2025
2024
2023
2022
2021
2020
2019
2018
2017
2016
2015
2014
2013
2012
全39件 (39件中 1-39件目)
1
最初に、本日、午前中、アクセス数「77777」を到達しました。ご訪問いただきありがとうございます。m(__)m今後ともよろしくお願いいたします。夕方くらいかなと思ってたら、午前中、出かけてるうちにいつの間にか、キリ番行ってました。今日ですが、朝から娘を幼稚園へ送り届けて、その後、姑と共に銀行へ。銀行の用事なんて、殆ど、ATMで済ませるか、PCで行うので、ここしばらく窓口なんてお久しぶり。勤めてた頃は、経理担当だったから、頻繁に行ったものでしたが、結婚してからは、数える程度。それに住んでるこの町は、田舎町。町内に銀行の支店は1件だけ。その代わり、やけにでかい郵便局と農協の支店は結構多いのだが・・・姑の御用達は銀行。車の税金・固定資産税、こんなギリギリに払いに来なくてもいいようなものだが、この姑、絶対にギリギリにならないと払わない人なのだ、それで、昨年なんて、固定資産税払いに大雨の中、銀行まで行ってたこともあった。月末の銀行はお客様の数も多い。その分、忙しいのだ。こんな田舎でもご多聞にもれず、混雑してた。駐車場もやっとのことで入れた。そこへ、姑が窓口で出したものは・・・・小銭大量の小銭である。スーパーの買い物した時にもらうあのビニール袋に入れられた大量の小銭。結婚して以来、この姑と一緒に銀行へ来たのは初めてだった・・・私「お義母さん、いつも、小銭持ってくるんですか?」姑「そうだよ、税金なんてものに札出せるかっての。買い物のお釣りとかの小銭を貯めておいて持ってくるの」平然と言い放つ姑。しかし、持ち込まれた銀行は月末の忙しい時に迷惑な話だと思うが・・・帰りの車の中で私「お義母さん、税金は引き落とししたほうが手軽でいいんじゃないですか?」姑「うぅん、小銭抱えて持っていくことで、税金の重みを感じるものなのよ、固定資産税も、あんたが管理する時になったら、引き落としにすればいいんじゃない、私が管理してる間は、絶対に小銭だよ」私「でも数えるのも大変でしょ・・・」姑「それが目的だよ、あのボケサク親父(舅)に、小銭をチャラン、ジャランって数える音を聞かせて、固定資産税だよって知らせるのが目的なんだから」でも、やっぱり、銀行さんが一番迷惑だと思う・・・
2006年05月31日
コメント(10)
そろそろ寝るとするか、と、していたら、姑が携帯を鳴らす。また、何か調子悪くなったかと思えば「陽菜子さん、明日、車の税金やら固定資産税やら納めに行かなきゃ行けないから、付き合って」ったくもうたったそれだけのこと、夜中の1時過ぎに電話してくるなよ。また具合悪くなったかと思って心配して損したじゃないの。フン
2006年05月31日
コメント(8)
アメリカに住む旦那の妹のアキコから電話がありました。昨日の洗濯機の電気代の件で、ぶち切れた姑が電話したらしい。アキコは、電話の向こうで何度も何度も、「ゴメンネ」「ゴメンネ」と繰り返してました。「なにもアキちゃんが悪いんじゃないから」って言っても、義妹「親父も親父だけど、アンポンタンのトースケ(義弟)もトースケでね・・」と。私「悪いけど、私も階下には、少しずつ距離を置かせてもらうから、ただ、お義母さんは食事のこともあるし、今後の療養のこともあるから最低限のことはするつもりだけどね」義妹「おふくろだけ引き取ろうか、そうして、兄ちゃん達一家、別に暮らしてもいいんじゃない?」おいおい簡単に言ってくれるなよ、あんたの住んでるのは日本じゃないんだよ・・・私「お義母さんをアメリカで?本人が行くって言えばそれもいいかもね・・・」たぶん無理だよ義妹「おふくろさんには私から言ってみるわ、ところで陽菜ちゃん、失礼な事聞くけど、おふくろの病院代とか立て替えてくれてるんじゃないの?ガソリン代とかオフクロ出してる?」私「病院代はお義母さんが自分で出してるよ、ガソリン代は・・・今度、カースケがお義母さんに話してくれることになってるけど・・・」義妹「陽菜ちゃん、お金で済ますみたいで悪いけど、陽菜ちゃんの口座にお金送る。勘違いしないでよ、お金で済ませようと思ってるんじゃないの、離れてても心配はしてる、だけど、何も出来ないし、親父はあんなだし、トースケはアンポンタンだし、兄ちゃん(うちの旦那)も毎日帰ってくる仕事ならいいけど、そうじゃないし、結局、陽菜ちゃんに迷惑かけて、挙句にねぇ、洗濯機一つで文句言われて、本当にゴメンネ・・・」アキコからの電話を切ってから、私は実家から車で30分くらいのところに住んでるけど、離れてそれも海の向こうの違う国に住んでる・・・・うぅんと考え込んでしまって・・・考えたところで、結論の出ることじゃないなって、思いながらアイロン掛けてたら、旦那のワイシャツに妙なシワが出来てしまった。仕方ない、このワイシャツ、洗いなおせ・・・としてた時、姑が走って上がってきた。それも、血相変えて、飛び込んできて。「陽菜子さん、私、行かないからね、アキコのところには絶対行かないからね。アキコがね、いま、電話してきてアメリカに来いって言うの、だけど、行かないよ。あのね、私は自分の実家から逃げるようにして、駆け落ち同然で結婚して、誰一人知ってる人のいないこの土地に来たの、でもね、日本だったから何とか生きてこれたの、アメリカなんて行ったら生きていけないから・・・」落ち着くように言って、行きたくないのを無理して行かなくていいからと話して。その後、姑は、ボソボソと舅への恨み言を話してました。私は、アイロン掛けながら、黙って聞いてました。すると突然、姑が、「そう言えば、あの下で使ってるアイロンは私が自分の給料で買ったアイロンだった。あのクソジジィには使わせない。DVDプレーヤーも私のカードで買ったし・・・」突如、元気になって降りていきました。私の実家も、男の兄弟は二人とも、海外赴任中だし、両親とも兄貴と同居する気は全くなくて、ただ、常々言ってるのは経済的には負担掛けずにいける自信はあるのだが、どうしても精神的な面でどうしても頼る部分があるのだと。同居してる姉に言わせれば、親が、同居して世話してる子も、離れて暮らしてる子も、同じと思われたらあまりいい気はしない。また、遠く離れてても思う気持ちを持ってるのと、近くにいても普段は知らん顔で、いよいよの時だけ出てきて口上並べ立てるのを同じと見られてもいい気はしない。ただ離れてて、緊急の時にも、即、来れないところに暮らしてると、苦しいものがあるのじゃないだろうか?姉は、一人暮らしをしている時、なんとも苦しさがあったのだ、と。旦那の妹のアキコは、ちょっと強硬意見を出すけど、気に掛けてくれてるんだろうな、それで、今はヨシとしよう、しかし、アンポンタントースケ夫婦は、とうとう見舞いにも来ない。親と子っていうのは、嫁と姑と違う意味での、永遠のテーマなんだろな難しい・・・
2006年05月30日
コメント(2)
先日から少し調子の悪かった洗濯機が壊れた。この洗濯機、結婚する時に新しく買ったものでない他の家電や家具は全て新しく買い揃えたものだったのだが、旦那が以前一人暮らしした時に購入してた洗濯機を持ってるから、洗濯機だけはそれを使おうという事で、結婚の時、洗濯機だけは買わずに中古品を使ってた。旦那が最初に購入した時から換算して、約10年、使う水量や電気代からして、この夏のボーナスで買い換えたいなぁ、実家の洗濯機をドラム式に買い換えてから、水道代が思いのほか減ったよ、と姉から聞いてたので、あれにしようかな・・・と考えたりしていた。もう少し頑張って使おうかなと思ってた矢先、先日から脱水しなくなり、とうとう今朝、動かなくなった。仕方がないので、電気屋さんに来てもらった。電気屋さんは、旦那の従兄弟が、ナショナルのお店をやってるので、そこに頼んでなんとか修理できないかな・・・答えは・・・アウトいくつか、商品のカタログを持ってきてもらい、数日検討することにして、とりあえず、コインランドリーへ洗濯物を持っていこうと思い、階下へ一声かけたところ・・・ここのところ、すこぶるご機嫌の姑が、「そんなもん、うちの洗濯機使いなさいよ、コインランドリーまで行かなくていいよ、誰もあんたから水道代やら電気代取らないから。気にしないで使いなさいよ(笑)」「はぁ、ありがとうございます・・・」なんかいやぁな予感はしつつも、洗濯物を取りに二階へ戻ったそのすぐ後舅が上がってきて「陽菜子さん、うちはね、上と違ってオール電化にしてるから深夜電力は安いけど、昼間の電気代は高いんだよ。だから、夜に洗濯してくれんかね、それからね、水道もね、最初の洗濯と一回目のすすぎは、風呂水使ってよ、水道代だってタダじゃないんだからね」一回目のすすぎまで風呂水使えだ、それも、てめぇらの入った風呂だろうが、冗談じゃねぇ。それに、こんな昼間、天気がいいのに夜まで洗濯するなって、誰が借りるかってんだもういいわって思って、洗濯物を車に積んで、「せっかくですけど、今回は洗濯機は結構です。買い物のついでにコインランドリーまで行って来ますので。こんなお天気いいのに、洗濯しないのはもったいないですから」言い置いて、出かけようとしたその時、姑が「こらぁ、ジジィ、いい加減にしろ、ちょっと陽菜子さん聞いておくれ、このジジィね、毎日毎日、電気のメーターチェックして、今日はどれだけ使ったから幾らだって管理してるんだ。私が入院してる間に、勝手にオール電化の契約して実際、幾ら掛かるかって毎日毎日、今日は何百円、今日は何円って管理して、昼間は電気使うな、夜使えって言ってね、そのくせ自分は昼間からTV見てさ、私が言うこと間違ってる?必要だから電気も使うのでしょ、それをネチネチ言いやがって。年金が少ないのだって自分に甲斐性がなかったからでしょうが、入ってくる金が少ないから出費押さえなきゃお前の病院代が掛かるって言うんだよ。私は自分の病院代までこのジィの年金から出してないからね」その後も、舅が何か言い返して、バトルは続いてたみたいだけど、ソロッと離れて、コインランドリーへ。買い物済ませて、洗濯済ませて、帰ってきて、しばらくしてから、階下に顔だしたら、舅は出かけてて、姑が、「とにかく、うるさい。水道のメーター、電気のメーター、毎日管理して、今日は水道幾ら使った、何円だ。電気を幾ら使った、何円だって、オール電化にしてから毎日。息が詰まる。やってられないよ」姑じゃなくても息が詰まると思う。絶対に、階下の家電は何一つ使わないし、借りない。その代わり、うちも誰が貸してやるもんか
2006年05月29日
コメント(10)
今日、28日は、姉が毎月一回の神社への参詣日。そのため早朝から出かける、いつもは行って、お参りして、急いで帰ってくるのだが、今日は日曜だから、私が実家へ朝から娘を連れて来ているので、家のことは気にせず、たまにはゆっくりしてきてと調子いいこと言ったものの・・・母の食事は、姉が作って冷凍してくれてるので、チンするだけ。洗濯でもしようかなと思ったけど、実家の洗濯機、乾燥までやってくれるから、すること無し・・・で。わが子といえば、バァバに絵本読んでもらったり、庭で犬と転がったり。てな調子で、実家に帰ってきて、ゆっくりさせてもらってるのは私の方・・・なのかも。しかし、実家であることに気がついた。父の使ってる茶碗が、朝、昼と異なる・・・箸も湯飲みも違うのだ。何でこんな違うのを使うの?って訊いたところ、「ボケた時のため・・・」人間、呆けてくると食事をしても食べてないと言い張ることが多いようなので、朝・昼・晩と茶碗を違うものを使うことで、朝の茶碗が食洗機に入っていれば、朝ごはん食べたな、とわかるからとのこと。そういう手もあるかと思ったけど、でも、呆けてしまったら、それ以前に、自分の朝の食器も、よくわからなくなるのじゃないかって気がするのだけどなぁ?しかし、姉は、いつもより30分ぐらい遅く帰ってきただけで、やはり、バタバタと帰ってきた様子。あまり私は頼りならないかなぁ?って訊いたら、「菜っちゃんの水着みつけたのよ、だから早く帰って渡したくてさ」姉上様・・・姪だけじゃなくて、妹にも・・・って図々しいな。
