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チワワ愛好家です。よろしくお願いします
長男の交通事故
平成十一年の長男の交通事故でお見舞いをくださった方々へのお礼状です。
【登場人物】
長男 長助(交通事故にあいました。当時小学校一年生)
次男 拓哉(当時幼稚園年少)
三男 茶(当時1歳0ヶ月)
******************************
おだやかな秋の日が続いていますが、皆様お変わりなくお過ごしのこととお喜び申しあげます。
さて、このたびの長男長助(小一)の事故入院につきましては、皆様にいろいろとお世話になり、まことにありがとうございました。長助は四月二十一日に車にはねられ右足の骨三ヶ所が折れ、四月三十日に折れた骨を金具で固定する手術を受けましたが、六月十二日に退院し、十四日以降は通常どおりに通学しました。その後、右足も順調に回復し八月二十日に金具を取り外す手術を受け、八月二十八日には退院し、九月十九日には元気に運動会に参加しました。まだ一ヶ月に一回検査のための通院が必要ですが、文字通りの『全快』と言っていいでしょう。
平成十一年四月二十一日午後三時前、入学間もない長助は、下校途中車にはねられ救急車で病院に運びこまれました。右足大腿骨骨折、下腿骨骨折(二本)、ふくらはぎの骨は外に飛び出していたし、右足の太股は内出血で通常の倍近く腫れあがっていました。CTスキャンの結果脳には異常がなかったことが幸いでした。それでも二、三ヶ月は入院しなければなりません。まだ小学生なので、二十四時間家族の誰かの付き添いが必要で、家内か私かどちらかが病院に泊まり込むことになりました。
お医者さんは丁寧にけがの症状を説明してくださったし、看護婦さんも皆明るく親切だったので良い病院に運ばれて安心しました。婦長さんは看護婦さんの中には私の勤務先のすぐ近くに住まわれている方や、息子さんが長助と同じ小学校に通っている方もいましたので大変心強かったです。
事故初日の晩、長助の食欲はけっこうあったのですが、ボーッとした感じでした。痛み止めの座薬を打ってもらってからは少し元気になりしゃべりだしました。
「長助君、良くがんばったね。」「命に別状はないし、後遺症の心配がなくて良かった。」「信頼できるお医者さん、親切な看護婦さんの病院に運ばれて良かった。」と安心する反面、「本当に治るのだろうか。」「これから二、三ヶ月両親のどちらかが病院に泊まり込んでの付き添いが必要だな。」「弟の拓哉(三才)と茶(一才)の面倒はどうなるのか。」等の心配もありました。
入院の翌日は安静状態では痛みが無くなったみたいですが、今度は事故の状況を思い出して、しくしくと泣き出しました。親としては「もう事故のことは忘れようね。」とか「今度からはどんなことがあっても車道への飛び出しはやめようね。」ぐらいしか言いようがありません。
安静状態では痛く無くなったとはいえ、消毒の時や体を動かした時は激痛が走るみたいです。「人の痛みがわかる」という言葉があります。
私は今年三十九才になりましたが、今まで整形外科にお世話になったのは中学生の時の突き指一回だけです。私の人生のなかでの痛みの何十倍もの痛みをまだ六才になる長男が味わい、親としてはただ見ているだけでなすすべが無い。
それだけでなく私が尿瓶の扱いをあやまりシーツにこぼした際には、長助を動かさねばならず、そのための激痛は並たいていのものではありません。本来子供の痛みをやわらげなければいけない親が逆に苦痛を味あわせている。長助は私に対して非難の言葉を発っしませんが、ふがいない父親で申し訳ないという気持ちでいっぱいでした。
