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4月7日 天ヶ瀬ダムへ行った時のダムカード二枚一組でしたダムカードを見て 勉強出来ました
2024年04月20日
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4月7日大津市『かねよ』の帰りはサービス精神から高速道路を使わずに 一般道のグネグネ道を通り桜見物させてくれました。滋賀県~京都府~奈良県~大阪府と あちこちを走行自分が運転していなければ呑気なもの、どこを走ったか?綴喜郡井手町の桜も見事で、先端技術大学の横は桜の若木10年後には素晴らしい桜並木になるでしょう。又孫は 中学生の頃サッカークラブに所属、クラブのフランス研修旅行の2019年4月14日にノートルダム寺院へ その翌日火災が起こって ショックを受けたと話していました。大学のサッカー部入部したいそうで若い人は 希望に燃えていて羨ましくなります。道中での瀬田川の遊覧船は 観るだけ瀬田川洗堰こちら淀川大堰の毛馬閘門も興味深いです。このように河川を管理されているのですね。天ヶ瀬ダムこちらに到着昔々 天ヶ瀬ダムに行きましたが “懐かしい”の感情はない程に忘れています。雄大な天ヶ瀬ダムと 桜を楽しみました
2024年04月10日
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ランチの後そこから近いどこかへ行く相談の結果 満月寺浮御堂へ。浮御堂へは 初めてでした。京阪電鉄が 路面電車みたいに降りて来る区間丁度 電車が来てにわか雨が降り ワイパーなしなので ボケてしまいました。この辺りは 時間によって中央車線が 1車線や2車線に変更されるので要注意こちらもうちょっと走ると、マキノのメタセコイア並木があり、彷彿とさせるメタセコイア並木が所々にありました。見える山々には 疎らに冠雪して 冬を感じました。鰻のかねよから30分満月寺浮御堂こちら向こうに琵琶湖大橋琵琶湖水位が下がって心配だと報じられていました。旅館の横を見ると よくわかります。野鳥が一杯、魚が豊富ですね。近江富士(三上山)今年最後の満月を琵琶湖畔満月寺浮御堂で望んだら どんなに綺麗だったでしょう。でも 道路が混み合う前に帰宅しました
2023年12月28日
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姉が 御馳走してくれるというので 弟の車で大津市逢坂山まで鰻コースかねよこちら何棟かの客室があるようです。私達3人は鯉の池の横のお部屋鯉のお造りと 鯉コク 泥臭さがなく とても 爽やか弟がお運びさんに“前の池の鯉ですか?”と冗談。返答は “3年目位の鯉が一番美味しいのですよ”池の鯉は 立派な大きさ、歳が行き過ぎているようです(笑)お皿の黄色い菊“食べられない物が乗っている筈がないね”との私の言葉につられて 姉が菊の花を食べると 苦かった、と。食用菊モッテノホカのようではなかったのかな?(笑) 帰る時に 庭園の「逢坂山のサネカズラ」が立派な事に 気付きました。琵琶湖の鰻コースでした
2023年12月27日
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こんばんはランチは 弟夫婦が何度も来ている「鶴喜蕎麦」こちら11時20分頃に着いて 順番は5番目位で15分ほど待つと 入れました。 お店を出た時には 待っている方が長蛇の列20人程 ビックリしました。交通誘導さんが おられるほどでした。私達は 時間差で ラッキーでした。さぁ、帰路に...と 思ったところが出町柳の豆大福を買いたいという提案。弟も同意して 又々 来た道を山越え。40分程もかかって着いたけれど路肩に駐める余裕もなく 遠い場所に駐車。大人気のお店らしく 20分程で 購入番が来た蓬莱の豚まんや 奈良中将堂本舗のよもぎ餅の忙しそうな 手作りする店内を見る感じ。私達が去る時に 姉が ざっと数えたらしい。60人は並んでいたという。交通誘導さんもおられ、通行人の邪魔にならないようにされていました。姉が 豆大福は昔よりも一回り小さくなったのではないかな?と。姉と義妹は それぞれの娘が 京都で働いていたり 大学へ通っていたりで 懐かしかったのでしょう。電話予約して 受け取られる方もおられたのでその方法も “あり”ですね。いつもは 自分が運転する立場ですが 乗せてもらうのは なんと楽チンなことか。京都の景色を車窓から 観ることが出来、京阪沿線在住の三人に 京都案内をしてもらって少し渋滞して 鴨川の横道路から第二京阪道路を1時間半もかかって 帰りました。「鶴喜蕎麦」も「ふたば」も 並んでまで食べたい 大人気がよくわかります。お陰様で 楽しい一日を過ごしました
2022年09月30日
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こんばんは9月25日(日) 弟の車で 姉・義妹とで比叡山延暦寺こちら拝観しました。去る5月 姉と二人で 日帰りできる京都に贅沢にも一泊する事を決めていましたが、私の体調不良により 立ち消え。延暦寺のことを忘れ果てていましたが、弟に話していたので 誘ってくれた時は二つ返事のOKでした。姉の家を8時に出発して 9時には比叡山ドライブウエイの「夢見が丘」へ。京都側を眺められます。琵琶湖大橋も見えましたが霞んでいて 写真ではハッキリ見えず。以下 レンズに白い汚点が出来てしまい、余計に見苦しい写真になってしまいました。そして すぐに延暦寺境内へ根本中堂は修理中、覆われていましたこちら「内陣は中陣や外陣より3mも低い石敷きの土間となっており、」私達が立っている外陣から 見下ろす形でこんなお寺は 初めてで 珍しく感じました。内陣から多くの僧侶が読経すれば 地の底から聞こえてくるような気がするでしょう。三基の「不滅の法灯」(織田信長焼き討ち後の再建時には立石寺から分灯を受けた)が 赤々と輝いていて、(TV放送された)16世紀 立石寺の歳とった和尚さんが延暦寺まで 法灯を届けた実話を思い出しました。ここで 延暦寺と山寺の法灯は繋がっているのだと気が付いた次第です。「閑さや 岩にしみ入る 蝉の声」 一つ一つの堂塔の距離が離れていてその上に 階段と急坂ばかりで 辛くて山登りのような拝観です(笑)東塔地区だけ参拝して 西塔地区と横川地区はパス。私が姉の家から帰る時 日暮れると 運転が心配なので早く帰れるようにお願いしていた理由です。次は 奥比叡ドライブウエイに続き比叡山ドライウエイと同じく森林の中をドライブ琵琶湖展望台は 私の印象で200度以上の素晴らしい展望。秋晴れなのに 煙っていたのが残念でしたが、竹生島が見えて充分。琵琶湖の形が理解出来ました。奥比叡ドライブウエーのHPから印刷して2430円から2200円の通行料金を割引があります。次は ランチのお蕎麦と豆大福です
2022年09月28日
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こんばんはビッグジョンさんこちらとこちら ふろう閑人さんこちらに 触発されて「万灯呂山展望台(まんとろやま)」こちら(標高300メートル)へ 車で行って来ました。上のお二人は 勿論 ハイキングで、私は姉と二人 車で 楽して登りました。大阪府枚方市から1時間程で 頂上まで着。アスファルトの林道を走ります。細い曲がりくねった道は ヒノキや杉が鬱蒼として綺麗な茶畑もあり、紅葉も 少し 残っていました。対向車があれば、と心配しながら トロトロと運転。でも 行き帰り一台も遭遇せず 幸運。とにかく 道路と頂上とで 人に5人だけ チラ見。180°以上の 見晴らし。空は 雲一つ無かったのに 地上は 10時の朝霞でもやっていました。せっかくだったのに 残念東屋で 家で淹れて来た温かいコーヒーとお菓子で 一休み木津川の大きなうねりが 滔々と中心に見えました。生駒山はうっすらと。遠くに 京都タワーも。真ん中には 同志社大学。姉が登ったという愛宕山がはっきりしなくて残念がっていました。帰り道 猿の親子かな?車から撮らせてくれた後 林に消えました。(慌てふためいて撮ったので ボケ)夜景が有名なので 賑わうのは夜かもでも夜 運転するのは 私にとって自殺行為朝霞でしたが、抜群の眺めを楽しみ、お猿さんも迎えてくれた万灯呂山でした
2021年12月11日
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こんばんは浄土寺の参道に萩の花なんだか早いように思いました。浄土寺参拝したら 丁度12時ネット検索しておいた門前のレストラン「きらら」評判がいいので 入りました。日替わりランチは コーヒー付きで千円ポッキリ満足の一品でした。レストランの庭には カルドン or アーティチョーク(?)が凄い存在感アーティチョークは masatosdjさんのブログこちらで知りました。渋滞もなく 帰ってこれたので姉を送った野崎駅近くで一息 まだ 2時半お茶を飲んで 別れました。アイスコーヒーと コーヒーゼリー二つの選択が悪かったので コーヒーを薄く感じて まずかったです(笑)家に居るのは 好きなものの久し振りに 気分転換も出来ました