2006年05月28日
コメント(6)
朝からむかついた。義両親の持ってる借家の住人のゴミ出しの方法が悪いと、我が家に電話がかかってきた。分別はきちんとしてないし、決められた指定の袋では出さないし、ゴミ処理券を貼ってないと。借家の町内の班長さんからだったので、階下の電話番号を伝え、今後はそっちへ掛けてもらうように伝えた上で、今回のそのゴミ出しの件は義両親に伝えておくので、住人の氏名を聞いて、余計にぶち切れたその住人は、旦那の弟夫婦:トースケ夫婦だった。班長さんがトースケの嫁に注意したら、「ゴミ出すのにこの町は面倒だ、ゴミ処理に金は取るし・・・と」言い返したらしい。そこで、班長さんも怒って電話してきたらしい。あいにく、姑は27日の午後しか帰ってこないし、班長さんには私から大家である義両親に伝えておくことを話し、お詫びした上で電話切ったが、どうにも治まらない。舅に言ったところで、あまり話しにならないと思ったので、直接、トースケの家に電話したら、電話停まってた・・・あほらしいので、舅に報告に行った。舅は、ニタッと笑って「陽菜子さん、あんた本当に優しいな、お人よしやな、カースケの弟と思って電話もしたのだろう。あれは勘当した奴や、町内の決まりごともきちんとできんようなら、借家から出て行ってもらうだけじゃ。放っときなさい」放っとけ・・・たってねぇ・・・今度、電話来ても知らんがなって思って2階に戻ってしばらくしたら、また知らない電話番号から電話。電話の主は「あの・・・おたくの借家に住んでる○○ですけど・・・」私「すみません、うちは息子のところなんで、大家は親なんですよ、義母は午後しか戻りませんで今は義父しかいないのですが、そちらの番号にお手数ですが、かけてもらえませんか」相手「あのう・・・お義父さんだとあまり話が通じないので、お嫁さんでしょ、お義母さんに伝えてください。おたくの借家に住んでるトースケさん夫妻ですが、車を路上に放置してきちんと駐車場に入れなかったり、ゴミをスーパーの袋に入れて道にポーンと放り出したりしてることが多いんです。今からの時期、匂いもしますし、第一、野良猫やカラスが来ますので・・・今までお宅の借家、あんな変な人いなかったのですけどね、昨年の秋以来、変な店子さんが入居されて・・・」仕方ないから、お詫び申し上げて、義母に伝えますって挨拶して。あのトースケ夫婦のヤロウ・・・午後から、姑を病院に迎えに行って、少し休ませた後、夕方、その話をしたら、姑はエライ元気になって、しかし、怒り狂って、竹箒と松葉カキを車に積んで飛び出していきました。帰ってきたのは、随分、遅くなってから。今度やったら、借家から追い出すことにしたって意気揚々と鼻息荒く帰ってきました。
2006年05月27日
コメント(8)
姑は、今日の午後から、睡眠障害の検査で一泊の検査入院。まるで遠足にでも行くかのように、荷物を詰めて、新品のパジャマを出しては入れを何度も繰り返して見せる。パジャマは私の姉が、お見舞い代わりにと縫ってくれたもので、とも布のナイトキャップまであるのが、えらくお気に入りの様子。昼食を済ませて、娘を幼稚園へお迎えに行く前に、姑を病院へ送り届けると、「あとは一人で大丈夫、明日、迎えに来てねぇ」と、元気な様子。看護師さんに、一言だけ挨拶済ませて、娘の幼稚園へ回り、家へ帰ると舅がこの雨降りに庭にワザワザ傘をさして出てた。「お義母さん、病院に送り届けましたので・・・」と声を掛けると、舅は「いつ帰ってくる?」私「明日の午後には迎えに行きますけど」舅「淋しくないのかね」私「さぁ、どうでしょう?一晩だけの入院ですから」舅「俺が、何をしたって言うのかねぇ・・・感謝こそされても怨まれるとは思い当たらないのだけどねぇ・・・」私「夫婦間のことは、夫婦間で話し合わないと、他の人には何ともわかりませんよ」舅「お宅のご両親も話すの?」私「さぁ、どうでしょう、何分にも両親とも、昭和一桁の世代ですからねぇ」舅「お母さんはお父さんのこと、たてるでしょ!」私「いいえ、顎でこき使ってますよ。」舅「あ・・・そう・・・」私「何気ない会話のなかで、母が父に色々と指図してるみたいですね」舅「そう・・・あんなシワガレタ、クソババでも見えないと、淋しいものだよ・・・」このジジィ、素直さがないって言うか、ひねくれ者っていうか。何が、シワ枯れたクソババ・・・このジジババの溝はかなり深そうだし、ジィがまだまだ、溝を掘り下げてる様子
2006年05月26日
コメント(8)
とかく、食欲旺盛な我が娘。よく食べて、よく動いて、よく喋って。今日なんて、幼稚園からの帰り道、「ママ、次にお弁当箱、買うときは、もっと大きいのにしてね」とにかくよく食べる。幼稚園から帰ってくると、まずオヤツ。そして夕方、犬の散歩から帰ってくると、ヨーグルトかプリン。それで、晩御飯はしっかり食べる。で、その晩御飯終わったあと、彼女の発言「ねぇママ、夕ご飯って晩御飯のことなの?」お前さん、もしかして、夕ご飯と晩御飯と別々に食べる気だったのか?
2006年05月26日
コメント(2)
実家が以前、住んでた場所へ行って見ました。私の実家は、元々母方の伯父の家で、両親が結婚した時、父の田舎は青森のほうでしたので、父が大伯父から安く買い取ったものでした。その後、何度か、改築したり、増築したり、父が転勤が多かったので、その間貸したり、として、父が最初の仕事の定年後は、その家で住んでました。その家から、兄弟みんなそれぞれの旅立ちがあって、私もその家から花嫁姿で出たのです。結婚式当日、自宅着付けだったので、異常に忙しかったことだけしっかり覚えてます。私が結婚して、3ヵ月後に高速道の建設に伴い、立ち退き対象となってることが判り、近所の人は大方が、立ち退き拒否の姿勢でいらしたようですが、父は2,3度話し合って、補償金もこの程度でしょうと言って早々に立ち退きを決め、母方の祖母が持っていた借家の一つを買い取り、現在の場所へ引っ越してきました。以前の場所からすると、郊外の住宅地にはなりましたが、近辺に商店も多く、また大型スーパーもあり、以前の家と違って、祖母から買い取った時、すでに祖母がバリアフリーに改装してたので、年老いた両親にも住みやすい家ですし、以前より庭が広くなったこと、ちょっとした畑があることが、結果的にもよかったのです。それはさておき、以前の実家のあった場所へ、姉と母と3人で行って見ました。反対してた人たちも大方が立退き、高速道建設と供用開始予定の書かれた大きな看板が立てられてました。絶対反対の立て札を立ててる家もありましたが、人が住んでる気配のない家も多く、ただ立て札だけが残されてるような場所もありました。我が家のあった家の付近は、1軒の家だけをのこして、家はなくなってました。うちの家も無くなってました。1軒残ってる家は、確か現在はご夫婦二人暮らしのはず。うちと一緒で、子供さん達は高校卒業後、進学と共にみんな家を出られて夫婦二人になったとき、奥さんが淋しいものだと、うちの母にこぼしてたのを聞いた覚えがあります。うちが引っ越す時、手伝いに行った際、その家の奥さんが「ここにはもういたくないのだけど・・・」と淋しそうに呟いたのを思い出しました。その奥さんのいる家が1軒だけ残ってる、なんだか余計侘しい雰囲気漂ってました。家の取り壊された跡地は、草が生え、所々、外壁が残った状態で、人があまり通らなくなった路地は両脇に草が生い茂り、まるでゴーストタウンだね、と言いながら、車に戻ったら、工事担当者の人でしょうか、測量のようなことをされてました。その人たちに、あの家はまだ人が住んでるのか?と尋ねたら、今度の週末には転居される予定、奥さんは早くに子供さんのところへ行ったけど、ご主人が一人で反対だった動かなかったけど、先日具合悪くなって、子供さんに引き取られることになって、という話でした。新しい道のできる土地だから、皆さんそれぞれの道へ進まれたのだろうね、と、話したものでした
2006年05月25日
コメント(2)
ここ10日ほど、バタバタしてて、ゆっくり家計簿を見直す時間もなく、ただ買い物したものを、入力するばかりの日々でしたので、久々に、じっくり見てました。光熱費がまぁまぁかな?食費は現状維持だな・・・しかし、娘が3歳児で幼稚園に行くようになって、出費が結構増えたな・・・なんと言っても、ガソリン代の高くなったこと。あら、私なんで、こんなに今月、車出してるの?姑を病院に連れて行くとき、私の車出したからだ・・・ガソリン代を幾らか徴収せねば・・・そうやって、家計簿を眺めてる時に、昨夜、午前3時帰宅の旦那が起きてきました。昨夜は、夜間運行で、帰ってきたのが午前3時、今日が休みだったから良かったものの、仕事だったら・・・と思うと・・・。このところの原油高騰で、バス会社も色々大変みたいで。それでも、なんとか働いてもらわねばいけないし、本人も頑張るさ、と言いながら働いてるんで、ヨシとしてるのですが。旦那は起きてきてから、私が食事の準備してる間、家計簿の画面、眺めてました。そして旦那「ガソリン代、結構かかってるから、俺からオフクロに言っておくよ、月末に借家の家賃収入が入るはずだから、それからでもいいから少し入れろって。それと食費も入れろって。お袋の分、メニュー考えて作るのだってタダじゃないし」私「入れてくれるのいいけど、入れてやった、みたいな事にならないようにね、恩着せられると、また喧嘩の原因になってくるから」旦那「心得てね・・・ところでさ、俺ね、この前からタバコ代持たないんだよ・・・」私「やだ、今月お小遣い、足りないの?何にそんな使ったの?」旦那「いや小遣いはあるの、残ってるの。今月は前半ちょっと休み貰った分後半忙しくて、全然パチンコも行かなきゃ、出先で飲むこともなかったし、小遣いは残ってるのだけどね・・・」私「じゃあどうして無いの?何か支払いの予定でもあるの?」旦那「いやカードも全然使ってない。あのさ、タバコ止めようと思ってるまた7月から値上がりって言うしさ、そうなってくると小遣い足りなくなると困るし」私「あ・・・・そう、じゃあ、ガソリン代を自分で出すようにする?」旦那「それはまた別だよ、ガソリン代はまた別さぁ・・・あのさぁ、タバコやめるから、車買いなおそうかなって。別にね、今すぐじゃなくていいんだよ。今年は車検あるしさ、だから来年かな?それくらいに・・・ダメ?」私「軽に買いなおすの、軽だったらいいんじゃない税金も安いしさ、パパの通勤に使うのだったらそれでいいんじゃないの」旦那「軽だったら、お前のお母さん達を旅行連れて行くとき大変でしょ、それに、菜っちゃんもこれから大きくなれば、車で旅行行くことも多くなるし・・・だからさ・・・」私「いくら、菜豚子が子豚でもね、象じゃないんだから。ま、せいぜい、頑張って、お金貯めてね。なんだったら、晩酌分も削って貯蓄に回してもいいんだけど」それでも、旦那は、もう禁煙するから。2週間、全く吸ってないんだって言ってました。そう言われてみれば、ここのところ、灰皿を洗った形跡が無かった。そんな事にも気づかず、何かしらバタバタしてたんだなって改めて思いました。また7月から、タバコ値上げだそうだし、ガソリンも全く下がらないし、どうなることやら。
2006年05月24日
コメント(8)