入院の翌々日に主治医の先生からけがの状況、今後の処置についてうかがいました。「腿の骨一本とふくらはぎの骨二本が折れているため、ギブス等で固定し、引っ張ってつけるだけの方法ではねじれてついてしまう可能性がある。手術して金具をつける方法が最善と思われる。足の骨の骨折部からの出血のため貧血ぎみだし、肝機能もかなり弱っている。足もぱんぱんに腫れているのですぐに手術するのではなく、腫れがひき出血も最小限に押さえられる時を選ぶ方が良い」とのことで入院十日目の三十日に手術することになりました。
一方、次男の拓哉(幼稚園年少組)、三男の茶(一才)については水戸の義姉が面倒をみてくれましたが、神奈川の義姉夫妻がわざわざ水戸まででてきて二十六日から三十日まで茶を引き取ってくれました。義姉の好意には感謝の念がたえませんでした。それでも、長男と家内は病院、私は自宅、次男は水戸の義姉宅、三男は神奈川の義姉宅と一家離散の生活となり、一日でも早く一家五人がいっしょに暮らせる日が来ることを心待ちにしていました。
また、茶と離ればなれになり、家内は断乳をしなくてはなりません。手術の直前くらいまで胸の痛い日が続いたそうです。
入院四日目以降手術の前日まで、体力・食欲は回復し、笑顔・冗談も見られるようになりました。それでも右足を動かすと痛いし、足の腿の腫れは多少和らいだとはいえ、それでもかなり腫れていました。
そしていよいよ四月三十日(金)手術の日になりました。朝のうちに点滴をしようとしましたが、血管が小さいためなかなか入れることができず、若い先生や看護婦さんが二時間近く格闘しましたが、結局断念し、麻酔後手術室で打つことになりました。麻酔後でもなかなか血管に針がささらず一時間近くかかったそうです。
手術は十五時半から十九時半まで四時間かかりました。手術後に主治医の先生から「骨は二本ともくっつきました。太腿の骨が筋肉にななめに入っていて筋肉を切断していたため、後でひざの曲げのばしが大変になるかも知れません。出血がかなりあり貧血ぎみです。明日から十分に栄養を取ってください」とのお話がありました。とにかく無事終わりほっとしました。
手術後二、三日は貧血のため高熱が続き、食欲・体力.・気力がほとんどなく寝たり起きたりの状態で、笑顔は全然見られませんでした。後から聞いた話ですが、血液の濃度は正常時の半分程度しかなかったそうです。
ちょうどその時期はゴールデンウィークで、私達一家は義父母、神奈川と世田谷の義姉一家といっしょに岡山・四国に行く予定になっていて、長助は五百系のぞみに乗るのを心待ちにしていました。無論事故のためキャンセルで、我が家では拓哉一人義父母達について岡山に行きました。
楽しいはずのゴールデンウィークを病院で過ごすことになり、かつてない憂うつで長いゴールデンウィークになりました。
それでも五月四日からは上体を起こしたり、車いすに乗ることができるようになりかかすかな光明が見えてきましたが、三十分間車いすに乗っただけで体力を消耗してしまい、まだまだ全快への道の険しさを感じさせられました。
ゴールデンウィーク明けからリハビリを開始しました。松葉杖の練習もしましたが、小さい子には松葉杖は難しくつい痛めた足の方で立ってしまい危険のため、右足に力を入れても大丈夫になるまで松葉杖の使用は禁止されました。
日がたつにつれ体力が回復し笑顔も戻ってきました。車いすも上手に使いこなせ、乗っている時間も長くなり、昼間はほとんどベッドにいません。近くのコンビニ、百円ショップ、ジャスコ等に外出できるようになり、行動半径もひろがってきました。車いすのスピードが速くなるにつれ付き添う方も早足になるし、足の不自由な方にぶつかりはしないかヒヤヒヤのしどおしです。
長助も大変でしたが、弟達の方も大変でした。三男の茶は神奈川から帰り、ゴールデンウィーク中水戸の義姉一家が面倒を見てくれましたが、発熱から一晩中泣き続け、義姉までもダウンしてしまいました。そして連休明けから十日間は義父母の家に、五月十四日から六月二十日までまた神奈川の義姉の家に預けられました。