2021年07月13日
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こんばんは我が家から車で約100km1時間半 殆どが高速道路を使って兵庫県小野市 浄土寺へ 姉と二人 参拝しました。何故 遠い場所まで出掛けたか?と言うといつだったか、TVで「笑い飯」の哲夫さんが浄土寺を紹介されて いつか絶対に拝みに行きたいと 決心?していたのです。浄土堂の本尊阿弥陀如来像や脇侍は、名仏師「快慶」によるものでTVで観た美しさに 惹かれてしまいました。(撮影禁止ですので こちらから)仏像や 建築様式「大仏様」の説明が 堂内に流れていましたが 専門的で あまりよくわからなくてもとにかく 美しい極楽浄土の世界を体験出来た気がします。椅子もないので 床に座り込んで 堪能しました。浄土堂を外から浄土堂は、浄土寺の開祖「重源上人」によって建立されました。東大寺再興に力を尽くされた僧(平安時代末期から鎌倉時代)です。東大寺南大門では 運慶快慶の仁王像が有名快慶の浄土信仰は とても強いものだったようです。夕陽が蔀戸から 差し込み 浄土堂内部全体が赤く染まるのですが、これは 時間の関係で 待てませんでした。それが 1枚目の写真です。(以下 上のリンクから)大仏様の建物は、東大寺の南大門と浄土寺浄土堂の二つしか残っていません。東大寺南大門は門であることから、仏堂建物としては、浄土堂が唯一のものとなります。八幡神社の拝殿前の阿吽の狛犬ちょっと可愛いですね。 薬師堂も 潔さを感じた建物でした。境内で 1時間2~3組の 参拝者に会っただけでした。12~13時は お昼休みの爲に堂内に入れません。気を付けなくちゃ、です(笑)かねてから 気になっていた浄土寺を参拝出来ました
2021年07月12日
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こんばんは萬福寺で 普茶料理を頂き各々に 封筒が手渡されてその中には御朱印印刷ではなく 当日の日付け。「奉拝 令和二年七月十五日 布袋尊 萬福寺」押印されたマスクと共に 写経紙“コロナ禍の中で 自宅で写経に専念し、仏の慈悲と自分の心が一つとなり人と人との繋がりを大切に”(管長から)売店で買ったのは ストラップ開梆(かいぱん)と言えば 萬福寺萬福寺と言えば 開梆のイメージです。日常の行事や儀式の刻限を報じる魚の形をして法器のことです。去年4月 石清水八幡宮参拝記念に戴いた鳩の竹製ストラップが ちぎれてなくしてしまったお代わりです。従兄から 宇治茶の袋詰めをもらったり、たくさんのお土産を戴いて しまいました
2020年07月17日
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こんばんは私達が 三門に着くと従兄が 先に待っていてくれました。萬福寺内の「黄龍閣」で 普茶料理こんな気持ちで 普茶料理は いいですね。普段は 普茶料理とは 人数分の大盛りでそれを取り分けて 食べます。コロナの影響で お弁当形式になっているのは 寂しく感じました。それを 御挨拶に来られた僧侶が説明されました。(お値段 拝観料共で6000円近くだったと)今日は掲載出来ませんが(明日にでも) たくさんのお土産があって 嬉しいことでした。普茶料理は 萬福寺、門前の白雲庵、天王寺茶臼山の阪口楼 三軒を経験。それぞれに 味や特徴がありました。精進料理で 肉類は一切使わずもどき料理です。その都度の提供なら 説明があるのですが説明がなく みんなで この料理は 何から出来ている?と当て合いっこしました(笑)食事後 私が持参した昔の写真を みんなで見て 話が弾みました。 その後 寺内を参拝大雄寶殿(本堂)僧侶を撮らない限り どこでも撮影許可されています。「黄龍閣」で手渡された中国風の長いお線香を僧侶が 火を点けて下さってお祈りしました。そして お坊さんに記念撮影をお願いすると この上ない場所 大雄寶殿(本堂)の前の結界の竹の棒を除けて 撮って下さいました。お坊さんは なんと親切なのか、と 感激してしまいました。この写真の下部に 私達が 写っています。 姉が 屋根の上に乗っているのは 何?と質問。エッインドのワニだそうです廻廊を 通ってサルスベリが 綺麗老松が多く 緑が爽やかです。鐘楼も遠くに見えました。二年前に参拝した際には「韋駄天さん」を撮らなかったので「布袋さん」の後ろに回ってなんとまぁ 足が短いことこれで 速く走れるのですね。中国様の仏像。この石條を踏んで 歩きました(笑) 石條(せきじょう)境内に縦横に走っている参道は、正方形の平石を菱形に敷き、両側を石條で挟んだ特殊な形式であり、龍の背の鱗をモチーフ化したものです。中国では龍文は天子・皇帝の位を表し、黄檗山では大力量の禅僧を龍像にたとえるので、菱形の石の上立てるのは住持のみです。(萬福寺HPより)ここで 3時になり 従兄と解散久し振りに会えて 嬉しい時は すぐに過ぎてしまいました2年前の萬福寺参拝こちら萬福寺門前白雲庵の普茶料理こちら
2020年07月16日
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こんばんは宇治市に住む父方のいとこと 私達で 5人が萬福寺の普茶料理を頂く会でした。私は 送り迎えの寄り道でちょっと疲れ気味(笑)写真も整理していませんので 明日にでも。萬福寺こちら総門を入ったのが 12時前でしたが、曇り空なので 蓮の花が まだ咲いていました。今日の前に 萬福寺を拝観したのは2018年11月その前は 1986.8.4(昭和61年)祖母の33回忌の法要を萬福寺で。(母方の実家が 黄檗宗のお寺でした)今日は 楽しい いとこ会の ひとときでした。
2020年07月15日
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こんばんは夕食は 懐石料理 右は 「お凌ぎ」初めて その言葉を目にして 勉強。『会席料理の献立の一つで、先付の後に出される、1~2かんほどの寿司や一口サイズの赤飯、小ぶりのそばやうどんなどのこと。「空腹を凌ぐ」というような意味合いから、炭水化物など、お腹をちょっと満たしてくれるようなものが少量出るのが通常。』と。 一番右は お夜食のゼリーが冷蔵庫に入れられて 朝 よばれました。朝食は ご飯の種類(お粥やご飯)、お魚の種類、卵料理の種類を三人にそれぞれ 尋ねてくれました。私は 芋お粥、ホッケ、厚焼き卵チェックアウト11:30の後なんと 昼食も出たのですよこれは 初めてのサービスでした。帰り道 どこかで 昼食をとる手間がはぶけます。和食の「花海棠」で 天ぷら茶蕎麦。茶蕎麦が お茶の香り モチモチとして カボチャとサツマイモの天ぷらが甘くて 美味しかったです。帰りには お土産の お品まで。これ程までに おもてなしが徹底した旅館は 初めてでした。とても 気持ち良い二日間を過ごせました
2020年03月04日
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こんばんは昨日から今日 有馬温泉へ出掛けました。宿で温泉に入って御馳走を食べるだけ。ゆったりと過ごしました。姉の支払いで 義兄の運転私は 全く 何もしない~~なんの理由もないけれど 話している経過でこんな風になりました、ラッキー💕せっかく泊るのだから 思いっきりハレの旅館へ。みんな姉の意向です(笑) 「欽山」こちら 欽山HPでは 要約すると 下のような趣旨のお願い「新型コロナウイルス」に関連した症状がある方にはキャンセル料は頂戴いたしませんので「当館ご利用 のご辞退」従業員全員がマスクを 着用枚方から1時間半程で 2時半「欽山」着チェックイン アウト共に12時OK6時の夕食までの間に温泉夕食後に もう一度 温泉に入るつもりでしたがお腹いっぱい食べて 温泉に行く気が なくなりました。結局は 2日で2度 入っただけです(笑) 温泉から見える滝高くて いい感じこの滝は 3/3 お昼ご飯も この館の「花海棠」で済ませましたが ここからも見えました。ラウンジに お雛様華やかでした。 華やかと言えば 蝶々のシャンデリアが可愛い利用客は少なく 温泉で会ったのは 二回とも 5~7人程客室係の女性によれば キャンセルが相次いでいるとか。一度も 温泉街へ 足を運びませんでしたが寂しい有馬温泉でした
2020年03月03日
