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* | 『角川日本姓氏歴史人物大辞典 46 鹿児島県姓氏家系大辞典 角川書店 1994.11.』より 皿良 さらら 河内国讃良(さらら)郡(大阪府)に興る皿良氏がある。 桓武天皇の後胤川越重頼の三男重員の三代修理亮重貞が讃良郡に住んで讃良氏を称した。 重貞の十六代大膳貞秀は島津貴久に仕え、その子は皿良善助貞行と称した。 貞行は天正八年の矢崎城攻め、同十二年の島原合戦などで軍功をあげたが、大友合戦で討死にした。 その跡は弟善助貞資が継ぎ、島津義久・家久に仕えた。 貞資の跡は嫡子二蔵貞勝が早世したため、次男権左衛門貞増が継いだ。 子孫は讃良に復姓し、讃良善助を称した。 讃良 さらら 河内国讃良郡(大阪府)に興る讃良氏がある。 桓武天皇の後胤川越重頼の三男重員の三代修理亮重貞が讃良郡に住んで讃良氏を称した。 重貞の十六代大膳貞秀は島津貴久に仕えた。 その子は皿良善助貞行から皿良氏を称したが、のち復姓した(本藩人物誌)。 島津義久の代に讃良善助、その子善助の孫に善助がおり、次男家に牛之助家があるという(諸家大概)。 善助の系とみられる讃良権左衛門貞伴の名が宝永三年の大隅国桑原郡横川郷(横川町)地頭に見え、権左衛門は正徳二年に薩摩国出水(いずみ)郡長島郷(東町・長島町)地頭、同五年から享保九年に同国薩摩郡山田郷(川内市)地頭となり、のち善助と称したという。善助の名は、同九年から同十五年の日向国諸県(もろかた)郡穆佐郷(宮崎県)地頭、延享四年から宝暦八年の同郡勝岡郷(宮崎県)地頭、享保元年の大隅国肝属(きもつき)郡百引郷(輝北町)地頭 、同三年から文化七年の同国大隅郡桜島郷(鹿児島市・桜島町)地頭に見える。また、享保二年から文化三年の日向国諸県郡松山郷(松山町)地頭に讃良園人がいた(諸県地頭系図)。 |
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