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準備中Tyees HiStory社会人編



--TyeesHiStory社会人編--その1

なぜか、社会人になった直後のピアノとの関わりについては、記憶がかなり欠落している。

簡単にいうと、新しいことの連続、覚えなければいけなかったことの連続で、ピアノどころではなかったのであろう。

なにしろ、まずは、集合研修で、上田の地に数カ月いることになったし、そこでは、仲間たちとの寮生活であり、ピアノなんぞありえない生活であった。

しかし、よく思い出してみると、そういえば、上田には、社内ホールにアップライトピアノが置いてあった。
時に、それを弾いていたりもしたが、となりの部屋では、お茶とかお花だったかの集まりがあって、「その時間は、ピアノは自粛しなさい。逆に、こちら(お茶とかの会)」に参加しなさいとの話になったように記憶している。

だから、上田時代はピアノは全くなしというわけではなかったのだが、あまり熱心に練習というわけにはいかなかったのだった。
この頃は、楽譜を持参していなかったので、うろ覚えの曲たちを弾いていたように思う。
たとえば、水の戯れとか。。。


その後は、小田原で一年ほど生活。
こちらは、独身寮があいていなかったので、最初は、古い一軒家(8畳、8畳、6畳くらい?)社宅に住んだ。しかし、独身寮に移る前提であったし、ピアノを買うなんてことは思いつきもしなかった。あるのはガットギターひとつであった。
して程なく、途中から独身寮に移ることになったが、こちらは、たしか四畳半でピアノをおくどころではなかった。

でも、小田原時代はなにかやっていたように記憶している。
そうだ。
社内に、ハワイアン?バンドがあり、ここに、キーボード、エレピだったか、オルガンだったかで参画したようにも思う。
でも、88鍵のキーボードなどは設置されていなかったので、ハワイアンバンドの練習の都度、そのエレピだったか、オルガン(たしか49鍵もの)で即バッキングという感じであったと思う。


その後は東京虎ノ門勤務となるが、とにかく、最初は慣れることに精一杯であり、仕事も忙しかったように思う。
簡単にいえば、ピアノどころではない仕事一色の生活であった。

そして、このときは、巣鴨の独身寮に住むこととなった。

この巣鴨の独身寮、たった、六畳の空間での生活が長くなるにつれ、やや仕事生活にも慣れ、余裕もでき、そのうちに、また、ピアノ音楽も楽しみたいと考えるようになったわけである。

そして、ボーナスもどうにかもらえるようになり、忘れもしない、CP35というヤマハのエレピを、当時のパソコンと共に購入。(しかし73鍵であるから水の戯れを練習するには鍵盤不足!!)
ヤマハの30cmウーハーつきのスピーカーの上に、このエレピCP35を置き、寝る時には、家具調こたつ兼デスク代わりのコタツをエレピの下、スピーカーの間に収納して、その下にふとんをしいて寝るというありさまだった。

六畳だとやはり、スペース的にはきつかったので、仕方なかった。

大地震があったら、あっというまにエレピにつぶれてしまうような生活であったが、ある意味では、ようやく、ひとりで生活するという実感もでてきていたし、しかもエレピもあるわけで、楽しい空間の始まりであったことは間違いない。

また、
虎ノ門オフィスには、横の会館のホールにアップライトピアノがおいてあり、時々、そこで、空いているときに、昼休みとか夜、練習できた。
会社付属の会館であったこともあり、無料であった。(というか、弾いていても特に咎められなかった)

何人かピアノ仲間でかち合うときもあったが、たいていは、そこで、多少の練習もできた。

その他、次第に、会社の器楽部(昔はオーケストラも存在したのだったらしいが、その当時はもうなくなっていた)での管や弦の伴奏、そして、ダンス部の合間演奏のバッキングなどにも加わるようになっていった。


たまには、会社のとある拠点のオープン記念の演奏のバッキングに加わったり、
友人結婚式の音楽(ピアノで結婚行進曲その他数曲)を担当することもあった。

ワイフとの出会い は、しかし、この巣鴨の独身寮時代、虎ノ門オフィス時代のピアノ練習により、とあるOBOG演奏会に出演したことがきっかけであるので、ある程度の練習時間も無理矢理とれていたのであろう。
結構仕事との関係からいうと、とかく忙しい日々であったと思う。

その後、長岡、仙台と転勤になる。
長岡には、会社内にはたしかピアノがなかった。して、ここで、結婚生活が始まる。
おそらく、上記のCP35を持ち歩いていたのだろうと思う。

次仙台。こちらは、ホールがあり、たしか、グランドピアノがあったような気がする。

時々、練習することもできた。
しかし、自宅は、やはり、エレピのみで我慢の生活であった。
ただし、たしか、このときには、テクニクス製の、スタインウェイサンプリングの電子ピアノを揃えたはずだ。
結構、これが、音もよく、タッチもそれなりに改善していて、大変気持ちよく練習できるようになっていた。
そう、当時は、二台のエレピ・電子ピアノを持っていたことになりますね。

・・・

以後は、また、思い出したら、記述してみたい。。。

--Tyees社会人編--その1了


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