2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全35件 (35件中 1-35件目)
1
始まりは実家の父の一本の電話でした。父「陽菜ちゃん、あんなぁ姉ちゃんの所に男から手紙届いてん」私「そりゃ姉ちゃんかて手紙ぐらいもらうやろ、何言ってるの」父「それがな、大学の頃付き合ってて、ぶち壊れたのいたやろ、あれや」私「あぁ、あのぅ、マザコン、あれとは付き合いだけは続いてたのじゃないかな?適宜、遊んでやってるんじゃないかな?」父「いやぁ、それがな、手紙読んだ後から、何かため息ついてなぁ、なんとも様子おかしい・・・それにな、お母さんに、私がいなくても大丈夫かぁって訊いてたし、普通は用事はメールで済ませるやろ、それが郵便、郵便局の兄ちゃんがガァってバイクで配達してきた、そしてな、同じ日の夕方に2通目らしきものが速達で届いたんや、それ読んだあと、いよいよ姉ちゃん、頭抱え込んで・・・」私「親父が直接訊いてみぃ!」父「無理無理無理、そんな恐ろしいことさせんでくれ、姉ちゃんにクチで対抗するなんぞ、そりゃあもうあんた、南極に裸足で行くより恐ろしい」私「南極に裸足で行くかぁ!!!それより何なの?」父「思うにな、姉ちゃん、この頃痩せたし、お母さんの看病に疲れたのやないかな、結婚もしないで親の犠牲にさせてしまったんじゃないかぁって気になってるんだけどねぇ・・・」私「そう思うなら親父が自分で聞けば・・・」父「だから無理」じゃあ、私に直接訊けってか?しかし、その日、27日夕方、当の姉から明日相談がある⇒28日、姉を訪問⇒29日、母一人になるので泊まりにきてほしい⇒29日実家にお泊り⇒30日、昼間、姉の部屋の机の上で妙なもの発見しつつも30日は我が家へ帰宅⇒31日、昼間、父からまた電話「なぁ、姉ちゃんに訊いてくれたかぁ?」別に何って無いみたいだけど・・・親父の取り越し苦労だよ、と笑い飛ばしてみせたが・・・姉は今日の夜、さっき、帰りついたと電話がありました。予定してた飛行機より遅い便での帰りだったので、空港から家まで帰り着くのも自然と遅くなっていました。姉に、父からの電話の中身を訊いてみました。すると姉は大笑い手紙で何故届いたかなんと、元カレは、胆石で緊急入院していたのでした。そのため、PCも携帯も使えず、手紙、それも速達で姉に知らせてきた。元カレはいまだ付き合ってる女性がいなかったらしい(まぁあの母親付いてたらなぁ)姉とも色々とあるみたいで、姉が急遽行って、色々と世話してきたみたい、友達以上恋人未満らしいわ。あぁ心配してアホクサでも、姉の部屋の机の上にあった言葉が気になってそれも訊いてみた私「って何なの?」姉「さぁどこへ行くのでしょうかねぇ・・・(笑)」私「何なの?」姉「数学じゃないんだからさ、色んな答えがあるの、色んなローソクがあってさ、色んな火があるわけで、炎となって燃える火もあれば、静々と照らす火もあるし、いま陽菜ちゃんが思い浮かべてるロウソクはあの形あるロウソクでしょ、白かったりキャンドルだったり、それだけがロウソクじゃないってこと、世の中、形あるものだけじゃないって事。まぁヒマな時に一人の時にゆっくり思い出して考えてみるのもいいかもね」私「ねぇところで痩せたでしょ、大丈夫?」姉「大丈夫よ、会社辞めたらさ、なんか少し若い格好してみたくなって、ちょっと痩せないとねって痩せたけど、私が買いに行く店には無いのよ、あぁいう若い子向けみたいな服が」つくづく思った、思い切って何事も訊いてみるべきだと。。。
2006年03月31日
コメント(4)
貴女は一人で何を悩んでるのですか。何を思いつめてるのですか。何を一人で抱え込んでるのですか。どうして話してくれないのですか。貴女がどんなに隠しても、貴女のその細い白い手から零れ落ちる周囲を心配させまいと頑張ってる貴女の気持ちが見てるだけの私にはつらいのです。何があったのですか。私にも話せないことなのですか。貴女一人でその重い荷物を背負うのはやめにしましょう。みんなが貴女を心配している貴女の大好きな4月はもうそこまで来てますよ。いやな事つらいこと淋しいこと悲しいこと、去る月3月に捨てて行きましょうよ
2006年03月31日
コメント(0)
本日は実家へと泊まりに来ているのですが・・・姉が留守したため、母の食事を作ろうと姉の準備してくれたレシピを・・・別に母はカリウム制限を受けているのではないのですが、姉が出来るだけカリウム制限にならないようにと、調理法まで書いて行ってました。茹でる、水にさらす、というようなことなのですが。下準備が結構大変なので、娘に、遊ばせついでにゴマをすらせました。「バァバちゃまの横にお座りして、これをゴリゴリゴリとやっててね」と。10分後、娘は、すりあがったゴマを持ってきて「ママ、菜っちゃんはね世渡り上手になれるってバァバちゃまが言ってたよ」お母さん、チビになんて言葉を教えるの・・・あとは笑いしか出てこなかった
2006年03月29日
コメント(0)
昨日、夕方、突如姉から電話。ちょっと相談があるので来て欲しい・・・そいでもって、本日、実家へと。姉が相談なんて言うから、いったい全体何事色々考えてもラチあかない。姉「悪いけど頼みあるの」私「金と男以外なら協力できるよ」姉「誰がそんなモン頼むかいな、あのね、急なんだけど、29日から急用で留守するの、31日には帰ってくるけど、明日の夜はお父さんもいないのよ、それで悪いけど一晩でいいから泊まりに来てもらえないかな?食事の材料も揃えていくし、レシピも準備していくし、お薬もきちんと時間書いて準備していくから」29日!!!ケケケッケ、バンザイ、バンザイ、バンバンザイ母が横から、私は一人で大丈夫って言うんだけどねぇ、ネェチャン心配性だからって言ってたけど。私「大丈夫よ、旦那は今日から2泊3日で修学旅行生連れて行ったから、今夜から泊まったっていいくらい!」姉「でも、明日、お宅のバアサマ退院でしょ・・・」私「あぁあれね、いいのいいの、今、娘が帰国してるから。そっちに任せておけばいいって」姉「あれねってあんたねぇ。。。(苦笑)」ホッホホ、明日はババが退院するけど、少しだけ逃亡できるわ・・・
2006年03月28日
コメント(3)

■■■■■川内戦国村■■■■■アフリエイトを何気なく眺めてたら、こんなものがありました。こんなのいったい誰が買うの?そして配送は?
2006年03月28日
コメント(2)
我が家のお姑の退院が見事決定私以上に姑の帰還に嘆いているのが舅。明後日29日に帰ってくるらしい。帰ってきて、間食してたら何もならないのだけど・・・舅は舅で、好き勝手な生活が出来なくなるのがイヤなんだと。帰国中の義妹が、どこか糖尿病道場のようなところ無いか探してみる、とは、言ってたけど、あのドケチちゃんが大人しくそんなところに行ってくれるとも思えないし・・・まさか、一緒に食事するようになんて言い出さないでくれ。。。とても無理無理、我が家の食卓は、3歳児の娘中心の食事なんです。だから、ウィンナーはウサギさんかタコさん、ハンバーグはアンパンマンのお顔、オニギリはサッカーボールってな調子ですからね。静かだった20日間が終わってしまう・・・いいんだ、いいんだ、明日は何かしらないけど、姉が相談があるから帰って来いって電話してきたから、娘連れて明日は実家へGOしかし・・・姉が相談って言ってくる事って滅多に無い・・・元気な声だったから。。。いい方向に勝手に考えるのが陽菜子流、どこまでも能天気な私
2006年03月27日
コメント(0)
明日というか、今日になってしまったけど、お花見に行くんです。お弁当持って、その下ごしらえに今まで掛かったけど。明日は旦那もお休み。だから親子三人で近所の公園で花見。桜はまあだ、一分咲き程度だけど、菜の花とパンジーと雪柳が盛り。娘も三歳もなると余計な事喋りだしはじめて・・・「ママ。来週は、桜の花見よ・・・」って。あんた、何回、花見に行くつもりだよ
2006年03月26日
コメント(2)
昨日25日のことです。実家におりました。ちょうど、姉は台所に立ってて、私は娘のそばで居眠りしてました。娘はお昼寝中。家の電話が鳴りました。自分の家の電話じゃないので、最初はピンとこなかった。姉から「陽菜ぁ、電話出て、今、手離せないの!!!」慌てて電話取りました。思わず、いつもの調子で自分の姓を名乗ろうとして、あぁここは実家だったと思い、「もしもし」すると電話の向こうから「奥さん・・」と意味深な話し方。こちとら居眠りの最中で寝とぼけモード全開中で、私「はい、そうですが・・・」相手「奥さん、あのね、おたくの旦那さん、クラブ活動の最中に部室で女子生徒に如何わしい事やっちゃってね、たまたま僕が来てたものだから、何分にも相手は女学生でしょ、警察沙汰にはせずにって保護者にでも話したんですよ、保護者の方もね、示談で済ませてくださるっておっしゃってるんですよ・・・奥さん聞いてるの?」私「はぁ聞いてますけど、ところでお宅は?」相手「僕ですか、僕はね、おたくの旦那さんが担任してる子の親でね、法律関係の仕事してるものなんですよ、でね、たまたまうちの子の練習を見に来てて見つけたんですよ、で、示談でっておっしゃてるんでね・・・・ここで目が覚めた。おたくの旦那って誰?女学生って?担任?クラブ活動?ここの家で、旦那と呼ばれる立場の人間は、親父しかいない、父ちゃん、とうの昔に現役リタイヤ、それ以前に親父は、学校と名のつくものの教員してた時は、仕事先の学校であって、そこは女子は当時いなかった。これってもしかして、間違い電話?私が黙ってたものだから、電話の相手は、ブチ切れ状態になりつつある「おりゃあ聞いとるんかぁ」などと叫びだした。私「あのぅ、うち違いますけど・・・」相手「じゃあ、てめぇは何だ」私「娘ですけど・・・」相手「じゃあおめぇの親父が教師としてあるまじき行為をやったんだよ」私「あのう、どちらにお掛けですか・・・」相手「ごまかされねぇぞ」ココで姉が戻ってくる、どうしたの?手短に話すと、姉が電話代わって姉「あのですね、お宅ねぇ、先日の人と違うのかも知れないけど、番号確かめて掛けていただけませんかね、うちね、よく何とか先生のお宅ですかって掛かってくるんですけどね、全く違います。ごまかしてるのじゃありません。それに、うちの電話は仕事上、全て、会話は録音されてます。せっかくですから、このテープと着信記録を警察に持っていきます。」ここでガチャ切り姉に、こんな電話、前にもあるの?って訊いたら、「○○先生のお宅ですか?って間違い電話は時々あるけど、振り込め詐欺みたいなのは初めて。バカよね、番号通知で掛けてくるんだから(笑)」姉の話しでは、○○先生、3月で転勤らしい、やはり間違い電話でどこかの慌てた人が「先生、栄転おめでとうございます。引越しはいつされますか?」と電話してきたらしい。電話番号はお間違いなく
2006年03月25日
コメント(0)
朝から、ベランダで洗濯物を干していたら、娘がお手伝いするぅ、と鼻歌歌いながら出てきて、ホウキを振り回しはじめた。「ママね、いま、洗濯物を干してるから、菜っちゃん、お掃除はあとでしようねぇ」これでやめるような娘ではない一向にやめる気配はなく、突如、娘の手から放り投げられたホウキは見事洗濯物の上へ着陸。「菜っちゃん中に入ってなさい」で仕方無しに、部屋の中へ。これで、大人しくするような娘じゃない。娘はベランダ入口のサッシを閉めると、「ママぁ閉めちゃった」と笑ってる。「あらぁ閉めちゃったねぇ」と笑ったのもつかの間。娘は部屋の中からニコニコ顔で「カギ閉めちゃった」これには、ママも怒る気力もなく「菜っちゃぁん、ママもお部屋から入るからアケテェ、お玄関を二人で掃除しようかあ」と言って開けてもらいました。。。
2006年03月24日
コメント(2)
毎年、姑が自宅裏庭の家庭菜園にジャガイモを植えつけるのだが、今年は入院中だし、第一、入院してる人がいるときは、ネツク、にかけて、植木類は扱わないもだと思っていたが・・・姑と40年以上連れ添った舅は、実に元気よく、お彼岸にはジャガイモの植え付け。里芋の植え付け。サツマイモの植え付けトマトの植え付け、キュウリ、ゴーヤ、という調子で、見事、植えた。そして現在、春キャベツが植わってるところは、収穫後、今年はとうもろこしを植えると張り切ってる。娘にも、夏には採れたてのトウモロコシを食べさせてあげるね、などと言ってる。しかし・・・病院の姑は、「今年は私がこんなんだから、ジイヤンは畑しないし、陽菜子さんが手の空いたときにでも花でも植えておいて・・・」と、妙に弱気。退院してきて、畑一杯に野菜が植わってたら、どんな気分?
