デラシネの日録

デラシネの日録

教師として働くということ



 およそ、教師として働きながら、一生迷うことなく、まっとうできる人は少数派ではないだろうか。近年、数多く発表されている教師のライフコースに関する研究を読めば、他人事ではない教師の迷いに共感をおぼえることがある。
 私は足かけ三年、岐阜県教育史(岐阜県委嘱)の分担執筆のために川口半平の書いた文章と取り組んだ。川口半平は綴方の北方性論争の論客だった綴方教師である。同じ岐阜県出身の野村芳兵衛、今井誉次郎らが上京していく一方で、戦前は教師として、戦後は行政面で岐阜の教育に力をつくした人物である。分校の代用教員が教師生活のふりだしだったが、師範学校を卒業後、師範附属校長となり、終戦後に退職している。
 次に掲げるのは、川口半平が戦中に書きついだ『随感録』と題されたノートに見える文章である。『随感録』は昭和十九年五月二二日から始まり、昭和二十年十月二六日の日付で終わっている。校長としての苦悩や講演を聞いた感想、家族に関する記事などがつづられているが、次に掲げるのは「噬臍の感」と題された文章である。

私は今日まで二十八年間教育者としての途を歩んで来た。私は職を教育に求めたことに対して悔を抱く気持は毛頭ない。只、教育者として尊い年月を無為に過して来た自分に対して悔いて止まないものがあるのである。(中略)
が何といふ表ママ相的な教育者街道を通って来たことであらう。(浮田注・附属訓導から校長へ校長から視学へ視学から代用附属校長への道程は)(中略)落着く暇もなく人生を通過するに似た浮薄さが認められないであらうか。
さうしたものに満足するならば、教育者としての途を選ぶべきではなかった筈である。教育者として世に生きんとする限りさうしたことを第二義的なものとして道に生くるの一念が不動なものとして念々切々と常時に燃えてゐなければならない筈である。
結局に於て私の二十八年は大過なくその職を勤めて来たに過ぎないものであつて、道に生くるの精神に徹した苦闘の歴史でもなく、道に生くるものゝ悲哀の泣号でもなかつたことを想う時私は恥多き感を以て過ぎ来し途を顧みざるを得ないのである。(中略)
私は今日に到る過去に於て卑しき心をもつて世を渡って来たとは思はない。つねに時流に迎合して巧みに処世の途を全うしたとも思はない。
然し乍らどう考へても高き矜持と烈しき闘志によつて道を貫いたとは言ひ得ないのである。道に志す者にして我と闘ひ他と闘ふことなしに志を生かすことが果して出来得るものであらうか。無難に世に処したことは換言すれば臆病に身を処したことを意味し闘ひを回避し、妥協を事として偸安の易きについたことを物語るものであらねばならない。
若き日の悔悟は若き日の情熱を傾けることなくして過ごした尊き日を無為に空費した悔恨であり、一生を通じての憾みは人生五十にして何らの意義ある足跡をももたなかったことに対する限りなき寂寥である。
師たること二十八年師として我を仰慕するもの幾人ありや否仰慕さるるに値する我であるかどうか

 昭和二〇年五月十六日の日付が見えるこの文章は緊迫した時代の雰囲気を反映している。誠実に教師たらんとした川口半平の胸中をうかがうことができる。川口半平は終戦直後、附属校を野村芳兵衛に託し、校長を退いて、母親が待つ山に帰る。五十歳であった。
 自伝『花ぐるみ』は、教師時代が中心である。川口半平が語りたい人生は教師生活であった。生活綴方運動の論客であり、多くの児童文学作品を生み出し、脚本が東京の劇団で上演されるなどの活躍があった。むしろ、川口半平は多くの「意義ある足跡」を持っていたのである。
 その一方で、教師という仕事に迷いをもっていた。川口半平が子どもの綴方のガリを切っているとき、中学校にあがった教え子がそばを通りかかり、「先生はまだ、そんなことをやっているのか」と声をかけた。そのとき、川口半平はその作業をひどくつまらないことのように感じたと言う。「否仰慕さるるに値する我であるかどうか」と、問いつづけた教師生活だった。
 この迷う姿にむしろ私は勇気づけられ原稿を執筆した。

 あるとき、某女子高校で「進路を考える」という総合学習中の1時間話をすることになり、5クラスで話をした。
 女子高生を前にして、「皆さんは将来といった場合、何歳くらいを想定するでしょうか?」と問いかけた。十六歳の少女たちには、高校を卒業し、大学に進学し、就職をして、結婚するというライフコースの先にあるものはまだ見えていない。 「二五歳でしょうか、三十歳くらいかな?でも、たとえば八十歳まで生きると想定してみたら、どうでしょう。結婚して子育てに大変なのが約十年として、四十歳になるころには、時間ができるのではないかな?」
 大学を出るということは、専門性を保証されるわけではなく、専門性を身につけていく基盤ができたに過ぎないと私が語ると「そんなにいつまでも勉強しないといけないの。」と驚く声があがった。
 後日、高校の先生方から、たびたび生徒の話題になっていると聞かされ、安心した。手ごたえのある聞き手を前にして、教師である私の方が励まされた。
 教師という仕事は一般社会において、身近な反面、理解されにくい面ももっている。大学教育の転換期を迎え、これからも迷いながら、仕事をしていくであろうことを覚悟する日々である。

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