たぬきぶたの日記2

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広田尚敬さんと同行3



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広田尚敬さんと同行撮影その3



昼飯を食べて少しゆったりとした気分です。いつもならひたすらに歩いて疲れていますが、

自動車に乗ってご機嫌な撮影です。宮崎から南下して日南線に行きます。

最初の場所は平坦な畑でした。煙は期待できませんが、景色がいい。



カラーでないのがほんとに悔やまれます。広田さんはもちろん

カラーです。だから、このけし畑は絶好の景色です。僕はモノクロですから

この美しさは完全には表現できません。でも今までに写したことのない構図で

撮影できた。なんせカラーはめったに使いませんからね。



手前のけしの花もきれいだったが、その向こうにみえるオレンジや

黄色の花が南国の風情を感じさせてくれる。

のどかな田園風景の雰囲気が出ているでしょうか。

広田さんの写真集にこの写真もあります。となりで写しましたから。

カラーでもう一度みたいですね。

またまた、追いかけます。




まだ何も植えられていない田んぼと枯れた草ばかりの風景でした。

どうしたものかと思案しますが、まあこんな写真もいいかと。

とりあえずシャッターをパチリ。C11185号機であるのがはっきり分かりました。

次は広田さんがこだわった海岸沿いの風景を探しに行きました。

有名な鬼のせんたく岩といわれる海岸線です。線路は見えませんでしたが、

記念に撮影しました。







観光地には縁のない旅行ばかりなので、こんな有名な場所に

来るとは思いもよらなかった。宮崎駅などで観光用の絵はがきを

売っているが、都井岬の野生馬、高千穂、日南海岸、などの美しい

風景は実際には見ることはないと思っていた。それができたのです。

嬉しかったですねえ。

さて、なんとかこの海岸を入れた線路がどこにあるのかが問題です。

広田さんの行動力はすごいです。とにかく自分が満足する構図を得るためには

どんな所にもチャレンジします。場所はやっと決まりました。

あっちこっち探したのですよ。ここもだめ、あっちもだめと、車を降りては線路と

海岸との構図を考えます。

せんたく岩からはだいぶ離れてしまいましたが、なんとか海岸を入れて撮影することに

なりました。これです。



車を降りた所はずっと離れています。そして歩きます。

そして、線路と海岸を入れるために山に登ります。

ひたすら根性です。道なき山肌を草を踏み分けて上がっていきます。

その根性には 「さすがプロ!」 と感心しました。

この写真もカラーだったらいいのにねえ。

空の白、海の青、波と海岸の対比、木々の緑とSLの黒。

このときほどカラーを持って来なかったことを悔いたことはなかった。

だから次の夏休みには無理してカラーを持っていったのです。

夏のモノクロはアップしましたが、カラーはまだですね。

もうじきやりますから。

あの桜島をバックの写真やら三重連もカラーでありました。


さて、広田さんとの撮影はこれで終わりです。

「僕はそろそろ帰らなくてはいけないんだ。飛行機の時間があるからね。

そうだ、家へのおみやげを買っていくよ。ちょっと待っててね。」

そうやって彼は近くで見つけた、八百屋みたいな店に入っていきました。

しばらくして戻ってきたら、手には魚の干物。めざしでした。

「僕はね、おみやげといっても何とかまんじゅうなんてのが嫌いでね。

こうして地元のありきたりの物がおみやげには最高だと思うんだ。どう?

そうは思わない?」

一日で多くのことを話したが、最後のこのおみやげの考えが僕には印象深い。

僕からの情報としてこんなことを話した。

「長崎の早岐機関区のお召し列車を牽引した8620形式のSLが人吉に来ました。」

広田さんにはどのSLがどこに行ったなんてのは、あまり興味のあることでは

ないのでしょうが、じつは僕のこの言葉を覚えていてくれました。

それは、半年後のことでした。

SL雑誌にこのときの作品が掲載されました。宮崎神宮でのC61の発車。

これが横位置での作品でした。僕よりもあとでシャッターを押したと思ったシーンです。

流し撮りのC612号機、青井岳のC57、日南線のけし畑のC11。

そして、写真の中にコメントが書かれていた。

「長崎の86が人吉に来たそうです。」 と、日焼けした高校生が声をはずませる。

相棒がこれを買っていた。見せてもらってびっくり。

「わあ、俺のことが載っている~。」 「これ、おれのことだあ~。」

この言葉が僕には大切な思い出となった。

この雑誌は値段が高くて買えなかった。880円でした。当時は高くて手が出ない。

でもしばらくして、自分のことが書かれているのだから、なんとしても手に入れる

べきだと思った。でも、時すでに遅し。

バックナンバーを注文することも知らなかったので、買うことなく日々が過ぎてしまった。

このことは今も後悔している。

何とかして、このときの作品を見ることは出来ないのかなあ。

すべてカラーで見事なものでした。その内のいくつかは僕が場所と構図を決めたんですよ。

写していく内に僕の撮影センスとカメラ2台を駆使する技量に敬意を払ってくれました。

「この場所でいいかなあ。どう?」 

「僕もここでいいと思いますよ~。」 なんて言いまして、プロに対して失礼でしょうが。

でも、プロにこんな言葉を言われてほんとに嬉しかった。

宮崎空港に行く途中でわざわざ南宮崎駅で降ろしてくれた。

丁寧にお礼の言葉で分かれた。

再度、言います。 「おにぎり」ありがとうございました。

このあとは大淀川鉄橋で撮影し、夜は機関区で撮影でした。次回にアップします。



この日から3年後にまた広田さんと会うことができた。

場所は北海道夕張線。昭和50年12月24日。

最後の営業運転の日でした。この続きは北海道編でまた。



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