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こんばんは今日5/19 世界遺産東寺こちらに参拝しました。突然 姉夫婦から “一緒に行かない?”参拝したことがないので 二つ返事のOK車窓から 東寺南大門(義兄運転)9時前に 着いたら 50台の駐車場は 停め放題(笑)のガラ空き駐車場から見える五重塔883年に空海によって竣工された五重塔は 4回の雷の為に焼亡。現在の五重塔は 1644年再建の5代目高さ54.8メートルは木造塔としては日本一の高さを誇る一層目から五層目まで 同じ大きさ。地震に強い耐震構造。約400年前に そんな技術があったのですね。境内に入ると こんな看板これは 行かないと新緑が気持ちいい広い境内(敷地面積は約15.8ha、とにかく広い!の印象)桜の木が多いので お花見の時期が素晴らしいでしょう。五重塔内の如来様五重塔内の仏様は狭い扉なので 数人ずつしか拝めません。その参拝者から 聞こえる声は “凄い!”の感嘆の声だけ。他に言葉が見付かりません。 すぐ近くで 五重塔を見上げると さすがオオッキイついつい法隆寺の五重塔と比べてしまいます。↓680年頃/飛鳥時代 32.45m現存する木造五重塔としては世界最古一層目は五層目の倍の大きさ東寺も法隆寺も どちらの五重塔も 凄い美しい金堂内では21体の仏様が安置されているのですが、15体もの仏様が東京国立博物館「空海と仏像曼荼羅」に御出張中。金堂内は 光背だけが残されていて寂しい感じでした。御本尊が居られたのは 救い。薬師如来坐像は 天井に届くくらいの大きさで台座の周囲には十二神将。受付でもらった絵ハガキは「空海と仏像曼荼羅」に御出張中の帝釈天半跏像いいお顔して居られる~~境内庭園の池で 珍しい姿のカモ夫婦で 日向ぼっこ?オスは のんびりと上で メスは下で一本足で向こうの石の上には亀さん講堂でも たくさんの仏様を拝んだ後今日の姉夫婦の最大目的東寺併設の高校を 外から眺めに。ここに 孫が入学したからです。私は 車で待機(笑)11時には 姉の家に帰り、ランチ 海鮮寿司近いからいつでも行けると思うと ず~っと行けない場所の一つでした。誘ってもらえて 東寺参拝出来ました
2019年05月19日
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こんばんは背割り堤~橋本宿背割り堤は 4/8桜満開の時に来たばかりですが、10日後の 4/17は葉桜が 目に優しい、けれど 今までの晴天は ヘソを曲げて空は暗くなり 寒い北風背割り堤へ向かう時 御幸橋(ごこうばし)を 東から 眺められました。あの塔「さくらであい館」展望台から 全体を眺める予定1913年 御幸橋(ごこうばし)は 現在3代目。266m(淀川御幸橋)/355m(木津川御幸橋)長い さくらであい館から 西葉桜になり 華やかさがなくなりました。左:さっき 流れ橋の上に立った木津川の下流になります。右:宇治川見えないけれど さらに右が桂川この三川合流地点が背割り堤 三川は 大きな淀川になります。東こっちは 4/8と風景は 変わりありませんね。4/8は 混雑していて 気付きませんでしたが、説明板があったのですね。展望台は 寒い風が ビュービュー🍃慌てて駐車場まで賑わった桜満開を思うと 寂しいですね。次は 橋本宿を通って帰るだけ。旧京阪国道 淀川沿いを少しはずれて 古い町並み道標が 読み辛い...「右 八まん宮 ○ 左...」下が見えない...遊郭だった 名残りが所々に「淀川温泉 多津美旅館」お泊まり 御休憩 御商談に御利用下さい??外部の飾りが...外の欄間が美しいステンドグラス調西遊寺に車を停めて ゆっくりと歩きたかったのですが、ここまで...としました(笑)帰る頃には 雨今回4/17の収穫は 石清水八幡宮昇殿参拝でした
2019年04月20日
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こんばんは石清水八幡宮~流れ橋石清水八幡宮昇殿参拝の後 “待ってもらって ありがとう”と 友達を誘って エジソン記念碑へ八重桜が これから満開を迎えようと いい感じエジソンがフィラメントに使ったのは さすが男山のこの辺りは 筍の産地友達が 筍を “安い”買いました。エジソン記念碑で 会った黒柴ワンちゃん私、この犬種が大好きなので 撮らせてもらいました。その後 ランチ。終わると 流れ橋に向かいました。流れ橋は通称 上津屋橋(こうづやばし)が本名です。長さ356.5m、幅3.3m歩くと 少しユラユラします。この木の板の上を歩く感触が好き、アッ、手で感触を確かめるのを忘れました(笑) 土手に登ったら 全体が見えました。エッ ここ 木津川沿いの土手は自転車専用道路の筈でしたね。お仕置きに 撮ってしまいました 危ないどこから走って来たのでしょうか?すぐに下りて行きましたが。土手には 日本タンポポとカラスノエンドウクサフジもあちこちに2年前に来た時、「鬼畜」の撮影で 木村多江さんを見ました。とっても綺麗な女優さん。次は 背割り堤と橋本宿へ向かいました
2019年04月19日
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こんばんは昨日 出掛ける時には 車に暖房。昼過ぎには クーラー帰る時は 冷暖房なしでした(笑)念願の石清水八幡宮こちらへ昇殿参拝出来ました9時に友達の家を出発したものの 渋滞。通常の渋滞だけれど 普段ノホホンと暮らしている身、予測していなかったので、頭は大混乱流れ橋→昼食→石清水八幡宮→背割り堤→橋本宿の予定だったのが 急遽 先ずは 石清水八幡宮へ。ジグザグになり、走行距離増大になるものの 下に変更行程を 石清水八幡宮→昼食→流れ橋→背割り堤→橋本宿にというのは 石清水八幡宮が国宝に指定されたのが 平成28年。平成29年6月に参拝した折りに知ったのが ≪昇殿参拝≫社殿内部に上がっての参拝、その後の神職による由緒や社殿の見どころ説明が 毎日11時と14時 初穂料1,000円。八幡市方面へ 友達を案内する陰には 昇殿参拝と橋本宿観るの下心がありました(笑)2時は どうなるか?わからない...11時に合わせないと。と、自分勝手な理由でナビを流れ橋から石清水八幡宮へ 設定し直し、4/8に 来た道順を スムースに 境内駐車場へ。友達二人を 昇殿参拝に誘うと “興味なし”待っていてもらうことに。※ 一人で 11時、神官の後について 本殿へ。6名の参拝でした。尋ねなくてもわかる撮影禁止(写真は 昇殿参拝後 境内で写したものです)以下は 神官が説明して下さり、記憶しているものを書きます。 八幡造の本殿の中で最古かつ最大規模で 全国で八幡造は4八幡宮しか残っていない。石清水八幡宮は 日本三大八幡宮の一社本殿の中に10社が国宝に。神様がおわす場所は 結界と周りを取り囲む廻廊があり、外から見えるのは廻廊部分だけ。欄間に描かれているお目出度い植物の数々の鑑賞。(松竹梅、万年青などで 他は 忘れてしまいました)建物は 多くの華やかな彫刻 (上は一部 ゾウさん)現在の社殿は徳川三代将軍家光の造替によるもの。うっすらと小さく 左右に巴紋、真ん中に葵紋が一つだけあります。凄く控えめなのですね。これは 神様だけに見えるように と 正面に付けられた 外からの参拝者にはわからない御紋。(この鳩の裏に巴紋と葵紋)石清水八幡宮最大の宝物 信長寄進の雨樋を一人一人 覗き込んで見せて頂けました。八幡造は 東西に二つのM字形の屋根を持ちその為に M字形の真ん中は 雨水が溜まり 腐りやすくなります。そこで 信長は 黄金の雨樋を寄進。もし、石清水八幡宮が経済的困窮すれば この雨樋を換金すれば良いとの配慮だったとか...本殿はこの日、酒造会社の御祈祷祭8名程の神官が 祈りを捧げておられ 荘厳な雰囲気。神官には 階級があり、着衣に違いがあると。(御祈祷後 神官と酒造会社の方々)南総門から 本殿までの参道は 少しズレている。それは そう容易く 神様にお会い出来ないよ、と。最後に 私の二つの質問一般的に 「左近の桜 右近の橘」と言うけれど 本殿の内部に 二本の橘があるのは何故答え* 橘が石清水八幡宮の御紋だから巴が左を向いたり たまに右を向いているのは何故答え* 本来は左向きだけれど 右向きがあるのは、石清水八幡宮が未完成で これからも発展していくという意味がこもっている。参拝記念に戴いた3cm程の竹製ストラップ可愛いこの後 友達二人が待つエジソン記念碑の近くの広場へ。約1時間、ベンチでお喋りに夢中だったとか...(笑)せっかくの時間、エジソン記念碑も見学していないというので 一緒に。そこからは 後ほど、です私の我が儘を許してもらった貴重な約1時間でした
2019年04月18日
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こんばんは八幡市方面へ 友達を案内しましたYumiさんYoshikoさんから 一連の流れ橋シリーズ(2/25 河合町大城橋、3/6 大河原橋)の続きで 関西で一番有名な流れ橋に行きたいと かねがね言われていたので 私も 中途半端には出来ない、と 今日実行全体をまとめていないので今日のランチを 1号線沿い「レストラン男山」「いわしみず弁当」ステーキ屋さんの 和洋折衷。2000円也。どこで 食べるか?前日に「食べログ」で検索。評価に間違いありませんでした。次は 違うメニューを食べに行きたいです。今日は走行距離95km程。運転手だけではなく観光もして8時間 少々疲れ気味(笑)