2006年03月23日
コメント(0)
娘の幼稚園は20日で終了式。少し早いけど、今年だけ、幼稚園の改装工事のためらしい。新学期まで約2週間、彼女のお休み、何にしようかな?で朝から毎日元気。現在帰国中の旦那の妹も、朝から起こしに行く始末。今日は、朝から姑の見舞いに行き、その後実家の姉とプールへ行く約束を取り付けた娘。その準備の早いことのなんの。お弁当もさっさと自分のリュックに詰め、水着のバッグとお着替えのバッグを持つと玄関へさっさ。旦那の妹から「年末に会った時より、言葉も行動も成長した」といわれて、「もう3歳だもの」と実に偉そうなご発言。病院に行くと、ナースセンターの看護師さん達にお愛想を目一杯振りまき、お医者様見れば、「お医者様はねぇ病気治してくれるのよ」と叫び、ご機嫌なこと。病室に行った時、一足先に来てた実家の姉が、花をちょうど花瓶に生けてるのを見て「おばあちゃん、お花見行かないといけないから早く治ってよ」とここまでは、とても機嫌が良かったのだ。しかし、そのすぐ後、娘は、突然、顔を曇らせ、私の陰に隠れてしまった。「どうしたの、菜っちゃん?」と言っても後ろから出てこない。それどころか「ママ、ママ・・・」と声も小さくなってしまった。病室の入口に誰かいるのか?何かあるのか?と思い見たら、そこには旦那の弟「やぁ義姉さんも菜っちゃんも来てた。あぁお姉さん(私の姉のこと)もワザワザ来てたんですか。あれぇ姉貴も帰国してたぁ」と言いながら入ってきた。娘は、グスグス、半べそ状態になってきた。姉が、「菜っちゃん、ジュース買い行こう」と抱いて連れ出した。ママァと泣く声が聞こえてきたが、この姉弟とこの母親を三人にしておくと、何が起きるか心配でもあったので、娘はとにかく姉に任せてその場に残った。義弟は、来るなり「いつまで入院してんの?糖尿なんて治るとか治らないとかの病気じゃないだろう。タダで入院出来るじゃなしさ。人には金がないとか言っておきながらさ」姑「何しに来た(怒)あんたなんぞ知らない人から、入院をどうこう言われる必要ない」義弟「知らないってことはないでしょ、息子もわからない様に呆けたか?あのさ、入院する余裕があるなら今月分の家賃、まけてよ。うちの嫁の親だって糖尿だけど入院どころか、病院にも行ってないんだってよ。」姑「うちには息子は一人しかいない。その他の子供は、娘が一人だけ。それも普段はアメリカにいて、今は帰国してる。その二人だけだ。他に以前は猛一人いたらしいけど、それは飛んだ阿呆ガラスのボケサクだったから、勘当したから知らないィ」義妹「トースケ、どの面下げて出てきた(怒)聞けば、あんたの嫁さん、入院しょっぱなに来て、アホなことペラペラ喋って帰ったらしいけど、あんたの嫁さんの親が、糖尿の治療をしようがしまいがこっちには何の関係も無い、余計なお世話じゃ。親子だ思うなら、病院に来て洗濯物を洗って来るとか、お母さんの身体を拭いてやるとかぐらいしてみぃ。何もしないでおいて、その上、来たと思えば、何が家賃をまけろか。帰れ、お前来ると、おかんの血圧上がるわ、帰れ」義弟「じゃあ帰るわ。義姉さん、すませんけど、このドケチババァと鬼小姑の相手頼みます」どこまでアホに出来てるんかいな、このドアホ息子は・・・腹立つなぁ・・・と親娘で話してるところへ、看護師さんと姉に手をつながれて、娘が帰ってきた。そこで、娘が言った言葉は「あぁ良かった、ママもおばちゃんもおばあちゃんも食べられてなかった」看護師「ねぇ菜っちゃん、大丈夫って言ったでしょ」娘「うん、ねえちゃんと看護婦さんが大丈夫って言ったから大丈夫って思ったんだよ」私「(姉に対して)何のこと?」娘「あのね、ママ、さっきね、シロオニが来てたの。怖かったの、取って食べられるかと思ったの。ネエチャンが菜っちゃんの事を抱っこして連れて行っちゃったから、ママ、と、おばちゃん、と、おばあちゃん、が食べられちゃったらどうしようってネエチャンと看護婦さんに言ったら、大丈夫よって言ったから大丈夫かなって思ってね、ジュース飲んでたら、シロオニがね、ネエチャンにね、挨拶もしないで帰っちゃった」義弟は、白のジャケットを羽織ってましたが・・・シロオニとはねぇ・・・
2006年03月22日
コメント(0)
夏休みに能登半島へ旅行に行こうと旦那が言ったのが2月下旬。旦那が実家の母も連れて行きたいというので、能登半島の各市町村へバリアフリーの駐車場、トイレの場所などを知りたいため、各市町村役場・役所へ、観光マップ等の送付依頼のメールを送信したのが、3月1日あちらこちらの市町村から届き始めたのが、3/3。約1箇所の町役場から届かない。。。無いのかもしれないね・・・って話をしてた。やっと届いた3週間目の3月21日に。。。飛脚さんのトラックの便で届いた。。。旦那曰く、きっと、観光パンフレット慌てて印刷したんだよ。頼んでたバリアフリーの設備のことなんて何も記載されてないパンフレットだから。。。かなり慌てたんだろうなこの町へは絶対に足を向けない
2006年03月21日
コメント(0)
姑の入院で、アメリカロサンゼルス在住の旦那の妹が帰国した。無理して帰ってこなくていいよって言っておいたが、そこはやはり娘、母親のことが気になってか、と、思ったら、違ってた。なんのこたぁない、うちの旦那のカースケが、「おふくろは毎日、毎日、うちの嫁を呼び出す、あれじゃたまったものじゃない、トースケは勘当の身だし、俺だけが子じゃない、お前の親でもある」と電話したらしい。そこで、昨日、おはぎ持ってこい発言や、大根と鶏肉ばかりと愚痴ったりすること、などを義妹に話して、病院へと一緒に行った。義妹は、元々、単刀直入にモノを言う、単刀直入というより複数刀直入のように一気に言うのである。今回もそう。延々1時間、一方的に姑は怒られた。義妹は、糖尿病の合併症の怖さを話し、食事療法の重要性は欧米でも一番に言われてることを話し、ここで頑張らなければ、先々もっとつらい目にあうことなどを話して聞かせ、また叱咤しながら姑に言い聞かせていた。義妹が話し終えたとき、姑はひとこと「よくまぁ、親に向かってこうも言えるもんだわさ」その一言で義妹、再点火「娘だから言うんだろうが、わざわざ高い飛行機代出して帰ってきて。あんなぁ。お母ちゃん、親たるもの、子供に心配かけさせないのが親やろ、子供に心配掛けて、嫁さんに迷惑掛けて、どこが親じゃい。あほんだら」あまりの声のでかさと、ど迫力に看護師さんは飛んでくる、他の部屋の人も覗きに来る、面会センターで遊んでた旦那と娘は走ってくる、ちょうど見舞いに来た私の実家の両親は、病室のドアのところで立ちすくむ。そばにいた私は、ムチャクッチャ恥ずかしい立場でした。旦那と二人で、「お騒がせしてすみません・・・」と頭を下げて歩いて回ることしきり。看護師さんやドクターからも、ホドホドで・・と言われて、戻ってきても、親子二人にらみ合ったまま。黙って眺めてた実家の母が、「お義母さん、以前にも言ったけど、この病気はお友達になることが必要。だからお食事の内容もお友達に合わせたものにしなきゃね。そしてね、親はね、どうしても最後は子供の世話に絶対にならないといけないことがあるの。最後、子供に、骨を拾ってもらわないといけないでしょ、こればかりは自分で拾うわけいかない。そしてまた、こうやって病気すると、物理面では迷惑かけずにやっても、精神面ではどうしても心配掛けてしまう。世の中一切気にしない子もいるかもしれないけど、親のことで悩むこと、どうかなって思うこと、それはもう心配掛けてる。どうしたって世話にならないといけなのだから、少しでも負担を少なくしないと、お義母さんがお義父さんとの生活があったように、若い世代には若い世代の生活があるのだから。アメリカからワザワザ帰国してくれてアリガトウの言葉をいいましょう。ありがとう、この言葉を毎日、言ってると、少しずつ何かが違ってきますよ。」その後、姑は、ブツブツ言ってたようですが・・・しばらく親娘で話させてました。その後、姑のところへ、旦那達と戻ってみたら、なんと、ベッドの枕元には間食・盗み食い一切禁止と赤のマジックで大きく書かれた紙が貼ってありました。
2006年03月20日
コメント(6)
昨日、あまりの風の強さに、姑の入院先へ行かなかったら、今日は朝から電話。姑「菜っちゃん、幼稚園休みでしょ、淋しいから顔見せに連れてきてよ」今日は、風はあるけど、昨日より風もおさまったし、実家にも寄りたいし、行くか、と娘と二人で出かけました。舅は、今日はWBCを見ながらおはぎを食べるのだと張り切ってました。先に、病院に行こうと姑のところへ顔を出すと・・・糖尿で入院中の姑は姑「ねぇ陽菜子さん、お姉さん、おはぎ作るんでしょ・・・」私「たぶん、作ると思いますけど・・・明日がお寺のお彼岸のお説教だって言ってましたから、お寺に持っていくぶんを明日作って、家の分を明後日作るんじゃないですかね・・・」姑は糖尿病の治療のための教育入院中なのです。その姑が言った言葉は姑「じゃあ明後日でいいから、私の分も作ってもらって5個ばっかしでいいから、もらってきて」あまりのアホな発言に言葉が出てこなかった・・・ちょうど、検温に看護師さん来られたので私「すいません、義母、食事以外のもの与えていいでしょうか?」ってワザと尋ねてみた看護師さん、笑いながら「与えるって(笑)ダメですよ、今が一番お腹空く時期でしょうけど、これに慣れないとですねぇ(笑)」って。当然です。1個って言うならまだ可愛げあるけど、普通、1度に5個も食うかよ。その後、実家に行って姉に話したら、「懲りないクソババァだねぇ。。。」って呆れてた。私は姑が、これ以上悪くなっても、姉が母に行うような食事管理は到底してやれない