今日、姑の勤務先に診断書を持って行き、今月一杯、休ませてもらう話をしてきました。姑は、15年ほど現在の勤務先にパート勤めをしていて、一番の古株ではあるらしい。事務所の一角に置いてある応接セットで責任者の方と話をしてる時、事務所の反対隅のほうで、ヒソヒソと話してるつもりだろうが、筒抜けで聞こえてくる声「あの人が例の鬼嫁よ」「糖尿だからって、野菜しか食べさせないって嫁さんでしょ」「カロリー計算してご飯作るんだって」「そんな病院の調理場じゃあるまいしね」ってな調子の話が行われてた・・・全て筒抜けで聞こえてた責任者の人も姑の休暇に関しては、快諾してくれて、GWも過ぎて一段落してるから、ちょうど良かった、しかし、来月はちょっと忙しいからってことだったので、たぶん来月は本人も仕事行きたいって事を行ってるので・・・今月は検査などがあるのでって話を帰ろうとしたところ。建物を出たところで、姑とそう年の変わらない女性に呼び止められた。その方は、姑の同僚の方で、入社時期も同じで聞けば娘さんがうちの旦那と同級生で、小学・中学と一緒だったとのこと。で、少しお話したいのですが・・・とのこと。話の内容は・・・姑は元々大雑把な性格で、そうそうクヨクヨすることなど無く、舅の兄弟やその配偶者たちともまぁまぁやっていってたらしい。旦那の妹が、アメリカ人を結婚すると決めた時も、親戚連中から色々言われても、不良外人じゃなし、小規模ながらも立派な実業家だからと親戚に言って返してガハハと笑ってた。私と旦那が結婚する時などは、長男にお嫁さんが来る、だから、家を二世帯住宅にするのだと喜んで話してたらしいし、私達が結婚してからも、気の強い嫁だけどオカズを一品持ってきてくれたりする、それも自分が作れない宝袋を作ってきたり、包み焼を作ってくれるのだと喜んで話してた、それが、次第に笑わなくなってきたのは、昨年1月に舅が嘱託勤務を定年になって、昼間、舅が家にいるようになった頃から、仕事から帰ると亭主がいると愚痴るようになって、昨年4月に私の姉が倒れて数日、私が娘を連れて実家へ帰ったときなどは、クソジジィが嫁にキツイ事言ったからもう帰ってきてくれないかもしれない、とこぼしてた。昨年10月に、二男が結婚したが、その時は長男の結婚前の時と全く違って、新婦側が一切費用を負担する気は無いくせに、口だけは出すって悩んだり、二男自身、新家庭を持つ自覚がないこと、二男の嫁となる女性の言葉使い、振る舞い、そうしたものを見てると、色々不安になってくること、子供の結婚するのがちっとも嬉しくないという様子だったこと。その後、結婚式の費用のこと、新婦の衣装代も全て新郎側に請求書が来て話が違うと怒ってたこと、そして度重なる二男夫婦の金や品物の無心に悩んでいたこと、それに対して舅が少しも頼りにならず文句だけいうことそして糖尿の診断が下され、食事制限が課せられたというのに、目の前で舅が自分の好物を食べている、甘いものを一つでもいいから食べたいと思うけど、私が作ったお弁当でお腹一杯になるので、お饅頭などが食べきれない。おやつも、こんにゃくゼリーなどを食べるので、お腹持ちが良くて食べれないって状態なのに、目の前でわざとケーキやお菓子を食べる。そうした愚痴を、姑はその同僚の方にこぼしてたらしいのです。姑は言ってたそうです。誰に世話になるって、アメリカにいる娘より嫁に世話になるのだって。その割には待遇悪い・・・ってな話をしたら、「あの旦那さんと、その兄弟、それに二男夫婦、そういう周囲の面々がいるから意地はってなきゃやっていけないからでしょ、鋼鉄シスターズって言ってましたよ、嫁も強いけどそれ以上に強いオネエサンがいるんだって。素直じゃない面が多い人だし、一言も二言も十言ぐらい多い人だけど、戦いながらも見捨てないでやってくださいね」そんな事言われると、非常に単細胞なので、ちょっとホロっと来たりするのだけど・・・帰ってみると、玄関前に詰まれたゴミの山。我が家の玄関は、1階用と2階用が並んでるので、1階の玄関前は我が家の玄関前でもある。何よ、これと思い、急いで着替えて降りてきてゴミを片付けてたら、姑が出てきて姑「あら早かったね、支配人に会えた?」私「えぇ会えました。今月中は、結構、ヒマなのでゆっくり養生してくださいとのことでした。ただ、来月からは出来れば頑張って欲しいとの事でしたけど・・・ところで、お義母さん、なんですか、このゴミ・・・」姑「うん、あのジジィが今、いないのよ、来月初め、また登山に行くらしいの。その打ち合わせで出かけたからね、あいつが留守の間にあいつの物捨ててやろうと思ってね。何でも、取ってるの。だから、押入れも一杯。ところでね、押入れからこんなもの出てきたの・・・ちょっと見て」姑の案内で、1階の押入れへ行ってみたところ・・・見た瞬間逃げようかと思ったそこにあったのは、ギフトで戴いた缶入りの白砂糖、普通スーパー等で売ってあるような1キロ袋の砂糖が5袋入ってて、その砂糖、カチンカチンに固まってた。この砂糖が5袋入った缶私「お義母さん、これいつ頃、戴いたのですか?」姑「さぁ、お中元か、お歳暮で戴いたのだろうけど、お砂糖を戴いたのなんて、随分記憶に無いよ。」私「こんな缶は、実家にありますよ。確か、どこかの百貨店のオリジナルギフトかなんかで、やっぱり砂糖が入ってて、中身を使ってしまったあと、買い置きの砂糖類を入れてましたけど。でも、戴いたのは、私が学生の頃だったと思いますよ」姑「この砂糖、使えるのやろうか?」私「砂糖に賞味期限あるのかはしらないけど・・・でもお砂糖使うのはお義父さんだけだから・・・」姑「そうやね、じゃあ、この缶は捨てよう。中身だけ外に出しておいてやらないと、忘れてたら困るからね」思いっきりイヤミやってる・・・その後も姑のゴミだしは続いて、45Lゴミ袋に見事6袋。夕方、帰宅した舅が階下で何か叫んでたが、姑は、完全に自分の城と化した自室に入ってしまってたし、私も下には下りなかったし。塩が固まるってのは、よくあるけど、砂糖をかなづちで叩かないといけないほど固まるってのは・・・初めて見た
2006年05月23日
コメント(8)
「ひねもす母さん」から、飲酒バトンなるものを頂戴しましたので・・・結構、酒好きなんですけど、子供生まれてからは、大酒飲むのは・・・というより、飲んだのは、昨年、姉が退院した時かな?だから、1年ぐらい大酒飲んでないですね。独身の頃は、ボトル1本空けるとか、1升瓶1本空けるなんてこともやりましたが・・・ま、それは、若い頃のお話。では初めてみましょうかQ.今、冷蔵庫(ワインクーラーを含む)に入っているお酒の種類と量は?第三の酒と梅酒ですね、旦那の飲む酒はは、近所のスーパーの特売商品なので、その時によって違うのです。現在は旦那用の、サントリージョッキ生が5本、私用のは、スリムスが2本ですね。梅酒は、自家製ですが、入ってる瓶は、チョーやの空き瓶です。Q.よく飲むお酒は?以前は、なんでも来いだったけど、この頃は、第三の酒専門ですね。Q.思い出のお酒は?結婚式の前日、弟がどこからか私の生まれた日に仕込まれたワインを見つけてきてくれて、それを式の前夜、家族みんなで飲んだのが思い出の酒しょうかねぇQ.お酒に関する武勇伝は?若い頃は、ありすぎて・・・酒豪の姉と飲み比べやって、勝ったら車を買ってもらうということで、話になって、そうしたら姉が、営業用のだけどって持ち出してきたのが、なんとかアルマニャックとかって、ブランデーでそれを生地でグッといけたらって話になって、その場にいた兄貴はやめろって言ったにも関わらず、大丈夫だって言い張って、姉がブランデーグラスに半分くらい入れて、グイっと飲んで平然としてるんで、ヨッシャァと思って、飲んだところまでは覚えてる・・・・のですけどね。二日ぐらい頭痛かったですね、あの時思いましたよ、営業職の女性とは飲むまいって。そして、最大の武勇伝は・・・旦那と出合った時でしょうか従兄弟(男)が、バスの運転手やってる友人に誰か彼女紹介してもらえないかなって言うので、当時、私は結婚などせず仕事頑張るって状態でやってたから、彼氏いないのって嘆いてる友人を連れて行って4人で飲み会しました。なぜか、その私の友人は、私の従兄弟と盛り上がっちゃって、私は私で、従兄弟の友人と盛り上がって、派手に飲みまくりました。で、トイレに行った時、そこのトイレが男女一緒になってて、トイレで用足してた今の旦那にむかって、「あぁらお見事」って叫んだらしい・・・らしいというのは、後日、従兄弟が姉に報告してくれてた・・・私は覚えがないのですが・・・それがきっかけで、付き合うようになって、結婚となったのですけど。ちなみにその時連れて行った友人の女の子は今だ独身。Q.どんな時にお酒を飲みたくなりますか?なんか楽しい時酒好きの人と盛り上がれる時無性に腹立つ時誰でもいいから一発ボカァと殴りたい時(そんな時飲むのは危険だな)Q.お酒にあうツマミは何ですか?なんでもOK。定番のおつまみ、さきいか、チーズ、ピーナッツでもいいし。結構、天ぷらとかで飲むの好きなんだけど、そういうもので飲むなら、スリムス飲む意味ないよなQ.一緒にお酒を飲みたい3名と(名前をあげられた人は、都合が良ければバトンを受け取ってください)その人と飲んだらどんな風になるだろうかという妄想を一言どうぞ3人といわず、一緒に飲めたらと思う人たくさんいますね。これまわしてくれた、ひねもす母さんも一緒に飲んだら楽しそう考えたけど3人だけに絞るのはむりですね・・・どうぞ持って行ってください。
2006年05月23日
コメント(2)
今日は朝から、姑の糖尿の受診日。娘を幼稚園へ送っていき、先生にお迎えは姉になる可能性があることをつげ、その足で病院へ。なぜか、この前まで非常に嫌がってたのに、今日はヤケにご機嫌よしの姑。心療内科の先生に、言いたい放題言ったからか?病院へ到着し、検査⇒診察となるのだが、今日は、なぜかいつも以上に内科の待合室の人の多いこと。待たされること2時間。待ってる間に疲れ果ててしまった。姑の検査結果は、あまり良くなかったし、A1Cもあまり下がってなかったが、冗談など話し、終始ニコヤカにして診察室を後にした。姑を待合室で待たせて、今後のことを主治医と話したが、ドクターも「いったい、どうされましたか?」私のほうが聞きたい診察終わって、姑の薬は院内処方なので、薬をもらわないといけないのだが、これまた30分待ち。やっと、薬ももらい、帰途に着いたのは、完全に午後になってた。帰りの車の中からすでに姑は疲れた、と、寝てしまった。なんとか、娘のお迎えも間に合ったが、この娘、今日は楽しかったと色々報告済ませると、寝てしまう。チビは週末も常に遊びまくってるからな・・・姑も娘も、疲れたぁで寝れるが、私は、家の事もあるから昼寝したくても出来ないのだ・・・
2006年05月22日
コメント(8)
週末プチ別居から、私達親子も家へ戻り、姑は自分でタクシーで帰って来ました。あのケチババが自分でタクシー乗るなんて空から、ヤリでも降ってくるのじゃないかと思ったら、なんのこたぁない、姑が行ってた義伯母がタクシー代を出してくれてただけだったらしい。姑に、夕食は?って訊いたら、姑「キャベツの千切りだけでいいから」?なぜ?あんた、ウサちゃんか?私「お義母さん、他にオカズは?」姑「うぅん、いいの、明日、朝から糖尿の検査だから」そんな、前の晩の食事だけ減らしたところで、A1Cはごまかせねぇぞ・・・って思ったけど、本人が言うんで、キャベツの千切りだけ作って持って行ってやったら・・・階下には1部屋誰も使ってない部屋がある、昨年の秋に結婚して出ていった、例の問題児、義弟トースケが使ってた部屋。現在は、ちょっとした物置化してるのだが。その部屋を、姑が、掃除し自分の荷物を運び込んでいた。私「どうしたんですか?」姑「あのクソジィとは以前から寝る時も別だし、クソジィは自分の部屋持ってるけど、私、自分の部屋なかったからね、今夜から私、ここで寝るし、ここで生活するの、ここで食事もするし、家庭内別居、今度、カースケが仕事休みの日に、家具なんか動かしてもらおうと思ってね。」はぁ・・・さようですか・・・一人で部屋にいるのはいいけど、今度は一人が淋しい、むなしいって、夜中に呼び出さないでくれよ・・・