2019年04月17日
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こんばんは背割り堤のお花見の後石清水八幡宮が すぐ傍に見える10分エジソンがフィラメントに使ったという竹藪を抜けてこの階段を車で登れば 車で行ける最終駐車場この階段をまたいで 恐る恐る~~車で上がります。石清水八幡宮の本殿に参るつもりだったのですが、姉がランチ予約の時間が気になるというので断念。この桜の向こうに走井餅の出張販売所があるので買いに行こうとすると 姉が“欲しくない”と(笑)結局 石清水八幡宮滞在は 5分間程度ランチは 12時 義兄も合流。お店は 外観が一般家庭のようで 気付きにくい...春らしいメニューだけを あげました。 右 お店の外に咲いていたヤマブキが 可愛い..印象に残ったのは 「ありがとうございます」面白いですね帰路 車中から外環状線沿い深北緑地の桜も満開外環状線沿いに 何kmかは わかりませんが、桜並木が続き 楽しませてもらえます。今日 弟が “今 一心寺に お参りしているよ”と写真を送って来ました。見る場所全てが ピンク色一色になっています
2019年04月09日
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こんばんは今日は 姉と二人 背割り堤のお花見ずっと 京都府八幡市の背割り堤へ行ってみたい私の希望、姉は何度も行っているにもかかわらず、付き合ってくれました。7:30家を出発。姉を迎えに行って 9:40頃には背割り堤到着。(往復70km程でしたが、朝の渋滞)淀川に合流する宇治川と木津川の合流部に設置されている堤全長1.4kmに約220本のソメイヨシノ(昨秋台風で20~30本が倒れました)すぐに 約20分の「さくらであいクルーズ」乗船(1,500円)30石船と同じ長さ、幅はちょっと大きいとか。昔は一日掛かりで 上り大阪天満橋八軒屋~京都伏見下りは 半日掛かり。今は 動力付きの船 大阪天満橋八軒屋~枚方 3時間枚方~八幡 1時間 ガイドさんの説明もあります。1970年代までは 松が植えられて 「山城の橋立」と呼ばれていたそうです。風景が思い浮かべられます。マツクイムシの為に伐採されて ソメイヨシノを植栽されて50年。宇治川を 往復20分背割り堤の 大阪に向かう一番端には 一本だけ大島桜があり、船上からも 色白なのが確認出来ました。木津川、宇治川、桂川の三川合流して淀川になる地点です。御幸橋まで 戻るとあっけなく 終わり(笑)堤の上も 少しだけ 歩きました。天王山下に前撮りのカップルも居られました。昨秋の台風で無残な姿右:新月や いつをむかしの 男山 其角左:沓音も しずかにかざす 桜かな 荷兮その後 「さくらであい館」展望塔へ登り見渡すと 大阪側この駐車場の一台が 私の車 「さくらであい館」京都側京阪電車が来るのを 待ちました。橋の影が面白いと思われませんか?ここを下り 駐車場へ。昨日まで「さくらまつり」が開催。駐車場は使用禁止。今日からは 駐車場も入れるし、無料。「さくらであい館」展望塔も300円が無料に。お得な日でした。名残惜しく 帰路fujiwara13さんこちらが背割り桜情報を逐一 お届け下さいました。本当にありがとうございます。
2019年04月08日
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こんばんは3/18 兵庫医科大学病院で受診した後の事病院からスカイランドHARADAへ行く途中、171号線を走っていると立派な綺麗な朱塗りの山門が目につきました。丁度 渋滞 信号待ちだったので 気になって 後で調べたところ、昆陽寺「昆陽寺は奈良時代の名僧、行基が建立した畿内49院の一つで、天平3年(731年)創建の昆陽施院の後身寺院。」(伊丹市HPより)突然 昆陽寺が見えて立ち寄る用意をしていなかったので スルー。 その後の スカイランドHARADAでは兵庫県マンホールカードを戴きました。スカイランドHARADAは 水処理施設にあります。猪名川流域の田能資料館、昆陽寺、又 出来上がったばかりの尼崎城へも行ってみたいと思っています今日の我が家の近くの桜は三分咲き位
2019年03月29日
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こんばんは天橋立の桜 大阪~天橋立の道中 PA六人部で天橋立 籠神社の桜大阪~天橋立の道中 PA六人部では(鬼発祥の地ですって。大江山地区なので大江山の鬼 酒呑童子でしょうか?)バスの車窓から ボ~ッと眺めていると 販売機の写真を撮っている欧米人らしき人。カップヌードルを日本人は 珍しくないのだけれど、お湯が出て来るのって サービス満点ですね。上の「籠神社」は「このじんじゃ」「六人部」は 「むとべ」と読みます。固有名詞は難しいですね
2019年03月27日
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こんばんは伊根の舟屋から 天橋立に移動 (調べてみたら)阿蘇海という途中の湾バス車窓から寒そうな 海の様子天橋立へは 籠神社(このじんじゃ)こちらの境内からお土産物屋さんが並んでいる前を通って 展望台へ府中駅から ケーブルカーとリフトどちらでもケーブルカーを選びました。ケーブルカーとリフトは 並行しています。日本三景 天橋立こちらそして 股のぞき 右 股のぞきから こんな風景なのでしょう。(上の写真をひっくり返しただけです)昔 来た時は試してみました(笑)天橋立のその時の思い出は 股のぞきだけなんですよ(笑)他は なぁ~んにも覚えていません。「かさぼう」ちゃんが 愛嬌を振りまいていました。又 ロープウエイから籠神社の前まで戻ると何やら賑やかで 何か出て来ます鳳凰でしょうか、取り付けられて鳥居から左方に 消えて行きました。遷宮かしら?と思いましたが、気になり、昨日 直接 籠神社に電話問い合わせすると“4/24の 葵祭の練習。御神輿の覆いは まだ準備が整っていないから”との回答を得て すっきり。葵大祭とはこちら練習日ながら 貴重な日に偶然に出会えて 本当に良かったです。時間が少しでも違えば観れなかったのに なんと幸運だったのでしょう。バスは帰路を 19時頃 ペリカンの家さんの店前に。ももどんぶらこさんの お心遣いを、ももどんぶらこさんの御主人様は 人を飽きさせないガイドさん役を、多くのご友人がスタッフさんに早変わり。ももどんぶらこさんは こんなハンドブックを作って配布して下さいました。ツアーの間中 行く場所のそれぞれの説明を見たり、時間割を見たり 重宝しました。遠い昔の修学旅行を思い出して ホッコリ 皆様 楽しく温かいツアーを ありがとうございました。尚、ももどんぶらこさんブログこちらとけん家持さんブログこちらも併せてご覧下さい。大阪の桜開花宣言は まだなのですが、我が家の近所の桜は ワタクシ勝手開花宣言朝は5輪位でしたが、今日は暖かく 夕刻には倍に増えていました。
2019年03月26日
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こんばんは「ペリカンの家さん」の丹後半島 天橋立方面 日帰りバス旅行に参加39名の大所帯 大型バスが8:30出発ペリカンの家さん(店主ももどんぶらこさん)は中学校の同級生けん家持さんの馴染みの喫茶店で 私も通うようになりました。ペリカンの家さんは 開店10年になるそうで、ももどんぶらこさんは かなり努力されたのですね。おめでとうございます 自分で運転して行く時は 行程を はっきりと覚えているけれど バスに乗せてもらっていると 楽ちん、えぇ加減、覚えていません。車窓を ぼぉ~ッと見ているうちに 昼食会場着。(キリンビール神戸工場へ寄る予定でしたが、事故渋滞の為 時間がなくなり スキップ。じつは最近ビールを呑んでいないので 出来立て美味しいビールを呑みたかった)舞鶴若狭自動車道から のどかな丹波の風景 野焼きでしょうか?12時前に昼食会場「二反田」に着いた時には あられが降って寒~いバスの向こうは 海予め 用意して下さった昼食美味しい魚料理が豪華でした。故冨田利雄氏(万葉の絵を画かれていた)の息子さんと 偶然に同席。私は有名な冨田利雄氏を知らなかったので 勉強させて頂きました。下の けん家持さんブログをご覧下さい。 次は伊根の舟屋こちらへ(写真は 次に訪れた天橋立から 写したもの。右の白色船が遊覧船だけれど 伊根のでは なかったかも)遊覧船に乗って海上から観ます。船に乗ると ウワッ、鳥が襲ってくるみたい餌を持っている方があるので、それ目当てに船を追っかけてきます。一人が 指を噛まれて 軽い負傷頭すれすれを鳥が旋回するので 怖~~い船上は キャァキャァ~~ ウワァウワァ今回のバス旅行で一番楽しみにしていたのが この舟屋を見ること。鳥ばかりではなく、舟屋を見なくては(笑)この後は 天橋立へ尚、ももどんぶらこさんブログこちらとけん家持さんブログこちらも併せてご覧下さい。
