なるようになる!!

なるようになる!!

2週間の戦い



モモの一言により、妊娠が分かった1月4日。
翌日の5日に病院で妊娠反応を確認。
ただまだ胎嚢は見られず、流産の危険性があると言われる。

そしてその日から出血。

これにより、私は2週間の安静生活が始まりました。

先生から「絶対安静」と言われ、極力寝ていなければいけない状態になった私。
「安静」にしていることと、「漢方薬」。
お腹の赤ちゃんをサポートするために、私が出来ることはたったこれだけでした。

絶対安静なので、お風呂もダメ・立ち上がるのも極力控える・もちろん家事もダメ。
もうただひたすら横になってました。
トイレぐらいしか起きなかったです。

そのトイレも行く度にドキドキ。
出血を確認することになるからです。
毎回、出血が止まっていることを願ってトイレに行ってたんですけど。

残念ながらその出血が止まることはありませんでした・・・。

2週間後・・・それはタイムリミットでした。

いつまで経っても見えない胎嚢。
先生の判断は流産、でした。

その日、病院に行く直前。
トイレに行った私が見たものは、大量の出血と一見、血の塊にしか見えないわずか五ミリほどの異物でした。

私はそれを見て悟りました。

あぁ・・出てしまった。


「流産ですね」

先生にそう告げられた瞬間、私は泣きじゃくってしまいました。
薄々感じていたのに、分かっていたのに。

・・・後は流産手術の手続き。

手術は翌日の1月19日の日曜日にすることになりました。

手術により子宮内部の異物を取り除き、胎児の確認をすることになります。
子宮外妊娠の可能性もあるからです。

翌日の手術。

全身麻酔の注射をした途端、10秒もしないうちに意識が遠のきました。
そうして気がつくと、病室でした。
でもまだ体も口も麻痺して全く動かない。
意識だけが少しずつ戻ってきます。

ぼやける頭の中で思うことは、もうお腹の中には赤ちゃんの名残すらないという事実。

時間が経つと体も動くようになってきて、お腹に鈍痛を感じます。

自然に涙も出てきました。

今、思うことは、本当にあの時お腹に赤ちゃんは宿っていたのかな・・ということ。
エコーでは胎嚢が見られないままの流産手術。
その子宮の内容物の中に、胎児らしいものはいなかったそうです。
かといって、子宮外妊娠でもないし・・。

ではいったいどこに?

やはり・・・手術前日にトイレで見た、血の塊・・。
あれがそうだったのでしょうか。

そう思うと、何とも言えない悲しい気持ちになります。

ちゃんと確認すらしてあげられなかった。

まだ分かるはずのない時期にモモが妊娠を指摘したとき言ってた、お腹の赤ちゃんは女の子・・。
本当にそうだったのかもしれません。

生まれてくることのなかった、この赤ちゃんはきっとモモの言うとおり女の子だったのでしょう。

安静にしていたときに付けていた、妊娠日記。
たった2週間だけ、この赤ちゃんを想像しながら書いてました。
日記帳の前のほうで終わってます。

今回、無事に2人目の赤ちゃんを授かることが出来ました。

でもその前には、もうひとりの赤ちゃんがいたことを一生忘れることは出来ないです。
そのことをこうして記しておきたかったのです。




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