2006年05月21日
コメント(4)
昨日から、週末を利用して実家へ娘と共に来てるのですが・・・・うちの3歳の娘、とにかくキッチンが大好き。日ごろ、私が調理してる時も、少し離れた所に自分の椅子を持ってきて座り「ママ、何かお手伝いすることな~い?」とか、「ママ、何、作ってるの?」なんてよくやってる。その調子で実家でもキッチンに入ってる。実家のキッチンはカウンターキッチンで我が家より広い。以前、母が台所をしていた頃から、調味料を多く揃えていたので、我が家では見たことないスパイスや調味料の瓶がずらり、戸棚にあることも娘にとっては、楽しくてたまらないそんな娘のやってくれたこと。姉は、自分が使いよいように、調味料等を並べている、そのため、都度、ラベルなど確認せず、棚からサッと取り出し、そのまま計量し・・・と、いう流れなのだが・・・「やだ、オリーブオイルと思ったら、バルサミコ酢だったわ」「あら、やだ、シナモンだとおもったら、黒胡椒、危ないとこだった・・・」「ちょっと、なんでこんなところに、お醤油・・・」全ての犯人は、我が娘、菜豚子の仕業。イタズラするだけ、イタズラして、ジイヤンと風呂。自分じゃイタズラしたつもりは全くない、ただ、自分の家にはない、面白い形の瓶がたくさんあったから、瓶を小さい順に並べたりしたそうで・・・風呂でジイヤンに話して聞かせたらしい。ジイヤンにそして報告したことは、「姉ちゃんのキッチンは、たっくさん、いろんなものあって楽しいよ」そりゃあ、楽しかろうや・・・でもママは、怖くて、我が姉の顔が見れなかったぞ・・・姉ちゃん、無言で並び替えて・・・並び終えた後、ポツリ「昔、誰かの母親が小さい時に、薄口醤油と濃い口醤油を入れ替えてくれて、東京のウドンみたいな真っ黒なウドン食べたことあったっけなぁ・・・」そんな昔のこと、時効だよ・・・
2006年05月20日
コメント(9)
今日は、朝から姑を、睡眠外来の受診に連れて行きました。癒し系のような、病院の待合室で、まるで子供のように、姑は「病気したら、色んな病院行けるね。またここは綺麗な病院だね、外はボロだけど」あんたは病気しても一言多い予約していたこともあってか、そう待たされることもなく診察室へ。診察室では、私はカーテンの向こうへ、姑から見えない状態の所へ、しかし、私の方からは姑の姿も声も確認できるような形になってました。先日の診療内科でもだったけど、姑の喋ること、喋ること、ドクターが聞き上手なのか、それも診察の一環なのでしょうけど、じっくり話を聞いてくださること。その上で、一度、一泊二日の入院が必要な事を案内されると、「嫁と相談して日程を決めましょう、あら、どこ行ったのかな、うちの嫁・・・この嫁がまぁ気の強い子でね、最初、息子が連れて来た時は、元気印でいいじゃない、と、思ってたんですよ。息子と一緒になった、それでね、私が望んでた女の子の孫を産んでくれたの。女の孫が欲しかったのに、娘は男の子しか持ちきれなくてね、嫁は女の孫を産んでくれたの。でもね、この嫁、強いんですよ。鉄の女。嫁のお姉さんって人がまた鋼のような人で、女だてらに商社なんて勤めてたんですよ、商社って、トイレットペーパーからロケットまで売ってる会社なんでしょ。嫁は、鋼鉄姉妹なんですよ、でも、どこ行ったのかしらねぇ・・・」黙って聞いてれば・・・誰が鋼鉄じゃ看護師さんが、呼んで来たような格好で診察室へ入ると、「あんた肝心な時いなくなって・・・」いたんだよ来週末、検査入院するということで一応決まり。病院から帰り、一度、遺影に帰りますか?って訊いたら、姑曰く「帰らない、まっすぐ義姉さん(舅の一番上のお姉さん)のところに行くの。お泊り準備も持ってきてるから」まるで、子供が遠足でも行くみたいな顔して・・・義伯母のところへ預けて、私「日曜の夕方、迎えに来ますから。月曜は糖尿の診察日ですから・・・」姑「貴方も週末は菜っちゃん連れて実家に行ってなさいよ。少し、ゆっくりしてらっしゃいな」義伯母に姑のことを頼み、実家へ。実家では、姉に幼稚園のお迎えに行って貰った娘が、雨でお外にも出れない、と、ブツクサ言いながらも、ご機嫌に遊んでた。兄の部屋においてあった、古いもぐら叩きを持ってきて、キャラキャラ笑いながら遊んでました。この一週間の長かった事、舅の数々の発言、姑の病気のこと、そうした事を話して、実家の親と姉に話したら、ホッとしたような感じでした。夕方、姉と一緒に夕食の準備をしていた時、姉が、言いました。「病人の世話をする側も大変、時々放りだして逃げたくなるし、怒鳴りつけたくなる時もある、だけど、世話されてる病人は、自分の病気を放り出すことは出来ないし、ましてや病気からは逃げられない。これから、きっときつい事の連続になるだろうし、苦しいと思う、でも、病人も苦しいしキツイ。だからって、常に天使のような心ではいれないし、そんな事やってたら、こっちが病人になっちゃう、子育てもあるわけだし。何か自分のストレスを解消できる自分の時間を持つこと、これが結構、大事。ただね、一番忘れちゃいけないこと、家族でも、夫婦でも、親子でも、言ってはいけない言葉、態度、ボーダーラインがあること、忘れちゃいけないからね」姉ちゃんがいてくれてよかった・・・そう思いました。でも、夕食済ませたら、そのままソファにお茶をいれた湯のみ持って行って、そのまま寝てました。娘を風呂にもいれず・・・起きたら、午前1時回ってました。姉が、CS放送見ながら、「やっと、お目覚めですか?おたくの娘さんね、ママ、疲れてるの、寝せてあげてねって言って寝た」私「うちの娘、どこで寝てるの?」姉「どこで寝てるって布団で寝てるわ。今夜は、オバアチャンと寝るんだって。おばあちゃんにご本読んであげるって言って、布団行って転がったら、即、寝た。余計なお世話だけど、お宅のね、1階の年寄り夫婦の住居のほうだけど、玄関に何故かバケツ置いたりしてるでしょ、そういうの片付けたがいいと思う。少し、風水的なものも、考えたがいいと思う。占いがどうこうじゃなくて、ちょっと気になるから・・・」来週帰ってから、少し、階下の模様替えを姑に話してみようと思いました。カーテンなんかも、随分、色あせてるし。しかし、気がついたらもう金曜日過ぎて土曜日でした。
2006年05月19日
コメント(2)
今日、旦那の仕事からの帰宅が遅かったので、日付が変わった頃から2階の我が家で舅と旦那と私と3人で話しました。姑は、階下の我が家で大人しく寝てくれてる。明日は睡眠外来に行く予定だし、昨日、病院でドクターに心情を思いっきり吐き出したのが、良かったのか、少し落ち着きを取り戻してる。舅に、姑の病状を話し、一度一緒に病院へ行ってもらいたい事、また今後のことを話したら、舅曰く「実家に帰そうか、そんな病気になって世間体も悪いし、菜豚子の教育にもよくない、第一、病院代が幾ら掛かるんだ」一瞬、自分の中で何かがプチーンを音を立てて切れたような気がしました。でも、私より旦那の手が早かった。舅の顔面が思い切り、張り倒されてた。私にも一発殴らせろ・・・・の気分旦那「親父出て行け、出ていけぇ、病気のおふくろをどうして追い出せるか、自分だって片足棺おけに突っ込んでる年のくせしやがって。何が世間体だ、うちの娘の教育をどうこう言うな、うちの娘には、そんな非人道的な教育はしてない、長男だから、後々仏様を見ないといけないから、ココに住めって言うから住んだ。そりゃご先祖様は大事だよ、でもな、親父みたいなのは死んだって仏様にはなれないんだ。金、金言って。それが、おふくろをあんなにしてしまったんだろ。親父は、金が掛かる事大嫌いだから、葬式は出さない、もちろん、火葬はする、だけど葬式は出さない、もちろん、それ以前に、病気しても病院代がかかるから、病院にも掛からせない」舅「昨日から黙って聞いてれば、兄貴(舅の兄)も俺が悪いっていう、カースケも俺が悪いって言う、俺が何をしたって言うんだ。働いて外で働いて、給料渡して食わせてやって、感謝こそされたところで、怨まれる筋は何も無いはずだ。何をしたって言うんだ」旦那「何もしてやらなかったんだよ、何にも」舅「何もって毎月給料だってきちんと渡してただろうが、借家の家賃収入だって全部、ばあさんが自分で管理してたんだ」旦那「妾さんじゃねぇんだからな、金渡すだけで済むか」舅「俺は外で働いてたんだ、他人の中で。渡す給料だけでヤリクリ出来なくて自分でパートに出るようになったのだろうが、女の働くのと男の働きを一緒にされちゃ困る」旦那「家にどれくらいの金が必要だったのか知らないからそんな事いえるんだ。借家の維持費だって、税金だって、そんな事一つも考えてないだろう、オール電化だってそうだよ、おふくろが入院してる間に勝手に契約して、糖尿のお袋の前で平気で間食して、あんたは何もしなかったけど、反対に、おふくろを無視し続けたんだよ。とにかく出て行け、出て行ってくれ。出て行かないなら、俺達も出るし、お袋にもこの家から出て行かせる。」舅「何もお前たちまで出て行く必要は無いだろうが」旦那「冗談じゃない、病気の人間を追い出すような、オニの住む家に住んどけるか。あんたはオニだ、明日の睡眠外来の受診は、陽菜子にお袋を連れて行ってもらうけど、来週の心療内科受診のときは、俺だけ行く、親父も連れて来いって事だったけど、ドクターには、人間ではなくオニですから連れて来ませんでしたってきちんと報告するから。」旦那(私に向かって)「ママ、明日ね、引越し屋さんに連絡して、至急、引っ越したいからいつが可能か聞いておいて。ママの実家の近くに、おばあちゃんが住んでた家、あそこ空き家になってて誰か借りる人いないかなってネエサンが言ってたでしょ、家賃幾らぐらいか、それと契約金がどれくらいか、聞いて置いて」舅「わかったよ。ばあさんを置いておけばいいんだろ、置いておけば」旦那「何だよ、その言い方、親父の捻じ曲がった根性が直るまでとにかく出る、鬼とは住んでられない」舅「勝手にしろ、もう俺は知らん」旦那「少し、お灸据えないとな、どうせ出て行かないと思ってるんだよ。どうせ週末になるから、おふくろは、伯母さん(舅の一番上の姉)の家に預ける。明日、病院終わったら、そのまま伯母さんの家に連れて行って。伯母さんには話しつけてるし、伯母さんも今は一人暮らしだから、おふくろでもいてくれると反対に嬉しいって喜んでた。菜豚子は幼稚園、終わる頃、ネエサンに迎えに来てもらえるかな?」私「大丈夫、どちらにしても今週末は泊まり行く予定だったから・・・」舅の捻じ曲がった根性をたたき伸ばすには、かなりの時間がかかりそうだけど、こちらから行動を起こすしかありません。姑は、場合によっては、舅との離婚も考えたいと言ってるし、何をした、じゃなくて、何もしてくれなかった、事を気づいてない、反面、言葉の暴力を振るい続ける恐ろしい存在だと思いましたね。旦那が舅に似てなくてよかった・・・今はただそれだけ
2006年05月18日
コメント(16)