2019年03月25日
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こんばんは下の神社の前を走り、お参りしたかったのですが、友達二人と一緒なので遠慮月ヶ瀬地区で八王神社立派な鳥居隣に保食神社という鳥居 名前が面白くて(ごめんなさい)撮ったのですが、写真はどこへやら...(笑)調べてみると 「保食神社」は 「うけもちのかみしゃ」と読むそうです。保食神(うけもちのかみ)とはこちら天照大神の命により 月夜見尊が保食神の様子を伺いに行った。陸を向いて口から米飯を吐き出し、海を向いて口から魚を吐き出し、山を向いて口から獣を吐き出し、それらで月夜見尊をもてなした。月夜見尊は「吐き出したものを食べさせるとは汚らわしい」と怒り、保食神を斬ってしまった。それを聞いた天照大神は怒り、もう月夜見尊とは会いたくないと言った。それで太陽と月は昼と夜とに別れて出るようになったのである。保食神の屍体の頭から牛馬、額から粟、眉から蚕、目から稗、腹から稲、陰部から麦・大豆・小豆が生まれた。天照大神は 民が生きてゆくために必要な食物だとしてこれらを田畑の種とした。(上から抜粋) 神話って 面白いですね
2019年03月10日
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こんばんは奈良県月ヶ瀬地区から 京都府南山城村方面へ山間を走りました。月ヶ瀬梅林は渓谷沿いに約1万本の梅だそうですが、観たのは ほんの一部です(笑)走って行くと 高山大橋高山ダム湖アッ、大きなダム上は高山発電所や管理事務所興味があるのは 私だけ(笑)友達二人は 車中で 待っていました。さらに 木津川を渡る橋魚釣りの方も見えました。この橋で大河原発電所のレトロな 気になる建物木津川沿いの163号線を少し行くと JR大河原駅アッ、駅の前の木津川の小さな橋を渡ってる~~ これは 目的の大河原橋こちらあそこに 行きましょうここで 躊躇 恐い 欄干もないそこで 写真だけ撮るつもりで 河原に停めると “停めてはだめ”と 大型トラックの男性ここを 見回っている方のようです。“撮って すぐに引っ返しますから”“それなら OKだけど、渡れるよ、かついで行ってあげようか?アッハハ”“それなら...”と勇気を出して この橋を渡ってこの男性 車が大河原橋を渡り切るまで 見守ってくれました。渡り切った突き当たりに 檜皮葺のような屋根の神社気になりましたが...入らずに後で調べると 戀路谷神社こちら「大河原橋」が「恋路橋」との別名の理由がわかりました。見回りの男性が“さっき 渡って来た橋から見えるのが 絶景だよ。”と仰るので 元来た大河原発電所の橋まで グルッと戻ったのにさっきは 上流のレトロな建物が気になって下流を見ていなかったので 確かめました...どこから観ても 大河原橋は見えない~~渡るのを ビビった私、多分 からかわれたのでしょう「大河原橋」について けん家持さんのブログこちらで知り、訪れるきっかけになりました。ありがとうございます。見回りの男性が“ちょっと木津川の下流に もっと細い沈下橋があるよ~~けど そこは渡れないよ”と...163号線木津川沿いの下流を 5分か10分 走るとありました、ありました~~交通量が多い163号線、数秒間停まり近くのバス停には 「有市口」とありました。調べてみるとこちら 〈いまひとつの沈下橋は「潜没橋」と地図などには書いてある。 架かるのは、JR関西本線が大河原-笠置間で木津川を跨ぐ鉄橋の西、笠置町有市と飛鳥路の間。よく川が暴れるのか、橋脚には様々に補修された跡がある。この橋を渡って北に行くと、飛鳥路の集落を抜けて布目川沿いに柳生へ至る。〉恭仁京辺りを通り 第二阪奈道路経由で帰宅しました。実は 南山城村役場に 「大河原橋」を 心配で 電話で問い合わせていたのですよ。河原にUターンするスペースがあるのかどうか...と。返事は “大丈夫ですよ。余裕で通れますよ。”結局 トラックの男性に促されて ビビりながら 渡りました。本当にありがとうございました。忘れられないこの日の最大の目的 イベントとっても 面白い経験でした。友達の「月ヶ瀬梅林」へ行きたいと 私の「大河原橋」を観たいが コラボして観梅ドライブでした
2019年03月08日
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こんばんは第二阪奈道路~奈良市から柳生経由~月ヶ瀬梅林へ月ヶ瀬梅林こちら梅開花情報では 来週が満開 見頃だそうですが、混むのが嫌、昨日の天気予報は夕方からの雨なので出掛け、正解でした。途中の道路で段々畑は 美しかったのですが、上手に撮れず。大和茶畑が 山間の場所に整然と後で月ヶ瀬梅林の売店でほうじ茶を買いました。途中に「菊家家住宅」の標識がありましたが、友達は興味がなさそうなので 立ち寄らず、ちょっと残念でした。名張川の横を走り 名張川にかかった長い橋を渡りました。八幡橋 昭和44年2月(1969年)に下流の高山ダム建設に伴い水没した石橋の代替として作られた。全長160m 幅3.5mで大型車の通行は出来ない。梅、桜、新緑、紅葉と四季を通して素晴らしい景色を堪能できます。またこの橋は瀬戸大橋のミニ版として有名です。 (月ヶ瀬観光協会HPより) 予め 月ヶ瀬観光協会に 観梅には どこが便利か メールで尋ねておきました。「近いのは 真福寺周辺にある駐車場になります 梅林遊歩道は坂道が多いので 気をつけてください」と お返事を戴きました。ありがとうございます。ということで 真福寺の階段の下に駐車出来ました。向こうには 名張川を観て 手前は梅林出店も たくさんあり、焼草餅を食べたり 真紅の椿も綺麗 その後 昨日書きました月ヶ瀬温泉のレストランで 昼食でした。可愛くて美しい梅 甘い香りを満喫 堪能しましたそして 南山城村方面へ 走りました。
2019年03月07日
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こんばんは今日3/6 YumiさんとYoshikoさんと三人で 月ヶ瀬梅林へ行きました。月ヶ瀬梅林こちらは奈良県にありますが、京都府、三重県の境に位置する山間の村です。月ヶ瀬梅林観梅後 けん家持さんのブログで知った「大河原橋」へ寄った為に 150km程の走行になりました。朝9時前に出発、午後5時前に帰宅。肩にシートベルトの感じが 今も抜けません(笑)昼食は「梅の郷月ヶ瀬温泉」へ上 1,000円也。凄く美味しくて お得でした。私が運転する代わりにお二人の御馳走でした。温泉の横のふれあい市場で プリムラを買いました。下 1,000円ネコヤナギも 一緒に(下はお店で)ネコヤナギの名前を知ってか、知らずか持って帰ると タロとアルの点検タロの影も向こうにネコヤナギの輝く銀色が美しく ツルッとした感触が猫毛そのものです。写真を明日から まとめさせて頂きます
2019年03月06日
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こんばんは10月末に淡路島を旅行した時の残りの写真が 残っていました。日本誕生の原点『国生みの地』といわれる淡路島のバス観潮船の乗り場で「インスタ映え」が 流行りましたね帰路の阪神高速道路 神戸京橋S.Aでの休憩神戸京橋S.A駐車場の片隅の煙草休憩場神社の狛犬の石像に囲まれて煙草どういう意味なのでしょうね淡路島旅行も遠い昔になりつつあります今日午前中は今年最後の美容院へ 午後は 年賀状印刷を終えました。横で タロとアルは 爆睡。
2018年12月12日
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こんばんは萬福寺の総門前、京都府道244号万福寺線(萬福寺~宇治)を挟んで白雲庵の前に 「龍目井」萬福寺と書いてあったので、気になりました。龍の目ですので、二つあるそうですが、一つしか気付きませんでした。[龍目井(りゅうもくせい)]黄檗山全体を龍の体にたとえ、この井戸は龍の目を、周辺の小川は口を、松はひげをあらわしています。法堂などに龍図は描かれていませんが、山内の伽藍の配置により龍をあらわしています。(萬福寺のHPより)さて 萬福寺には松が多く 落葉樹は 放生池の周りだけでした。松の緑に映えて美しかったです。萬福寺の境内の黄檗樹「きはだ」樹皮が薬用になります。帰りに枚方市天の川沿いの桜並木お寺とは 心を穏やかに安らかにしてくれます立派で 閑静を満喫出来るお寺、姉共に 再訪したいお寺になりました最後に普茶料理の件です。白雲庵だけではなく 萬福寺内でも 食べることが出来ます。ただ萬福寺内は三日前からの予約で お弁当は数量限定で当日でも。11/14は 前日 萬福寺拝観決定した為 選択の余地なしでした。
2018年11月18日
