人間だものヽ(´ー`)ノ

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中学生時代

1年生


3つの小学校から生徒が集まるので、僕はまたびびっていた気がする。
僕は小学校では、勉強はほとんどトップだった感じだと思うが、中学校ではどうなるのだろうという不安もあった。

部活動も悩むところで、運動が苦手な僕は剣道部を選んだ。
ほかの部に比べたら楽そうだったし、薄いながら知り合いがいたからだ。
剣道のおかげで、丸かった僕の体はみるみる痩せていくことになるのだが。

最初のテストは学年で30番だった。
いろんな学校から来るからこんなもんなのかな、とも思ったし、なんかイマイチおかしいなあ、と思ったような気もする。
だって普段の授業では自分が一番優れた(というより正解に近い)回答をしているような気がしたし。

「縄文時代のムラが、なぜカタカナで書いてあると思う?」
という問いに対して
「群れっていう言葉から来てるから、感じの村とはちょっと違う意味なんじゃないか」
と答えたのがなんか今でも覚えてる。鋭いな俺。

まあとにかく、中間テスト以降は学年トップ3あたりが定位置だった。
やっぱり最初のテストは、なんだかかみ合ってなかったんだなと思った。

先生は中年男性。
気持ちの空回りするつまらない先生だった。
6年生の担任と続けてこれ系の先生に当たったせいか、僕の皮肉屋加減もかなり深まっていた気がする。
そして、入学当初、下を向いて何かを読んでいた僕を「クマ」と称したのは今でもむかついている。センスがないやつだと思った。

2年生


30才ぐらいの女性の先生。
この先生はイイ先生だった。
僕のことを「けんぼう」と呼んでた。

同じクラスに、病気で入院していた女の子がいて、僕はほかの学級委員と一緒にお見舞いに行くことになった。その帰りに、先生は家に入れてくれて、お茶とお菓子を出してくれた。とてもうれしかったのを覚えている。

この年は、学外テストはすべて1番だったと思う。結果が帰ってくるのが楽しみで仕方なかった。
その代わり、学内テストはおろそかにしていたせいか、1~5番の間をウロウロしていた。先生が主観で作ったテストなんかで本当の実力は測れないと思ったからだと思う。

生徒会の副会長に立候補した。
先生からは会長をやらないか、と言われたが、副会長の方がよかった。
三国志の影響か、参謀という位置に魅力を感じていたのだと思う。

立候補すると一人推薦者を付けるのだが、今までの人たちは大抵同級生を推薦者にしていた。要するに、推薦者が意味をなしてなかったのだ。
そこで僕は推薦者を剣道部の部長をやっている先輩にお願いすることにした。この先輩はひょうきんでおもしろいから人望もあるし、きっと演説でもおもしろいことを言ってくれるし、票が集まると思ったからだ。

これでもう一人の候補者に圧勝だと思ったら、もう一人の候補者も作戦をパクリやがった。相手方の推薦者サッカー部のイケメン先輩だ。
けど、イケメンにありがち、かどうかわからないが、話がつまらなそうだったし、イケメンなのは推薦人であって候補者じゃない。
というわけで女性票も集まらなかったのか、圧勝した。

まあ中学校の学級委員やら生徒会なんていうのは、大抵頭のいいやつか、おもしろいやつがなってしまうものだ。
本当は生徒会の仕事になんて興味はなかった。
ただ目立ちたくて、見栄っ張りだっただけなんだ。
すでにこの頃から、僕は自分の評価を外に求めるようになっていたのだと思う。

剣道部で激やせしたせいか、少しばかり女性にもてはじめた。
自分では気づかなかったが、周りから知らされたり、後で知らされたりした。

僕は僕で、小学校1年生の時から思っている子がいたけれど、何もできずにいて、しかもちょっとかわいい子がいるとすぐ好きになったりしていて、なんかパッとしなかった。
それに田舎だから、だれかをデートに誘おうにもデートする場所がないのだ。