2006年03月19日
コメント(4)
実家の母が、そろそろ人口透析が必要と言われたのは約1ヶ月前。実家で同居してる姉の食事管理は、その後さらに徹底され、姉の痩せ方は傍目で見てもはっきり判るほど。姉自身は、春になって薄着になるからというが、なんとなく心配。しかし、反面、母のクレアチニン値が下がり始めた。先月半ば7.1 今月初め6.0 今日5.8この調子で改善が見込めれば、透析まではもう少し時間が置けるとのこと。ちょっとだけホッとしてるのです。
2006年03月17日
コメント(4)
姑が糖尿病教育入院から1週間。今週初めから始まった、糖尿病のお勉強にも最初はブツブツ言ってた姑だったが、怖いものよね、などと言いながら、真剣に勉強している。運動療法で使いたいので、ウォーキングシューズを買ってきてくれ、と言われたが、言うだけで、金は?立て替えとけってか?姑は姑で何とか病院でまぁまぁおとなしくやってるのだが、問題は舅。毎日、買い物に行って、毎日、食材買ってきては楽しそうにやってるのはいいのだが。。。姉から今日言われたのだが、舅、白髪が減ってる・・・というか、髪をどうやら染めた様子。そして、今までは年中、家にいるときは、作務衣しか着なかった、庭いじりや畑をするときは、ジャージだったが、家では作務衣のみだった。姑と買い物行く時も、家の中にいるときも、常に作務衣。それが、ポロシャツにスラックス、という装いで、なんとなく、着る物まで春の装い。家の中には花まで買ってきて自分で花まで飾ってる始末。それに明日がお彼岸の入りだからと、お供えまで買ってきてる。いままでこんな事一度も見たことなかったのに・・・入院前、姑は熟年離婚をチラつかせていたが、案外、舅のほうが姑よりたくましい生き方をするのかも?でも、離婚されて片方だけ残られたら、いよいよ大変だから、出来るだけ早く別居せねばなぁ
2006年03月17日
コメント(0)
愛リスの逝去で、姉も母もちょっと淋しげ。それでも、わが娘の素っ頓狂な行動、イナバァとかフィギャアスケートと、ちょっと違う発音を叫んでやる姿を見て笑ったり、菜っちゃん替え歌を聴いたりで少し元気が出た二人。母の検査の結果も少しよくてその面では一安心なのだが・・・能天気君の実家の親父。昼過ぎ頃から早々に寝込んでしまった。愛リスの十朗の死が淋しいのだと。晩飯どころか昼飯も食べてないらしい。あの親父、以前、今飼ってる犬の吾朗の前にいた愛犬の「クマ」が亡くなったときも確か寝込んだ、あの時は3日間、メシも食わず寝こんでくれた。自分の嫁さんが病気したって、年やもんなぁ、って言うくせに・・・親父しっかりしてくれよ、手かかるのは舅と姑だけでいいんだよ、これ以上、ネエチャンの心配の種増やすなよ・・・って無責任な嫁いだ妹娘
2006年03月17日
コメント(0)
今日は実家の母の診察日だったので、娘を幼稚園へ預けてそのまま実家へ車を走らせました。朝から実家へ電話したとき、姉の態度がなんとなく気になったので、母、もしくは姉の調子が悪いのかと思いきや・・・実家に行ってわかったことは、シマリス十朗の逝去。昨夜、姉が寝る前に籠の中を覗いた時は、少しだけ目を開けて、すぐ横になったそうです。十朗は綿のお布団にくるまって、お顔の部分だけ自分で隙間作って、お布団の中からお顔だけ出して、本当に眠るように亡くなってました。楽しませてくれた十朗でした。最初は、私が妊娠中、実家の父が「赤ちゃんが生まれたら赤ちゃんの遊び相手に・・・」と飼ってきたのですが、私のところへ持ってきてくれるはずが、私より母が気に入ってしまい、とうとう実家のペットとなってしまってました。娘の菜豚子も、動くヌイグルミのように思ったのか、十朗が大好きでした。最近は、手から餌もやってましたし、十朗も心得てか、菜豚子の手に乗った時だけは、いつものヤンチャぶりは見せず、おとなしいものでした。十朗にはもう一人、いえ一匹、大事なお友達がいました。同じく実家に住む、愛犬の吾朗。吾朗は、今朝から何も食べない、お水も飲まない、ジッと小屋に入ったまま。彼なりに喪に服してるのだと思います。姉が呼びかけても、ちょっと顔を上げるだけ。静かな、吾朗なりのお別れなのでしょう。一つ不思議な事ありました。母の血液検査の結果がかなりよくなってました。きっと母を大好きだった十朗が持って行ってくれたのでしょう。十朗、楽しい日々をありがとう。天国に行っても元気に飛び回って遊んでね、そして、みんなを見守ってね
2006年03月17日
コメント(0)
昼間、姑の入院先へ行くのに、今日はバスで出かけた。いつもは車で行くのだが、黄砂であまりにも汚れていたため・・・本当に前も見えないくらい、汚れていたので、昼から洗おうと思い、娘を幼稚園へ送ってから、途中までJR、乗り換えてバスという交通で行った。隣市に病院へ行くバスは、公営のバスと、民間企業のバスがある。どちらのバスでもいいのだが、たまたま来た公営のバスに乗った。久しぶりに乗ったバスはガラガラ空き、これじゃ赤字も当然だなと思って乗っていたら、私が乗った2個先のバス停から、高齢者の女性が乗り込もうとした。杖をつきながら、一歩、一歩乗ってこられたら、運転手が突然、「お客さん、そんなに乗り降りに時間がかかると、他のお客さんに迷惑だから降りてください」他のお客さんって車内には私も含めて、4~5人しか乗ってない。何が迷惑?誰が迷惑?ちょっと待てよ・・・と思ったら、その乗車してきた女性、「わかりました、降りますよ、でもね、あんた、誰から給料もらってるんかようく考えとけ、このボケェ」って言うなり降りてしまった。私も、いやな気分になりそのバスを降りて、後続の民間のバス会社のバスへ乗り換えて病院へと行った。病院には姉と母が来ていて、その話をしたら、母が言うには、公営のバス会社のみ使える、市発行の無料パスが75歳以上の市民にはあるのだと、その無料パスで乗車すると運転手によっては客の多い時間帯には乗るな、と、いう運転手もいるらしい。しかし、高齢者だろうと、朝早くから病院へ行かなければいけないときもあれば、用事があって朝早く出かけるときもあるはず、それを乗車拒否する権利は運転手にはないはずと思うのだが・・・母はこうも言ってた。あの公営バスの運転手達は、年寄りにならないのだろうし、自分たちが杖を突いて歩くようになることもないのだろうと。確かにそうかもしれない・・・と思った今日・・・じゃない昨日(15日)の出来事でした
2006年03月16日
コメント(10)
実家の父は、性格的には非常なるほどの能天気な人間。神経質な兄と姉は、そんな父の半分でもその性格を受け継げば、きっと、もっと違った人生歩んだのでは?と思うほど。姉なんて、典型的A型人間といわれるほど、整理整頓、潔癖と絵に描いたような人だけど、親父はその点いい加減。これで親子かというほど。わが実家は、お母ちゃんもどちらかというと、能天気、なんだよね。。。だけど、長男と長女は神経質、特に姉の神経質はすごい、だから、ダウンしたかなって思う時もあるんだけど・・・しかし、親父である。これはとにかく、若い頃から能天気が服着て歩いてる、と母がいうほど。父方の祖母は、結構きつい性格だった、子供の目にも、バァバは意地悪ババと写るほど、底意地の悪い姑だったと思う。父の転勤が多かったこともあって、一緒に住むという事は一度もなかったが、2年ほど隣の隣の市に住んだことがあった、その時は、嫁姑の戦いも凄まじかったが、父はどこ吹く風のような状態でいた。お母さんも大変だねぇ、みたいな状態だった気がする。奇遇だが、うちの舅の上司で合った時期もあるらしい。舅に言わせると、部下に対してはいい上司だったらしい、上にも下にもいい人だったというのが、舅の言い分だが・・・家ではね・・・調子いいだけの能天気親父、母が食事制限してるそばで、悠然とコーヒー飲んだり、煎餅かじったり、盆栽、あとは犬やらリスの世話、家事を手伝うでもなし、暢気な親父なのだ。そんな親父のところへ、同期会の案内が届いたそうな。その案内には、同期会の会員メンバーのそれぞれの近況が記されてたそうだが、8割以上が、何らかの病気療養中、とか、リハビリ中、と記されていたらしい、そんな中、父一人、日々ペットの世話と趣味の盆栽と、時間があればコーヒーいれて煎餅をかじる毎日、入れ歯ではなく、全て自分の歯で煎餅かじってます、と書いてあったらしい。(らしいと言うのは姉から聞いたので)あれほど能天気だと、日に3杯も4杯もコーヒー飲んで、ヒマさえあればお菓子食べても、糖尿にもならなければ、生活習慣病も出ないのかもしれない・・・私も親父に似て能天気の暢気ちゃんだから、元気なのかもなぁ・・・
2006年03月15日
コメント(0)