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こんばんは萬福寺拝観後、門前の白雲庵で普茶料理(精進料理)を頂きました姉夫婦に喜ばしい事があり、姉が御馳走してくれました。白雲庵は元大本山萬福寺の塔頭。白雲庵の庭園お料理をいただいている窓から 萬福寺が少し見えました。 白雲庵の庭園にある自悦堂酒樽で作られた茶室で現在は、白雲庵の開山自悦禅師木像を安置、祀って有ります。お料理を一応 撮ったのですが、HPそのものでしたので、それを載せさせて頂きます。3人前でしたが、写真は4人前。大皿一皿ずつ供され、取り分けます。 そこで、印象に残ったもの数点左:お茶のらくがん右:シュンランのお茶 左:擬き料理 鰻に似せてあります。お豆腐が基本で 皮は海苔右:素麺を揚げたのが綺麗 左:松茸御飯が美味しかったです。右:東南アジアの ランなんとかいうフルーツのデザート柚子のようで スッキリした味 これで人生三度の普茶料理を頂きました。最初は 同じ白雲庵、何十年も前の為 記憶がありません。これほどまでに 華やかで美味しい普茶料理にびっくりしています。歳をとって 感じ方も変わったのかもしれません(笑)
2018年11月17日
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こんばんは黄檗山萬福寺こちらを拝観しました。日本三禅宗(臨済、曹洞、黄檗)の一つ、黄檗宗の大本山。撮影は どこでもOKお坊さんを写すことは ダメとの看板。以前 萬福寺で祖父母の法要をしてもらったので、懐かしく思いました。黄檗宗のお経は鐘や太鼓などの音楽的な中国語での読経。それ以来 萬福寺を拝観した事がなかったので、記憶を探って参拝しました。建物は 中国風そのもの詳細は こちらを御覧下さい。 総門人の姿が殆ど見えず なんと静かで安らぐことすぐ傍の 平等院は 混雑していることでしょう。三門天王殿の布袋さまと四天王 丁度 天王殿に お坊様が居られました。そこで 布袋さまが 何故寺院に祀られているのか?尋ねました。布袋様は弥勒菩薩様の化身で 七福神の中で唯一実在は布袋様だけ。布袋様の後ろに韋駄天が祀られています。お坊様のお話“お釈迦様の入れ歯を盗んだ者を 韋駄天がその速い足で捕まえた”と...大雄寶殿松が多く コモがかけられていました。 法堂前にある「卍くずし」の勾欄が中国風を醸し出している。屋根つきの回廊萬福寺の伽藍はそのすべてが 屋根つきの回廊で繋がっています。納骨堂で 個人の法要が行われる 斎堂の前に開パン時を報せる法具。帰り際 読経が聴こえて来て 遠い昔を訪ねたような穏やかさを感じました萬福寺HPより萬福寺の伽藍建築・文化などはすべて中国の明朝様式です。美術・建築・印刷・煎茶・普茶料理、隠元豆・西瓜・蓮根・孟宗竹(タケノコ)・木魚なども隠元禅師が来られてから日本にもたらされたものであり、当時江戸時代の文化全般に影響を与えたといわれています。中でも中国風精進料理である「普茶料理」は日本の精進料理(禅僧が日常食する質素な食事)とイメージが異なっています。見た目も美しく盛りつけられる料理の数々は、高タンパク・低カロリーで栄養面にも優れ、席を共にする人たちと楽しく感謝して料理を頂く事に普茶料理の意味が込められています。
2018年11月16日
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こんばんは10/29、30 淡路島旅行の〆は「淡路人形座」淡路人形浄瑠璃こちら淡路人形協会の経営する淡路人形座は、現在活動している唯一の座500年以上の歴史をもつ淡路人形浄瑠璃は、国の重要無形民俗文化財指定うずしおクルーズの後、同じ敷地内の淡路人形座11:10開演には時間があったので、公演中の写真撮影は です。演じられる前に 人形がどのようにして作られるか、かしらが どのように変化するか、どのように操られるか、を 100年前の人形を遣って説明して下さいました。男人形には 足があるが、女人形には 足がなく その操り方の特徴もへぇぇ~~義太夫節による三人遣いの説明主(おも)遣いがかしらと右手、左遣いが左手、足遣いが足を操ります。 全て 初めて知る事で 興味深く演目は 「戎舞」こちら最初に 説明を受けていますので、観るのも 面白くなりました。公演後に 戎さまと記念撮影の時間(私の写真は ナイショです)「文楽の始祖、植村文楽軒も淡路出身で、19世紀初頭に大坂高津で開いた芝居小屋は、明治5年、三代目文楽軒のときに「文楽座」と名乗った。」以前、大阪国立文楽劇場で 観賞したことがあります。その時は予備知識もなくて 観ただけ。昨日の「芝右衛門狸のお話」は 500年前から淡路島に芝居好きの方々が多かったことのあらわれなのですね。 再び 来場したいですが、遠過ぎます。こんなに素晴らしい淡路人形浄瑠璃を五人の観客で 惜しいことでしたその後、すぐに帰宅の途につきました。
2018年11月05日
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こんばんは洲本城 芝右衛門狸の面白いお話を天守の傍に祠がありました。御幕には 「昭和六十三年十月吉日 藤山寛美」とあります。「寛美や仁左衛門らの寄進により洲本市に芝右衛門の祠が建てられた(ウィキペディアより)」写真では見にくいのでこちら次は 淡路人形座の予定でしたが、今日は出掛けて少々疲れ気味で まとめられませんでした。大狸さんと洲本の人達の心温まるほっこりとするお話へ変更です(笑)
2018年11月04日
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こんばんは10/30 うずしおクルーズ 9:30 乗船しました淡路島北端から 南端へ夢舞台⇒うずしおドームなないろ館 54km 約50分淡路島は 南北約53km 29~30日ウロウロでした(笑)一日に4回のうずしおが見れるのですが、9:30は期待度◎でした。うずしおってどうしてできるの? こちら私達の時間は 瀬戸内海側が満潮 太平洋側が干潮とか...ほどなくして 大鳴門橋 海から45mの高さの橋大鳴門橋 道の駅うずしおから450m 海上散歩出来る遊歩道こちら歩いている人が見えたか、見えないか、わかりませんでした。波の段差で 白波が立っています。大きいうずしお、小さいうずしお渦の華(温泉のようにボコボコと湧きあがっている)出航の福良の町途中見た島学徒出陣の慰霊碑全国からの学徒出陣の慰霊碑が何故ここにあるのか、船員さんにはわからない...とフグの養殖途中 敦盛の首塚がある島には 鳥居が見えましたが 撮れませんでした。アッ、最後になりましたが、この船に乗りました。 ドキドキ、ちょっと怖かった観潮船でした次は 同じ敷地内の淡路人形座へ行きました。
2018年11月03日
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こんばんは29日 ウェスティンホテル淡路(夢舞台)こちらに宿泊安藤忠雄氏設計の夢舞台の一角にウェスティンホテル淡路があります。着いたのが3時半頃。行きたかった明石海峡公園は時間の関係で 諦めました。部屋の廊下から見える百段苑太陽が落ちて行きました。中心は 滝のように水が流れています。百段苑を散策水が流れる端っこの階段を上り、向こうのエレベーター塔へ。てっぺんから右端が ウェスティンホテル淡路です。広い敷地内を移動して「奇跡の星の植物園」へ外国人に人気なのでしょう。日本人を見かけませんでした。日本庭園ハワイで見た一般人の日本庭園のような 日本人造営ではない雰囲気でした。浮世絵から出て来たアニメ的な人物植物園から戻る道もコンクリート安藤忠雄氏設計のコンクリート打ちっ放しの広大な敷地は疲れてしまいました。夕飯は淡路海鮮懐石 温泉は提携の「松帆の郷」へ バスで10分位 露天風呂美しい明石海峡大橋のライトアップを見ながら ゆったりとここで こんなにも美しい眺め大きなお月さまを見られたのは とても嬉しいことでした。翌朝30日 朝食の前に 朝日朝日の中の この椅子、すっぽりと身を包んでくれて 座り心地満点8時前に うずしおクルーズと淡路人形座へ出発しました。ウェスティンホテル淡路の方々には 親切に接遇して頂き ありがとうございました
2018年11月02日