3年生


30代の男性の先生だった。
汗くさいと噂の先生だったが、僕は全然気にならなかった。
だって自分たちも汗くさいし、剣道部は何より汗くさいのが命だ。

そういえば、ゲームボーイとソフト何本か、番長みたいなやつに貸してて帰ってこなくて困ってた。貸したって言うか、ほかのやつが又貸ししてそこに行き着いちゃったんだけど。学校来ないし。
正直、この時期ヤンキーを毛嫌いしていて、接するのもイヤになっていたので、返さんでいいから今5千円くれといって売った気がする。
まあ、この番長の姉が数年後、僕の2才年上の幼なじみと結婚するとは意外な話だ。関係ないけど。

僕は剣道は1年生で初段を取ってしまい、その時点でほとんど情熱は失せてしまっていた。今思えば燃え尽きやすいのかもしれない。
剣道部ではやる気がないけど初段だし、一応副部長になったが、さぼり続けて、退部届けを出したが受理されず、結局最後の大会は参加すらしなかった。

この頃から、中学校の近くの人情的な塾に通い始めた。
ぼろい部屋の塾だけど、先生がとても優秀なのはすぐわかったし、僕も通い始めてすぐに先生に一目置かれたのがわかった。受験勉強を無難に乗りこなせたのはこの塾の先生のおかげだと思う。

学校の方の先生は、怒ると吃音するのでちょっとバカにされていた気がする。
なんかつまらないことで怒るので僕も好きじゃなかった。
部活動もすごいスパルタでやっているような先生だった。
こいつは結婚できネーだろうなと思った記憶がある。

成績の方は順調で、県下一の高校を受験する予定だった。
が、最後の県内テストで、思いの外よくない成績だったこともあり、僕は1ランク下の学区外の県立高校を受験することにした。
家が金持ちじゃないから、県立高校か、私立の特待生以外は考えていなかったが、私立の方は2種特待生みたいな感じで、学費一部免除だったのでランクを下げた記憶がある。

まあランク下げても学区外じゃ本当は難易度上がるから、今考えたらどうなのかな、とは思うけど、まあ土浦より水戸を選んだのは正解だと思う。

そして僕は県立高校に無事合格し、親からは報酬としてケンウッドのコンポをなかば無理矢理手に入れた。

バレンタインデーにはチョコレートをいくつかもらった。
その中の一人に、僕はひどいことをした。
後輩の太った女の子に、大きな手作りチョコレートをもらった。
帰り際に、クラスの奴らに冷やかされ、僕はそのチョコレートを、スーパーの屋上で投げてしまった。
本当はうれしかったのに、周りの雰囲気に負けて、僕はひどいことをしてしまった。僕は自分の意志で、そのチョコレートを喜んで食べてあげるべきだったと思う。今でも本当に後悔している。

卒業式前日。第2ボタンをくれと言われた。あげた。
卒業式に困るので、その帰りに替えのボタンを買っていった。
卒業式が終わったら、第2ボタンをくれと言われた。買ったばっかだったけどあげた。
さらに第2ボタンくれといわれた。第2は売り切れだったので、第1ボタンをあげた。
なんかみんな誰かの代理でもらいに来ていたような…。だから本当にほしがっていたのが誰なのかははっきり覚えていない。

結局、ボタンを合計3つ失った。
自分が3つも取られるとは意外、っていうか言ってくれよと思った。
もしかしてボタン足りない後輩がスペアのために取っていくものなのか?

さらに自転車置き場へ行くと、かごに花束とプレゼントが置いてあった。
誰だか名乗ってくれよと思った。
自分がこんなに人気があったのかと驚愕した。
自分の人生の絶頂期か?今迎えたくないよ、と思った気もする。

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このあたりになるとさすがに記憶が鮮明だなと思った。
ていうか、都合が良いことしか覚えてないな。。思い出したら追記しよう

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