“お笑い”哲学論のページにようこそ!

 “お笑い”哲学論のページにようこそ!

変身願望についての考察



自分は美人だと少なからず勘違いをしている人でも、自分が今のままで良いとは考えていません。
(これはそういう人が謙虚だからではなく、反対に欲が深いからでしょう)

社会が現状のままで構わないという人でも、自分の姿が現状のままで良いとは考えていないのが普通です。
たとえ、自分の現状には、もう手の施しようがないと考えている人でさえ、せめて自分の愛する彼(彼女、配偶者、子供など)には変身して欲しいと願うものです。


変身願望は別人のようになってみたい、という願望ですが、たんに別人になるだけなら簡単です。
「マッケンジーさんですか」と言われる度に、「いいえ、マクレガーです」などと言い張ればいいでしょう。
(スコットランド人なんて誰も見分けがつきません)

また、別人なら誰でもいいわけでもありません。
美人で、できれば多方面に才能があり、さらに、お金持ちになりたいのです。

ところで、変身とは何でしょうか。
たんに髪型や化粧を変えたぐらいでは変身とはいえません。
眼鏡をかけ、かつらを被り、高校生の制服を着ても、とくにそれが中年のおやじの場合、それは変身ではなく、「変装」か「変態」でしょう。

変身はある程度「人間が変わった」といえるような変化でなくてはなりません。
また、社会人になった、職業が変わった、結婚した、離婚した、妊娠した、出産した、子供がグレた、といった変化は、変身ではありません。

変身といえるためには、姿が劇的に変わり、「違う種類の」人間になることが必要です。
ちょうど、青虫が蝶になり、ミノムシが蛾になり、本郷猛が仮面ライダーになるくらいの変化が起こらないと変身とは言えません。
(だが、劇的な変化と言っても、ダイエットで百キロの体重が半減し、モデルのようになるのは変身といえますが、ガンなどで激ヤセするのは単なる変化です)

これくらい劇的な変化が自分の中に起こって欲しいと多くの人は願っています。
しかし、蛾になりたいとまで願う人はいません。
同じ人間になるのでも、病人や囚人や死人になるのを望む人もいません。
多くの人が望むのは、もう少し控えめな変化です。

よくドラマなどで見かけますが、純朴で垢抜けない田舎娘が上京して急に洗練された都会の女になるような場合が、多くの人の求める変身でしょう。
こういうドラマの変身が、「わたしの身に起こったら、どんなに素敵だろう」という想像あるいは妄想をかき立てています。
(多くの場合、妄想に分類されるでしょう)

何より重要なのは、変身が誰にも実現可能なことです。
ドラマでは、眼鏡を外す、髪型を変える、洗練された服装に変えるなど、比較的簡単な方法によって変身を実現しており、人格を磨くなど、あいまいで難しいことは必要ありません。
せいぜい、歩き方、話し方、足の組み方を変える程度でいいのです。
どんな変化も小さい変化の積み重ねによって達成されるものです。
髪型、服装、体重を変えることによって、一般人が相撲取り風に変わることもできます。


女性はすべて変身が得意です。
どんな女性でも子供の頃とは姿かたち、物腰、話し方が違います。
(物腰と話し方は子供の頃と同じ女性もいます)
だから、どこかで既に変身しているはずです。
男は変身しきれないところがあります(男が子供じみているのはそのためです)が、女性は何にでもなりきってしまうという特性があり、化けるのは得意です。
事実、街で偶然に知り合いの女性に遇ったときも、よく知っている女性なのに、その人だとは気づきませんでした。
パンダのぬいぐるみを着て、ビラを配っていたのです。


変身の能力は貴重です。
活かしようによっては、立派な人格を備えた美人になる可能性があります。
(あくまで、たんなる可能性です)

残念なのは、その能力の使い方を誤っているケースが見受けられる点です。
病的な女性になったり、不良になったり、お化けになったり、暴君になったりするのに変身の能力が使われているのは余りに惜しいことです。


女性は、せっかく変身の能力を授かっているのです。
有効に使ってもらいたいと願います。
とくに私の周囲にいる女性たちは、美人になるのは無理だとしても、性格面で大きく変身してもらいたい。

別人のようになるのではなく、いっそ別人になって欲しいと思います。




© Rakuten Group, Inc.
X
Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: