夢追いランナー笑石人の部屋

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'08 IAU 24H World Challenge in Seoul


大会:「2008 IAU 24H World Challenge in Seoul」

日時:10/18(土)10:00~19(日)10:00
位置:Young Deungpo gu, Seoul. Aan Yang brook side.
会場:ソウル市内オモッキョ(梧木橋)付近。漢江支流河川敷運動公園

天候:18(土)晴れ時々曇り、19(日)曇り時々晴れ
気温:18(土)スタート時:16度(最高28度),19(土)ゴール時:18度(最低12度)
出走:24ヶ国、男子106人(日本:4人)、女子55人(日本:6人)、オープン10人

〔概要〕
毎年一回行われるIAU主催の24時間走世界選手権大会。
開催国や開催時期はIAUの協議会で決定する。日本から参加するためには、IAU公認の大会(2008年11月現在、国内では「24時間走神宮外苑チャレンジ」のみ)で選考基準を満たしている者のみが参加できる。
参加できる人数は各国から男女6名。なお、国別団体戦は上位3名の記録で競われる。

〔コース〕

走 路:400mトラックと周辺道路
距 離:923.46m/周
路 面:アスファルトおよびコンクリートおよびコンクリートブロック敷
高低差:±1m未満
道路幅:2.7m~4m(車止めがあり実際には2m弱のところがあった)
フラットで記録が出やすいコースだが、暑さとコースの固さに体を壊すランナーが目立った。
〔計測〕
RCチップではなく韓国独自のICチップでの計測。なんと両足につけるよう指示があったが、1つは万一のときの保険だそうだ。
リアルタイムで電光掲示板に順位や距離が表示されるはずだったが、残念ながら速報システムにトラブルが発生し、それを見れたのはほんの数時間のみで、ライバル?との距離がどれくらいなのかまったくわからなかった。
〔雰囲気〕
今年の世界一を決めるとても重要な大会であるので厳格な感じがするが、大会中は24時間BGMが流れ、途中、楽器の生演奏があったり、ダンサーが踊りを披露したり、現地の子供たちがエイドサポートに加わったりとお祭りムードもあった。
〔エイド〕
大会側が用意したゼネラルエイドには、飲み物、食べ物が豊富で足りない物はなかったが、各国にエイドがあるので全く混雑していなかった。
蒸し暑かったのでスポンジ、コーラと氷に手を出すランナーが目立った。
〔日本チーム〕
男子4名、女子6名。男女共に世界一のランナーがいて、男女共に団体優勝が狙える布陣だ。

〔日本エイド〕
水、ポカリ、お湯、バナナ、メロン、パンなど、濡れタオルなどを準備。
〔日本サポーター〕

日本は1サポーターが2人のランナーをサポートする体制。
私の担当サポーターは、同じ所属クラブの鈴木さん。

「2007年の24時間走ワールドチャレンジ」で6位だった経験を活かした完璧なサポートであった。


【自前の補給物資】

・メダリスト・フリーダムをミネラルウォーターに溶かしたもの。3リットル
・アミノバイタル・スポーツキューブ:4箱
・パーフェクトプラス・メープルクリームケーキ:3個
・パーフェクトプラス・チーズクリームケーキ:3個
・カーボショッツ(コーラ風味):10個
・パワーGEL(梅味):3個
・塩飴:1袋
・梅飴:1袋


【装備】
・シューズ:RC902(ニューバランス)
・ソックス:シルク入り5本指ソックス(コクーン)
・タイツ:CW-Xプロ・ロング(ワコール)
・インナーパンツ:CW-Xメンズ・アンダー・スポーツショーツ(ワコール)
・ZIP長袖シャツ:ジップTシャツ(アシックス)
・バンダナ


【プレッシャー】
私以外の代表選手3人はすべて250kmを超える実力者。一方の私は自己ベストの記録で231km。一際レベルの低い記録にも関わらずいろいろな「運」で決まった日本代表である。国内には私よりも実力が上のランナーが何人もいて、選考に疑問を感じているはずだ。さらには、前日本代表選手がサポーターに付いてくれたり、地元新聞への記事掲載、親類からの餞別、国別団体戦に絡む可能性があるなど、「結果」を出さなくては帰れないような状況。
また、他国のランナーとの会話、久しぶりの海外渡航、など、走る以外にもプレッシャーを感じる部分があった。


【計画表】
当初はキロ5分40秒強で走り6時間毎にすこしずつペースを落とし、最終的に240km前半を走る無難な?計画を立てた。
しかし、渡航直前に所属クラブ代表から自分の記録を抜くよう指示があり、急遽、248kmを目標に計画表を練り直した。しかし、サポーター付きで走るのは今回が初めてなので、立ち止まっての休憩なしでどれほど走れるかは未知数。
ペース表や補給計画表などの根拠はなにもなく単なるつじつま合わせ。


【いつの間にか始まる】

特にアナウンスもなく、余興や開会式が始まる。形式どおり行われる日本式とは大いに異なっていた。


【緊張と不安の序盤】
開会式が遅れ、約3分遅れでスタート。計画表よりもほんの少し速いペースで走り出した。

私のレベルは記録的には女性のトップレベルとほぼ同じだと思っていたので、女子のトップレベルの走りをずーっと見ることが出来ると思っていたが、男子はともかく、何時間も男女共に多くのランナーに抜かれ続けた。このままのペースでいいのか?もしかして、ゆっくりペースを維持しても後半に潰れてしまうのでは?と不安でいっぱいだったが、後半の爆走をイメージして我慢し、抑えて走り続けた。



【期待の星?】
順調だったのは計画表どおりのペースで走った前半の8時間まで。その後、沖山選手が故障で失速。その後、境選手が胃腸不良により失速。このままではチーム内最低レベルの私が日本代表の2番手となり国別団体戦入賞に暗雲が…。

一か八かの賭けで250km超えを狙うことにし、計画表に逆らって朝までほとんどペースを落とさず走り続けた。

周囲には安定した脅威のペース維持に見えたようだが、実際には「あと1時間の我慢」を何度も言い聞かせ耐えていた。



【一転問題児へ】
そして、境選手の復活を期に緊張の糸が切れ、今度は私が吐き気で大失速。
吐くため何度もコースアウトしたが、胃腸が弱りきって吐けずに時間だけ浪費してコースへ復帰の繰り返し。

土下座していると心配したサポーターが見に来てくれたりも…。レースを捨てるかヤキモキしていたことでだろう。他のランナーの吐気止めの薬を頂戴したが復活しなかった。

最後の1時間だけは死力を尽くして走り、ラスト2~3周はサポーターの誰かに渡された国旗を持って大会終了を迎えた。感動ではなく終わったことへの安堵の終了であった。

大会終了数時間前に、チーム監督からフランスと約1キロの差だからなるべく抜かれないよう指示を受けていたのだが、嘔吐の度にフランスのランナーに抜かれてしまっていたので団体戦優勝ははダメだなと落胆状態での大会終了。スパルタスロン同様、情けない自分に涙が溢れた。


【団体優勝に貢献!?】

常に安定した王者の走りをしていた関家選手と中盤で潰れたものの後半に脅威のスパートで挽回した境選手が、私の失速分をカバーしてくれて団体優勝を勝ち取ってくれた。個人での入賞が出来ない私にとって、団体優勝の一員になれたことが本当に嬉しかった。


【結果】
順位:個人男子9位(日本人3位)、国別団体戦男子優勝
距離:247.677km(268周(247.487km)+0.19km)
自己ベストを約16km更新し、上位3名の記録で競う団体戦にも絡むことが出来た。

<<周回数/時>>
時間|01|02|03|04|05|06|07|08|09|10|11|12|
----+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+
周回|11|12|12|12|12|11|12|11|11|12|11|12|

13|14|15|16|17|18|19|20|21|22|23|24|
--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+--+
11|12|11|11|11|12|11|10|11|09|08|12|


【応援】
現地での応援は当初はあまり気持ちの入ったものではなかった感じだった。これは日本でも同じだと思う。
しかし、24時間走では何度も会えます。応援にちゃんと笑顔で手を上げて応えていたら、だんだん気持ちの入った熱い応援に変わり、片言の日本語や英語での応援に変わっていきました。
同じチームからは、日本から遠征応援に駆けつけてくれたり、他チームのサポーターやランナーからの応援もあり、失速した後半は背中を押してくれました。


【ダメージ】
今回は、胃壁保護、胃酸抑制、下痢止め薬、痛み止めの薬を定期的に服用し、今までの24時間走ほど酷い状態にならずに済みました。
〔胃痛〕
大会中は薬のおかげで胃痛はなかった。しかし、後半の4時間は吐気に苦しんだ。
〔筋肉痛〕
8時間を経過する頃から腰から下の筋肉痛が出てきて張った状態になった。
痛み止めの薬のお陰で緩和され20時間まではなんとか持ちこたえることが出来た。
〔間接痛〕
20時間くらいから股関節、膝、足首の痛みと痺れがでてきてコーナーを曲がる度にふらつくようになってきた。さらに痛み止めの薬を服用したので緩和されたが、気持ちが切れていた。
〔肉刺(まめ)〕
16時間くらい経過した頃、右足先に小砂利が入った感じがして痛かったので途中で靴を脱いで中の砂利を取り除いた。実際には肉刺ができて痛んでいたようだ。
走り終わった直後はこの肉刺内に溜まった血と体液のせいで指先が1.5倍くらいに膨れ上がっていた。

↑走り終わってのアイシング


【ダメージのその後】
最大の弱点の胃腸は大会直後は、何も飲食はしたくないほど弱っていたが、薬を飲んで数時間寝たら刺激いっぱいの夕食もなんとか食べることができた。
しかし、大会後3日までは食欲もなく胃痛や血便が残り、4日目になって食欲も出て普通に食事をしても大丈夫になった。
4日目くらいまでは筋肉痛、腰から下の関節に炎症が残って痛かったが、5日目くらいにはなくなり普通に歩けるようになった。両足の人差し指の爪の下に内出血があり爪が若干浮いた感じだったが、少し黒味がかっただけで1週間くらいで腫れが引いて浮いた感じがなくなった。肉刺(まめ)は右足の浮いた爪の周辺のみ。これはコースが左回りで狭い直角コーナーが6箇所もあったことが原因と思われる。1週間後には中の水がなくなったが血がそのまま黒くなって残ったので自分で皮を剥がした。すでに下には新しい皮膚が出来ていたので全く痛みなどはなかった。


【総評】

初めて日本代表という肩書きをつけ周囲からの期待を背負っての海外遠征は、「結果を残さなければならない」というプレッシャーが大きく、それまで旅行気分で走っていたウルトラマラソンや、自己満足で走った24時間走とは大きく違っていた。
私は、有力選手の不調に影響され計画表に反してかなり無茶な走りをしてしまったが、結果は自己ベストを大幅更新し247.677km。
24時間走は、ランナーの走力も重要だが、車の24時間耐久レース同様にチームの総合力が大きい。いい結果を残すことが出来たのは私を担当してくれた鈴木さんや、担当以外のサポーターの協力と応援の賜物である。

日本チームの皆様、本当にありがとうございました!

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