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こんばんは10/29 昼食後 続日本100名城洲本城こちらへ 標高132mの平山城16世紀前半 三熊山山頂の「上の城」と北山麓の御殿のある「下の城」を、東西2条の「登石垣」で繋いで防御力を高めているのが特徴である。洲本城へは 洲本市から三熊山ドライブウエー駐車場から 200m程で天守に辿り着くのですが、その坂や階段が難敵そりゃ、そうですよね。攻めるのに苦労するように造られている階段本丸大石段階段は 大小様々ガタガタ転ばないように慎重に模擬天守地元出身の知り合いからは 展望台があると聞いていましたが、展望台はありませんでした。(2011年 補修工事、屋根瓦の吹き替え耐震補強工事改修後の模擬天守は展望台の機能は失われている。)模擬天守として 1928年(昭和3年)日本最古のものだそうです。洲本八景のひとつ の眺め小さな天守でしたが、防御の為に複雑に入り組んだ石垣、素晴らしい眺め 上って来た甲斐がありました。転ばないように階段を下りて ウエスティンホテル淡路へ向かいました。30日は 南淡路市福良に行くので 南淡路市での宿泊が便利ですが、夢舞台があるウエスティンホテル淡路に 泊まりたいと願い、斯くして 行ったり来たりの長距離ドライブを強いられました洲本城からウエスティンホテル淡路まで 大阪方向へ逆戻り 41km 約50分3時前、頑張ってGO
2018年11月01日
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こんばんは淡路島 第一日目 29日神戸淡路鳴門自動車道津名一宮を出てすぐの所 「たこせんべいの里」へ ガラス越しに 工場内も見られます。たこせんべいの試食が出来て コーヒー無料平日なのに 凄くたくさんの お客さん淡路島に着いた途端に お土産購入(笑)食品工場兼販売店、清潔で気持ち良かったです。 夜は 和食を予定しているので 昼食は前以て調べて、迷うことなく(笑)淡路牛のお店「レストラン 大公」 写真の撮り方が悪く、メインは御飯みたい(笑)牛は勿論美味しかったのですが、御飯がとびっきり美味しい。注文して10分程で出て来てビックリ早い大阪の食堂みたい(笑)地元の人気店らしく、昼食の男性客が続々と。 海岸沿いの国道28号線を走りました。清々しく なんと気持ちいいことか...淡路島出身の知り合いの話では 国道28号線沿いの「たまご屋さんちのたこ焼き」が美味しいと。私“大阪のと どっちが美味しい?”彼“タコが大きいと思う...”これは絶対に 確かめてみなくては テーブル上の具材で 自分なりにトッピング彼の言葉とは裏腹に タコの唐揚げは小さかったけれど(失礼)たこ焼き一つが デッカイ卵をいっぱい使って、フワフワ、アツアツをふぅふぅと 食べました。道理で お店の向こうは 卵の会社があり、卵は豊富(笑)お持ち帰りすると 何円か安くなり、そのお客さんが 車で ひっきりなし。(店内で食べるか、お持ち帰りか?? 消費税話題を先取りしているお店ですね)次は 洲本城へ向かいました。今回は 昼食 おやつのお話になってしまいました
2018年10月31日
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こんばんは10/29、30 は 淡路島一泊ドライブしました10/29 午前10時出発 (約170km走行)10/30 午後3時半 帰宅 (約200km走行)というような無理をしないドライブ、間に気ままな観光を 入れました。6月 新車に買い替えてから初めての ドライブ旅行です。先ずは 神戸から明石海峡大橋を渡ります。ボチボチとアップさせて頂きます
2018年10月30日
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こんばんは宇治へ行った時の 残りの写真です。宇治市のマンホール宇治橋と市の木イロハモミジのデザイン。 ちなみに橋のせり出た部分(三の間)から、豊臣秀吉がお茶の水を汲ませたと言われていて、現在もこの場所で宇治茶まつりの「名水汲み上げの儀」が行われているそうです。 消火栓は 同じデザインを大阪市でも見たような気がします。全国 どこでも 同じなのかも宇治川沿いを走っていると 宇治川の向こうに「京阪宇治駅」丸いのが何か?わからなかったのですが、 tamagoyasann さん こちらが 「京阪宇治駅」こちらと教えて下さいました。ありがとうございます。実際に 駅舎を見たいです。平等院ミュージアムショップで 姪の娘が 姉に買ってもらった羯鼓のストラップ(これ、1,500円もしたそうです、孫に弱いのです)天衣を翻して舞う天女が 奏でる為に持っている雅楽の羯鼓(かっこ、鞨鼓も)こちら私は 初めて羯鼓という楽器を知りました。 姪の娘が 私にプレゼントしてくれたコースター自分で作ってくれました。宇治は 近い名所でしたが、とても素晴らしい場所でした
2018年04月06日
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こんばんは4/2 宇治へ行き 当日 食べた物です平等院南門近くの駐車場に入れて お昼を食べる処を探していたら宇治川の中洲には 観光船が。近くには 宇治川鵜飼いの船着き場この辺りには 旅館の街並み や 老舗らしき飲食店があって 入ろうとしたら 外国人の団体さんの予約でいっぱい。入れませんでした。来た道を戻り 結局 駐車場のお隣のお店へ。 お蕎麦は 毎朝 手打ちするそうで とても 美味しかったです。思わず、にっこり...ウロウロせずに 初めからこのお店に入ればよかったのに、と後悔。4/2は関東から春休み里帰りしている姪とその娘(小学4年生)と 姉の4人でした。14時過ぎ 平等院拝観が終わって どこへナビ設定しようかと 萬福寺にしていると先に JR宇治駅前に 良い喫茶店があるから行きたい...と 姪が遠慮がちに言います。そこは、京都 宇治 伊藤久右衛門こちらでした。 なるほど 相当の人気店。順番待ちで8席目。姪達は 可愛くも “どうする”ここまで来たのだから 待ちましょう、と(笑)。30分程の待ち時間の間は お店で お買い物抹茶が大好きな彼女達は 抹茶パフェで 大満足姉と私は 苦手なので 抹茶とお菓子のセット 関東からだったら “宇治の抹茶でしょう”という事で 帰途その日の 宇治行きの主目的の真実が 伊藤久右衛門カフェだった事を明かされました。主目的が平等院ではなかった事に ビックリして 私は 口あ~んぐり(笑)もし萬福寺参拝していたら 伊藤久右衛門カフェには時間的に行けなかったので、これで 目出度し 目出度し~夕飯は 1号線沿いの焼き肉店 訳あって 姉の負担で 私は一度も自分の財布に手を触れませんでした(笑)
2018年04月05日
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こんばんは平等院で見た草木と亀大きなボケ 花も大きくてビックリ なんという椿でしょうか、塀の上に聳えていました。ヘビイチゴの花でしょうか、藤棚の下に 一面に生えていました。枝垂れ桜は何十本かあり、まだ蕾もあり見頃でした。阿字池の亀と鯉 亀の白い甲羅は 珍しくて “スッポン”と思ったのですが、スッポンを知りません。考えてみれば 亀がいっぱい気持ち良さそうに甲羅干しをしているのです。多分 甲羅に付いた泥が乾いて白く見えたのか、と想像しています。 阿字池の周りには タンポポ ツクシ平等院へ行く前に 宇治川の傍を通った際は 京都らしい風景オマケに 当日の枚方市内の天の川沿いの桜天の川は淀川に入ります。淀川は 京都府で 宇治川 桂川 木津川の三川が合流します。4/2は 天の川沿いから宇治川沿いを走ったわけですね。 お天気が良かったので 花も亀も気持ち良さそうでした
2018年04月04日
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こんばんは4/2は 京都府宇治市の世界遺産平等院こちらを拝観しました。駐車場の関係で南門から入りました。(南門は裏門らしく 参道は大変賑わっているそうです)南門は 安土桃山時代の伏見桃山城からの移築です。鳳凰堂の真正面から平安時代の浄土庭園桜とモミジが綺麗でした。阿弥陀如来坐像のお顔が 阿字池の向こうの格子戸から見えます。朝日を浴びる神々しいお顔が素晴らしいでしょうね。(望遠で撮りました)北からの鳳凰堂の入り口(この前で拝観券を先ずは求めて)鳳凰堂内部拝観は1時間待ちで 13時10分に拝観出来ました。1回に人数50人(団体になります) 1時間に3回の拝観があります。せっかく来たのですから 待ってでも内部拝観を希望。待っている間に 終って戻られる方々を撮りました。待つ間 平等院内を。左:暑い日でしたので、藤棚の下で 少しでも涼を求めて 鳳凰堂内部拝観を待つ人でいっぱいでした。阿字池をのぞむ藤棚は 樹齢280年と言われています。長いものは1m以上あり 砂ずりの藤 蕾が出ていました。右:観音堂(鎌倉時代) 1時間待って 案内され、説明を受けました。大切な国宝ですから 多くの制約がありました。壁を触ってはいけない...とか。日本語で話されていたので、外国人が多いのにわかってもらえたのかが、心配です。鳳凰堂は 一度も 焼けていなくて 今年で996年です。藤原道長の別荘として造られ、その子 頼通によって西方極楽浄土の阿弥陀堂として建てられました。仏師定朝の阿弥陀如来坐像は迫力があり、堂内の扉や壁、天井や柱は極彩色の絵画が うっすらながら まだ確認出来ます。楽器を奏で、舞いを舞う姿の供養菩薩像は52体あり、現在は半分の26体が本物で 26体はレプリカ。平等院の美術館 鳳翔館へ続く道ここで 屋根の鳳凰 供養菩薩像26体の本物など。堂内の扉や壁、天井や柱は極彩色の絵画も レプリカが展示。見応えがありました。鳳凰堂内部や鳳翔館は 写真ですので 上のリンクで御覧下さい。小学校の遠足以来でした。宇治市には従兄が住んでいて 何度も訪問。宇治市萬福寺は 祖父母の分骨をしているので 参拝しています。が、“いつでも行ける”の気持ちが 遠くしていたのでしょう。 美術の教科書で『左右対称の鳳凰堂、定朝の阿弥陀如来坐像』を見ていたお陰と 何よりも10円玉 身近に感じていましたが、実際の2時間程の平等院拝観は とても貴重な事でした