とにかく、隣の家の車の音、うるさすぎ。隣の家は、夫婦二人らしい・・・と、言うのは、義両親もこの土地に40年近く住んでるが、隣とはほとんど付き合いがないらしい。子供は、うちの旦那より、二つ、三つ多いのがいたが、中学卒業と同時期ぐらいにいなくなったみたい。ご主人のほうには、何年も外に女の人がいるらしく、そこに殆どご主人は入り浸ってるらしい。数年前に定年になってからは、時々自宅に帰ってきてるらしい。奥さんのほうは、長年、専業主婦みたい、とのこと。しかし、買い物は、夕方遅くとか、最近では22時前後に買い物してるのを見かけたという噂もある。うちの姑が以前言ってた話に寄れば、回覧板などを持って行っても絶対に玄関を開けないし、うちに持ってきても黙って玄関の外に置いて置く。町内会費等は、いつの間にか班長さんの家のポストに1年分入れてある。自分達が班長の年は、各家のポストに集金袋を自分達で作って、後日、取りに来ますので、玄関先にでも下げておいてください、とメモと共に封筒が入ってるらしい。そんな隣の家なのだが、ここ2~3ヶ月ほど、深夜と早朝に、車の出入りが頻繁。それも、エンジンかけて、何分もブンブンならしたままだし、ドアをバタンバタン、何回もやるし、やかましいったらありゃしない。我が家とは反対隣の人が、怒鳴り込んだらしいが、その時は家の中からは、全く応答がなかったらしい。うちの旦那も仕事の関係上、早朝に出かけたり、深夜に帰宅することもあるので、兎角、車の出し入れなど神経使うのだが、一度、ちらっと見かけたので、声を掛けようとしたら、脱兎のごとく逃げられたらしい。何を考えてるか知らないが、近所迷惑というものを少し考えてほしい
2006年03月12日
コメント(6)
今日の昼食前のこと。今日は旦那も休みで朝から家でゴロゴロ。入院中の姑のところへは午後から行くことにしていたし、階下の舅はなにやら好きにやってるし。実家へ娘を連れて行こうと思ったが、今日は朝から出かけるというし、で、ヒマな午前中を過ごし、さぁそろそろ昼飯の準備でもするかな・・・という時のこと。旦那相手に娘は本の付録の幼稚園バスで遊んでた。時計を見て、娘「あらぁもう11時30分、ママ、パパ、何か食べたいものある?」旦那「ウ~ン、そうだなぁ、何がいいかな?菜っちゃんは何食べたい?」娘「オニギリ!」私「そう、じゃあオニギリねぇ」娘「うん、わかった、菜っちゃんがオニギリ作ってあげる」旦那&私「菜っちゃんが作るの?」娘「うん、今日のお昼は菜っちゃんが作るのぅ」形はともかく、具の量もともかく、ママもパパも世界一美味しいオニギリ食べましたちっちゃな、ちっちゃな、可愛いちょっと形のいびつなオニギリでいしたけどね。
2006年03月12日
コメント(0)
姑が9日、木曜日に入院して以来というもの、舅は意外と元気早朝より、舅のお兄さんのところの牛の世話に行き、昼前には買い物した食料品を下げて帰宅。お昼も自分で作り、食後のデザート用の果物かケーキなども下げて帰って来てる様子。昼食は、13時からのCSの時代劇専門CHを見ながらと決めたらしく、14時からはデザートタイムらしい。15時になったら、洗濯物を取り入れ畳み、風呂掃除を済ませて夕食準備に取り掛かり、下ごしらえのみ済ませると、今度は庭の花々の手入れや裏の家庭菜園の手入れ、17時過ぎた頃から夕食の支度をして、18時頃までに作り上げ、19時までに入浴を済ませ、洗濯機を回しながら19時からTV見ながら夕食。19時50分から20時の間に洗濯物を干す。また20時からTV見て、20時50分頃から21時までの間に茶碗を洗い、21時からコーヒーとケーキを準備してTVをゆっくり見るのだ、と。だいたい23時には寝るのだ、と。バアサンいなくても、大丈夫だよ、とのことだから、放っておいてるけど、毎日あんなに食材買って来てたら、姑が退院してからきっと怒るだろうな・・・と余計なお世話だが思ってしまう。そしてまた、何を突然思ったか、毎日、食後のデザート?姑は糖尿病の教育入院で、食事制限があるってのに、退院して来た後、目の前で毎日、ケーキなんぞ食われたら・・・・考えただけでゾッとするよ・・・しかし、この舅、今までは縦のものを絶対に横にもしなかった舅なんだけど・・・息子であるうちの旦那のカースケもわが父親の変貌には驚いてる。舅をいっそ、シルバー料理教室にでも通わせようかしら?シルバー主夫教室でもあれば、いっそそこに行かせるか?
2006年03月12日
コメント(2)
タイトルどおり、眠ってしまってたのです。今日は旦那の帰りも早くて、食事の前に、旦那と娘がお風呂はいって、その間に私は、夕飯の支度済ませて、ちょっとソファに横になって、そのまま・・フッと目が覚めて飛び起きたら、時計は1時。1時っていつの1時?理解するまでに、10年ぐらい時間が過ぎたみたい起こせよなってブツブツ言ってたら、旦那が出てきて、あんまりよく寝てたから起こさなかったよ・・・菜っちゃんがね、言うんだよ、ママ、おばあちゃんの入院で忙しいから、寝せてあげようって、だから起こさなかったんだよ・・・・ささやかなお心遣いありがとう。でもね、おかげでママ、妙な時間のお腹すいてます・・・そして、1時からずっと起きてます
2006年03月11日
コメント(0)
![]()
姑入院二日目舅のほうは思いのほか元気で、朝から笑顔で洗濯物をほしていた。娘を幼稚園へ送ってそのまま姑の病院へ行こうと思い声をかけた私「お義父さん、菜豚子を幼稚園へ送ってそのままお義母さんのところへ行ってきます。菜豚子のお迎えの時間までには帰りますから」舅「陽菜子さん、悪いねぇ。すまないけど頼むよ、こっちのことは心配しなくていいからってバアサンにも伝えておいてくれんかね。」初めてだ・・・悪いネェ、なんて言われたのは。3月というのにまさか・・・雪でも降るのじゃないか・・・と思わず思った。娘も、幼稚園へ行く道々、「なんだかオジイチャン、楽しそうだね」私もそう思ったが、そんな事、入院中で落ち込んでる姑には言えない。病院へ行くと、一足先に実家の母と姉が来ていた。字の大きなクイズの本と、宮部みゆきの小説を差し入れてくれてた姑は、「昔、松本清張とか横溝正史とかはよく読んだけどねぇ・・・なんだか面白そうだねぇ、」と少し喜んでいた。しかし、病院のご飯が物足りない、朝からもオカズが少ないとこぼして、母から、糖尿の治療だから・・・身体が覚えれば自然となんとも無くなるといわれ、そんなものかねぇ、などと話してた。そこへ、義弟嫁とその母親がお見舞いと称して現れた。露骨にイヤな顔をする姑。実家の母も、ソッポを向く。姉も窓のほうへと目をやる。義弟嫁の母が開口一番:それもこんな顔で「入院なんてエライ無駄な事しましたねぇ」続いて義弟嫁「入院したのにお見舞い来なかったら、また何か言われるかなって思って、だけどお見舞いのお金なかったから、母に来てもらったんですよ。これ、下の花屋で売ってたから可愛かったんで鉢植え飾ってください」この時点で私は逃げ出したい気分だった。同じ部屋の人は、唖然としてみてるし、検温に来てた看護師さんも呆れて眺めてる。姉は窓の外を眺めながら、ため息ついて、姑の顔はすでに怒りモード全開そして、実家の母の顔が、数十年ぶりに見た怖いお母さんの顔になっていた。そして義弟嫁の母親が続いて喋った。「私も10年ぐらい前から、糖尿ですけどね、病院なんぞかかってません、治る病気やなし、まぁおたくさんはお金ぎょうさん持ってるから、病院に寄付してもえぇでしょ(大笑)私はこの頃、少し、足が痺れたり、少し感覚鈍ってますから、足湯行ってます。その方がえぇですしな。そして年も年ですよってに、目もかすみますけど、人間、年取れば、色々ガタ来ますけどね、その度、病院行ってたら金続きませんわ。ガハハ」義弟嫁も一緒になって、本当やねぇ・・・ガハハ と大笑い。私と姉と看護師さんが、ほぼ同時に「あの・・」といいかけたが、それより、コンマ1秒、実家の母が早かった。母「お引取りください。本日はお見舞いありがとうございました。この植木鉢持ってさっさとお帰りください。この部屋には、呼吸器が悪くて入院してらっっしゃる方もいらっしゃるんです。だからこれ持って帰ってください。病院代は、上限額ってものがあるんです。だからお金続くんです。治療しないのはお宅の勝手です。ここにいらっしゃる方々は、少しでも現状から進まないように、少しでもよくなろうとそのために入院されたり、治療されてるんです。そんな方々の前で、大きな声で、それも歯槽膿漏の歯茎出して、大きな口あけて大笑いして。出口はあちらですから、さっさと帰ってください」義弟嫁とその母は、「なんか悪いこと言いました?どうもお大事に」って言いながらスゴスゴ出て行きました。丁度、その時、母の主治医のドクターが、同じ部屋の別の患者さんの巡回に来られてて、病室の入口で事の成り行きを見られてた。義弟嫁親子が出て行ったあと、ドクターは入って来られて「大丈夫ですか、そんなに興奮して、ちょっと血圧計っておきましょうね、・・・大丈夫みたいですね、身体に障りますからね、あんなに興奮しちゃダメですよ」母はいたってケロッとして「先生始め看護師さん、同室の皆様、それにお義母さん、大きな声出して失礼しました。いい年してですね、でもカチンと来ましたもので、すいません」と私達も一緒になって、頭下げ、頭下げ。しかし、同室の他の3人の方からは、口々に「あんな無神経な」とか、「溜飲が下がるとはこのことよ」とかって。姑は姑で、「私もそうそう利口じゃないけど、あのおっかさん、よくよくバカだわ。でも陽菜子さん、なんでアキコ(義弟嫁)さんに入院したこと教えたの?」私「一応、トースケさんにも知らせとかなきゃって思ってですね」姑「でもさ、あの夫婦、まだ綱渡りみたいな生活してるのよね、お見舞いの金が無いから、実家の母親連れてきただって。あの夫婦には、今後一切、何の連絡もしなくていいからね、だって勘当したのだから」その後、ナースセンターに、義弟夫婦とその関連は面会お断りを頼んで。帰宅後、舅に義弟嫁と母親の言動を話したら、「だから、あの嫁はイヤだったんだよね、ろくなものじゃない。あぁいうのを言うんだろ、最近はやりの鬼嫁ってやつだろ、ジイサンも少しは知ってるんだよ」鬼嫁・・・ちょっと違う気もするけど。あの母親にしてあの娘有りかな。と、すれば、私の短気は、実家の母ちゃん譲り、じゃ、天然ボケは親父譲り?
