『Fがいっぱい!(^0^)/~』内子町観光農園!!

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文化交流ヴィラ高橋邸


 現在は、文化交流施設として地域の方々に利用される他、宿泊施設や喫茶を楽しめる施設として女性グループ「風雅」の方々が運営されております。

高橋邸外観 (22).jpg
                    【高橋邸 外観】

高橋邸 正面門高橋龍太郎翁母屋和室
        【正面 表門】               【高橋龍太郎翁銅像】                【母屋和室】

※母屋にはいるとすぐに、龍太郎氏の銅像が飾られている。なお、母屋の和室ではお庭を眺めながら喫茶が楽しめコーヒー・紅茶・抹茶などがいただける。(有料) 

母屋和室からお庭母屋 洋間アサヒビールより寄贈
      【母屋和室からの眺め】              【母屋 洋間】         【アサヒビール寄贈のマグカップ】

※ 洋間には高橋龍太郎翁の貴重な品々が展示されており、アサヒビールから寄贈されたドイツのマグカップなども見ることが出来る。

高橋ユニオンズユニフォームのレプリカ高橋ユニオンズのレプリカユニフォーム記念品
   【高橋ユニオンズ・ワッペン・レプリカユニフォーム等】         【サッカー協会殿堂入りのプレートと愛用のパイポ】  

※左・中の写真は「高橋ユニオンズ」(トンボユニオンズ)に関するもので1954~56の3年間、高橋龍太郎氏がオーナーを務め1957のリーグ6チーム制により統合、消滅した野球チームである。その他、右の龍太郎氏の顔が入った楯は日本サッカー協会の殿堂入りをした時にいただいた楯のレプリカで、第3代日本サッカー協会会長を務め現在の天皇杯サッカー大会開催に関して尽力貢献されている。      

宿泊施設無用者可入宿泊施設(1階和室1)
         【宿泊棟】           【「止談風月無用者可入」の看板】         【宿泊棟 1階和室】


 ※「止談風月無用者可入】・・・ただ風月を談じるなら、用事が無くても屋敷に入りなさい。と言う意味で、遠来の人と時を談じ、文化を語った高橋吉衡翁の心意気がかいま見れる。 この宿泊施設は、1日1組限定の貸切宿でゆっくりと休まれたい方には最適です。

宿泊施設(1階和室2)宿泊施設(2階和室)洗面室
        【1階 和室2】                 【2階 和室】                【洗面室の鏡】

※ 洗面室の鏡はアサヒビールとリボンシトロンの文字入り鏡が使われている。

庭にある石碑
        【高橋龍太郎翁】

【高橋龍太郎翁】
 明治8年に喜多郡内子村生まれ、旧制松山中学校(現在の愛媛県立松山東高校)、京都第三高等学校(現在の京都大学)工科卒業後、明治31年大阪麦酒株式会社に就職する。入社半年後には、ビールの本場ドイツに留学(6年間醸造技術を学ぶ)。明治39年日本・札幌麦酒と合併し、大日本麦酒株式会社が設立され、31歳の若さで吹田工場長となる。大正6年には大阪支店長、大正10年取締役進、大正12年常務取締役、昭和8年専務取締役、昭和12年社長就任、昭和24年8月辞任にいたる。 
 その後、大日本麦酒株式会社は昭和24年9月に過度経済力集中排除法により解散し、現:アサヒビールと現:サッポロビールに分割された。
 そして、昭和42年92歳の長寿を全うしてこの世を去る。

 その他、昭和21年には東京商工会議所会頭、参議院議員となり昭和26年 第三次吉田内閣では通産大臣に任命され、戦後の日本経済復興に尽力する。
 スポーツ界においても、昭和22年日本サッカー(当時は蹴球)協会の第3代会長(在任期間:1947 ~ 1954年)を努め、プロ野球界でも昭和29年シーズン開幕前に「株式会社高橋球団」を設立し高橋ユニオンズを誕生させた。昭和30年にはトンボユニオンズに名称変更したが、翌昭和31年に高橋ユニオンズへ再度変更された。しかし、昭和32年、パ・リーグが6球団に整理統合され、2月大映スターズと合併し、球団の解散が決定した。

 明治、大正、昭和と激動する近代日本の中で、威風堂々と志を貫いた豊かな人生であった。

                                   ※内子町パンフレット等より

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