今日、朝から、姑を病院へ連れて行きました。行くまでがまた大変。まず、娘。私「ママはおばあちゃんをモシモシに連れて行くから、今日はパパと幼稚園に行ってね」娘「お迎えはママ来てくれるの?」私「そうねぇ・・・おばあちゃんのモシモシが遅くなったらパパに行ってもらうから、パパと帰ってきて」娘「じゃあパパの車でドライブしてきていい?」私「ママが間に合えば、ママがお迎え行くから」娘「間に合わなくていいよ、パパと菜っちゃんデートしてくるからパパとデートして、何食べようかな?」親の心、知らずの娘は暢気なものです。娘と旦那の朝食を作って、階下へ。姑に、病院行きましょう、と声を掛けると姑「私、入院しないからね」私「とにかく検査に行きましょ、それからですよ。」舅「キチガイの病院に行くのか」私「違います。なんですか、キチガイの病院って。お義母さんの足がムズムズするのは、病気なんです。だからその検査と診察に行くんです。」舅「だから、キチガイじゃろうが、昔からこのオナゴには言うとるんじゃ。病気なんぞしたら捨ててやるってな」呆れてモノ言えない・・・こいつ人間じゃないと心底思ったグダを撒く舅を無視して、さぁとにかく行きましょう、と、ブツクサ言う姑を連れていざ病院へ。病院は、姑が日ごろ掛かってる、総合病院、しかし、いつものドクターでよいのか、それとも別の科の受診が良いのか、姑を待合室のTVの前に座らせて、総合受付で事の次第を話した。心療内科へ直接、と、いう事になったので、当日受付という形で入れ込んでもらったが、予約じゃないので待つ時間の長いこと。待ってる間に、レントゲンや血液検査、心電図などの検査を済ませ、その後待合室で待つことに。その間も、姑はずっと、「入院しない」を繰り返し、また「私の身体、ボロになっちゃって、血も汚れてるのよね・・・」と繰り返す。GW前までは、こんな事はなかったし、また、GW後もこうも落ち込んだ発言は無かった。突然、こうなるものなのか?そうした時間を1時間ほどすごして、やっと診察へ。奇遇だったが、ドクターが姉の主治医の先生だった。診察室に入るなり、姑に「姉の先生よ」と一言言ったら、「なぁんだ、オネエサンも足ムズムズなのね」と。姉は、違うのだけど・・・それから、ドクターの問診が始まり、それから、姑の喋ること、喋ること、まるで堰を切ったような喋り方。舅が嫌いなこと、舅が臭いので近寄られるだけでも嫌な事、若い頃から病気したら捨ててやる、お前は自分と駆け落ち同然に一緒になったから、実家へ帰りたくて帰れないだろうが、と言われ続けたこと、自分が夫(舅)と駆け落ち同然に結婚したから、娘がアメリカ人と結婚して、逃げるように渡米してしまったのは罰が当たったのだ、二男は甘やかしすぎて育て誤ったこと・・・一気に30分近く喋ってました。またそれを、ドクターは黙って聞いてくださる、それも、ウンウンと頷きながら。すごいなぁって思わず見てました。姑に、投薬があること、そして、ムズムズ足の専門医を紹介すること、を話し、お嫁さんには、オネエサンのことでちょっと伝えたいことがあるので、少し、待合室で待ってるように話されたら、従順な子供みたいに、機嫌よく診察室から出て行きました。姉のことと言うのは口実で、うつ病の疑いがあること、ムズムズ足は睡眠外来に受診したが良いこと、若い頃からの事も一度確認したいので、息子を連れてきてほしいこと、その際、舅にも病気を理解してもらう必要があるので一度一緒に連れてきて欲しいこと、などを、おっしゃられてました。ついでと言っては、悪いけど、姉の病状を訊いたら、気長に治療されることですよ、で、ニッコリ笑顔・・・もしかして、姉にクチ止めされてますか?って訊いたら、そういうとこですねって言われた。病院終わって、薬局回って薬もらって帰ってきたら、もう夕方4時過ぎ。ちょうど舅が出かけてたので、姑には薬飲ませて寝せて、舅は義伯父(舅のお兄さん)のところへ行っていたので、義伯母に電話して事情を話し、今夜は舅を飲ませて帰さないように頼んで。我が家に戻ったら、娘はご機嫌、パパとデートした上、チョコパフェ食べて、ミスド買ってもらって、ミッフィーちゃんの大きなヌイグルミ買ってもらって、自分用のサロンエプロン買ってもらって。随分と贅沢なデートだったようで・・・って言ったら、旦那「昨日、仕事帰り2年ぶりにパチンコ寄ったら、1000円の元手で大当たりだったから、そういう金は気持ち悪いから、パァと使っちゃった・・・」私にも少しでいいからパァっと使ってほしかったわねって言いながら、病院でのことを話したら、旦那曰く確かに、親父は昔からおふくろにどこか冷たかったし、反面甘えてた。親父の甘え根性は、トースケ(義弟)の甘え根性にも似てるし、金銭面でも親父はルーズでそのくせドケチで、自分が使うことに対しては寛容でも、他の人の金遣いにはとてもシビアだった、子供たちの教育にもお金を掛ける必要は無いって主義で、昔は読み書きソロバンだったと繰り返してたこと等、色々。舅の若い頃のことを聞くには、義伯父が一番だろうという事で、旦那が、再度、義伯父の家に電話したら、即、来てくださって。両親が年行ってから産まれた末っ子で、一番上の御姉さんとは18も違うので御姉さん達からは子供のように可愛がられ、甘やかされ育ったこと、高校進学の時、長男である義伯父は長男だからと言う事で親も大学進学させてたが、二男だった舅は二男という理由だけで、高校は必要ないと言われ、それでも御姉さんたちが、お金を出し合って高校へ行ったこと、高卒後、就職し、最初の赴任地で姑と知り合い結婚したものの、蓄えも無く、給料も安く、困窮した生活を最初は強いられたこと、しかし、見かねた母親(舅の母親)が隠れて姑のお金や食料を渡したことも何度もあったこと、後々、その事実を知った時、舅が姑に対し、恥をかかされたと激怒し殴って腕の骨を骨折させたこともあったことなど・・・出てくる、出てくる。長年押さえ込まれたものが、何らかの引き金を引いた拍子に飛び出したのでしょうねぇ・・・と言ったら、義伯父が、「この前、茶摘の手伝いに来てた時、何かTV見てたときかな、ドロドロ血ってのを言ってて、糖尿病の人の血液の状態がどうのこうのって言ってて、その時、(舅が姑に向かって)あんたの血はどうのこうのって言ってたような気がする・・・」何気なく聞いてたけど、あれかも知れないね・・・と。義伯父も、出来る限りの協力はするけど、陽菜ちゃんがダウンしないように、と言って帰られました。姑の治療と併せて、舅教育の必要性を痛感してます。
2006年05月17日
コメント(8)
明日、姑を朝イチで病院へ連れて行きます。昨夜もだったけど、今夜も、22時過ぎた頃、階下から「陽菜子さぁん、ちょっと来て~」今夜も、旦那がいたからいいようなものの、いくら寝てるからって娘一人を残して階下へ行くのは、ちょっと不安。旦那に、また昨日みたいに遅くなるといけないから先に寝てて、と、言い残して、階下へ。昨夜同様、姑は、足がムズムズする、なにかふくらはぎ辺りで虫か何か這ってないか、と。それも片足だけ。昨夜同様、さすってやると少し落ち着くけど、離れようとすると、また始まる。そのうち、姑は「私の身体、もうボロになってしまってどうしようもない」と泣き出す始末。背中さすりながら、私「今から病院行きましょうか?」姑「救急車なんて絶対イヤ。近所に恥ずかしいじゃないの。それにあれは、急病とか、重病の人が利用するもので、私は急病でもなければ重病でもないからね」私「カースケもいますから、今から病院に電話しますから、私の車で行きましょう」姑「陽菜子さんがいなかったら、菜っちゃんが眼さました時に、どうするの?」それ判ってるなら、呼びだして何時間も留め置くなよ・・・私「明日、カースケが休みだから。大丈夫ですよ、ね、病院行きましょ」姑「いや、行かない、行けば入院しろって言われる」私「じゃあ、明日、行きましょ。ね、明日、カースケが休みだから、朝から一番で行きましょ」姑「カースケとは行かない、だってあの子、怒るの、母親に怒るのよ、男の子なんてね薄情なの、お父さんと一緒で頼りにならないの」なんか、この人、子供になったのじゃ・・・ってちょっと不安になりました。背中さすったり、足さすったりしながら、私「じゃあ、明日、菜豚子の幼稚園をカースケに行ってもらって、私の車で朝イチで病院行きましょ、そうしたらいいでしょ。」それでやっと納得して、少し足のムズムズも取れたと言って寝てくれたので、やっと二階の我が家へ。私が階下へ行ってる間、旦那がネットで調べてくれてたら、あるんですね、本当に。ムズムズ足症候群、なる病気が。びっくりしたぁ。透析を受けてる人や、他にも色々と原因があるみたいで、これはもう明日、早速、病院へつれていかないといけないな、と。そして、落ち込み方が増してるので、その方面への紹介もしてもらわなきゃなって旦那とも話しました。何も知らず、ぐっすり眠ってる娘の優しい寝顔が今は一番の救いです。
2006年05月16日
コメント(4)
午前0時を回った頃、突然階下から叫び声。姑「陽菜子さん、おねがい、ちょっと来てぇ」娘はぐっすり寝てるし、旦那がTV見てたので、ちょっと下行って来るだけ言って降りて・・・午前2時まで。足、さすらされた。足が片方だけ、何か、つった様なムズムズするような感じが停まらないとのこと。片足だったら、自分の手でさすればいいでしょ。全くモゥ。足がムズムズして眠れないって。付き合わされるほうも眠れない
2006年05月15日
コメント(10)
明日が母の日というのを、どこで知ったのか3歳の娘。朝から「ママ、明日は母の日だって」「そうだよ、母の日だよ、菜っちゃんは母の日に何するのかな?(ちょっと期待してみる)」満面の笑みで娘は「明日、ネエちゃんところに遊びに行くの」「そう・・・明日姉ちゃんのところにね・・・」「だって母の日ってママがオバアチャンにプレゼントする日でしょ」君の母は、ママなんだけど・・・
2006年05月14日
コメント(10)
一昨日のことだが、ちょっと気になったこと。朝から、犬の散歩をしていたときのこと。その日はいつもより30分くらい遅い時間のお散歩でした。約1時間、娘と姑と連れなって歩くのだが、30分ほど歩くと、必ず娘が、のどが乾いたと言って、バス停のベンチに座って、自分で下げてきた水筒の水を飲みます。その時見たことです。そのバス停の1停留所先には、JRの駅があります。そのため、バス停の前の歩道をJRの駅へ歩いて向かう人は結構多いのです。その日も歩いてる人も数人いたし、またバス停でバスを待つ人、バス停のベンチに座って、早朝の散歩の小休憩をするお年寄りなど・・・そこへ、5~6台の自転車が、猛スピードで走ってきました。そのうち、2~3台は車道を走って行きました。歩道に人がいたから車道に出たのか?それとも車が少ない早朝だったのか?また、歩道を走って行った数台もスピードを落すこともなく走り去りました。ただしっかり見えたのは、学校名の入ったエナメルの長方形の肩から提げてる大きなバッグ。よく高校野球などで下げてるようなちょっと大き目の長方形のエナメルバッグ。みんな、故意に校名を見せびらかしてるように肩からバッグを掛けて、背中にちょうど当たるように下げてました。坊主頭で、スポーツしてるんだって雰囲気で。その校名、見せびらかしたかったのかもですね。昨年の夏・今年の春とも甲子園でベスト4以上に進んだのですから。しかし、朝の車の少ない時間帯とは言え、いくら自転車でも、無謀な走行がどうなるか?それくらいの常識も無いものかと思ってみていたら、近くに座ってた初老のご婦人が、一言「あの学校の生徒はろくな者じゃない」私「今日はちょっといつもより遅い時間にここ通ったのですけど、いつもあの調子ですか?」ご婦人「いつもよ、一度注意したら、走り去りながらうるせぇって怒鳴られたの」ほんの数人の心無い行動で、その学校に通う生徒が色眼鏡で見られてしまう、その学校が甲子園で勝利したから、いい成績残したから、国道を自転車であろうが縦横無尽に走っていいことは何もないはず。
2006年05月13日
コメント(6)
車の税金の案内が来るたびに、あぁ車、軽に買いなおそうかなって思うけど、払ったらもう忘れてる。だけど、今年は秋に車検も来る。なんで、車検ってあんなにかかるんだろ?私の車も旦那の車も調子よく走ってるんだけどなぁ・・・
2006年05月13日
コメント(2)
実家の姉から、昼間電話。なぁにって機嫌よく出たら、母の日のプレゼントを取りに来いとのこと。「私に姉ちゃんから母の日?」って喜んだら、「アホ、あんた、姑に今年も母の日準備してないでしょ」と。毎年なんですよね、姉が、一応、渡しておきな、渡さないと一年間、何、言われるか判らないよ、という事で、今年も姉が準備してくれた。以前はカーネーションで作ったプードルとか、押し花とかあったけど、敵も去るもの、姑曰く「お姉さんによろしくね」で、今年、姉が準備してくれたのは、ライ麦パンのモーニングロール。たぶん、今年も、メイドイン・姉、と姑は気づくだろうな・・・しかし、本当に貰うことだけはきっちりと忘れないババァだから。嫁の日ってないものかしらねぇ