2006年03月10日
コメント(2)
姑が本日より糖尿病で入院。午前中入院だったが、何時頃まで着いてないといけないか不明だったので、幼稚園のお迎えが間に合わない時のために、園長先生と、担任の先生に事情を話し、実家の姉がお迎えに来る事を伝えておいた。担任の先生は、「大変ですね、お義父さんのお世話・・・」とよくご存知。娘を幼稚園へ送ってきて、帰ってきてから、姑を病院へと連れて行った。舅は、今日は親戚の家の農業手伝いを休んでくれるのかと思っていたら、早々に出かけて留守。軽薄な奴だと思ったが、留守なら留守でその方がいい。少し落ち込み気味の姑。毎日会いに来てね、週末には菜豚子も連れて来てね、と、大げさな奴。入院手続きをし、病棟へ行き、色々説明を受け、診察が済み、ドクターの説明を聞き、帰ってきたのはもう14時過ぎ。やっぱお迎えは間に合わなかったと思い、家に帰ってきたら、1階の義両親宅に電気が着いてる。「あらいやだ、ババだね、電気だからいいような物のこれがガスなんかだったらどすするのよ」と言いながら消そうと部屋に入ったら、舅が台所にいた・・・舅「あぁお疲れ様。無事入院したね。菜っちゃんをお迎えに行ったら、お姉さんがお迎えに来たって先生に言われてねぇ。それに、陽菜子さんがお姉さんに渡すようにって言ってたから、指名された人以外が迎えに来ても渡さないんだってねぇ・・・ハハハ」私「無事、入院されました。ところで、お義父さん、お昼ご飯は・・・」舅「うん、あのね、自分で作って食べた。ばあさんがおたくの実家から色々、調理方法を書いた紙をもらってたから、それを見ながら作ったしね、晩御飯も自分で作ろうと思ってな、今夜はシチューを作ろうと思って材料も買ってきた。」台所のテーブルの上には、買い物してきたと思える野菜や肉がヤマ私「上にいますから・・・」だけ言っていざ2階へ。帰り着くと、娘は姉にオヤツを作ってもらいご機嫌。姉に、「ジイヤンが・・・」と言いかけると姉「そうなのよ、ジイサン一人で家にいて、昼も食べてないって皮肉言い出しかねないから、一応、サンドイッチ作って持ってきたのよ。それが、11時半頃、そうしたらさ、ちょうど台所でお昼を作ってるって、夜、シチューをするから、その時、このパンは戴くって言うじゃない。急にどうなったの?」私「こっちが聞きたいわよ、今だかって、自分でご飯の準備なんてしたことない人だよ、バアサンが留守なら、ご飯に塩かけて食べるような人だよ。それが、シチューだからね」姉「お昼は、自分で焼きそば焼いて、モダン焼き作ってた、お姉さん、お昼は?なんて言って・・・」姉と言ったことは、案外、バアサマいなくて爺やん、元気になるかも夕方、娘が犬の散歩に行くので、階下に下りると、本当にシチューの香り。舅に、声を掛けると、「気をつけて行ってらっしゃい」こんな事今までなかった・・・娘曰く「初めてオジイチャンが行ってらっしゃい、言ったよ」旦那が仕事から帰ってきて、親父の様子見てくるって降りて行って、10分もしないで戻ってきて言うには・・・食器も全部綺麗に洗い終わって、居間のテーブルの上には、コーヒーとロールケーキが並べられてて、9時からけものみちの最終回を見なきゃいけないから、TV見ながらゆっくりコーヒー飲みながら、ロールケーキ食べるんだと。旦那が舅に、明日でも、おふくろを見舞いに行くのかと尋ねたら、別にいいじゃろ、バアサンの顔見たところで何も楽しくもない、と答えたらしい。そして、1階のお縁の外には、きちんと舅の洗濯物が洗濯されて干されてたので、洗濯したのか?と尋ねたら、風呂入って、洗濯も済ませたから。やっぱ、あいつは姑がいないほうが元気?
2006年03月09日
コメント(0)
わが娘。ただいま3歳と5日身長92センチ 体重14.2キロ見た目は子豚というか大福餅というか、母親にも父親にも似ず、母親の姉に似たのか、とても色白。そこにピンクのホッペで、今の時期、ちょっとしたイチゴ大福か?そんな娘の今朝。野菜サラダとコーンスープ、それに昨日、実家からもらってきた姉手製のモーニングロールをテーブルに積んでいた。娘は、市販のモーニングロールはあまり好きじゃないが、姉のお手製のだけは良く食べる。あいつは、姉が作ったものはなんでもよく食べる。娘に言わせれば、「ネエチャンは、お料理が一番上手な人」らしい、ちなみに一度、ママのお料理は?と尋ねたら、しばらく考えて「三番目かな?二番目が菜っちゃんだから」と言われた。娘は姉の手作りパンと喜んで食べ始めた。「ママ、パンのお代わりしていい?」と、言うので、「うん、いいよ」と言ったところで、今日から入院する姑が来たので、玄関まで行ってた、その5分ほどの間に、無くなってるテーブルの上の皿の上に山積みしていたパンの山がない4個しかないのだ数えてみた・・・私が1個、娘が1個 残り4個姉から貰ってきたのは、15個。昨日、5個を義両親へ確かに渡した。だから、残り10個あった。と、いうことは、私が玄関に立ってる間に、娘は一人で4個も食った?と、いうことは、合計5個も食べた娘に聞いてみた「菜っちゃん、パンのお代わり四つしたの?」娘はニコニコして、「美味しかったよ、ネエチャンの作るパン大好き。5個も食べちゃった」ちなみに、姉の作ったモーニングロールは決してミニなどではありません。普通の大きさのモーニングロールです。娘の辞書にはダイエットという文字はない・・・
2006年03月09日
コメント(0)
先日より気になることがあって、今日はゆっくりと姉と話せる時間があったので、思い切って聞いてみた。他人事じゃない気がしたことが先日あって、それ以来なんとなく気になってたからだ。姉は、約1年前まで、本当にバリバリに仕事をしていた。多少具合が悪くとも、気を張ってればなんとでもなるとういう人だった。仕事は這ってでも行く、そういう人だったのだ。だから倒れた当初も病院のベッドの上で、「私は寝てるヒマなんて無いのです。仕事行かなきゃいけないんです。今度の契約は、大事な契約なんです。会社にとっても私にとっても大事な契約が控えてるんです・・・」って切羽詰まった口調で何度も何度も話してた。そこまで仕事に掛けてた姉だった。その姉が、昨年春に倒れて1ヶ月の入院生活の後、会社も退職し、会社側は休職⇒復職というパターンを勧めてくれたが、姉は、何か吹っ切れたように退職してしまった。その後は自宅で、日々、母の看病をし、家の中のことを一人で頑張ってる。母は決して、子供を同居という言葉で縛ろういう人では無いのだが、やはり姉がいるといないとでは大違いの様子ではあるのだが・・・姉のことは、兄も心配していた。姉一人に、母のことを押し付けたようで・・・と、私も、常々気にはなってたが、先日、近所に住む人と話して以来、余計に気になってたのだ。姉に先日の出来事を話し、姉一人に押し付けてるようで・・・といいかけたところで、姉は、少し笑って話し始めた。姉「その女性のことは以前から知ってる。大学は違うけど、大学時代、住んでた所も近くだったし、会社も違って言わばライバル企業だったけど、仕事の関係で会うこともあったし、帰省するとき同じ飛行機に乗り合わせたりすることもあったし、月に1度の診察でもよく会うし、先日6日の診察の時もあって、妹さんに話を聞いてもらったんですよって感謝してたよ(笑)」一呼吸置いて姉「不安がないって言えばそれはウソ、大ウソだよ。でもね、誰でも大なり小なり不安に思うことはあるのじゃないかと思うし、もちろん将来に渡っての経済的不安ってものもあるけど、いよいよ食えなくなったら食わなきゃいいって思ってるし、たださ、ミイラ化されて発見なんてのはイヤだから、自分で食えなくなったな思ったら、墓石の下にでももぐればいいって思ってるし、そうならない程度に収入は得たいけど、いつ仕事に復帰できる身体になるかってのは、そりゃ判らない。」また一呼吸置いて姉「だから、食い扶持取れる相手見つけて・・・なんて事は今はしたくない。ただね、おたくの近所の彼女もそうだけど、彼女はきっと経済的不安っていうよりも、淋しかったのじゃないかな、よくわからないけど。心の飢えっていうのかな。毎日、毎日、親御さんの面倒見て、食事作って、洗濯して、掃除して、たまに妹達が訪ねてくるからって、あまり話し相手にならないようなこと、この前の診察のとき言ってたよ。なんかね、たまに来ても、お母さんをもっとリハビリ連れて行けとか、親父さんが呆けてるって怒ったりとかね、それでいて、親も何にも言わないだけじゃなくて、缶詰やら何やらって持たせるらしいのよ」ちょっと冷汗・・・姉「で、兄貴さんが今度、嫁さんの実家の方に仕事も転職して行くんでしょ。本人としては何だか自分だけ取り残されていくような気分じゃないかな?うちなんかも、お母さんの病状が悪化した時、4人いるじゃない兄弟が、陽菜子は嫁に行って姓が変わっても娘には変わりないでしょ。だから4人いるのには変わりない。私だって仕事してるし、兄貴ももちろん仕事してる、弟も仕事してる、だけど陽菜子だけは仕事してない。でも菜豚子は赤ちゃん、兄貴、これにも守る家庭がある、嫁さんいて、こどもいて。弟、こいつ独り者、でも殆ど日本にいない。就職してこの方、何年国内の本支社にいたか?丸2年はいなかった、今後もあいつはそうだろう、じゃあ私?独身、だからこそ働いて頑張らないと・・・通帳と3日ぐらいにらめっこしたよ。