次男の拓哉も幼稚園に通っていましたが、義母の家、水戸の義姉の家、自宅と転々と預けられました。両親のどちらかが兄の長助につきっきりで寂しい思いをさせてしまいましたが、努めて明るくふるまうとともにお菓子を買ってもらうと必ず兄の長助の分を残して病院におみやげを持って来ました。
入院して一ヶ月たち病院の生活にも慣れてきた五月二十四日(月)に、長助は松葉杖で歩くことができるようになりました。我々夫婦の喜びもひとしおですが、それ以上に主治医の先生方、看護婦さん達がわがことのように喜んでくださいました。「良い病院に入院して長助は幸せだ」と感じました。
松葉杖も最初はへっぴり腰でスピードは遅くしりもちも多かったのですが、すぐに上達しました。六月に入ってから長時間の外出や外泊が許可されて小学校にも久しぶりに顔をだし、クラスメートから熱烈に歓迎されました。六月四日に十ニ日(土)の退院の許可が出てから松葉杖なしの歩行や階段の上り下りの練習もしました。学校にも七日から一時間だけ通い始めました。病院ではいとこやお医者さん、看護婦さんあての手紙を書いていました。事故前には全然書こうともしなかったですから成長の跡がうかがえます。
そして、待ちに待った退院の日が来ました。事故から五十三日目、手術から四十四日目でした。長いようでいて、短い感じがしました。
週明けの十四日から家内の送り迎えで通学を再開しました。クラスメートから温かく迎えられ長助にとっては二度目の入学式の感じです。
神奈川の義姉に預けていた茶も二十日にひきとり、ニヶ月ぶりに一家全員がそろいました。三人離れ離れになってあらためて団子三兄弟の絆が固まってきたような気がします。
その後の長助の足は順調に回復し、予定より早い夏休み後半に右足の金具をとることになりました。
長助は八月十八日に再入院し、二十日に手術を受けました。全身麻酔のため手術時間は一回目とほぼ同じの約四時間かかりました。手術後、先生から『骨は完全にくっついていました。』というお話をうかがいほっとしました。翌日長助の骨を固定した金具とねじをいただきましたが、金具はチタン製で十一・五センチと九センチありました。ねじは三センチが一本、二センチが十二本ですが、通常のねじとほとんど変わりません。
手術が終わり、長助は病室に運びこまれましたが、のどが乾いたのに翌朝まで水分はとれませんでした。酸素吸入マスクのゴムのにおいが気になって安眠できないし、麻酔切れのため吐き気もありました。また、点滴のため三十分おきに尿に起きるため、その晩の睡眠は十分とはいえませんでした。
手術の翌日、何度『長助くん、足痛い?』と聞いても『痛くないよ』と答えるのですが、なぜかシクシクしているので、家内が『本当に痛くないの?痛かったら痛いと言っていいのよ』と何回も聞き返して初めて『痛かったよー』と泣き崩れました。普段はちょっとのことで大泣きするのに今回の我慢には感心しました。
手術の翌々日には痛みがなくなり、車いすに乗ることもできました。三日後には松葉杖で歩くことができ、四日後に杖無しで歩くことができと順調に回復していきました。歩く速さも日増しに速くなっていきました。
入院生活で長助が一番嫌っていたのは注射でした。一回目の入院では大暴れして、看護婦さんの手をかんだこともありました。二回目の入院でも最初大暴れして、大きな口をあけて看護婦さんをかもうとしましたが、かむ寸前に『かむことはいけないことだ』という自制心が働いてかむのをやめました。退院の日の注射では全然暴れずにすんなり注射ができました。わずかの期間で良く成長したものだと、また、感心しました。
一回目同様に二回目の入院でも、私達の頭を悩ませたのは、弟たちの世話でした。拓哉は義母の家や水戸の義姉の家で、茶は入院当初四日間義母の家で、その後神奈川の義姉の家で約二週間お世話になりました。
