しながら、ちょっと自慢気に「僕も当てたことがあるんだ。」と言うわけです。今度はご自分の体験談。

僕としては聞かなきゃしょうがないわけです。

「友達と一緒にどっかの店に飲みに行った時、店の主人が奥の方でコップに注いで持って来たビールを飲んで、『お、これは青いビンからついだビールだろう?』って言ってやったんだ」と言うわけです。

「え?Tさんもわかったんですか?」と、僕は好奇心を高めつつおじいちゃんに聞いたわけです。ところがおじいちゃん、その質問をまたまたさりげなく笑顔でかわしながら、「店の主人が『あんた、青いビンからのと黒いビンからのと、どれがどれだか分かるのか?』と聞くから、『そりゃわかるよ』と答えてやったんだ」と言うわけです。

「ふんふん」・・・またまた僕としちゃぁ聞くしかしょうがないわけです。

「『じゃあ、もう一度見えないところでどちらかを注いで来てみなよ。当ててやるから』と言ってやったら、店の主人が、『もし当たったらそのビールはただでやる』と言ったんだ。」と言うわけです。

そして、またビールを飲むジェスチャーたっぷりで「で、当ててやった。3回やって3回とも」と言うわけです。

「ふ~~~ん、どうしてわかるんですか?」と聞くと、その時やっと初めておじいちゃんは僕の質問に答えてくれました。

「水が違うんだよ」と。

そして種明かしです。

そのビールのうまいと言われている黒いビンの方は、南部のある州で作ってたんだそうですが、青いビンの方はサンパウロ州で作られてたんだそうです。そして、南部の州の水の方がサンパウロ州の水よりも圧倒的においしいんだそうです。ビールの味には水が大きく影響してるので、同じ銘柄のビールでも、はっきりと違って分かったんだと言うわけです。

なーるほど・・・答えを聞けば、それだけの事って言えばそれだけのことなんですが、その時は話の雰囲気に釣り込まれていて、たったそれだけのことに妙に感心させられたたわけです。そして、おじいちゃんの話を聞いて、話の仕方、ということに関して感心もさせられ、また考えさせられもしました。

・・・たとえば、僕のようにすぐ結論を急いじゃうようなタイプの人間は、今の話の場合、ちょっと薀蓄を語ると言った格好で「同じ銘柄のビールでも青いビンと黒いビンとでは、作る場所による水の違いから味が違うんだ」などと、そのおじいちゃんがジェスチャーや声色を使って20分くらいかけて話したものを、たった15秒でしゃべってしまうかもしれません。また、なるべく理屈的にと言うか、筋道をはっきりさせて話すように心がけてる人も、早めに理由を言いたいために同じようにさっさとしゃべってしまうかもしれません。

確かに、話の内容としては同じなんですが、印象とか、雰囲気とか、記憶への残りやすさとか、楽しさ度数と言ったものはずいぶん変わってくると思うんです。

思えば、そのおじいちゃんのように、常に聞き手の好奇心がどの辺りにあるかを把握しつつ、うまい具合にそれを引っ張って行きながら、最後に絶妙なタイミングでズドンと「おお、そうか」と思わせるような「落ち」をつける話し方をされる人のことを、僕達は話し上手な人と言ってるような気がします。

しかしこの演出はなかなか難しくって、聞き手の興味を外している事に気づかずやり過ぎてしまうと、「大した事ない話をいちいちもったいぶって話す奴」ってなことにもなるわけで、この辺の「呼吸」を読める人、つまり人の心の機微を知ってる人ってのが、お話もやっぱりうまいんだろうな、と思ったわけです。

そしてまた「話し手の持つ言葉の力」と言うことについても考えさせられました。そのおじいちゃんみたいに、身近にある出来事を興味深く面白く人に話す方々・・・たとえば、先日お兄さんの方がお亡くなりになられた夢路いとしこいしさんのような方々みたいな・・・そういう人達もおられれば、たった17文字に万感の思いを込めた芭蕉のような人達もおられ、また、ごく少ないでしょうが、中にはアドルフヒットラーみたいにとんでもない思想を、悲観に満ちた低調な語り口から徐々に身振り手振り、絶叫を交えて高揚させ、ついには聴衆を酔わせ理性を狂わせてしまうような「悪い」人達もいるわけで、そういうことを考えると、古代日本で言われていた「言霊(ことたま)」という考え方に大きな関心を抱かされたわけです。

・・・何にしても、俺って日々漠然と言葉を使いすぎてるなぁ、と思ったわけです。

・・・こうして、僕の場合は相変わらずとりとめもないままシューっと終わって行くわけです・・・

俺も話し上手になりたいなぁ・・・

ではまた。


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