お金貯めたよ、使う暇なかったもん。忙しくて使うヒマなかったからね。車、会社の車使ってばかりだったから車も買わなかった、で、思ったの、少し、自分自身って車のアクセルを緩めようかな?帰ろうかな?高校卒業して大学に入るって名目で出たあの家に帰って、家から会社行こうかな?仕事終わって帰ったら、お風呂が沸いてる家に帰ろうかなってね」姉はにっこり笑って話し続けた姉「上司は反対したよ、いま、支社への転勤希望は君の将来へ置石をするようなものだってね。でもさ、本社の社長になれるじゃなし、ある程度まで行けば関連企業とかに追い出されるような巨大企業でしょ。そこで思った、上司は変わるけど親は変わらないってね。人事の当時の課長が同期だったから、そっちに直接行って、1年半前、転勤してきたのよ、でも思えば、その頃からなんとなく体調悪かったのよね。最初は、実家に帰ってきた甘え心かなって思ってたけど、だんだん物が食べれない、始終だるい、眠れない、そのうち立ってる事がとても苦痛で、柱が抜け落ちたような感じでね、倒れた当初は、会社で戦線から抜け落ちることは敗北のような気がしてたの。子供の頃から負けることは、恥辱のようにも思ってたのね。だから入院してすぐは、絶対に返り咲いてやるって思ってたの。その次に思ったのは、病気になるという事は、自分自身に負けたのだって思ったの。自分は落伍者だとも思ったの。弱いくだらない人間だとも思った。入院して最初の3日間ぐらいそういうこと考えてたのね」姉はコーヒーを注いできてまた話し始めた姉「入院して4日目ぐらいだったかな、生命保険会社の人が診断書の用紙持ってきてくれたの。入院給付金の手続き用のね。で、思った。病気した時のために私はこれを掛けてた、いつかは負ける事を覚悟してたのか?違うだろ転ばぬ先の杖、で掛けてたんだろ、で、ふと見渡すと、最初に入れられたハイケア室って重症患者さんばかり、そこでみんな頑張って生きようとしてる、生きるというのは勝ち負けじゃない、モノゴトは、勝ち負けで決められないことのほうが多いんだって、巷で言われ始めてた、勝ち組とか負け犬とか、そういうの聞くたびにバカかって思って聞いてた、第一犬に失礼じゃないかって思って聞いてたけど、勝ち負けで判断しようとしてた自分の心を私はその時初めて、心底、自分で自分を恥じた。戦線離脱ぐらいいいじゃないの。私は、お母さんの看病をしようと思って、自分から希望して転勤して帰ってきた、実家から支社に通うようになって、チョクチョク菜豚子の顔も見れるし、犬の吾郎にも毎日会えるし、リスの十郎にも会えるし、一人暮らしの時には無かったことがある。人間100%はないなって思ったら気が楽になってきて、それからだったね、少し血圧も正常になってきましたって言われて一般病室に移れたのは」姉「で、考えたのよ、仕事辞めちゃおうかなって。年も年だから再就職は難しいってのはわかってたけど、もう正社員じゃなくてもいいやって。ギアを入れなおして、もう走るのイヤだったの。もうアクセル踏みたくなかったの、もう高速道走りたくなくなってたの、モッタイナイっても言われたし、退職するならうちの会社にって言ってくれた人もいたし、関連企業に戻って来てくれないかって声かけてくれたり、今でも声かけてくださる会社もあるけど、もう少し、パーキングにいたいの。お母さんの病気のこともあるけど、自分自身をもう少し見つめなおしたいのもあってね、確かに不安で何とも言えない淋しさにどっぷり浸かる時もあるの、だけどさぁ、おたくの子豚のね、あの素っ頓狂な声を電話で聞いたり、兄貴のところのワンパク共の声聞くと、何とも言えない楽しい気分になったりするしね、まぁうちの場合は、他の兄弟が気にかけてくれるのと、親たちもできる限り、子供に迷惑かけないように、でも、どうしても最終的には子供に葬式は出してもらわないと自分の骨は自分では拾えないから感謝の気持ち忘れずにって常々言ってる人たちだから、こっちも頑張ろうってきになれるのよね。子供に同居してもらわなきゃみたいに言われるとカチンとくるけどね」姉「ま、淋しいのは淋しいよね、でも、菜豚子と話したり菜豚子の好きなもの作って食べてくれる相手がいるってのは小さな幸せ、そして食べてもらって美味しかったよ、って、大輪のひまわりのような笑顔が見れるのは、これまた大きな喜び。心のうちを話せる場所があるということはとっても幸せだと私は思う」姉はそれだけ話すと、朝からねモーニングロールたくさん焼いたの。持って帰って菜豚子に食べさせて・・とのこと。何だかいつも色々もらって悪いね・・・って言ったら、いいってことよ、姉は元気に笑ってた。姉は子供の頃から私と違って色白な人だったけど、今日の姉は特別、白くまた美しくも見えた
2006年03月08日
コメント(6)
数日前から、マウスの左クリックの調子が悪かった。なんとなく、中のバネが切れたような感じ、カチッという音が少しおかしくなって、今朝はもう殆ど動いてくれない状態。それでも、なんとか騙し騙し使っていたが、どうにもならなくなってきたので、今朝、取り合えず、左利き用にセットしなおし、右クリックと左クリックの機能を入れ替え、使ってみた。まぁなんとか使えるが、どうにも使い心地が悪い。そこで仕方ないので、近所の家電量販店に買いに行ったら、なんとそこは、先週末までで閉店していた。実家のある隣市まで行けば、量販店は幾つもあるし、大型スーパーもあるのだが、マウス一個にガソリン掛けて走るのもモッタイナイ。ネットで購入も考えたが、今のところ他に購入するものもないので、送料がモッタイナイ。9日には、隣市まで行く用事があるから、それまで我慢するかと思ってたところで、旦那から電話がはいった。そこで思いついた、旦那は貸し切りバスの運転手である、ちょうど電話してきた時間、乗車させてたお客様たちは、どこかへ見学に行ってるらしい。そこで、今夜の宿泊先の近くに大型家電販売店など無いか尋ねたら、宿泊先のホテルの前にヨ○バシカメラがあるというじゃないの!!!今夜中に購入し、明日、持って帰ってきて、と。明日まで、この不自由なマウスで頑張るから。しかし、長年、覚えてる手の動きって簡単には変更できないものです。マウスをクリックするように、人間の手はいきません
2006年03月07日
コメント(0)
今週初めから、娘は3歳児4月入園までの繋ぎ期間であるイチゴツボミ組さんへと移動。3歳児となるため、制服着用、それにお道具なども一気に増えたが、このイチゴツボミ組さん、今までのクラスの子が4月までの繋ぎで入ってるクラスだから、みんな顔見知り。「菜っちゃん、やっと来たの」「そうなのよ、やっと3歳になれたのよ」って、妙な会話。クラスが違うとぐずったりすのじゃないかって心配する親なんぞ知らん顔。2歳と3歳の差の大きさを感じますねぇって先生に言ったら、3歳と4歳の差も大きいですよ、と言われた。子供の1年、1年の成長は大きいものなんだと改めて感じたのです。その分、ママは年取ってるのよね・・・
2006年03月06日
コメント(0)
4日に糖尿病で入院が必要といわれた姑。それでも、4日の夜は、孫の3歳の誕生日に託けて、食べる食べる、飲む、飲む、そんなに食べて飲んだら、糖尿のほうだけじゃなくて、胃やら血圧が心配になってくるほど、飲んで食べて、そりゃあもうご機嫌で階下の自分たちの家へと戻っていきました。いつもはドケチの舅が、「今日はこの人の大食い最後の日だから、大目に見てやってくれんか」と、なんだか舅は舅で、引導でも渡されたような発言。旦那と、大丈夫かね?って云いながら、一応、アメリカ在住の義妹にだけは、入院すことになったこと連絡しておこう、と話して、電話して事の次第を旦那が告げた。すると、義妹が電話を代わってくれと言ってるという。代わると義妹は「ごめんね、迷惑掛けるね、帰国して親の入院中の世話しなきゃいけないのだろうけど、どうしてもいま急には動けないから、15日前後には一旦帰国するように何とか調整するけど、ごめんねぇ」としきりに云われると、こっちもね、義理人情ってもので、「世話するたって、動けないのじゃなし、身の回りのことは自分で出来るでしょうし、基準看護の病院だから、付き添いは原則認めてないから、なんとかなるんじゃないかな?・・・」「問題は親父だけどさ・・・親父はトースケのところに預けなさいよ、かまうものですか、あそここそ、子供もいないし、預かるように私からも言うから・・・」と簡単に、義妹は言ってくれたが・・・。30分もしないうちに、義弟から電話がかかってきた。言わんこっちゃない。「親父は預かれない」義妹が、入院費を手伝うか親父を預かるか、二つに一つだ、と突きつけたらしいが、相変わらず、金はなし、の、義弟夫婦、親父が持参金着きでくるなら預かると義妹にも言ったらしい。挙句に、糖尿病って入院しなくても甘いもの控えれば治るだろうという始末。そういう誤った考えが、トンでもない結果を生み出すということをカースケが義弟にコツコツと説明していたが、あいつのオツムの程度じゃ理解しえないだろうと私は思った。舅の食事は、私が作って下に持って行くことにする、しかし、食費はいくらか入れてもらいたい、あと、洗濯や掃除は自分で行って欲しい、と旦那と二人で、話して、5日の朝からその旨を伝えに降りて行った。すると、姑の姿はすでにない。私「お義母さんは?」