2006年05月12日
コメント(2)
舅の車が修理から帰ってきた。結局、修理代金は、姑が隠し持ってた金から出したそうな。持ってるなら最初から出せよ借家の家賃なども先月末に入ってるから出せないはずは無いのだしかし、姑は私相手に、金額と修理内容を、わざと舅に聞こえるように、愚痴っていた。ファンベルトが切れかかってて、ブレーキパッドも悪くなってて、バッテリーやらエレメントの交換もして・・・と、ブツクサ言いながら、突如、姑が、「ギャァ」と叫んだ。何ですの?と、姑に訊けば、姑曰く「悪夢じゃわ、どうりで金食ったわけよ、この整備士の名前・・・」見ると、そこには○○ トースケ○○は我が家の姓。なんと、金食い虫で金にダラシの無い、義弟、トースケと同姓同名の整備士さんだった。営業担当の名前は知ってたけど・・・整備士の名前までは知らなかったもんな
2006年05月11日
コメント(4)
うちの地区の3歳児検診は、田舎なこともあって、検診自体、同じ幼稚園のお仲間一杯。親が仕事の都合などで、来れない人は、日を改めてヨソの地区の検診日に行ってくださいってなもの。2歳児の時までは、まだ、抱っこして順番待って、とか、座らせて待たせて・・・でよかったけど、3歳になったら会場全体が、幼稚園の運動場と化してる。違う幼稚園の子とも、お友達になって遊んでくれるのはいいけど、上着はどこかに脱いできてるし、靴下も脱いでるし。それでも、なんとかつかまえて、いざ、検診となって最大の難関、検尿。3歳になってすぐの頃は、オシッコと言っても終わってからしか言わなかったのに、先月の末頃から、ほとんど、オモラシが無くなった。以前はトレパンオムツを使ってて、3歳になった頃から、トイレトレ用の布パンツに切り替えて、同時に、尿取りパッドに変えてて、最初は、尿取りパッドにオシッコしてたのに、この頃じゃ、その尿取りパッドも殆ど汚さない状態。プリントには、汚れたオムツ等でも可、ってあったけど、当の本人さんが、きちんとトイレでやってくれるもののだから・・・仕方ないので、待ってる間にオシッコ取れたら取ってきてください、と、紙コップ渡されたけど・・・「ねぇ菜っちゃん、オシッコは?」「いかないよ」これを何度か繰り返し、やっと、「ママ、オシッコ」と叫んだところで、紙コップ持って、トイレへ走った、走った。採尿用のおまるがあるけど、「これは赤ちゃんがするのだから、トイレ行くの」と言い張る娘。娘の目に付かないように、コップをセットして、やっとこさ、採尿済ませた時は、ママはぐったり。質問にも、ペラペラ喋って、誰に似て、こうも口のたつ子なんだ、と、思い・・・。そして言われたことは、「出生時は早かったこともあって、低体重だったのですね、でも、しっかり成長してますね、ご飯も良く食べてるみたいだし。お話もよくするし。問題ないですね、これからもお利口にママの言うこと聞いてね」で、娘曰く「あのね、ちょっとイタズラするとね、ママがあれダメ、これダメ、それダメって言うのよ」そして言うだけ言うと、お友達のリンちゃんのほうに向かってキャアー\(^O^)/、リンちゃぁん、と叫びながら、走って行った。もう、ママは疲れて走る気力もなかったのです。
2006年05月10日
コメント(4)
私は、兄弟四人の中で突出したほど能天気な性格。掃除してなくても、ま、いいかって調子だし、あら、洗い物たまっちゃったけど明日するかってな調子。これが、姉なら、お風呂はいる前に自室に掃除機掛けて、お風呂入ってる間に、洗濯機回しておけば・・・ってな感じなんですよね。そいでもって、娘が、トイレ失敗しても、ま、いいさ、まだ3歳だもんってな調子で、友達が、うちの子、まだトイレ失敗するのよって言うのも、大人だって失敗する時は失敗するかもよ~ってな調子な。たぶん、姉なら自分の指導方法に何か問題があるのでは・・・ってきっと小さな文字がびっしりなったハードカバーの本とか読み出すのだろうねって先日も姉と話したものだった。しかし、同じ親から生まれてどうしてこうも違うものだろうか、と、ちょっと気になって。と、言うのも、旦那の兄弟を見ていて思ったのです。旦那はどちらかと言うと能天気の暢気君。旦那のすぐ下の妹は、これはね、活発というか、旦那に言わせればブルドーザー、何事も事後報告の人、しかし、自分で決断し実行したことは自分で責任取るのが当然、正しいことじゃあるけど、猪突猛進型、そういう性格だから、アメリカ人と結婚して、ポーンとアメリカ行って、小さいながらもインテリアデザインのオフィスを持ったのでしょうけど。で、旦那の兄弟の一番下のトースケと来たら、金銭感覚がズボラいい加減と来てる。最近じゃ顔を出さないので、少し平和・・・そこで、うちの兄弟も考えてみて思った。四人兄弟の上二人、兄と姉、この二人、本当に、絵に描いたような長男・長女、長の着くのがピッタリと言わんばかり。で、持って、下の二人、二女の私と二男の弟。弟は末っ子のせいか、どこか甘えん坊だったが、中学から寮生活送ったせいか、私より自立するのが早かった。しかし、今だ結婚もせず、ご縁が無いのかなぁ、俺は子供作るより建物作ってるほうが性にあってるもんなぁって始末。で・・・いくら、上の二人がしっかりしていたからと言って・・・親の育て方か?そこで、思い切って母に聞いてみた?「ねぇ四人、それぞれ、育児方法でも変えた?」と。母曰く「そんなもん、考えてる暇なんて無かったわよ。お父さんは仕事で普段はいないし、一人で育てたようなもんよ、兄ちゃんの時、こうだったから、と言っても、お姉ちゃんの時はまた違うし、か、といって、あんたは言うこと聞かない子だったし、一番下の時はいい加減、疲れてたもん、今みたいに母親向けの雑誌もそう無かったし、一日、家のことと子供の世話、そして、何ヶ月かに一度、お父さんが帰ってくればまた忙しいでね、育児方法も何もあったもんじゃなかったわよ」父は国家公務員で、仕事で転勤も多かったけど、一度、仕事に出ると数ヶ月帰宅しない事が多くて、幼い頃の父の思い出というのがあまり無いのですよね、父の勤務先は、当時定年が早く、定年後、民間企業に再就職しましたけど、最初の退職金も運用は、母任せ、自分の老いてからの生活なんてものも全く気に留めてなかったという話を私は大人になってから、母に聞いた。二度目の就職先を定年になってもらった退職金も運用はこれまた母任せ、この頃になると、姉や兄がそういう方面に詳しくなってたので、母は随分、ラクだったと言ってました。とにかく、うちの父は悩むということをしない人。だからといって、即決するとかでなく、暢気で一歩間違うと無責任男みたいなところがあるのだが、それでいて、外面は良かったらしい。母と父方の祖母との折り合いというのは、あまり良くなかった。しかし、父はそういうのも気づかなかったのか、本当に知らなかったのか、それとも知ってて知らん顔してたのか、気に留めてる様子も無かったし、また、母方の祖母は、女性でもきちんと仕事を持って、と、いう人だった為。父が母に専業主婦をさせていることに対して、憤りをあらわにしていても、それに対しても無関心なのか、気づいてなかったのか?父と言う人は、仕事人間であって、家庭の中に自分の居場所が無いことに気づいてない人でもあったのですよね。一番呆れたのは、姉が大学入試で夜、家にいなかった時、仕事から帰宅した父は、「姉ちゃん、珍しいね、もう寝たの。部屋に電気点いてないけど・・・まさか、こんな時間まで帰ってきてないの?」って言った時。あの時ばかりは、呆れ果てた。私が大きくなる頃は、民間企業に再就職してて、毎日、確実に帰宅するようになってたから、親父さんと話すことも多かったけど、姉や兄が大きくなる頃は、本当に親父さんはいないこと多かったから、そういう面でも差があるんでしょうね。私は、就職する時、そうそう進路で親と衝突することも無く、どこそこの会社を受けるんだよ、程度だったけど、兄と姉の時は壮絶だったから。兄にも姉にも、公務員になれってすごかったですもんね、自分が公務員だったせいもあるのでしょうけど、特に姉が商社の総合職を目指すなんて言った時は、商社なんてものはなぁってすごい状態だったけど、姉にクチで勝とうなんてのは、到底、無理。とにかく、実家の親父さんは、自分の年金が幾ら入ってきてるのか、預貯金がどれだけあるのか、自分の保険がどれだけあるのか、税金をどれくらい払ってるのか、挙句には自分の洋服が衣替えでどこにしまわれてるのか、全く、知らない人。朝起きて、お仏壇と神棚にお供えして、ご飯食べて、犬の散歩行って、庭の花、畑の野菜、合間にコーヒー飲んで、犬を散歩に連れて行けば1時間は確実に帰ってこない、4時半頃になったらお風呂掃除して、お風呂立てて、夕方のニュース見て、その後もTV見て、ちょっとインターネットして息子や孫にメール送って、暢気な生活を送ってる人。定年になってすぐは、母の買い物に付き合いまくって、母が悲鳴上げた時期もあったですね。うるさいって。それでも、俺が何かしたか?みたいな感じで。熟年離婚の新聞記事やTV番組見て、完全に他人様の事、自分には関係ないと思ってる人、若い頃、女でも作ったのじゃろう、ぐらいな感覚。何もしてくれなかったからこうなったんだって言っても、お父さんはお母さんにお給料全部渡してたよ、その中から小遣いもらってたんだ、ってな調子。そんな事あたり前なんだけど・・・時々思うのは、姉は、母の看病してくれてるけど、なんとなくだけど、姉も親父さんんのことは、放り出すのじゃないかって気がしないでもないんですよね。姉の成長過程の中で、親父さんって存在が無かったような気がするし、結構、姉は親父さんとは意見衝突させた時あったから。喧嘩して、結局は親父さんが言い負かされて、親父さんが言うには、「あれは、オナゴに生まれてくるオナゴじゃない、男の精神持って女の形で生まれてきおって・・」って言ったところで、わが子じゃやろうがって思って聞いてたけど。どっか、うちの父は、自分が親である立場な事忘れて、高みの見物的な発言をよくしてた。そこまで、ポーンとはなりたくないけど、何事もあまり気にかけないのは、やっぱり親父さん譲りか・・・
2006年05月10日
コメント(2)
白いんげんがエライ叩かれてますけど・・・チラッと聞いた話、昨年、姉が入院してた時、隣のベッドの女性が、白いんげんのダイエットやって、失敗して、入院してたんですよね。その人は、会社の同僚が成功したので、そのダイエット法をやったらしいんですよね。でも、その人の体質には合わなかったのでしょうね。個人差ってものあるでしょうから、でも、無理なダイエットは本当に怖いです・・・
2006年05月09日
コメント(0)
連休前に、幼稚園の先生から、GW明けると、幼稚園に行きたくないと泣く子が多いけど、そういう時は、怒らずに連れて来て下さい、次第に慣らしますから、と言われていたが。泣くどころか、うちの娘、5時前から起きて、「ママ、今日から幼稚園だよ、遅刻したらどうするの」うるさいのなんの、「菜っちゃんは誰に似てそんな早起きなんだろうね」って言うと、「あのね、ネエチャンに似たんだって、バァバが言ってたよ、ネエチャンはね待ち合わせの30分前には必ず行ってるんだって」母も余計な事教えてくれたものだ、と一人でブツクサ言いながら、お弁当作って、いざ、幼稚園へ。いつも以上に早く着替えて、鞄も持って、歩くのじゃない、ピョンピョン跳ねながらの通園。幼稚園に到着するなり、お友達見つけては、お互いに「お休みの間、何して遊んだ?どこ行った?」恐るべき3歳児、私達のころでは考えられない。園長先生が、皆さん、ママに行って来ます、言いましたかっておっしゃられて、それから、ママ、バイバイ。泣くことも無く、よかったね、って他のママ友と話して。そして、午後のお迎えの時間、お迎えに行ったけど、みんなで幼稚園の運動場で遊んで帰らない。それでも3時になったから、さぁ帰ろうと連れ出したら、そのまま幼稚園前の公園へみんなでGO結局、3時半過ぎまで遊んで、帰り着いたのは、4時近く。久しぶりにみんなと遊んで楽しかったお話を道々話して帰ってきて、帰り着いたら、着替えるなり、お昼寝。よほど遊びつかれたのか、まぁ泣いてくれなかったのはいいけど、ママは君がいなくてもお昼寝は出来ないんだよ・・・
