笑来有望

笑来有望

お帰り



それが日常になって、帰宅時の儀式のようなものだった。

今日も、この扉を開ければその日常が行われる。

 ─お帰り─

小沢さんは二十歳過ぎても名古屋でぶらぶらしていた。

そして俺はその頃組んでたコンビを解散して、名古屋にいた。

ほとんど無理矢理、俺は小沢さんを東京に出てこさせた。

生活も苦しくて、自分一人食べていくのにも一杯一杯だったのに。

だから小沢さんが何気なく、

「名古屋にいたら今頃どうなってたかなー」

何て言ったりすると、緊張して、体が強ばってしまう。

だから、家に帰って小沢さんがいないなかったら・・・と想像してしまう。

そして、今まさにその想像が現実になっていた。

誰もいない部屋の真ん中で、泣くことも狼狽えることもできず座り込んでみる。

今になって考えてみると、小沢さんはいつもこの部屋で一人で居たんだ。

知り合いは俺しかいないこの東京の右も左も分からない場所でたった一人。

一体どんな気分だったんだろう・・・

部屋の真ん中で座り込んだまま天井や窓をゆっくりと見渡してみる。

これが、小沢さんの東京での世界。

まるで牢獄みたいだ、外に出ても良いのに出られない牢獄。

俺の所為だ、俺の所為で小沢さんはこんな目にあった。

こんな事してはいられない、小沢さんを捜さなきゃ。

俺は防寒具も着ずに夜の東京に飛び出した。

あてもなく闇雲に捜し回り、夜中の間ずっと走り続けた。

心当たりなんか一つもない、心配のみが頭に浮かぶ。

それでも見つからなかった。

泣こうにも泣けず、怒ろうにも対象物がなかった。

明け方近くに疲労と共に帰宅してみれば、ケロリとした顔の小沢さんがいた。

「お帰りー潤、朝帰り?」

なんて暢気なことを言う小沢さんの顔面に左ストレートを決める元気もなく、

安堵感と急に来た睡魔によって、俺は倒れ込んだ。

目を覚ますと、小沢さんが心配そうな顔で見下ろしていた。

もう昼過ぎで、俺は座布団を枕にしていた。

せめて布団の一枚でも掛けてくれればいいのにと思いながらも、ふっと笑みが漏れる。

「潤、大丈夫?ごめん、俺のか弱い腕じゃ潤を持ち上げられなかった」

「いや、良いよ。座布団だけでも感謝感激。それより小沢さん、何処行ってたの?」

「雀荘」

一瞬、時が止まったように思ったのは気のせいだろうか。

そして、今俺の心にあるのは確かに怒りだと思う。

このままぶっ飛ばしても良いが、気が抜けて腕に力が入りそうにない。

この人の天然ボケは限度というものが無いから恐ろしい。

「もうボロ負けでさ、最終的には大三元だよ?東京って本当に怖いねー」

「でしょ?だから、もう一人でどっかに行かないでね」

「ハーイ。で、潤さんは何処に行ってたの?」

「一晩中走り回ってた。小沢さんが名古屋帰っちゃったのかと思って」

「へー、潤って思いの外バカなんだね。俺が潤に黙って帰るわけ無いじゃん」

この男は、俺がどれだけ心配したのかも知らずに、挙げ句の果てにバカとは・・・

「そっか、でも、潤が無事に帰ってきてくれてよかったー。お帰り、潤」

「ただいまー小沢さん」

やっと日常に戻った、そんな気がした。

この儀式は、俺の全てを浄化してくれそうな気さえする。

心配も不安も安心も怒りも愛情も慈しみも、全てが込められたこの言葉は、

いつか消えてしまうんじゃないかと不安になる。

けれど、今は目先の欲に捕らわれていたい。

今、目の前にいるこの人は、確実に言ってくれる幸せに捕らわれておこう。

ドアを開けて、笑顔と共に「お帰り!」と言われる。

そんな日常的な幸せが消えないように、

しっかりしっかり繋ぎ止めておこう

「てかいま何時?・・ぎゃー!!完全に大遅刻!!行ってきまーす!!!」

「いってらっしゃーい潤。頑張ってねー」



うわ、以上に長くなった;
小沢さんが上京したての頃、2人は一緒に暮らしていたらしいです。
小沢さんが雀荘に行って潤さんが小沢さんを必死に捜していた、というのは本人達談です。
ある本で、潤さんがご飯を作ってあげていたという話が載ってました。
もう私はのたうち回りたい心境でしたよ、立ち読みで。(買え

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