舅「うん、何か知らないけど、買い物でも行くのじゃないか、化粧して着替えて出かけた」私「入院に必要なもの買いに行ったのですかね」舅「たぶんそうじゃろ、昨夜、下着なんかは新しいのを揃えておかんと恥ずかしいしなって言ってたからな」その時はそういうことで、舅に姑入院中の提案をした。すると、舅は、意外にも、姑入院中は、自分で煮炊きして食べる、身の回りのことも自分でする、但し、このただしがクセモノ。入院費用を手伝ってもらいたい・・・そらぁきたぁと思っちゃった。言うと思ったんだ。舅曰く、とっさに使える現金はこれだけなんだ、と、見せた通帳の残高は・・・これくらい入ってれば大丈夫なんじゃないの?って額はあったが。「お義父さん、高額療養費の払い戻しってのがあるんですよ、相談すれば幾ら内金だけして残りの支払いを生命保険金の給付まで待ってくれるし、分割等も聞いてくださるんですよ。あの病院には、母も入院したし、父が鼠径部ヘルニアやった時も入院したし、姉が倒れた時も入院したし、何しろお産で入院しましたので、支払いに関しては説明を聞いてますので心配いりませんよ」舅「実家のお父さん、手術した時、何千万?それとも何百万?」私「何万円でした。母もそんなものです。姉はちょっと高かったけど、百万の単位じゃなかったです。私のお産の時も百万の桁いきませんでしたから」舅「あぁそう、大丈夫だね・・・良かった、あのね、一応、親戚にも入院すること連絡したから・・・」アホクサ、大げさな、と、思ったけど、好きなようにさせとこうと旦那と話して、そろそろ起き出そう娘の待つ2階へと上がって行ったのは5日の朝8時頃のこと。その時は、姑は、やけに早く買い物に出かけたものだ、日曜は開店が1時間早いからなぁ、としか思ってなかった。買い物行ったり、ゲームセンターで娘と旦那が遊んだりして、夕方帰って来た時、1階に声をかけたが、静まりかえっていたので、その時は、舅も姑も昼寝でもしてるのだろうと思っていた。夕方、夕飯の支度をしていたら、舅が上がってきて、舅「陽菜子さん、妙な事聞くが、うちのババァの入院は今日からじゃないよね」私「そうですねぇ。月曜日に再度連絡して、できれば大安の日がいいからってお義母さんが希望してましたので、病院のベッドの関係もあるから、月曜日に再度、私が連絡するようにしてますけど・・・」舅「そうだよね、いやね、うちのババァ、朝出たきり、まだ戻らないんでね。それで、ちょっと気になって・・・」時計はもう夕方5時半を回ってる。私「朝、何時に家を出たのですか」舅「6時半頃かな」娘を膝に乗せて、遊んでた旦那も娘を抱えたまま走ってきた。旦那は舅に「なんでもっと早く言わないんだよ」と叫びながら、「お袋の携帯に電話したのか」舅は、どこか暢気に「いいや、まだだけど」携帯は{ただいま電波の届かないところ・・・}のメッセージのみ。それから、大慌ててで、舅の兄弟のところから、姑の友人宅、まさかとは思うが義弟のところ、この義弟嫁のアキコがまた腹立つ女で、「お義姉さん、お義母さん、糖尿病なんでしょ、良かったですね、食べる量減って食費浮くんじゃないですか、私の実家の母も糖尿ですけど、病院なんてかかってませんよ、だって治る病気じゃなし、この頃は足が少し痺れるから足湯にでも行こうかなって母は言ってるんですよ、糖尿病で入院するなんてモッタイナイ」この発言には、私もブチ切れて「あんたといま、そんな事話してるヒマはないんだよ」私の叫んだ姿に旦那も、舅も唖然。娘だけが、「ママ、なんだかカンコウイイ」そういう問題じゃないのよね、菜っちゃん・・・そうこうしてるうちに、心配した舅のお兄さん夫婦やらお姉さん夫婦が次々と訪れる。心当たりは全部探したが、見つからない。どこ行ったのだろうかと言っていたら、実家の姉から携帯に電話私「姉ちゃん、ごめん、今、取り込んでてて、悪いけど、あとで電話するから」姉「あとで電話しなくていいの、あんたのところのオバアサマを今から送り届けるから」私「えぇまさか、そっちに行ってたの」姉「しらねぇわよ、友達とカラオケ歌いに来たら、入口のところで一緒になって、歌うだけ歌って、寝ちゃったのよ、とにかく連れてくから」それから20分ほどして、姑帰宅。それから、ゴーゴーと高いびきで寝ること3時間。オバアチャン、すごいイビキねぇと娘は笑いながら、6日の朝早い旦那と二人で先に2階に上がって、寝ました。親戚中、見守る?怒りで見守る中、姑は起きあがって、「ここどこ?」それまで待ってた姉が、カラオケ屋さんの入口で泥酔して支払いしてた姑に会ったこと、それから、酔い覚ましと言って、2時間一人で歌いまくって寝入ってしまったことを話すと、姑は、ポツポツと話しはじめました。会社の同僚が一人、糖尿病から合併症が進んで、昨年暮れに、片足膝から下を切断し、目も失明寸前になってる、そして食べても食べてもお腹が空いてる状態になってしまってること、その同僚の婿は、餓鬼道に落ちたのだと言って、家を出てしまい、今は仕事も辞め、本人は一人で家にいて、週に何日か来る娘さんが世話してるとのこと。自分もそうなるのか、と思うと、淋しいやら辛いやらで、どうしていいのかわからなくて、生まれ故郷の鹿児島に帰ろうと思ったけど、この年になるまで一人で旅行などしたことも無いから、自分で切符も買えないし、どこ行きに乗ってどこで乗り換えればいいかもわからない。飛行機に乗ればいいんだと思ったけど、鹿児島行きの飛行機はどこから飛んでるかわからない。そこで、時刻表を買おうと本屋さんへと行ったら、糖尿病の食事の本がたくさんあって、買うのももったいないと思って図書館行って、同じような本を探して読もうとしたけど、老眼鏡忘れて、字が読めない。それで仕方なく、図書館出たら、ちょうど、温泉センター行きの無料バスが来たので、それに乗ってお風呂はいってたら、どこかの団体さんが、気持ちよさそうにカラオケ歌ってた、カラオケなんて何年も行ってない、どうせ老い先短いなら、カラオケでも行こうと思って、カラオケ行って、歌って飲んで、これくらい飲んでその付近に転がってたら、凍死するかな、なんて考えて出てきたところで、うちの姉に会ったのだ、と。姉に会ったら、途端に里心ついて、また歌いたくなって、歌ったような気がする・・・けど、その辺りはよく覚えてない。いい加減にしろよ、コノクソババァって叫んだらどれくらいすっきりしたことか。「いい・・」って言いかけたところで、姉が、「お義母さん、この前も話したけど、きちんと治療すれば、進行はかなり遅れるの、きちんと治療して天寿全うする人もたくさんいるの。一病息災って教えたでしょ。入院して、食事療法して、きちんとした運動して、インシュリン打ってね、先生おっしゃったでしょ。ある程度、落ち着いたら、インシュリンから、内服薬に切り替えるって。おっしゃらなかった?おっしゃったでしょ。お義母さんの同僚の人は、お医者様の言うこと聞かなかった人、きちんと治療しなかった結果なの。菜豚子は6日から幼稚園の制服着て、イチゴツボミ組さんに行くんだよ、4月からは、ツボミさんじゃなくて、イチゴ組さんでしょ、その翌年はまた年中さんで、その次は年長さん。そして小学校でしょ、菜っちゃんの花嫁姿見るまでまだまだ時間たくさんあるんだよ、それまで元気しておかなきゃいけないんだから、真面目に治療しようよ、ね」ねえちゃんらしい・・・姑は、まるで、手なずけられた子猫みたいにシュンと大人しくなって、ウンウンってうなづいてる。そこへアメリカの義妹から電話がはいった。舅が電話したらしい。アメリカに電話したところで、どうにもならないのだが・・・結果、娘からかなり怒鳴られたらしい。挙句に言うことが、「陽菜子さんのお姉さんは優しいのに、うちの娘は冷たい」親戚一同には、頭下げて、お騒がせしました、と、頭下げて、その親戚は、親戚で、姉に頭下げて、カラオケ代とガソリン代払いますから、いえもう結構ですから、改めて、お礼に・・・という応酬があって、姉が帰ったのは、5日どころか、日付が6日に変わってからでした。あとで聞いた話、6日は姉は月1回の診察日だったそうで。クソババァは9日から入院決定。
2006年03月05日
コメント(2)