2006年05月08日
コメント(0)
昨日、実家から我が家に帰ってきて、昨夜は静かな夜、だって階下の舅・姑が不在。下の階に気を使わなくていいってものは楽だぁって旦那と二人で喜んだものの・・・旦那がふとこぼした一言。「親父の車もおふくろの軽もあるんだけど、どうやって伯父さんの家に行ったのかな?」義伯父の家は、バス停から坂道30分登ったところ、到底、車がないと行きにくいし、その前に、バスもろくにない。まさか、あのケチが、タクシーで行ったとは思えないし、伯父さんがまさか迎えに来てくれて・・・それは無いだろう・・・ま、いいか、明日、迎え行ってやっか。という事で、昨夜はそれで終わった。しかし、今日の午後から迎えに行って、連れて帰ってきたあと・・・帰りの車の中では、娘が、私の実家で、何やった、どこに買い物行った、楽しかった、またお泊りに行くのだ、と舅&姑に色々話して聞かせていた。妙に、舅と姑が愛想のいいのも薄気味悪かったが、おしゃべり娘の一方的な話に年寄り夫婦は黙って笑いながら聞いていた。帰り着いて、義伯父のところから、筍やら蕨、たらの芽などの戴いた山菜を分けてから、二階へ戻った。戻って5分もしないうち、カースケに話がある、と舅が呼びに来て、旦那は降りて行った。別居のことかもね・・・と言いながら。ところが、10分もしないうちに、旦那はブツクサ言いながら戻ってきた。私「どうしたの?」旦那「どうもこうもねぇよ。車、壊れたんだって、親父の車。おふくろの車では、伯父さんのところの坂、きついから、行く時はタクシーで行ったんだって。でな、車の修理代を貸してくれて言うの」私「幾ら?」旦那「5万!!!」私「何を修理すれば5万もいるのよ」旦那「燃料ポンプが壊れてるんだって。それに12ヶ月点検もしてないしって」私「燃料ポンプだけしてもらえばいいじゃないの、何も人から金、借りてまですることないじゃないの」旦那「メーカーに持って行ったら、しなきゃダメですって言われたって。それでな、来月の年金まで、頭金で5万いれなきゃいけないから、5万貸してくれって」私「あのね、バカ言ってるんじゃないの。今月の15日に年金が入るのならまだしも先月の15日に年金が入って、まだ1ヶ月も過ぎてないでしょ。来月の年金まで1ヶ月以上あるのよ。第一、貸していつ帰ってくるのよ。冗談じゃないわよ」旦那「来月の年金で返すって。だけど、断った。1ヶ月以上も貸せるかって。」私「この前から、お義母さんの入院の保険金も入ってるはずだし、オール電化にする工事代があってどうして5万の金が右から左に動かないの、おかしいじゃないの、まさか、オール電化に工事するのにローン組んでやったんじゃないでしょうね、70も近くなってからローン組んだのじゃないでしょうね」旦那「そのオール電化なんだけど、どうやらそのローンらしいんだよ。3年ぐらいのローンを組んだとかってはっきり言わなかったけど、ローンでやったらしい」私「まさか、カースケ、あんた保証人とかやってないでしょうね」旦那「断じてそれはない、これはトースケも同じ、絶対にそれはないって言い切れるけど、金利が安かったとかって言っててね・・・」私「金利安かろうと高かろうと借金は借金。70も近くなってから、ローン組ませるほうも組ませるほうだけど、印鑑押すほうも押すほうだよ、とにかく、5万どころか5千円も私は貸せません。絶対に貸せないから」旦那「俺もそう言ってきた。とてもじゃないけどそんな余裕無いって、あっても貸せないって。持ってないことは無いはずなんだけど・・・」私「たぶんね、普通預金には残高少なくして、貯蓄預金か、小口定期にしてるんだよ。だから即、動かせないんだよ。でもね、絶対に知らないからね」その後も2,3度、旦那は下に呼ばれてたけど、ろくに相手もせず戻ってきてました。カースケの小遣いから貸せって言ってきたらしいけど、そりゃ無理ってもので。我が家は、小遣いの決まった額の中から、少しずつ本人に渡してるんですから。だってそうしないと、一度にもらっちゃって、使い込んだら困るからって言うのが旦那の言い分。しかし、燃料ポンプなんてどうすれば故障するのか?不思議
2006年05月07日
コメント(6)
実家から、帰ってきました。犬も連れて行ってたので、犬は最初、怪訝そうな顔で自分の小屋の周囲を回ってましたが、5分もしないうちに庭でゴロン。郵便受けには留守中のメール便や新聞など。ほー今回は、新聞取らなかったんだ・・・以前までは、みっともないとかって人の家の新聞取ってたのに・・・と思いつつ、郵便受けの中のものを全部だし、二階の我が家へ。旦那が、一階に声かけてみたら、どうやら夫婦とも出かけてる様子とのこと。ま、いいじゃない、と言いつつ、荷物などを片付け、たまってた郵便物や新聞などを片付けてたら、そこから出てきた3枚の便箋。1枚目 舅から陽菜子さん&カースケへバアサンと二人の生活はわびしい物です。後生だから、別居など考えないでください。2枚目 姑から陽菜子さんへ渡されたメニューと作り方を見て、食事してます。だけど、一人で作って一人で食べるのは寂しいです。陽菜子さんに作ってもらうのとは違います。糖尿病のこと、きちんと勉強しようと思います。帰ってきてからケッコウです。空いてる日に本屋さんへ一緒に連れて行ってください。そして、今度の診察は22日です。また一緒に行ってください。お願いします。3枚目 舅&姑連名陽菜子さん&カースケ&菜っちゃんへ二階に物音のしない生活は、淋しいです。菜っちゃんの声も犬のタラコの声もしない生活は辛いです。少し、年寄りは年寄りらしくしろ、と、兄さん(舅の兄)からも怒られました。若い者の言うことを少しは聞けとも言われました。お願いですから、出て行かないでね。淋しいのは、どうしようもないです。お願いだから出て行かないでください。今夜は、兄さんのところの茶摘みの手伝いですので、兄さんのところへ泊まります。旦那と、なんで、こんな懇願した手紙があるの?って言いながら、ポストの中身を整理しててわかった。不動産屋が留守中に立ち寄ってるのだ。名刺がポストに入ってた。たぶん、不動産屋が来たことで、舅・姑は、私達夫婦が、別居用の家を探してることで慌てたのだろうなってのが旦那と私の推測。でもね、別居するならこの界隈じゃするものかっての。親戚も近くにいないところに引っ越さないと、車で10分~20分のところに、舅の兄弟・従兄弟だの、はとこだの。たぶん、舅が不動産屋を見かけて、慌てたのだろうな。あの不動産屋、派手に社名書いた車で回ってるし・・・旦那曰く、明日、伯父さんの家まで迎えに行ってやるかって。そういう甘い顔が後々響かなきゃいいんだけど・・・
2006年05月06日
コメント(10)
ちょっと思うことあって、アメリカに住む長兄に電話しました。兄貴の住みかに電話したら、兄嫁が出て、「仕事でニューヨークに行ってるの、昼頃だから電話していいよ」妙な気分で、兄のところへ電話したら、「別に時間なんてご飯食べる目安だから・・・」話す時間は取れるか?と尋ねたところ、「ディナーに招待されただけだから時間は十分大丈夫」って、あいつ、いったい何やってるのだろう?とちょっと不安。兄に、日本はGW中で、旦那も休み取れたので、実家に帰ってきてること、実家の庭にテント張って昨夜はそこに娘と旦那と父の三人で寝たことなど近況報告をした上で。一昨年の10月、母の腎臓が悪化し、入院治療を勧められた時、兄はどう思ったか聞いてみました。あの時、母は、子供4人に対し、同じ内容のメールを同時に配信したのです。「掛かりつけのK先生から、腎臓の悪化を告げられ、総合病院の腎臓専門のドクターを紹介され、紹介状を持って受診してきました。総合病院では、1ヶ月前後の入院治療を勧められましたし、人工透析も視野に入れた治療が必要と言われました。但し、貴方達も知ってるように、お父さんは家の事も全く出来ない人ですし、とてもじゃないけど自分で煮炊きして食べれる人じゃありません。だから、入院は断るつもりですが、万が一、ボケてもいないお父さんでも預かってくれるところか、家政婦さんを頼めれば、その時は入院も検討します。一応、今月の近況報告です。」母は近況報告と称したメールを、子供四人に対し、よく同時配信してました。このメールが届いた翌日、私は1歳半の娘を連れて、実家へ行ったのですが、母から「乳飲み子いて、旦那の仕事も不規則で、どうやって自分の家庭と実家と両立できるの?あんたには無理」と即、断られました。料理も下手で家事も要領悪い私がいてもあまり役立つことはなかったのでしょうが・・・・あの時、母は、誰に帰ってきて欲しい、とは、一言も言わなかったのですが、姉の帰省を望んでたとは後々になってから思いました。そのことで、兄貴に、あの時、帰らなきゃって思うことがなかったか聞いてみました。すると、兄貴は「迷った、本気で迷った。頑張って社長になるのでもなし、いっそ帰って、一箇所に腰を落ち着けて暮らすほうが子供達の為にもなるかとも思った、でも経済的な事、収入面のこと、それ考えるとやっぱり迷った、帰らなければいけない、誰でもないオフクロだよって思う自分と、嫁さんと子供のこと考えろよ、お前一人が子供じゃないだろって思う自分と、頑張ってもっと出世の道進めよ、って思う3人の自分が自分の中で戦ってるんだよ。自分を作ってくれた家族か、自分が作り上げた家庭か、それとも自分の社会的立場か、迷って迷ってる間に、姉ちゃんが転勤希望出したから、私、実家に帰って実家から通うから、人事課の課長が同期だし、大学時代から何かと面倒見てきたから、早急に辞令出せって言ってるからって連絡が入ってね、その瞬間、本当に申し訳なかったけど、ホッとする自分がいたのも正直なところなんだよ。だけど、その後で、はたと思った、どこに通うんだって。実家のある県には、グループ内の関連企業はあっても、直接の支社は無いのだし、一番近い支社まで、高速道を走って1時間半~2時間。確認したら、そうだって言うだろ、次に思ったことは、申し訳ない、妹が結婚もせずに頑張ってきた妹が、そこまで決断してる時に、長男であって、長子である男の俺は、結局、自分の保身ばかり考えてた、その自分の保身を隠すように、子供や嫁さんのことを前面に押し出して・・・情けない男だと思ったよ。一生涯、姉ちゃんには頭上がらないと思ったね」兄貴にとっては姉は妹の立場なのだが、兄貴も親もどうしてか、姉には、「ネエチャン」と言うのである。私「そのこと、姉ちゃんに話したことあるの?」兄「話したよ、うちの嫁さんもさ、私が長男の嫁なのに・・・って気にしてたからね、本当に申し訳ないって言ったらさ、兄貴に帰ってこられて、先々、あの時・・・って言われたら嫌だし、兄貴はきっと、帰らなかった後悔より、帰った後悔のほうが強いような気がする、でも自分は、帰らなかった後悔のほうが帰った後悔より強いと判断したから帰ってきたから、グタグタ気にする必要なし、ウルサイ!!!って怒られちゃったよ」私「なんか姉ちゃんらしいね」兄「決断できる人なんだよね。昔、親父のほうのジイサンに一度言われたんだよ、あいつは、どの息子よりもどの孫息子より強い孫娘だ、あれは軍鶏だ、いや、あの娘は鶏どころじゃない、鷹だ、あれが男に生まれてたらこの家、全てをあの子に譲るのになって、まだ、姉ちゃんが小学校上がった頃かな。