2018年04月03日
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こんばんは尼崎寺町を参拝した時に写した言葉ですあぁ~ いい言葉と 感動するのですが、なんせ凡人の私、すぐに頭を スルスル通り過ぎて行ってしまいます(笑)
2018年03月27日
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こんばんは尼崎寺町 善通寺の壁の赤レンガが気になり 尋ねました尼崎市役所に電話すると⇒尼崎魅力案内所こちらを紹介して下さり 電話⇒優しく親切なスタッフが“ボランティアがよく知っていますので 尋ねます”と折り返し電話で 教えて下さったのが 以下のような事でした。レンガは明治以降の物で ユニチカ(尼崎紡績)に在った赤レンガが 戦災で壊れ 戦後その赤レンガを 善通寺の壁に移築されたとの事調べてみたらユニチカの歴史こちらで 納得ユニチカ記念館(兵庫県尼崎市東本町)(元 尼崎紡績株式會社本社事務所)の壁が そっくりそのままです 明治22年 尼崎紡績会社を創立~ニチボー株式会社~ユニチカ株式会社と 改称。繊維メーカーで 輝かしいバレーボールでの活躍、百年以上の歴史があるのですね。しつこいですが あらためて 善通寺の壁わかって 心の中が すっきりしました。尼崎魅力案内所のスタッフの方、ボラティアの方 ありがとうございます
2018年03月23日
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こんばんは尼崎寺町11ヶ寺のうち3ヶ寺を 昨日 御紹介しましたが 今日は残りです善通寺の門前から 又 赤レンガ(善通寺を取り囲むように壁があります)お寺が次々と連なっていますので 参拝するのが 何がなんだか?(笑)少々 頭がこんがらがっていました大覚寺こちら長遠寺 こちら如来院こちら「遊女物語り」が語り継がれています。鎌倉時代に「法然上人」が神崎に立ち寄られた時、お説教を聞いた五人の遊女達は、頭の黒髪を切りとり出家者となって、お念仏を称えながら入水往生しました。法園寺こちら山門の内に桐、外には菊の紋があり、由緒ある寺院を偲ばせています。(気が付きませんでした(笑)甘露寺こちら広徳寺こちら 太閣秀吉ゆかりの寺「広徳寺」は、天正10年(1582)秀吉が、明智光秀を追討するため、京都山崎へ向う途中、尼崎に着き、伏兵を避けるため逃げこんだ話が伝わっています。その時、敵に囲まれた秀吉は、急いで髪をそり落とし僧に化け、寺の僧と一緒に台所で味噌をすり、負っ手の目を欺いたそうです。そのすり鉢とすりこ木が今も広徳寺に残っているとか。 常楽寺こちら11ヶ寺のうち ただ一寺 専念寺を参拝していません。巡っているうちに わからなくなり、これで終わりと思っていたら、まだ 向こうに一つお寺を見落としていました(笑)と こんな事で 気になった赤レンガの歴史でしたが 本興寺の塔を裏から見ながら 1時間半程の尼崎寺町を 後にしました。訳もわからず 10ヶ寺巡りをしましたが、機会があれば もっとゆっくりと参拝したいと思います
2018年03月22日
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こんばんは3/19 病院の帰りに 尼崎寺町こちらのお寺巡りをしました。病院を出た後 i-Padで調べて ナビを設定したものの 初めて行く場所なので あてずっぽう写真で赤レンガが続く寺町が素敵だったので、実際に見たかったのです。元和3年(1617)に大名戸田氏鉄が、尼崎城の築城に取りかかり、城下町を建設するにあたって散在していた寺院を城の西にあたる現在の場所に集めて寺町をつくりました。39ヘクタールの区域 約1キロメートルの間に、11ヶ寺が軒を連ね、国指定の重要文化財、7件をはじめ、県、市指定の文化財も多く残されています。(地図は上のリンクから)先ずは 阪神尼崎駅近くの開明町を通ると 本興寺こちらがあり、参拝とても立派なお寺で 重要文化財も数多くあります。 次のお寺はお隣の全昌寺こちら地図がわからなくて 善通寺こちらへは 裏から入りました。探していた 赤レンガ(いつの時代のものか?調べたのですが わかりませんので、わかれば掲載したいです。)裏から入ると 古い お墓が迎えてくれて、ドキッお昼なのに 出て来そうでした。お彼岸なので 御参りの方もちらほら。 裏から 表門へ秦武文の碑はどこにあるのか、わかりませんでした。ここまで 3寺を参拝しました。雨を心配しながら 11か寺を参拝したかったので ザッとお寺の周りだけでした。続きは明日に致します
2018年03月21日
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こんばんは3/19は 病院受診 と 尼崎寺町でした。兵庫医科大学病院での受診予約が8:30でしたので、10時には支払いも終わってしまいました。(朝は 7時前に家を出ました)この病院には 『阪急ホテル』レストランが入っていて 割りと楽しみにしていました。10時のランチは 早過ぎるので お茶でも、と思って探すと ないない尋ねてみると 撤退。代わりに 『ロイヤル』レストランがあるというので行ってみると11時から。そのレストランがある10階から撮った 六甲山方面は 今にも雨。 早く終わったのはラッキーと 気になっていた 尼崎寺町へ 急遽 行く事に。写真を撮ったものの 下調べが全くないので ブログを書けなくて用意が出来たら ブログアップさせて 頂きます。阪神尼崎駅前を通って歩いていたら 偶然に撮れたマンホール(中央には、綺麗な水に住む蛍やトンボや魚。その周りに市の花・キョウチクトウが デザインされています。)丸型消火栓蓋 尼崎城と松が描かれ、市章と「尼崎城」と「消火栓」の文字と管理ナンバー入りです。 尼崎城は江戸初期に大阪城の西の守りの要として築かれ、1873年の廃城令を受け取り壊されたが、尼崎市に本社のある家電量販店の創始者の方が私財10億円を投じて天守と付櫓復元することになり、築上400年となる2018年8月に完成予定だそうです。 尼崎寺町巡りを終えて 12時に往路と同じく復路も阪神高速道路。1時間程で帰宅出来る筈が あろう事に 阪神高速神戸線から 脇へ 湾岸線を走ってしまいました(笑)マッ、いいか 神戸線の阿波座辺りは いつも混むし、湾岸線の景色がいいと 相当の遠回りですが、ポジティブに自分で自分を励まして アッ、そうだ 朝潮橋のPAに寄って景色を楽しみ お昼にしようッと...(笑)展望デッキで撮っていると 雨が降り始めました。食べたのは、ソースかつ丼尼崎寺町巡りを 自分の中で 賞味期限切れになる前にアップしたいです(笑)
2018年03月20日
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こんばんはふろう閑人さんからの 情報で 8/29、30 白浜温泉 ホテル川久に付いて色々わかりました。都築響一氏「バブルの肖像」という本が2006年に出版されています。その中に「ホテル川久の前身「旅館川久」は、安間千之氏が1949年に創業した旅館で、昭和天皇も宿泊した白浜屈指の木造純和風旅館であったという。 安間千之氏の子息であった2代目社長とその妹が「世界の数奇屋ホテル」を目指し、1989年「旅館川久」の全面建替工事を始めたらしい。」 続きはバブルの肖像の中のホテル川久 こちらで。関連記事は、カラカミ観光チェーン 堀主知ロバートこちらその建築の素晴らしさは、岩 崎 建 築 研 究 室 ・ 日 誌こちらで。(岩 崎 建 築 研 究 室の写真より)そして、今年3/10 奈良 薬師寺門前アムリットこちらに行きましたが、川久に縁深いレストランでした。前の建物は、川久経営の高級料亭萬京このホテル川久 会員になるには2千万円、誰もが泊れるホテルではありませんでした。倒産したお陰で 会員ではない私ども庶民にも 低価格で泊れるようになりました。そう言えば 30年前までは白浜を訪れた時に ホテル川久が存在していなく、突然 白浜に目立つ建物が出来たので、私の子供の頃には知らなかったわけです。次は 建築、調度品鑑賞の目的で ホテル川久に泊まりたいです
2017年09月04日
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