3月4日、土曜日天気晴れ。この日は娘の3歳のお誕生日。娘の大好きなアンパンマンケーキを作って、赤飯炊いて、娘の大好きなロールキャベツ作って、全てを一旦冷蔵庫へいざ、娘は実家に預けて、何分にも彼女は、実家では実家でケーキを食べる所存なのだ、だから、実家に到着した時点で、「ママ、パパ、バイバイ」私の実家で、姉からチョコパフェとこっちでは、ハムちゃんケーキにミッキー巻き寿司を食べるのが彼女の計画なのだ。ただし、この日は娘が実家に行ってる間に、行く予定のところがあった娘に、ママとパパがお迎えに来るまで、向こうのおうちで遊んでてくれるかな?と尋ねると、娘は、ラッキーというような顔でOKと鼻歌交じり実家に行けば、姉の古くなったPCで思いっきりゲームはさせてもらえる、大好きなチョコパフェは作ってもらえる。なんでも好き放題で、大きな犬はいる、リスは籠から出す。そしてなんと言っても姉の部屋には、自分と同じくらいの大きさのキューピーさんとサトちゃんがある、(なぜ、あんなでかいQPとサトちゃんがあるのかは不明だが)他にでかいスヌーピーもいれば、クマのプーさんもある。ママやパパがいないと、オネエチャンのお人形をイタズラしないのよ、と言われる事もなく、思いっきり遊べるので大好きなのだ。別に姉も何も言わず遊ばせていいよって言うけど、うちの娘、いつかは貰って帰るつもりでいることを姉は未だ気づいてない・・・とにかく、娘を預けていざ、姑のかかってる病院へ。この病院、土曜日は外来が休みなのだが、ドクターは土日関係なく、入院患者さんがいるので出て見える、それで時間を取ってもらい、姑の病状を聞きにきたのだが、待ち合わせ時間の10分前になっても姑は来ない。舅のみ、来た。旦那が舅に「オフクロは?」と訊くと、「怖いからって車から降りてこないんだよ」旦那が、バカかとブツクサ言いながら駐車場まで迎えに行った。姑は、憮然とした顔で、「あんたらまで一緒に話を聞いて病気が良くなるものじゃなし・・・」と、むくれて、というより、ブクレテと表現したが良いような顔。それでも、約束の時間にきちんとドクターが見えて、検査結果から説明された。思いのほか、重症というか、ドクター曰く、重篤な状態。最初の診察の前日、思い切り水ばかり飲んでたそうな。それで少しだけ血糖値は低かったが、HbA1cは10.5もある状態。その後、負荷試験も行ったが、間違いなく糖尿病と診断。これはもう、入院して食事療法してインシュリンも打って、そうやって治療しないことには、倒れますよ、とのこと。実家の母も長年、糖尿病だったが、A1Cが10なんて聞いたことなかったので、思わず、ドクターに、「すみませんが不勉強なもので・・・A1Cっていったいどれくらいまで上がるのですか?」と聞いてしまった。幸い、ドクターは母の主治医でもあるので、わかっててくださって、「お母さんは血糖コントロールは長年うまく行ってたのですよ、どちらかと言うと、若い頃から少し腎機能が弱かったのを、以前の先生が気づかなかったのでしょうね、でもね、こちらのお義母さんは、このままだと合併症への特急列車に乗車されることになりますよ。」姑は、半泣きの顔で、「みんなで私を脅して、陥れようとしてるんでしょ・・・」と、精神的にまいってるのか、混乱してるのか。ドクターはこのままでは外来での治療は難しいこと、糖尿病教室にも参加してもらっての治療が必要な事、他に眼科等での検査も必要な事を説明されて、姑はともかく、舅のほうが、早急な入院をと返事する始末。一応、週明けに再度、連絡するということで、義両親とは病院で分かれて、娘を迎えに実家へ。娘は、お腹一杯食べて遊んでお昼寝中。母から、糖尿病用のレシピをコピーしてもらい、入院治療することになった旨を話すと、母と姉、口を揃えて「あのバアサン、気を点けておかないと、隠れて買い食いしかねないよ」確かに、と、旦那とも言ったのです。全く持ってやりかねない。週明けには入院の依頼をして出来るだけ早めに入院させようと旦那とも話して、帰ってきたら、姑が玄関のところで待ってる。「今夜は菜っちゃんのお誕生日会するんでしょ、一緒にご飯しようと思ってね、菜っちゃんの好きな海老フライとフライドチキン作ったからね」こいつ、孫の誕生日にかこつけて・・・3月4日の夜は、姑は、しっかり食べて、しっかり焼酎も飲んで。しかし、翌日、とんでもないことをやってくれるとは思っても見なかった。
2006年03月04日
コメント(0)
今日は実家の母の病院での診察日。そして、うちの姑も診察日。姑はともかく、母のことが気がかりだった。先々週の診察では、腎臓の機能の低下が一段と進み、そろそろ透析を・・といわれてたので、色々思い悩むことも多かった。母の診察にはいつものように姉が付き添う。私は娘を幼稚園へ送り届けた後、病院へと向かった。姑には一人で一足先に行かせていたが、病院へ行ったら、しょぼくれた顔の姑は、実家の母と姉にべったりと寄り添うように座っていた。姑は糖負荷試験だったので長く掛かるが、母は通常の検査と診察だったので、そうそう時間は掛からない。母は、サバサバした様子で、「透析しなきゃいけないならいけないでね、お医者様信用してこの先生にかかってるんよ。ここ紹介されて転院してきた時はすぐにでも透析しなきゃって言われたのが、これだけ伸びたんだからねぇ・・・」と、本人が一番しっかりしてる。反面、この2週間で姉がまた痩せたような気がした、姉は笑いながら、夏に向けたダイエット、腕なんて振袖まではいかないけど、本当に軽くヤバイ、の状態だったのよ・・と笑い飛ばしてたが、姉の苦労の大変さを少し感じ取る瞬間でもありました。待たされる時間はいつもと大差ないのに、長く感じるもので、やっと母の診察順番が来たとき、母と姉と三人で診察室へと席を立つと、姑が「置いていくの・・・」うるせぇと思いつつ、「母の検査結果聞いてきますので」とだけ言い置いて。いままで鰻上りだったクレアチニン値が今回初めて減少。カリウム値も減少。ドクターも、「この2週間ですごい改善してますねぇ、これなら早急に透析開始と急がなくてもいいですね」となんだかニコヤカ。ホッとした、というのが正直な感想。しかし、今後のこともあるので、そろそろシャント形成も考慮しておいてとのことではあったけど、ちょっとだけ一安心。母の診察終わったら、姑はまだ病院にいたけど、娘の幼稚園のお迎えの時間もあったので、姑のことは後日、検査結果と今後の治療方針を伺いに来ます、と看護師さんに話したら・・・「土曜日、外来はお休みだけど、入院患者さんもいらっしゃるので、先生は出てこられるし、出来ればご家族、ご主人なども一緒に説明します」と言われたので、姑には「明日、カースケもお義父さんも一緒に来て、説明聞きますから、お迎えの時間あるので」と置いて帰ってきちゃった。姑は、夕方、病院から帰ってきたときは、「明日、何、言われるのやろう・・・」って落ち込んでたが、夕方、娘が「おばあちゃん、おひな祭りだよ」と声をかけたら、喜んで飛んできて、あんた、糖尿の疑いありなんだろう・・・ってくらい食べてた。でも、母がちょっとだけ結果が落ち着いてたので少しだけ嬉しかった
2006年03月03日
コメント(6)
![]()
娘の通ってる幼稚園は満3歳になる前日まで、2歳児の預かり保育がある。現在、総勢18名、先生は二人、満2歳になった日から満3歳の前日まで。昨年、満2歳になった日の翌日から通わせ始めた。最初の日、なんだか物珍しそうに部屋の中を眺めながら入って行って、しかし、同年代のお友達がたくさんいるのを見ると、ニコッと笑って、ママなんかそっちのけ。最初の日は1時間ほど付き合った。2日目、朝からソワソワして、ピョンピョン跳ねながら幼稚園へ行った。また、少し恥ずかしそうにしながらも、ニコッと笑いながら、お友達の輪の中へ。3日目、起こさずに自分から起きてきて、ご飯食べ終わると即、玄関へ。キャアキャア喜びながら幼稚園まで行って、先生にご挨拶するなり、ママ、バイバイと手振られた。あの時は、なんだかちょっと急に娘が離れたような気がして、成長が嬉しかった反面、ちょっとだけママのほうが淋しかった。それから1年。朝も自分で起きて、マァ時々は寝坊もして、遅くなっちゃった、遅くなっちゃった、と慌てる時もあるけど、自分で早起きするようになったし、お洋服の着替えも出来るようになったし、お弁当も綺麗に食べてくるし。いつのまにか、「ぐんぐん」も飲まなくなったし、それになんといっても、⇒紙おむつが変化していって、結果、これを使うことが無くなってきました。Aprica におわなくてポイ マルチ ビッグ イエロー(YE)幼稚園行きだして最初は、何度かトイレも失敗して、汚して、幼稚園においてる着替えも代えて濡れた洋服持って帰ってきたけど、この頃じゃ、「今日はトイレできたよ」がご報告。1年でこんなに成長したんだなってシミジミ、ママは思ってます。身長はこの1年で9センチ伸びて、少しだけ豚子返上。だけどねぇ水着になると、ヨソの子供さんより、やっぱり豚子なのよね。満3歳になった日の翌日から、次の4月までは今度は、ツボミイチゴ組さんへと移動、無事に2歳児タンポポ組さんを卒業して娘は、大きな声で、「ママ、タンポポ組、今日でソチギョウしたよぅ」と元気な声でのご報告でした。来月4月の3歳児入園まで、2週間ちょっと春休みまで、ツボミイチゴさんで、また一番年下になって・・・でも、去年の一番年下さんとはちょっと違う大きくなった菜っちゃん、ママはいつも君を応援してるよ。この一年での娘の一番大きな変化は、大きな声で、はっきりとお話するようになったこと、しかし、うちの子、よく喋る、一日中、喋ってます。黙ってるのは、寝てるときだけ・・・
2006年03月03日
コメント(3)
娘が数日前から歌ってるちょっと変な歌詞彼女は、自分なりの替え歌が得意で・・・まさか幼稚園でもこの調子?♪あかりをつけましょ ボンボンにお花をあげましょ 桃の花ロウニンばやしの 笛太鼓今日はたのしい ひな祭り金の屏風に うつるひをかすかにウツル 春の風すこし白酒 メザシたかあかいお顔の 寿老人着物をきかえて 帯しめて今日はわたしも アデ姿春の弥生の このよき日なにより大好き ひな祭り♪真面目に本人は歌ってるけど・・・浪人が笛太鼓?それになんで右大臣が寿老人なの?3歳になるかならないチビのアデ姿・・・はないよな・・・パパがぶっ飛ぶわ
2006年03月01日
コメント(0)
全35件 (35件中 1-35件目)
1

![]()
![]()