2006年01月11日
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カテゴリ: 祖母のこと
実家の母方の祖母が、年末から入院させられた病院を退院し、新しい施設への入所への引越し(引越しって言うのかな)が決まってそれが今日だったので、当初、姉のみ行く予定だったが、実家の両親が娘の幼稚園の送迎をしてくれるというので、丁度休みになった旦那も一緒に姉と三人で出かけた。

祖母は99歳、昔は女子大卒後の職業婦人・国防婦人会・戦争未亡人・そしてまた働く女性、として一人で生きてきたような人だった。母親としては、ちょっと疑問に思う点も多い人だが、強い女を地で行くような女性。

現在、痴呆もあるが時々正常に戻る。現在、介護3の状態だが、あの介護基準てのが私はよくわからないから、この程度かなと思うけど、今日、行った施設でも、
「結構、お元気でしっかりされてますねぇ」なんて言われてたから元気なほうなんだろうな。新しい施設に入って第一声が
「どなた様も本日始めてお会いした方もお友達でいましょうね」
で、社交的なババでしたから。

移動の車の中で、祖母に、どうしてずっと一人暮らし続けたか訊いてみた、呆けてても、時々はしっかりと話してくれる祖母だから、もしかしたら・・と思い訊いてみた。母も何度も同居を勧めてたし、父もずっと気に掛けてた。すると、祖母は、昔々のそのまた昔の物語の始まり始まり、と拍子漬けて、話し始めた。

以後、祖母の一人語り
「うちの実家はどういうわけか、代々女系家族で、なかなか男の子が生まれない家系で私のお父さんもそのまたお父さんも婿養子、私は兄が三人いたけど、その兄も一人は早逝したし、一人は早くに養子に行ってたし、もう一人は戦死した。実家の墓を守るのは自然と私の役目になったし、代々女系だからそれを不思議に思いもしなかったし、私も嫁いでたが、嫁ぎ先の舅も姑も私を嫁ではなく本当の娘のように大事にしてくれたし、私の実家の先祖を祀る事になんら異議も唱えないし、私の母も兄嫁達にそうしてたこともあったし、また、日本は戦後、変わってきたから、嫁を大事にするように変わっていったのじゃないかと思ってた。戦前は、家制度、の言下、女性の立場というものが圧制されてたから、それをずっと仕事でも見てたから、世の中は変わった。そう思ってた。戦後、夫に戦死され、一人娘を最初は姑に預け、その姑が亡くなると今度は養子に行ってた兄に預け、私は、フルタイムで働いた、ウーマンリブとか呼ばれた時代もあった。働くことで娘を学校にやり、着せて食べさせて、家を守るのではなく、家族を守るために働いた。私にとっての家族は、病床においても優しい姑であり娘であった。その娘が19の年に姑が亡くなった。私は、実の親が死んだ時より夫が死んだ時より悲しかった。娘を東京の女子大に行かせてたので、私は、仕事から帰ってから一人暮らしの家の淋しさを毎日いやおうなく味合わされた。淋しい、でも、頑張ろう。頑張って働いて、お金貯めて、東京の娘のところへ遊び行こう、そうだお土産たくさん持って遊び行けるよう頑張って働こう。娘は、大学卒業後、就職したけど、友人の紹介で知り合った公務員と結婚することになった。おとなしそうで、どっかちょっとおっちょこちょい、そんな感じの男性で、「いい人だ」と思った、それまで私は、本当の意味の嫁姑の争いを知らなかった。同僚から話を聞いても、大して気にも留めてなかった。


その後の祖母は、ポケットアルバム出して、ひ孫の写真眺めて、どれも赤ちゃんの時は同じ顔、だけど、この一番丸々としてるのが、陽菜ちゃんの子やな、誰に似て、こんな子豚かいな、バアサンに似たな、陽菜ちゃんの母ちゃんが子供の時は豚やったからなぁって、言うかと思えば、今度の映画の封切りは何かいなぁ、雷蔵この頃痩せたもんな、病気でもしてるんかいなぁって言ってみたり。

契約事項の確認等で今夜は祖母の所へ泊まるという姉を残して、帰宅後、母に、祖母の語ったことを尋ねたら、
「うちはね、お父さんが次男だったことと、転勤が多くて、滅多に向こうのおじいちゃん、おばあちゃんと顔合わせること無かったけど、長男大事の姑でね、孫は18人いても、長男の長男にしかオモチャでもお菓子でも服でも買ってあげない人だったの。一番可哀想なのは、長男のところの女の子の孫よ、差別されちゃってね、そんなだったから、呆けた時もお父さんの兄弟8人いたのに、結構、みんな冷たかったらしいよ、亡くなった時のあのお通夜の晩、覚えてるでしょ、大宴会になっちゃってさ、孫だけじゃなくて、娘・息子達が、親が亡くなったっていうのに、大盛況な大宴会だったでしょ。孫もお焼香にも来ない孫もいたでしょ。どんなに喧嘩しても、長男が親を見るのが当然って言って、転勤先にずっと着いて回って人達だからねぇ。家を守らねばって言いながら、実のところ、守りたかったのは家じゃなくて、自分達の生活だったんでしょうね、子供たちには子供達の生活があるってことを最後までわからない人達だったのじゃないのかな。うちのバアサマも意地っ張りだから、何度、同居勧めても、向こうのおばあちゃんに対抗しちゃってね、何十年も昔のことなのにね、うちのお父さん、あの通り、能天気だからそんな事気にしないで、一緒に住んでも良かったろうけど・・・バアサマの若い頃ね、今の姉ちゃんみたいな感じだったよ、ショートカットでハイヒール履いてメガネを首からぶら下げて、姉ちゃんと話してたら、思わずお母さんが昔、言ってたことだって思う時あるんだよ」って母は笑ってた。

ただ、バアサマが、昔、今のうちの娘のように子豚だったのかとは聞けなかった。

帰宅後、旦那が、舅・姑に向かって
「嫁さん、孫、大事にしておかないと、哀れな老後を迎えるからな。息子・娘に差をつけるなよ。バカ息子に甘い顔するなよ。死んだ時、万歳三唱されたくなかったら、少しは可愛い年寄りになれよな」
って。
舅は、図書館から借りてきた、節税対策の本を片手にポカンとしてたし、姑は、黙ってうなづいていた。





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最終更新日  2006年01月12日 00時52分24秒
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