その頃から違ったのだろうね」私「なんか姉ちゃん一人になんでも押し付けてるような気がするんだけど、時々そう思うだけで、何にもしてやれなくてね、チビに振り回されてるものだから。」兄「うちの嫁さんも同じこと言ってる、自分だけでも帰国して・・・て言うけど、子供達のこともあってね、とどのつまり、親見代って事で月々、姉ちゃんの口座に仕送りしてるんだけど、金で済むことじゃないのは判ってるのだけど・・・ただ思うのは、先々、姉ちゃんに何かあったら、その時は、今度こそ自分が看病してやるんだって思ってるのだけどね」私「兄貴、姉ちゃんより長生きするつもりなの?」兄「さぁそれはね、ただ、出来る限りの事はしてあげたいし、向こうからだと電話しにくいかなって思って、チョクチョク電話もいれるし、頻繁にメールも送るようにしてるし、最近じゃ子供達も時々メール送ってるみたいだし、会社にも定年前10年ぐらいは国内勤務にさせてくれって頼んでるけど、どうなるか判らないし、国内勤務でも近場とは限らないし、ただ、確実に言えるのは、自分を創ってくれた家族を思う気持ちと、自分が作った家庭を天秤にかけるのではなく、どちらも常に心に留め置いてるって事は自信持って言えるんだよ」その後、兄と子供達のことなど話して電話を切りました。長男だからって帰ってきたところで、たぶん、姉と両親のような暮らしが兄一家に出来たか?と言うと、それはNOだったと思うんです。母の体調を考慮した食事内容にすれば、若い世代には、厳しいものがあるでしょうし、また、嫁と姑というのは、うちの姑みたいなのは、別としても、どうしても他人同士ですから、どこかぶつかるものもあると思うし・・・兄と最後に話したのは、幸せの形は人それぞれ違うけど、自分が幸せでいる影で誰かが何らかの負担をしていることを忘れてはいけない、またその人が不幸だと思うことがあれば、その不孝の淵から救われるように最善の努力をしなければいけない。それを忘れてしまっては、本当に幸せにはなれないのだろうと。そして、能天気・単細胞の私が思ったことは、国際電話代を姉になんと説明するか・・・私は今夜は実家泊まりだった・・・
2006年05月05日
コメント(6)
今日は、早朝5時から出かけ、気持ちいいくらいお花見を楽しみ、体の中から入れ替え完了みたいな気持ちに久々になれました。今日は運転も旦那一人にさせて・・・だってうちの旦那、貸切バスの運転手でプロなもんで、私の運転には文句ばっか、で、もって姉の運転には、直接言い切れず・・・義姉さんケッコウ飛ばすな・・・なんて言うんで、今日は旦那運転。で、もって、私は、後部座席で、姉とビールなぞ片手に・・・麦畑も早いところは刈入れが済み、田植えの準備も行われているところもありました。そんな風景を眺めながら、走っていたとき、姉がフッと言ったのです。「山って毎年、あんなに、ブロッコリーやカリフラワーみたいになってたのね」新緑や、山の木々の花の様相が、ちょうどブロッコリーや、カリフラワーのような感じに見えないでもない。母が、「御姉ちゃん、まるで初めて山を見たのじゃないでしょ(笑)」って言うと、姉は、「いやぁ、何十年ぶりかで見たって初めて見たような気もする、だってGWなんて本当に何十年ぶりだろう・・・」姉は、学生時代、休みの日は補習かバイト、就職してからもゆっくり休むということも殆どなく、たまに休みがとれても、講演会やスキルアップの講習会などに出かける生活を送っていて、ただひたすら走り続けるような生活を行ってきてたので、ゆっくり新緑の風景を眺めることもすごしてたのだ、と、改めて思いました。そんな姉に母が声をかけてました。「お姉ちゃん、もう少しゆっくり歩き続けていいからね」
2006年05月03日
コメント(10)

数年ぶりにGWらしいお休みとなったので、実家の両親・姉と私達親子三人で朝5時から出かけました。と、言うのも、行く予定の場所に行き着くまでに、GWで全国から人が集まるような土地を抜けなければいけないので、朝5時出発。ところが、道はすでに混み始めてましたが、なんとか無事にたどり着けました。そしてそこでは、ちょうど藤とツツジと牡丹が盛りユラユラと花を咲かせる藤を見た我が娘・・・「ママ、あれがブドウになるの?」なんでも食べることに結びつく娘なのです。しかし、今年は、お花がどこも良く咲いてます。
2006年05月03日
コメント(2)
結婚して初めて、旦那がGWらしい休みが取れました。去年は、旦那も休みじゃなかったし、姉が入院してて休みどころじゃなかった・・・しかし娘は、毎日、姉の見舞いに出かけることがタダタダ嬉しかったご様子。だって、見舞いに行けば、姉が、ヨーグルトなりプリンなり買っててくれたもんな・・・その前の年は、やっと1歳になってチョロチョロ動き回る娘を連れてはどこへも行けないねって話して。その前の年は、旦那のほうの親戚が町議選に出馬するので、その手伝いに行ってた。その前の年は、自分の結納だった。思い返すと、GWなんて本当に久しぶり。独身の頃は、友達と旅行行ってたものですけど。結婚して、子供生まれたら・・・明日から実家へ行って、一日は娘を預けて旦那と二人で出かける、夜は実家でバーベキューをする、そして1泊はキャンプに行く、娘が小さいので、お出かけ範囲もマダマダ狭いけど、これが手が離れる頃になると、また淋しいものもあるんでしょうね。明日から、しばらく、姑の弁当作らないでいいだけでもラッキーだわ。姑には、21食分のメニューを渡してるんだ。好きなように食べてください、どのメニューも400キロカロリー前後になってますからって押し付けてきちゃった。
2006年05月03日
コメント(1)
ママは確かに昼寝をしました。と、言うのも、昨夜3時半過ぎまで眠れないのに任せてCD聞いてました。だから、昼間、眠くて、パパがベランダ掃除や庭の草むしりしてる間、寝てました。だけど、ママだって夜は寝るんだから。明日から、お出かけするからって、そう30分おきに起きて、「ママ、まだ朝じゃないの~」って菜っちゃん、やめてくれ・・・ママはまた眠れない夜になってしまうではないか・・・
2006年05月03日
コメント(0)
今夜は寝そびれた、と、いうか、眠れない。旦那も娘も高いびきなのだけど。眠れないついでに、久しぶりに音楽CDなるものを出してきました。娘が生まれてからというもの、子供向けCD、子供向けDVD、妊娠中は、胎教にいいCDとかばっかりだったので、久しぶりに70年代~80年代頃のCDを出してきて、かけてみました。兄や姉が好きで、歌詞の意味もわからずよく聞いてました。オフコース・チューリップ・甲斐バンド・アリス・加藤 和彦&北山 修 等々やっぱり、今聞いてもいいです。本当にいいものは、時代が移り変わってもいいものなんですよね。しかし眠れそうにもないなぁ・・・
2006年05月02日
コメント(8)
旦那が今夜帰ってきたのは、午前1時。それから、食事してお風呂入って・・・先に寝てていいよ、って言ってくれたけど、予定より2時間も遅れての帰宅だったので気になって起きてました。旦那は貸し切りバスの運転手なのですが、GWで渋滞と、観光地でお客さんがバスに戻ってくるのが遅れて、その分出発も遅れるということで、自然と、会社に帰るの遅くなって、帰宅時間も遅くなるという始末。それでも、旦那は明日は休みだからいいのだけど・・・そんな旦那、お風呂上がってから、自分のPCを広げて、ここ数日ブログを更新してなかったんだよと言いつつ、打っていた。旦那、打つのが遅いのだ。音だけ聞いてると、打ってないのかと思うほど、遅い、指は10本あるが、旦那の場合、3本もあれば良いのです。そんな旦那だから、打ってないのかなと思いながら、自分のPCの前に座っていた・・・ところ、旦那の様子が変?PCの前で泣いてるではないか・・・どうしたの?具合でも悪いの?って声掛けたら、旦那曰く、「このブログすごく好きなんだよ、尊敬するんだ、でもね、あまりにも美しすぎて今だ一度もコメントできないんだ、陽菜子も一度読んでごらん。俺はね、こんなパパであり、社会人であり、人間でありたいと思うんだよ。この人達は素晴らしい人たちだよ」って旦那が言ったブログは、私も大好きなブログだった・・・旦那に「車関係以外のブログにも行くの・・・?」って訊いたら「いいや、ここだけ、だって子育てとか生活とか同居問題とか怖くて見に行けないもん、だって、世の中にお前のところの親ほどのバカはいない、とかって言われたら怖いもん。同居問題になると、お前がしっかりしないからだって怒られそうでさ、だから車関係意外では、ここしか行かないんだよ、陽菜もあとで読んでみなさい、いいブログだから」言うだけ言って旦那は寝ました。能天気なんですよ、うちの旦那は。結婚する前、うちの両親に会わせた時、母が言った事は、「単純そうだからいいわ。能天気が服着て歩いてるみたいで、男のせせこましいのはどうにもならないから」本当に能天気が服着て歩いてる、そんな旦那なのです。
2006年05月01日
コメント(2)
昼間、姉に、GW中、少し家の事から解放されて・・と話したら、反対に、あんたら夫婦こそ「ゆっくり出かけて来い」と言われ、旦那とお言葉に甘えようか・・・などと話しながら帰ってきました。姉曰く、娘は、一日預かってやると。うちのこの子猿(この頃、子豚返上までいかないが、あまりの活発さに子猿)が、お調子者で、「ネェチャンと遊んでるから、ママ行ってらっしゃい」と手を振る始末。今日は帰るの、と、連れて帰ってきたものの・・・旦那と少し話しました。旦那「義姉さんは一人で本当によく親の世話してるよね」私「親孝行な人なんだよ、家の手伝いも小さい時からよくやってた。台所の手伝いもよくしてた。その点、私は、してなかったもんなぁ、だから、料理なんかも姉は何でも出来るけど、私は結婚前、付け焼刃をつけるので大変だった・・・」旦那「うちの兄弟なんて、親の世話しようって考えてるのいない、真ん中はアメリカに逃げたし、トースケはあの調子だし・・・かくいう俺も逃げ腰・・・て、いうか、親孝行しようって気持ちになる親じゃないんだよね」私「そうねぇ、うちもね、お母さんは子供の頃から子供を見てくれたなった母親だったけど、親父さんはね、仕事、仕事の人でね・・・家の事、全くだったね。朝も早くから出て行って、夜は毎晩、10時、11時でさ、そうそう、姉ちゃんが大学入試でいなかったとき、どこ行ったんだ、部屋に電気点いてないけど・・・って言った事もあった。・・・そう言えば、姉ちゃん一度、今度生まれてくる時は絶対に長女に生まれてこないって言ったことあった」旦那「うちの真ん中なんて、長女だけど一人娘だから親父の可愛がり方って半端じゃなかったもんな、親父もあいつには甘かったけど、当の本人が親を嫌って出て行っちゃってさ」私「早く逃げたものが勝ち・・・か。子供って幾つから親孝行するのかな?」旦那「さぁ、そりゃ、今から始めますって始めるものじゃないでしょ、ただ忘れずに思う気持ちがるのも親孝行かもね。たださ、一緒にいる人の苦労ってのは、一緒に暮らしてる人じゃなきゃわからないものあるだろうね」そうなんだよねぇって言いながら、布団を蹴散らして寝てる娘の布団を掛けに行ってその寝顔見て思いました。仏教の言葉だったと思いますが、以前、姉に教えてもらった言葉で「和顔施」という言葉を思い出しました。和やかで穏やかなる顔で人に接する、娘の寝顔がその言葉にぴったりだと思いました。3歳の娘の寝顔は、それは、私達夫婦への最高の親孝行の顔だと思いました。夢でも見てるのか、それとも昼間の実家でのことが楽しかったのか、楽しそうな和やかな顔で寝てます。旦那とその後、話したことは、娘から親孝行する価値も無い親だと言われないような親にならなければ、と、話したのです。
2006年05月01日
コメント(4)
全39件 (39件中 1-39件目)
1