イルカをやめた理由 1





イルカをやめた理由 その1





2001年9月11日

NYでの連続テロ事件がありました。

イルカのプロジェクトも5年目。

子どもたちを対象にしたエコ・キャンプが口コミで広まったおかげで、

プログラムの全体の数も増え、そのうちの半分はエコ・キャンプが占めていました。

その朝は、ちょうどエコ・キャンプの子どもたちが日本に帰る日でした。

朝5時半の飛行機でパナマシティを出て、アトランタで成田行きに乗り換える寸前、

全米の航空便が一斉キャンセルされました。

空港はパニック状態。

子どもたちも言葉の分からない中で、極度の不安状態だったはずです。

このとき、ボクはパナマシティで次のグループの準備をしていて、

テレビの画面を見て凍り付いていました。

その後、子どもたちを引率しているボランティアとやっと連絡が取れたのが数時間後。

その声の緊張感から、子どもたちのパニックが伝わってきました。

一刻も早く迎えに行きたいのは山々でしたが、

子どもたち全員を移動させるにはワゴンが2台必要。

ボクとアシスタントは早朝の送迎だったために前日ほとんど寝ていない状態。

このままアトランタまで往復12時間のドライブができるか…

また、その間、状況が変わってしまったら…

このとき、全米のホテルとレンタルカーが一斉に売り切れていました。

航空便が再開するのは、数時間後かもしれないし、数日後かもしれない…

ニュース報道では、様々な情報と憶測が飛び交っていました。

英語と日本語の両方できるのがボク一人だっただけに、

今、ボクが情報から切り離されては逆に動きがとれなくなる、と判断しました。

結局、引率ボランティアに電話で一つずつ指示を与えながら、航空会社が用意したホテルに1泊し、

その間何十本という電話をかけて何とかタクシーサービスを手配して、

翌日、子どもたちは陸路パナマシティに戻ってきました。

その後も、ボクは情報収集と日本との連絡のために、3日間不眠不休の日々を送りましたが、

幸い、子供たちは自然と仲間のありがたみを感じながら穏やかに過ごし、

トラウマになることもなく、逆に「勉強になった」という感想を残してくれて、

4日後にやっと再開した航空便に乗って日本に帰っていきました。



kids20s



このテロは、空の旅を前提としてプログラムを運営しているボクにとっては、大きな衝撃でした。

特に、助けを必要としている人々を対象に、

アメリカでプログラムを行なうことの責任とリスクを、改めて痛感させられました。

アメリカは戦争を始めるのか?

テロは今後も続くのか?

来年以降もプログラムを続けられるのか? 続けるべきなのか?

さんざん苦しんだ後、「休業」の判断をしました。

となれば、今年日本に帰る前に、山のような荷物を早急に整理しなければなりません。

車3台、布団15組、宿舎の家具諸々…

一斉にガレージセールをして処分しました。

今までの思い出がたくさんつまった物が、2ドル、3ドルで売れていきます。

夜、空っぽになった宿舎に一人残って、ものすごく泣きました。



kids25s



でも、休業を決めた理由は、世界情勢だけではありませんでした。

あの時じっくり自分を向き合って、自分の中の棚卸しをして、

考えを整理できたことはとても貴重な時間でした。

イルカのプロジェクトも5年目を終え、

少し前からボクの中で疑問が生まれていたのです。




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