茶は一回目の入院でも義姉の家に預かっていただいたせいか、まるで自分の家かのようにうち解けてはしゃいでたそうです。『パパ』『ママ』『バイバイ』『あけて』、『あっこ(だっこ)』ぐらいのわずかなボキャブラリーで自分の要求を百パーセント相手にわからせるのはたいしたものです。近所のアヒルがいる公園に行くのが大好きで、義姉は毎日朝夕二回、茶をだっこして連れて行ってくれました。さぞかし疲れたことと思います。
拓哉の方ですが、昼間は義母や水戸の義姉に預っていただきました。入院する前は毎日兄の長助といっしょに遊んでいたので、長助のことをいつも気にしていました。そして、病院に見舞いに行って長助とお話するのが何よりもの楽しみでした。夜自宅で私と二人で寝床についている時は必ず『長助くんは今頃消灯の時間かなー』と口にしていました。拓哉が長助の退院を一番待ちわびていました。
長助の方も兄弟二人のことが気にかかるようで、拓哉や茶へのお手紙を書いていました。拓哉の手紙には以下のように書いていました。
『たっくんへ たっくんどこへいったの?あしたママと、林(ハヤシ)らいすをたべてね。はやく、水とのびょういんにきてください。』
私の知らない間に林と水の漢字も書けるようになっていました。(林らいすの林は当て字ですが・・・)
そして、八月二十八日に退院しました。一回目が五十三日、二回目が十一日、計六十四日の入院生活にピリオドを打つ全快がこんなに早く迎えられるとは思いもよりませんでした。長助は本当に良く頑張ったと思います。
退院後は九月一日から平常どおり登校し、運動会の練習にも参加しました。神奈川の姉に預けられていた茶は九月五日に引き取りました。
九月十九日は全校運動会の日でした。かけっこ、ダンス、玉入れに参加しましたが、玉入れをしている長助は本当に楽しそうでした。事故当日の四月二十一日時点では『長助の足は治るのだろうか?』と疑心暗鬼になっていて、約五ヶ月後に運動会に参加できるとはとても信じられませんでした。この運動会は全快のあかしと言っても過言ではないでしょう。
運動会で楽しそうに玉入している長助を見て、「小さい体で良くがんばったなー」と感じています。将来彼に襲いかかってくるかも知れない困難も今回のようにはねのけてくれたらと思います。無論長助がこんなに早く回復できたのは、本人のがんばりだけでなく、主治医の先生方、リハビリの先生、看護婦さん達他病院の方々の御尽力の賜物と思っています。
それだけではありません。両親の世話を十分受けられず義姉の家や議父母の家を転々とした拓哉、茶の弟達、二回の入院の際に長い間、茶のお世話をしてくれた神奈川の義姉一家、拓哉・茶の面倒や長助の付き添いもしてくられた水戸の義姉一家、拓哉・茶の面倒をみてくれた義母、たびたび病院に見舞に来てくださった義父、わざわざ東京から見舞にかけつけてくれた私の両親や世田谷の義姉、まだ文字を覚えたてたばかりなのに一生懸命長助に励ましのお便りを書いてくれたクラスメート達、そして長助のけがを本当に心配してくださった数多くの方々、皆様方の「長助君がんばって!早く元気に歩けるようになってね」という声が届いたからだと思います。誠にありがとうございます。
『災い転じて福となす』のことわざがありますが、今回の事故で長助だけでなく、私達夫婦もいろいろと貴重な勉強をさせていただきました。
特に、今回ほどいろいろな方からのご好意に感謝・感激したことはありません。
今後息子三人を『人の温かみ』がわかる人間に育てていきたいと思っています。今後とも皆様方のご指導ご鞭撻よろしくお願いいたします。 敬具
骨を固定した金具とねじ
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