日の立つまちの海鵜のときめきブログ

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黄門様の隠居所・西山荘

【今週のベストショット(6.23)】



鵜の島温泉旅館から車で西に約60分の処に
水戸黄門さまが隠居された西山荘(せいざんそう)があります。

華美を嫌った黄門さまは隠居の際に諸方から贈られた調度を一切持ち込まず…
わずかな身のまわりの品と書物のみを運ばせたと伝えられています。

1700年(元禄13年)73歳でお亡くなりになるまでの10年間を
この西山荘ですごされ修史編纂事業(大日本史)に情熱を注がれました。

そのかたわら
ある時は敷居をへだてずに領民にも接しいろいろな事業を進めていかれました。




●不老池
不老池
隠居されたここ西山で桃源郷づくりをすすめられました。
この池は不老の池となずけられ…健康づくりのパイオニアとして
身の回りに自生する…ドクダミ・ゲンノショウコ・南天・よもぎ…などなどを
薬草として使う方法を民衆に教えていかれました。



●助さんの住居跡
助さんの居住跡
不老池の傍らにつけられた木道を右奥に歩いていくと
助さんのモデルとなった佐々介三郎宗淳(むねきよ)の居住跡があります。
彰考館(しょうこうかん)という大日本史編纂の修史局総裁を務めました。



●下乗
下乗
西山荘の入り口はくぬぎ(檪)門とよばれ丸太を左右二本立てただけの
自然美をとり入れた質素な門です。そこに下乗(げじょう)と書かれてあり
「だれでもこれから先は駕籠や馬を降りて歩け」との意味だそうです。



●竹林と守護宅
竹林と守護宅
くぬき門を通ってすぐにお成り道(おなりみち)があります。黄門さまが
常々通られた表道です。そして瓢箪の形をした池に赤い蓮の花が咲く
紅蓮池(こうれんいけ)から少し見上げると竹林と守護宅がみえます。



●守護宅からみた竹林
守護宅からの竹林
黄門さまがお住まいになった西山荘の守護のために武士の家があります。
今は資料館として復元されていますが…その守護宅から紅蓮池と竹林を
みおろした時の光景です。ひとすじの白い道がお成り道です。



●突上ご門(つきあげごもん)
突上ご門(つきあげごもん)
西山荘の表門です。周囲の木立に調和するように黄門さまが考案された
簡素な門でして…あかるい間は扉を突き上げておき暗くなると扉を下ろす
仕組みになっていますのでこの名がつきました。



●お玄関と溜の間
お玄関と溜の間
右が玄関で六畳敷で薄暗い感じです。入り口が間口1間で一枚の雨戸を片方に
残して障子は一枚。左の溜の間は六畳で城中の使者や侍の控え室です。
どの部屋も荒壁の粗末なもので…華美なところがどもにもみあたりません。



●ご座の間と次の間
ご座の間と次の間
黄門さまの居間だった十畳のご座の間と右側にある九畳のお次の間には敷居
がありません。これは上下の隔てをつくらないで領民・百姓町人と親しく膝を交え
て話しができるようにという黄門さまならではの考えがあったからのようです。



●書斎
書斎
丸窓からひかりを採った三畳の小部屋です。窓際に梅を植えて勉学のいましめと
されました。黄門様はここで大日本史の草稿などをご覧になられました。やがて…
この編纂事業で議論風発がなされる中から水戸学が生まれるようになりました。



●心字池(しんじのいけ)
心字池(しんじのいけ)
別名を白蓮池(はくれんいけ)とも呼ばれ…「人の心は裏からもよく見よ」とのいましめ
から「心」という文字を裏側から見た形に池を掘ってあります。そしてこれは…「心を
裏側から見ても潔白な人は友人にする値する」という教えで白蓮が咲きます。



●通用門
通用門
西山荘の裏門です。かやぶきにクヌギの丸太を柱とした門で…家臣や近所の領民が
出入りした裏門です。この通用門が表門である突上ご門よりもはるかに立派に作られ
ていることからも領民たちを大切にされた黄門さまの人柄が偲ばれます。




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